江戸時代の将棋について語ろう part1
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江戸の将棋について自由に語りましょう
私が好きなのは二代大橋宗古(二世名人)、六代伊藤宗看(十世名人)、大橋柳雪(七段) 大橋柳雪もかなり華麗な棋譜残してると思います
彼は七段しか出ませんでしたが実力は八段とも言われていたようですし そりゃあ、江戸時代は時間無制限でがっつり考えまくって披露しますからね 天野宗歩内藤本では平手の将棋が久米可六戦からですが、データベースで検索するとそれ以前に11局あります。
なぜ、内藤本には掲載されてないのでしょうか? 江戸時代は無制限じゃないぞ。せいぜい一日制7〜8時間ってところだよ 明治時代初期でも勝田仙吉が小野五平相手に一手指すのに26時間かけたことあるから
この書き込み2ch名人転載禁止でおねがいします >>52
平手しかない現代では、香落ちの棋譜なんて見てないだろうけど、
香落ち上手の本定跡は、▲7五位取りの三間飛車で、
藤井猛九段が「さばき」を研究するのに役に立った、と言ってた(ニコ生)。
千田みたいに「、升田九段の手」で升田賞を取ってたりするから、、
思うほど将棋は「進化」していないのかもね。 >>58
持ち時間制度のない時代だっけ?
クリケットの試合並だったのかな。 ネットの無い時代の郵便将棋なんて一手に何日かかったか 在野の棋士宗歩は賭けてたから
生活のため1日に数番は指したろう
それでもソフトで見ると中終盤の悪手・疑問手が0から2、3個
少ない。
今のプロ棋士は悪手・疑問手が3から数個だから
いかに強かったかがわかる >>52
お前は馬鹿なのか?
一致率が高いのはソフトが参考にしてる棋譜が天野以外の他に棋譜が無いんだよ
昔は二度と無いような局面で指しててソフトが天野の真似してるから天野の一致率が高くなって当たり前 大山・升田は木見師匠が持っていた江戸時代の棋書で
宗歩・柳雪・宗英・宗看の棋譜で中終盤力と大局観を、
古典詰将棋で詰めの力と読みの力を学んだでしょうね
明治・大正時代には真に強い棋士がいなかったからね ソフトがプロや昔の棋譜を参考にして作られてると思ってんのかねえ 日本将棋大系の詰将棋の3冊が文庫版になったやつ
あれええな
寝転がって見れる
3冊のうち1冊目が手頃
1冊目は初期のやつ特に宗古のええわ
マニアックじゃなくて実戦さながらなんで
最後まで解けなくても練習になるわ 九代宗桂,五代伊藤宗印,六代伊藤宗看,大橋宗英の3家の戦いが
面白い。皆強くて
宗英の弟子が柳雪そのまた弟子が宗歩だっけ 将棋とは別の「取り巻き連中の派閥争い」があったのかも。
特に、残ってる柳雪の悪し様な内容は、将棋の話じゃないから。
それは、関根-阪田、木村-升田の頃まで残ってたのかも知れない。 派閥ってか江戸の頃は大橋と伊藤とでお家争いだからね 「徳川三百年の鎖国時代は、芭蕉およびその一門の俳句連句を生んだ。
私はそれだけでも十分存在理由があると思っているが、
それ以外にもう一つ、非常に貴重なものを生んでいる。
それは伊藤宗看、伊藤看寿兄弟の詰将棋である。」(岡潔『紫の火花』より)
岡潔(1901〜1978年)は数学者。奈良女子大学名誉教授。1960年、文化勲章受章。 >>71
数学以外の話は全く無価値
優れた数学者とはそういうもの なんかそういう一般論って手のない時は端歩を突けみたいな感じがして妥当かどうかよく分からん >>74
君は朝鮮人並みに文を読めない阿呆なのかな? >>75
あっちこちに誤爆して、馬鹿な朝鮮人烏鷺金真一郎がどのスレ荒らしてるのか、バレたね。
まぁ、仕方ないよ、君は馬鹿なんだから。 名人伝を書いた作家の中島敦が戦争中の日記に
「今日も天野宗歩の棋譜を並べる」とよく書いてあった
江戸時代の達人の棋譜を並べたり詰将棋を鑑賞すること
懐古趣味じゃなく
クラッシック音楽の指揮者が譜面を見てイメージするように
その作曲者が何を感じ何を伝えたかったかを
各人の自分の感性で見る
しかも鑑賞者によってイメージがそれぞれ違う
棋譜を並べて自分なりの解釈をして奏でる指揮者になる
将棋版クラッシック鑑賞法も有りかと思うな
(序盤はさすがに古いので、それ以降ね) >>78
クラシック音楽の譜面は現在も使用する代物だから、懐古趣味とは違うんじゃね? 藤井猛九段は、ニコ生で香落ちの棋譜で「さばきの勉強をした。」と言ってたね。
香落ち上手の本定跡は3筋位取りの三間飛車で、下手に橋を破る間に、
一気にさばいちゃう、という話をしてた。 将棋については、かつて木村義徳八段(十四世名人の子息)が創成期の名人の棋力について
「今の名人と対戦したら、二枚落ちでは勝てても飛車落ちでは勝てないだろう」と推測している
つまり大橋宗桂などはアマ二〜三段程度ということだろう
ただし、「そのように棋力が低い中で現代の将棋のルールができたことは驚異的」とも述べている 朝鮮人や孫正義を馬鹿にして
自分の回線がチョンバンクのえタさんやないですかw
統合失調だと整合性も合わせられないの?w >>83
それはないよ。江戸の人は変な縛りがあっただけで終盤などは現代人より強い
詰将棋の作品とかもレベルが高いしね 仮に現代の最新の定跡を覚えたら一世名人などはタイトル30期くらいはとるだろう そら、序盤は現代の方が上だろうな。
今までの知識全部使わせてもらってんだから 美濃崩しの手筋なんかも御城将棋の実戦譜に載ってるのが今の教科書にそのまま引き継がれているわけで
ガリレオやニュートンが考え出したことを今の高校生がみんな知ってるからってガリレ・ニュートンが大したことないと言うのがおかしいのと一緒じゃない? 時代と共に進化するのが理想なんだから、
昔より今の方が強い方が良いよね
棋力だけで見ると、明治時代は将棋の暗黒期だよ >>83
アマ二〜三段程度が二枚落ちで今の名人に勝てるとは思えないよ
伊藤かりんが森内に二枚落ちで勝って初段認定されてたりしたけど
ああいうの八百長だから森内が本気だと二枚落ちくらいでは勝てない 藤井猛九段の話だけど、「高みはそれほど変わらず、変わるのは広さ」と言っている。
ある局面での「研究」とという意味だと思う。
柳雪は横歩取りの研究をしていたのは有名だけど、
「横歩取りを避ける後手の手順」として、これが紹介されてる。
▲7六歩、△8四歩、▲2六歩、△8五歩、▲7七角。
言うまでもなく「角換わり定跡」の手順。
宗桂-宗看(何代かは覚えてない)の右香落ち戦で、
腰掛銀に対して▲6八金(▲6七金じゃなく)中飛車に構えて、
△6五歩に▲5五歩と後手の銀を殺す手を指してる。
後手、上手宗桂は△4四歩から△4三銀と△6五歩を諦めてる。
古棋譜に出て来ないのは、穴熊だけかも。
復刻で「洞(ほら)」というのは見つけたけど、時代が分からない。
中飛車で、▲5六歩、▲7七銀、▲7九角、▲7八金の二枚穴熊という布陣。
>>90
二枚落ちは「銀多伝」に組ませてもらえたら下手は負けることはない。
ただ、勝負だと△5筋位取りから金が上がって来る紛れがあって、これは「指導将棋」ではなくなる。
手順は、△5二金、▲7六歩、△5四歩、▲4六歩、△5五歩が紛れ。
▲同角は△5三金、▲7七角、△4四歩で▲4五歩の位は取れない。
位を取りに行って▲4五歩、△2二銀、▲4八飛、△3四歩で上手は△3三銀と威張ることになって、
もう、銀多伝には組めなくて、上手に「総行馬(そうやらい)」か「銀宗看」に組まれる。(ツノ銀の形)
米長九段は、この形になれば、プロの四段にも負けない、と言ってた「裏城跡」はある。 詰将棋集
象戯造物 初代大橋宗桂
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/keityou/keityou00.html
象戯力草 初代大橋宗桂
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/tikara/tikara00.html
将棋智実 二世名人 二代大橋宗古
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/chinomi/chinomi00.html
将棋衆妙 三代大橋宗桂
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/shuumyou/shuumyou00.html
将棋駒競 初代 伊藤宗看
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/komakura/komakura00.html
象戯手鑑 五代大橋宗桂
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/tekagami/tekagami00.html
将棋勇略 五世名人 二代伊藤宗印
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/yuuryaku/yuuryaku00.html
将棋精妙 五世名人 二代伊藤宗印
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/seimyou/seimyou00.html
養真図式 三代大橋宗與
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/yousin/yousin00.html
将棋大綱 八代大橋宗桂
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/taikou/taikou00.html
将棋舞玉 八世名人 九代大橋宗桂
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/bugyoku/bugyoku00.html 将棋妙案 久留島喜内
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/myouan/myouan00.html
橘仙貼璧 久留島喜内
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/kissen/kissen00.html
将棋玉図 桑原君仲
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/gyokuzu/gyokuzu00.html
将棋極妙 桑原君仲
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/gokumyou/goku00.html
待宵 渡瀬莊治郎
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/matuyoi/matuyoi00.html
待宵後集 渡瀬莊治郎
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/matugo/matugo00.html
将棋必勝法 渡瀬莊治郎(必至)
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/matuyoi/hi00.html
詰将棋精選 高濱禎
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/seisen/seisen00.html
※JAVA→JAVAの構成→セキュリティタブを選択
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/
を例外サイトに追加 実行ボタンで閲覧可能です 江戸幕府により将棋所がつくられ、名人となった伊藤宗古。
しかし、在野の強豪の中には幕府により名人となった宗古に不満を持つ者も少なくなかった。
そうした者は我こそが実力名人であるとばかりに、名人との手合わせを望んだ。
宗古は高齢であり棋力も衰えていたが、彼は後進を育成する優れた手腕があった。
宗古の高弟であり婿養子でもあった伊藤宗看。
彼は宗看の前に宗看なく、宗看の後に宗看なしと謳われたほどの強豪で、在野棋士との手合わせでは彼が代指しを務めた。
松本紹尊との30番将棋では、出だし4連敗を喫して周囲を心配させたが、終わってみれば20勝を挙げ、将棋所の権威を守った。
宗看と檜垣是安との対決に尽力したのは板倉周防守である。板倉は幕府のお墨付きを得たというだけで名人を名乗っている宗古を内心おもしろくなく思っており、
また是安を個人的にかわいがっており、是安に肩入れするところがあった。 板倉は宗古を訪ねて言った。
「のう宗古よ、是安はな、このように申しておるのじゃ。名人にお教えを乞いたい、とな。
そちに勝ったからといって名人を渡せなどとは言わせぬ。安心して立ち会うがよい」
「いえ、それがしは負けることなど考えておりませぬ」
宗古が対戦を承諾すると、板倉は是安を屋敷に呼んだ。
「お殿様、いつもお世話になっておりまする」
是安は神妙に正座をして板倉の前にかしこまった。
「おお、是安、大儀であった。が、顔色があまり優れぬな。花見小路あたりの酒はあまり過ごさぬがよいぞ」
板倉はこれから申し伝えることがいかに是安にとって残酷なものであるかに戦慄し、それでも重く口を開いた。
「宗古は手合わせを承諾した。だがな、対戦相手は宗古ではない、宗看じゃ」
「望むところにございまする。宗古殿はもはや死に馬も同然。宗看殿を倒せば、もはや将棋所を倒したも同然・・・」
「だがな、
おっと回覧板が回ってきたので続きはまた 「だがな、宗古は手合いにうるさいことを申してきてな。よいか、手合いは宗看の角香交じりと決まった」
「なんと、宗看殿の角香交じりでございますか!」
「そうじゃ」
「しかし、それはあまりのなされよう・・・。この是安、雁木の構えを編み出してからのち、平手の将棋では後れをとったことがございませぬ。
せめて、一局なりとも平手で雌雄を決しとうございます!」
「のう、是安、冷静に聞けよ。まずは香落ちを勝て。さすれば、もはや角落ちは指すに及ばず、となるのではないか?」
板倉の言うことももっともであった。
「お殿様、ありがたくお受けいたしまする」
是安は腕をぶるぶる震わせながら額を畳にこすりつけて言った。
「おお、受けてくれるか。これ、酒じゃ、酒をもて。是安に酒をとらせる」
「いえいえ、是安、いささか酒癖が悪うございますれば、詮議整いましたるめでたき日に酒の席で乱れましたならばお殿様へのご迷惑・・・」
「かまわん、今日は無礼講とまいろう」
板倉屋敷を辞した是安は五条大橋方面へ向かった。彼を待っている女がいるはずであった。 五条大橋だと、舞台が京都になるんじゃないのかな。
そこは綾瀬川(利根川)じゃなきゃ。 >>101
大橋家はずっと京都にいたけど
伊藤家はどうだったっけ? >>102
大橋家、伊藤家、宗輿家の御三家は江戸にいたと思うけど。
根拠は何? >>103
記憶ベースだから間違ってるかも知れないけど
大橋本家の出身が代々京都だった記憶
だから京都にいたんじゃないかな
分家と伊藤家は読んだ本に出てこなかったから、マジで分かんない
>>104
そっちは知らないから分かんない >>95
前からこのブログが読めないけど、何をするのかな。
もう少し詳しく教えて。
>セキュリティタブを選択を例外サイトに追加 実行ボタンで閲覧可能です
どこからメニューを開くの?
Java の版が古いのかと思って昔、何度もインストールしたけど、開けなかった。
何か間違ってるのは分かるけど、どこなのか分からない。 >>106
PCの左のスタートボタン
「java」フォルダを探しクリックして展開
j「avaの構成」をクリック
「javaのコントロールパネル」画面が開く
「セキュリティ」タブ押下
ブラウザでjavaコンテンツを有効にするのチェックと
例外サイトのないセキュリティレベルが高にチェックを確かめ
例外サイト・リスト
サイトリストの編集ボタンを押下
例外サイトリスト画面が開く
追加ボタンを押す
驚きマークの一番下の行にURLをコピペ http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/
例外サイトリスト画面の「ok」ボタンを押し
セキュリティ警告画面が出る「続行」ボタン押下
「セキュリティ」タブのOKボタン押下
設定は以上です(不明な点Javaの構成で検索してみてください) >>101-105
元ネタは大昔に読んだ『慶安の鬼才・檜垣是安』であり、原本が手元にないので思い出しながら書いている
細かい設定は忘れてしまったが、確か京都が舞台だったような・・・?
では続きをどうぞ
是安は五条大橋のたもとにある居酒屋に入った。
「あら、是安さま、ようおこしやす。早速、一局お教えを」
声の主は加代という女であった。加代は貧乏な是安の代わりにけっこうな金子を用立てているはずであった。
「うむ。だがまずは一杯飲ませてくれい」
加代は七六歩と角道を開けた。是安の飛角桂香落ちのうえに、加代が先手であった。
だが是安は、加代が将棋が指せるということになんともいえぬ親しみを覚えていた。
三二金と受けながら「のう加代、そなたはどうしてわしに尽くしてくれるのかな」と尋ねた。
「それは是安さまは天下をおとりになる方やさかい」 加代は二六歩と突いた。
是安は二二銀と受けながら「天下を、のう」と答えた。
うなじに手をやりながら考える姿には、どこか育ちの良さを感じさせるものがあった。
その夜、是安は居酒屋の二階に加代と泊まった。
是安は夕刻の板倉との経緯を話して聞かせた。
「それは、板倉さまのおっしゃることが正しゅうございます。是安さま、韓信の股くぐりという言葉をご存知でっしゃろ。ここは辛抱だす。
天下をおとりになる方は短気なことではあきまへん」
加代は白い四肢を是安にからませながら言った。
翌朝、居酒屋を出て歩き出した是安を、突如むら雲のような不安が襲った。
「殿は角香交じりと言われたが・・・・・」
おっと町内会で行う公園の草むしりの時間なので続きはまた 羽生竜王と同じ駒を使ったからといって、羽生竜王になれる訳ではない。
https://togetter.com/li/1248055 古棋書読んだら、明治くらいまで雁木の意味が今と違うんだよな >>39 の「野田市立図書館のリスト」の中に、
刊行年不明の「将棋指し方伝」というのがあって、
ここでは、居飛車のツノ銀雁木に「山崎」という名前を付けている。
(▲7八金-▲6七銀-▲5八金-▲4七銀-6九玉の形)
因みに、私が見てる限りこの本がが穴熊(保ら=ほら=洞」の初出
「大橋家秘伝」では、▲7七銀=矢倉(櫓)、▲6七銀=雁木としてる。
この後▲7五歩、▲7肋銀と構える形を「高矢倉」と呼んでる。
形はあるけどk、「雁木」という呼び方そのものが大橋家の秘伝だったのかも。
(今の中原囲いは、相掛かり5一金型、が当時の呼び方だから)
これも「野田市の将棋リスト」だけど、「将棋鷲つかみ(享和元年1801年刊行)」という本の中に、
「是安流」という指し方があって、今で言う「鳥刺し(引き角)」(本には江戸八とある)
▲7九角で△2二飛を強いてから、▲3五歩、△同歩、▲同角と交換して▲3六銀、▲4六歩、▲3七桂、
▲4五歩と流れるような居飛車の攻め手順が紹介されてる。 「殿は角香交じりと言われたが、まさか角落ちが先ではあるまいな。角落ちが先なら、勝っても次は香落ち。
平手を指すことあいかなわぬ。これはなんとしても香落ちを先にしてもらわねば・・・・・」
やがて対局の日が訪れた。
見分を兼ねて見学に来ていた板倉が宗古に尋ねた。
「手合いは角香交じりと決しておったが、どちらが先じゃ?」
「さて・・・そこまでは考えておりまさなんだ」
「では、振り駒で決めてはどうじゃ?」
「よろしゅうございます。歩が多ければ宗看の角落ちということで・・・」
振り駒の結果はと金が3枚出て香落ちを先に指すことになった。
香落ち番は是安の快勝となった。
ここぞとばかりに板倉は提案した。
「どうじゃ、香落ちでも是安の快勝。こうなればもはや角落ちは指すに及ばぬのではないか?
平手戦を見せてもらったほうが、我々ととしても趣向が湧くというものじゃ」
「殿、ありがとうございます」 是安は心の中で板倉に手を合わせた。
次回手合わせの日時と場所、そして手合いをどうするかについては3日後に決めることになった。
おっと救世軍京橋小隊が義援金の集金に来たので続きはまた 本因坊は倉庫に負け越しだぞ。平手でも負けてる。宗桂には角落ちレベルで負けてるし >>112
この香落ち、ど素人目で見ても下手圧勝譜だな。 >>118
「この香落ち」って、どの棋譜を見てるの? >>120
それは、対初代宗看に5段格で定角(常に角落ち)から、角香交じりの六段昇段してからの棋譜だね。
「お話し」の時代とは、10年以上ずれてる。 お話は慶安五年・1652年の吐血の一戦のお話かと思っていましたが…
蘊蓄ぜひご教授ください >>120
34叩かれたとき22に引けば受かりそうなんだがダメなの? 名村立摩
知ら寝ければ、要らない音は考えないで「^よき観客」でいればいい。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018991/32?viewMode=
「名人達人決死の代勝負」の大試合「立摩流将棋將基」由来
を読めばいい。
『慶安の鬼才・檜垣是安』が、パクり本だった、という話。 立摩って七世名人(九段)の才能にビビッて将棋から逃げた六段レベルの男だぞ >>125
名村立摩は添田宗大夫の門人。
宗歩口伝にも、「立摩流駒組十番」として紹介されてる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1101904
「将棋絶妙」にも棋譜が残ってる。
1735年
享保20年5月17日 伊藤宗看(角落) 名村立摩 ←
享保20年6月 2日 伊藤宗看(左香落) 名村立摩 ← これが >>124 の元ネタだろうね。
享保20年7月 2日 大橋宗桂(平手) 名村立摩
1736年
文久元年2月27日名村立摩(右香落) 伊藤助左衛門(後の伊藤看恕)
初代宗看と角香交じりで六段だから、桧垣是安より格上だね。
違う人の話をしてるんじゃないかな。時代も全然違う。 開始日時:1652/08/05
手合割:右香落ち
上手:初代 伊藤宗看
上手の持駒:なし
9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
| ・v桂v銀v金v玉v金v銀v桂v香|一
| ・v飛 ・ ・ ・ ・ ・v角 ・|二
|v歩v歩v歩v歩v歩v歩v歩v歩v歩|三
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|四
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|五
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|六
| 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩|七
| ・ 角 ・ ・ ・ ・ ・ 飛 ・|八
| 香 桂 銀 金 玉 金 銀 桂 香|九
+---------------------------+
下手:檜垣是安
下手の持駒:なし
上手番
△3四歩 ▲7六歩 △8四歩 ▲6六歩 △6二銀 ▲7八銀
△5四歩 ▲5六歩 △7四歩 ▲6七銀 △5二金右 ▲9六歩
△8五歩 ▲7七角 △5三銀 ▲4八銀 △4二玉 ▲5七銀
△3二玉 ▲3六歩 △4二銀上 ▲3八飛 △3三銀 ▲3五歩
△同 歩 ▲同 飛 △3四歩 ▲3八飛 △3一角 ▲7八金
△4四歩 ▲6九玉 △7五歩 ▲同 歩 △6四銀 ▲3五歩
△同 歩 ▲6五歩 △8六歩 ▲同 歩 △7五銀 ▲3四歩
△同 銀 ▲4四角 △3三桂 ▲7一角成 △8六飛 ▲8七歩
△8四飛 ▲4六銀 △4三金 ▲3五銀 △同 銀 ▲同 馬
△3七歩 ▲同 桂 △3四歩 ▲6二馬 △8二飛 ▲7一馬
△8四飛 ▲4四銀 △5二銀 ▲3五歩 △4二金上 ▲3四歩
△同 金 ▲2五桂 △同 金 ▲3四歩 △3七歩 ▲3三歩成 △4二玉 ▲3四歩 △4一桂 ▲6二馬 △2二角 ▲3三金
△同 桂 ▲同歩成 △同 角 ▲同桂成 △同 玉 ▲5二馬
△5七桂 ▲7九玉 △3七歩成 ▲3四銀 △2二玉 ▲3三角
△1二玉 ▲2五銀 △6九飛 ▲8八玉
まで100手で下手の勝ち 開始日時:1735/06/02
手合割:香落ち
下手:名村立摩
上手:3代 伊藤宗看
△3四歩 ▲2六歩 △3五歩 ▲2五歩 △3三角 ▲7六歩
△4四歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲3六歩 △同 歩 ▲2六飛
△3二銀 ▲3六飛 △4三銀 ▲3四歩 △2二角 ▲4六歩
△3二金 ▲3八銀 △2三金 ▲4五歩 △同 歩 ▲2二角成
△同 飛 ▲3三角 △5二玉 ▲3七桂 △1二飛 ▲5五角成
△3五歩 ▲同 飛 △4四角 ▲4五馬 △2二飛 ▲4四馬
△同 銀 ▲3六飛 △3五歩 ▲5六飛 △3四金 ▲4五歩
△3三銀 ▲3一角 △4二歩 ▲2二角成 △同 銀 ▲3二飛
△3三角 ▲2三歩 △同 銀 ▲3一飛成 △4三角 ▲3三龍
△同 桂 ▲4四歩 △3二角 ▲2二角 △6二金 ▲1三角成
△9四歩 ▲6八玉 △9五歩 ▲7八玉 △7四歩 ▲8八銀
△7三桂 ▲2二馬 △7五歩 ▲6八金 △7六歩 ▲4三歩成
△同 歩 ▲7六飛 △7四歩 ▲3二馬 △同 銀 ▲1六飛
△6一玉 ▲1一飛成 △7二玉 ▲7五歩 △3六歩 ▲7四歩
△7五飛 ▲7七桂 △6五桂 ▲6六角 △7四飛 ▲7五歩
△6四飛 ▲5五角 △7六歩 ▲6五桂 △同 飛 ▲9一角成
△7五飛 ▲7三歩 △同 金 ▲6五桂 △5五角 ▲7三桂成
△同 角 ▲同 馬 △同 飛 ▲5五角 △6四角 ▲同 角
△同 歩 ▲5二角
まで110手で下手の勝ち 初代と3代の違いがあり
得意戦法も雁木と立摩駒組と違う。。
パクったとしたら人物描写の部分でしょうね 是安のが前の時代の人なわけだからパクリではないでしょ
是安はあくまで雁木の創始者とされる人ってくらいで >>132
「パクる」の意味を知らないふりしても、朝鮮人だとバレてるよ。 >> 123
22銀と引いて44角に72飛ですね
おっしゃる通り
やや壁銀が苦しいながら長期戦にはなりますね
72飛に77歩と固く打ち35角から46角狙う展開かな
なおその前の2度目の35歩に同歩で
強く75銀と出て34歩24銀と我慢すれば
65歩に43金で44角を防げた
86銀から77歩が早く8筋を突破できたかもしれないですね >>134
なるほど銀出ですか
活用しながら当たりを避けて味がいいですね >>135
何手目か書いて売れないと他の人は分からないんだけど、将棋を知らないのかな。 >>120
棋譜はまさにこれのつもりで見ていた。
これだけの快勝ができる棋力とこの上手なら、角落ちは問題なく勝てる思われる 『慶安の鬼才・檜垣是安』は次回を最終回にします。
あまり書きたい結末ではないので、簡単に済ませる予定 >>139
雁木流の元祖檜垣是安は、名人鬼宗看の右香落を破り、
得意の余り、凡そ天下に予に角落を勝つべき人はあらじと、豪語した。
然るに超えて数日、同じ宗看の角落に向い、無残にも敗れたため、
彼は憂憤の余り、吐血して死んだと伝えられて居る。
中央公論 菊池寛
http://shogikifu.web.fc2.com/essay/essay018.html
小説の世界ですから...。楽しみです 宗看、是安の将棋が江戸の注目を集めた、書いてある本があるから、是安が関心を集める棋士だったのはいいけど、
それが、雁木の創始者とか、吐血で死んだとかいうフィクションで騙られるのは耐えられない。
デタラメと知って角なら、桧垣是安は。若き日の水戸黄門だったがいいよ。
18才で史記を読んで、将棋に関心を持った水戸光圀は、20才で初代宗看に角落ちを挑む。
将棋伝来に常に周の武王の名前があるのは、その名残りぐらいで。
既に嘘だと分かってる事を宣伝する馬鹿は、死ねばいいと思う。 別に是安が雁木の創始者のようであるってことは完全に間違いではないじゃん
ちゃんと調べたのか。吐血したのは事実なようでそれから将棋を指せなくなっている
リアルに死んでないだけで、将棋指しとしては死んだようなものだ
そういう細かい部分を知らずに嘘だなんだと憤慨するのはみっともないべ >>143
馬鹿をさらすだけだから止めなよ。
>>139
桧垣是安の話も書きたいんで、早く済ませてくれ。 『慶安の鬼才・檜垣是安』最終回
手合いをどうするかについては議論が百出したが、宗古が
「当初の取り決めどおり、角落ちでお願いしたい。そしてもしその対局に敗れたならば、宗看は
引退いたします」
と申し出、角落ちで行われることになった。
是安吐血の一局とも伝わるこの角落ち戦は、また是安乱心の一局としても有名である。
右辺から攻めかかったかと思えば一転して左辺の守りを固めたり、指し手に一貫性がない。
何かにおびえているかのような指し手であり、将棋を指せる精神状態でなかったことは明らかである。
昨日「あまり書きたい結末ではない」と書いた。このへんで打ち切りにしておくのが良さそうに思う。 素晴らしいまとめ方でした。
ただ、是安の心の葛藤をもう少し見たかった。
将棋講談の次回作期待します。 >>146
真剣に追いかけてる人間もいるんで、時代考証もないバカ本の孫引きは控えてね。 >>147
ありがとうございます。
実は、是安が将棋を指せる精神状態でなくなってしまったのは理由があるのですが、あまり書いても
おもしろくないのでこれにて打ち切りといたします。
>>148
予想されたレスだったな
お前は「史実では、徳川光圀は生涯を通して水戸からはほとんど出たことがないんだぜぇ」とかドヤ顔
するタイプなんだろうな
生きてて楽しいのか? >>148
正史三国志派ですね。
三国志演義のように小説と思って読んでます。
小説ならある程度自由でいいと思います。
斎藤栄や倉島竹次郎も。
正史は確かに必要ですけどね。
今度は発信者側になって面白いエピソードあったら
教えてください。 三国志自体がファンタジーだし
誰かの手を介在させた書物なんて厳密にいえば真実ではなくなってる
自分の目でみて感じないことにはね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています