天野宗歩 (wikiより抜粋&追加)
1816年、江戸の本郷菊坂にて、生まれる。幼名は小幡留次郎。後に天野家の養子に入る。
1820年、5歳で大橋本家の十一代大橋宗桂の門下となる。
1825年、初段となる。
1829年、14歳で二段となる。
1830年、15歳で三段となる。
1833年、17歳で四段となる。
1834年、五段に昇段する。上方に旅立ち大橋柳雪と左香落で対戦する。
1834年、江戸に戻ったが、1835年3月下旬には再び上方に旅立つ。そのまま上方で生活
1845年、江戸に戻る。富次郎と改名する。 六段弘めの会を催す。八代伊藤宗印と左香落で対戦する。
この年、分家の大橋宗aに平手で4連勝。
1846年、七段を許される。
1852年、別家を許され、剃髪して宗歩と名乗る。御城将棋に出仕が許されている。
1853年、黒船来航
1856年、御城将棋で伊藤宗印に勝利。これが宗歩最後の御城将棋となった。
1857年、越後路の旅に出る。御城将棋は欠勤し1858年正月まで旅先で過ごした。
1859年、死去。44歳であった
1860年、桜田門外の変。幕府の大老、井伊直弼を殺害
1861年、最後のお城将棋。大橋宗a死去
1868年、王政復古の大号令。徳川幕府の終焉