木村14世〜1970年代までの将棋界を語ろう
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名人が 実力制に移行した1935年から1979年までの将棋界を語るスレです。
昔の将棋は木村、大山、升田さんなどは語られますが、他の方は語られることも
少なくなってきました。それでは寂しいのでタイトルを獲った棋士だけではなく
強くはなかったが個性的だった棋士
平凡だったけどなぜか心に残っている棋士などを語るスレです。
当時を知っている方は是非その時々の雰囲気などを教えてください。 当時の居飛車党の間では「穴熊なんか将棋じゃない」というような反感・蔑視があって、
大内は無条件で穴熊に組めた上、七筋・六筋の位まで取っていた
居飛車側は穴熊以上に手数をかけて銀立矢倉に組んだりして、振り飛車の大内の先制を
許したりしていた
大内は豪快に捌いて、穴熊は安泰のまま、圧勝する将棋が多かった
アマチュアから見ても、「こんなふうに勝てたらいいよなあ」と感じる将棋だった 大内が大山に勝ったこともあったが
大山は,素人目に見ても大内を退治するのがうまかった。
NHK杯では,大内が無理にでも動くしかないような形にされたのが印象深かった。 全盛期の大内先生はアマチュアの間では絶大な人気があったな
自分も子供のころから大ファンだった
プロの間では極めて評判が悪いことを知ってショックだった >>413
「名人戦で穴熊を指すとは邪道でけしからん」
という奇怪なバッシングもあったらしいが。 大内さんは死因が非公表なままコンニチに至っているわけだが。なんでかな? >>416
王座戦で惨敗した山口英夫だけど、呼んだ?
大内三段が2年連続(?)古豪新鋭戦で優勝 関根紀代子が、関根茂のテレビ対局の聞き手だった
関根茂は勝利した >>395
日曜日の夕方16時からやっていた
極稀に、放送時間中に決着がつかなかった事が、2回位有った気がするけどどうですか?
子供の頃だから記憶違いならごめんなさい >>424
NHK杯でもそういうことがあって、番組終了直前に結果(勝敗)が唐突にテロップで流れたことがあった。 >>424
島田アナが「本局は200手を超える大熱戦になりました」と言って、大盤で途中の
指し手を並べた後、終局間際の場面に戻っていた
早指し選手権は放送時間が短かったので、時間内に入りきらないことは度々あった
記憶がある >>421
ご家族が告知を受けて本人には知らせるなパターンかな?
大介と飯田先生の昇段記念パーティーでの大内先生見たら
病気だったのは間違いないが
死因不明病気以外の理由で亡くなっているのは
関口慎吾、野口忠雄(戦死)
平野信介、大野源一(事故)
森安秀光(事件)
木川貴一、伊藤能(死因未記載)
※藤内金吾、米長邦雄、及び加藤博二以降に亡くなった棋士は年鑑では未記載だが新聞報道に記載あり >>250
棋譜見ましたけど振り飛車の棋譜が強かったですね、美濃囲いじゃなかったけどバランスが良くて将棋の感覚は現代に近いと思うので名人は言い過ぎかもしれませんがいい成績は残せたと思います。 >>428
A級での勝率なら木村義徳のほうが低いよね? >>329
大山の振り飛車も最初はかなり酷いよ振り飛車なのにまともに囲いすらしてないし、90年代の棋譜と比べたら本当に別人だからな >>401
大山と中原の年齢差は羽生と中原より離れてるぞ!確か大山と中原が24歳差で羽生と中原が23歳差、大山が人間離れしてるせいで中原とか米長と同じ世代に感じてしまうけど世代ふた回りは違う、だから王長島はちょっと違うと思う 大山と中原は、昭和45年〜平成4年まで22年間、A級(名人)で指しているから、
同時期の棋士と思えてしまうよね
大山と升田は昭和23年〜昭和53年まで、升田が8期休場、31期順位戦がなかったので、
21年間、A級(名人)で指している。 >>431
> 大山の振り飛車も最初はかなり酷いよ
それでもけっこう勝てていたのではなかったかな? 大山名人は次第に振り飛車を研究していって、主に四間飛車、さらには三間飛車も
指すようになった
大内が穴熊で快進撃するのを見て、穴熊も指すようになった
このような柔軟さはさすがだ 大山米長戦の持久戦で、途中から両方が囲いを組み替えて相穴熊になったことがあったなあ。
白熱した戦いだった。 大内九段が穴熊を指すようになったとき、棋士たちから「穴熊は邪道、将棋じゃない」と
批判された。森鶏九段は「穴熊を姿焼きにしてやる」と挑発した。
そんな中で、いち早く穴熊の優秀さを見抜いて、自分も指すようになった大山十五世名人の
慧眼と実践力は称賛されるべきだ。 大山は、宮田利男との民放早指し戦で、相穴熊になり、差し慣れていない宮田相手に瞬殺した >>439
プロ公式戦では初の相穴熊ではないかと思う。
それ以前にも、他の囲いから組み替えて相穴熊になったケースはひょっとしたらあるかもしれないが。 大山名人は他の棋士の戦法でも優秀と見ればどんどん取り入れた
もし今存命なら、ダイレクト向かい飛車とか藤井システムも指していただろう >>441
ぐぐったらヒットした
↓
角交換ダイレクト向かい飛車」が流行っているらしい。
この将棋のルーツは、1972年の「内藤-大山戦」にあります。 大山が好んで角交換したのではなく、内藤が振り飛車よけに☗2二角成としたのに、大山が意地を張って居飛車でなく飛車を振った >>128
> >>126
昭和49年度だから
両対局者と解説者聞き手、記録者、スタッフは日曜日出勤で生放送だったの!?大変だね〜
テレビ東京早指し選手権も生放送時代有ったのですか? >>156
加藤は55年前の一回切り勝ったことを未だに、スカパーで自慢してる〜
本当にひつこいよ
同じ言葉反復してしつこい 羽生名誉王座でよかったのに、谷川前名人前竜王=谷川九段からおかしくなった
>>199
> 大山は一時、無冠になった時があったが(1974年ぐらい。たしか長嶋茂雄引退の年)
> すぐさま十段戦に勝ってタイトルをとったな。
>
> NHK杯での呼称が「大山九段」から「大山十段」となった。
>
> この時の十段戦の相手は誰だっけ?
>>200
> 大山
> 1973年02月20日 王将失冠→無冠→「九段」
> 1973年10月31日 呼称「永世王将」
> 1974年01月08日 十段獲得 (以降有冠) ※中原から奪取
> 1976年11月17日 襲名「十五世名人」 (有冠状態)
> 1978年02月06日 棋聖失冠→無冠→「十五世名人」
> 1980年03月11日 王将獲得
> 1983年03月04日 王将失冠→無冠→以降「十五世名人」
>
> 中原
> 1982年09月21日 王位失冠→無冠→「前名人」
> 1982年12月21日 十段獲得 (以降有冠状態)
> 1988年06月14日 名人失冠→無冠→「前名人」
> 1988年09月28日 王座獲得 (以降有冠状態)
> 1993年05月21日 名人失冠→無冠→「前名人」 (以降無冠)
> 1994年06月07日 前名人→呼称「永世十段」
> 2007年09月02日 襲名「名誉王座」
> 2007年11月17日 襲名「十六世名人」
>
> 大山に「九段」呼び時代はあるが中原に「九段」呼び時代はない >>440 他の囲いから組み替えて相穴熊になったケース
有名(?)なのは,第21期棋聖戦第4局の中原−有吉。 >>439
>>440
大山の臨機の判断で、既定の41手めでなく、51手めからの放送となったが、100手前後で終了し、大盤で長めの感想戦となった記憶 >>442
大山勝ってるな
しかもその後何回か使ってる アマチュア棋戦(高段者は別として)で後手が振り飛車党の場合。
先手が後手の振り飛車を封じようとわざわざ一手損していきなり角交換してくることがけっこうあるわけで。
その場合、後手(アマチュアの振り飛車党なので居飛車で指すことに慣れていない)
が強引に振り飛車をする方策。
ダイレクト向かい飛車の他にはなにかあったっけ? 今ふうではないが、中原とは大山は角交換四間飛車みたいなのをやってた記憶 >>439
>>440
>>449
あんた達すごい記憶力だな、そんな所まで覚えてるなんて
俺は誰々の対局がどーのは忘れてるが、島田アナの独特のしゃべり方(唇の動き)が妙に印象に残ってる
髪の毛があーだったけど今の俺よりずっと若かったんだろうな、当時 >>455
穴熊党だったのもので、テレビ棋戦で穴熊になると
「やったあ」
と歓喜していた。 昭和50年ごろの大山は、民放テレビ棋戦で、フリ穴で石田和雄や桐山清澄に勝ち、フリ穴の長谷部久雄に勝っていた 相手の得意戦法を選んで勝つのは相手のダメージでかいからな >>456
テレビ対局での穴熊は、大山がやっていたころは、大山なら勝つ
西村が有吉の銀冠に見事につぶされたイメージが強く残っている >>451
このイラストうまいなあ〜
速攻保存したよ。
高野さんとか糸谷さんとかめちゃめちゃ似てる。
藤井くんも可愛いし。 >>448
>第21期棋聖戦
「万年部長補佐」みたいなポジションの有吉が、日の出の勢いの中原からタイトルを奪った番狂わせ的な戦いだったな。 有吉の唯一の(当時半年の)タイトル
初タイトルとなる米長にとられた
ひどい逆転負けもあった 落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。 相談するときには過去を、享楽するときには現在を、
なにかするときには未来を思うがよい。 有吉九段は真面目で一途な人柄だったな
70歳を過ぎてからも若手に混ざって最新型を研究して、ぎりぎりC2に踏みとどまって
いた姿は、本当に頭が下がる思いだった たまに指した振り飛車
タイトル銭で師匠に勝ったのでは >>472
日の出の勢いだった中原からタイトルを奪ったのは
いまだに信じがたいw 有吉九段は芹沢九段に嫌われていたんだよね
こんなに真面目でひたむきな人なのに 芹沢はデビュー時の羽生より阿部をずっと高く評価していたんだっけ? 【昭和の大棋士 二上達也】
A級在位二十七期、タイトル獲得五期、タイトル戦登場二十六回。
引退時五十八歳、順位戦はB級1組、竜王戦は1組。前年には王位リーグにも在籍。
木村義雄十四世名人より十歳ほど遅い引退だったが、「われわれの世代の手本」を踏襲した潔い身の引き方だった。
【平成の黒歴史邪道棋士 森内メンバー】
A級以上22期、竜王戦1組以上18期、タイトル獲得12期、タイトル戦登場25回、棋戦優勝13回。将棋大賞最優秀棋士賞2回、賞金王0回。
A級陥落フリクラ逃亡時46歳、43歳で確変終了無冠
米長より8歳ほど早いフリクラ逃亡だったが、「姑息竜邪道棋士の手本」を踏襲した醜いフリクラ逃亡だった 有吉初タイトルのころに、奇しくも生まれたのがハゲ基 日の出の勢いだった中原を有吉が破ってタイトルを取ったのは驚いたね。
しかも途中から両者が穴熊に組み替えるスゴイ熱戦もあった。 芹沢って、まじめな人嫌いだったのかね。
山田道美のことも嫌ってたみたいだし。
ところで山田先生ってなぜ、連盟の棋士データベースにのってないの。
棋士番号がないはずないと思うんだけど。 >>502
昔は誰か亡くなるたびに棋士番号を詰めてたんじゃなかったかな >>502
1977年3月より前に死去・退会した棋士には番号がない
山田九段は1970年ご逝去
同様にボッタクリバーで暴れた松浦八段やウティのお祖父さんも棋士番なし 芹沢は真面目にひたむきに研究に打ち込む人を馬鹿にしていたように見える。
将棋は才能とセンスで指すものなのに、研究に没頭するのはいかにも愚鈍な
人のすることだと思っていたのではないか? 芹沢先生と山田九段の関係は何となく内藤先生と桐山先生の関係に似ている気がする
共通点がなさすぎて相容れないところもあったのではと
でも芹沢先生も飲みが半ばメインとはいえ研究会はやっておられたので
芹沢先生が才能センス至上主義とも思えないが >>447
> 羽生名誉王座でよかったのに、谷川前名人前竜王=谷川九段からおかしくなった
>
> >>199
> > 大山は一時、無冠になった時があったが(1974年ぐらい。たしか長嶋茂雄引退の年)
> > すぐさま十段戦に勝ってタイトルをとったな。
> >
> > NHK杯での呼称が「大山九段」から「大山十段」となった。
> >
> > この時の十段戦の相手は誰だっけ?
>
> >>200
> > 大山
> > 1973年02月20日 王将失冠→無冠→「九段」
> > 1973年10月31日 呼称「永世王将」
> > 1974年01月08日 十段獲得 (以降有冠) ※中原から奪取
> > 1976年11月17日 襲名「十五世名人」 (有冠状態)
> > 1978年02月06日 棋聖失冠→無冠→「十五世名人」
> > 1980年03月11日 王将獲得
> > 1983年03月04日 王将失冠→無冠→以降「十五世名人」
> >
> > 中原
> > 1982年09月21日 王位失冠→無冠→「前名人」
> > 1982年12月21日 十段獲得 (以降有冠状態)
> > 1988年06月14日 名人失冠→無冠→「前名人」
> > 1988年09月28日 王座獲得 (以降有冠状態)
> > 1993年05月21日 名人失冠→無冠→「前名人」 (以降無冠)
> > 1994年06月07日 前名人→呼称「永世十段」
> > 2007年09月02日 襲名「名誉王座」
> > 2007年11月17日 襲名「十六世名人」
> >
> > 大山に「九段」呼び時代はあるが中原に「九段」呼び時代はない 石田和雄か、順位戦で八百長を持ちかけられたが、断わったらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています