なるほど勉強になります
名人に対する手合い割ですね。今でいうレーティングに近い
恐らく五段あたりまでは各家内部で各家のトップとの手合い割で認定
そして各家のトップのランクはお城将棋で手合い割結果でつけたんでしょうね

八代宗桂に平手で勝った1739年から1751年まで看寿がほぼ伊藤家代表として出場
看寿が20代から30代の指し盛りの時ですから
看寿の末期は宗看と同等に近い棋力を持っていた可能性がある
ただ看寿の兄八代宗桂との将棋を並べたが序盤があまりうまくないw 終盤力で勝ってる
総合力ではやはり三代宗看か
おっしゃる通り
三代宗看名人は幕府への公務、伊藤家内の弟子の管理で忙しかったんでしょうね
伊藤家と他家の棋士との棋力差があり宗看名人まで出る必要がないという判断か
将棋好きの徳川吉宗の孫の家治(在位1760-1786)在位前からお相手してたのでしょう