晩年でもA級というのは比喩的な意味で凄いのではない
44歳の内藤でも陥落するほどあの頃のA級は凄かったのだ

39歳の中原名人に63歳で挑戦した第44期順位戦は病気休場復帰で張出し11位、強者揃いのなか誰もがA級陥落を危惧していた
1位谷川浩司23
2位森安秀光36
3位森けい二39
4位米長邦雄42
5位勝浦修39
6位桐山清澄38
7位加藤一二三46
8位青野照市33
9位有吉道夫50
10位二上達也54
張11大山康晴63

この順位戦で6勝4敗でプレーオフとなり加藤、米長を下して最終的に8勝4敗で名人挑戦を果たしている
次のように記録が残されている

1次戦大山−加藤
昭和61年3月20日
東京「将棋会館」79手にて千日手
残り時間大山1時間46分、加藤26分
22時11分1次戦指し直し
162手にて大山15世名人後手番の勝ち
残り時間大山22分、加藤1分
終局時刻翌1時53分

決定戦米長−大山
昭和61年3月23日東京「将棋会館」111手にて大山15世名人先手番の勝ち
残り時間米長48分、大山2時間44分
終局時刻20時57分