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一般的な「上手い」の基準を例えば木村の字とした場合、

康光は筆でもペンでも上手くはないが羽生と違って普通に読める程度の下手さ
鋭くエッジの効いた独特の筆致が巧拙を超越した「恰好良さ」になっており
しかもそれが佐藤康光という人間の個性的な棋風や真っ直ぐな性格と非常にマッチしており大変宜しい

森内も若い頃は下手だったが訓練により上達して、クセがなく読みやすい教科書体的書風を会得した
真面目で面白味のない優等生的な字だが、それが森内俊之という男の朴訥さを体現しているようでこちらもなかなか宜しい

羽生は間違いなく下手でしかもクセが強すぎて極めて解読しづらい
それでも康光のように堂々と開き直って力一杯に書き続けていればいずれそれが「恰好良さ」に化けたかもしれない
だが羽生の書には常にどこか縮こまったような歪さ、偏りがつきまとう
例を挙げれば、色紙の左下四分の一に「一歩千金」と小さく揮毫しその横にさらに小さく署名するといった形
あのバランスの悪さはともすればそれは己の字に対する自信の無さ、卑屈さにも見えかねない

森内のように手習いをする気もなく書という物にそんな暇を割く価値もないと考え
一生ド下手糞なままでその字を売り続けるつもりなら
せめて永瀬のように堂々と力強く筆を走らせ、羽生フォントwをアートの域にまで昇華して誤魔化すべき