木村14世〜1970年代までの将棋界を語ろう
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【昭和の大棋士 二上達也】
A級在位二十七期、タイトル獲得五期、タイトル戦登場二十六回。
引退時五十八歳、順位戦はB級1組、竜王戦は1組。前年には王位リーグにも在籍。
木村義雄十四世名人より十歳ほど遅い引退だったが、「われわれの世代の手本」を踏襲した潔い身の引き方だった。
【平成の黒歴史邪道棋士 森内メンバー】
A級以上22期、竜王戦1組以上18期、タイトル獲得12期、タイトル戦登場25回、棋戦優勝13回。将棋大賞最優秀棋士賞2回、賞金王0回。
A級陥落フリクラ逃亡時46歳、43歳で確変終了無冠
米長より8歳ほど早いフリクラ逃亡だったが、「姑息竜邪道棋士の手本」を踏襲した醜いフリクラ逃亡だった 有吉初タイトルのころに、奇しくも生まれたのがハゲ基 日の出の勢いだった中原を有吉が破ってタイトルを取ったのは驚いたね。
しかも途中から両者が穴熊に組み替えるスゴイ熱戦もあった。 芹沢って、まじめな人嫌いだったのかね。
山田道美のことも嫌ってたみたいだし。
ところで山田先生ってなぜ、連盟の棋士データベースにのってないの。
棋士番号がないはずないと思うんだけど。 >>502
昔は誰か亡くなるたびに棋士番号を詰めてたんじゃなかったかな >>502
1977年3月より前に死去・退会した棋士には番号がない
山田九段は1970年ご逝去
同様にボッタクリバーで暴れた松浦八段やウティのお祖父さんも棋士番なし 芹沢は真面目にひたむきに研究に打ち込む人を馬鹿にしていたように見える。
将棋は才能とセンスで指すものなのに、研究に没頭するのはいかにも愚鈍な
人のすることだと思っていたのではないか? 芹沢先生と山田九段の関係は何となく内藤先生と桐山先生の関係に似ている気がする
共通点がなさすぎて相容れないところもあったのではと
でも芹沢先生も飲みが半ばメインとはいえ研究会はやっておられたので
芹沢先生が才能センス至上主義とも思えないが >>447
> 羽生名誉王座でよかったのに、谷川前名人前竜王=谷川九段からおかしくなった
>
> >>199
> > 大山は一時、無冠になった時があったが(1974年ぐらい。たしか長嶋茂雄引退の年)
> > すぐさま十段戦に勝ってタイトルをとったな。
> >
> > NHK杯での呼称が「大山九段」から「大山十段」となった。
> >
> > この時の十段戦の相手は誰だっけ?
>
> >>200
> > 大山
> > 1973年02月20日 王将失冠→無冠→「九段」
> > 1973年10月31日 呼称「永世王将」
> > 1974年01月08日 十段獲得 (以降有冠) ※中原から奪取
> > 1976年11月17日 襲名「十五世名人」 (有冠状態)
> > 1978年02月06日 棋聖失冠→無冠→「十五世名人」
> > 1980年03月11日 王将獲得
> > 1983年03月04日 王将失冠→無冠→以降「十五世名人」
> >
> > 中原
> > 1982年09月21日 王位失冠→無冠→「前名人」
> > 1982年12月21日 十段獲得 (以降有冠状態)
> > 1988年06月14日 名人失冠→無冠→「前名人」
> > 1988年09月28日 王座獲得 (以降有冠状態)
> > 1993年05月21日 名人失冠→無冠→「前名人」 (以降無冠)
> > 1994年06月07日 前名人→呼称「永世十段」
> > 2007年09月02日 襲名「名誉王座」
> > 2007年11月17日 襲名「十六世名人」
> >
> > 大山に「九段」呼び時代はあるが中原に「九段」呼び時代はない 石田和雄か、順位戦で八百長を持ちかけられたが、断わったらしい >>516
順位戦で昇級争いをする石田六段が最後の一番で敗れたのは二回ある。
第二六期の西村一義戦と第二八期の木村義徳戦だ。
(コピペ) 昭和48年10月までは、順位戦のみの昇段
四段で年長、引退も普通にあった
フリクラはなかったが、年齢制限と無関係に旧三段リーグから復活できた 土居市太郎 阪田三吉 阪田破れ関根13世名人襲名
木村義雄 阪田三吉 南禅寺の決戦 木村棋界を平定
升田幸三 木村義雄 名人を差し込む(初回) 陣屋事件
将棋界 三大決戦のうち最初だけ無名 >>526
いやいや。
土居・阪田の対戦に「どこそこ決戦」とかそういう名前が付いていない。 大山が軍務に就いていた時その特技のために沖縄戦に送られなかった
おかげで、必ず戦死していたかどうかはわからないがかなり危なかった
状況を生き残ることができた 大山が戦死していたら戦後の将棋界は
ずいぶん違っていただろう
私事ながら、うちのおじいさんも南方に出征する直前に終戦を迎えて
命拾いをした 柏の連隊で船に乗る準備をしているところだった
おじいさんの直前に出た一行は輸送途上で撃沈されたそうだ
みんなから万歳されて送り出されたのにのこのこ戻ってバツが悪かったそうだ >>528
戦死する公算が高かった大山に対して
ガチで戦って勝利した松浦はスゴイ。
まさに勝負師だ。 土居が関西行ったときは阪田に負けてるからな
二人の優劣の決着はついてない もう見つからないが、昔の週刊将棋で大山と中原の肩書きの特集があって、本人談に〜中原九段の色紙が一番プレミアレアーだと言ってたよ
>>447
> 羽生名誉王座でよかったのに、谷川前名人前竜王=谷川九段からおかしくなった
>
> >>199
> > 大山は一時、無冠になった時があったが(1974年ぐらい。たしか長嶋茂雄引退の年)
> > すぐさま十段戦に勝ってタイトルをとったな。
> >
> > NHK杯での呼称が「大山九段」から「大山十段」となった。
> >
> > この時の十段戦の相手は誰だっけ?
> >>447
> 羽生名誉王座でよかったのに、谷川前名人前竜王=谷川九段からおかしくなった
>
> >>199
> > 大山は一時、無冠になった時があったが(1974年ぐらい。たしか長嶋茂雄引退の年)
> > すぐさま十段戦に勝ってタイトルをとったな。
> >
> > NHK杯での呼称が「大山九段」から「大山十段」となった。
> >
> > この時の十段戦の相手は誰だっけ?
>
> >>200
> > 大山
> > 1973年02月20日 王将失冠→無冠→「九段」
> > 1973年10月31日 呼称「永世王将」
> > 1974年01月08日 十段獲得 (以降有冠) ※中原から奪取
> > 1976年11月17日 襲名「十五世名人」 (有冠状態)
> > 1978年02月06日 棋聖失冠→無冠→「十五世名人」
> > 1980年03月11日 王将獲得
> > 1983年03月04日 王将失冠→無冠→以降「十五世名人」
> >
> > 中原
> > 1982年09月21日 王位失冠→無冠→「前名人」
> > 1982年12月21日 十段獲得 (以降有冠状態)
> > 1988年06月14日 名人失冠→無冠→「前名人」
> > 1988年09月28日 王座獲得 (以降有冠状態)
> > 1993年05月21日 名人失冠→無冠→「前名人」 (以降無冠)
> > 1994年06月07日 前名人→呼称「永世十段」
> > 2007年09月02日 襲名「名誉王座」
> > 2007年11月17日 襲名「十六世名人」
> >
> > 大山に「九段」呼び時代はあるが中原に「九段」呼び時代はない 中原本人が「前名人」と書くのをいやがって「九段」と書いたのではないだろうか? やはり大山とか中原とか谷川クラスが無冠になったとしても
「九段」
を名乗るのは微妙に不自然だからなあ。
なんらかの名誉職っぽい肩書は用意しないと。 順位戦と竜王戦の昇段規定のみになったら九段位はどのくらい減るんだろう
谷川
羽生
森内
丸山
佐藤(2人)
藤井
渡辺
こんだけ? 升田は応酬前、大阪まで行き坂田三吉と手合わせをしたそうである。
勝負はまったく一方的であったそうである。
局後・三吉が丁寧に駒をかたずけたことに感銘を受けたと話していた。 >>275
東海地方出身者がタイトルとること自体は
愛知県名古屋市出身の山田道美が達成してる
東海地方に住んでる棋士がタイトルをとったことは一度もない
愛知県瀬戸市出身の藤井七段は、東海地方を代表する棋士・故板谷進九段の門下だけに、
「板谷一門として東海地方にタイトルをという気持ちは持っています」とキッパリ。
大師匠に思いをはせながら、故郷に錦を飾ることを約束した。
https://www.daily.co.jp/gossip/2018/06/11/0011342773.shtml >>537
板谷さんはタイトルを取れそうでとれないまま終わったんだっけ? 将棋連盟ニュース
昭和20年、戦地で亡くなった大山康晴(戦死時22歳・六段)贈七段には当時七段を追贈されましたが
この度の調査で実質的に招集時七段の条件を満たしていた事が解り、この度八段を再追贈することとなりました
なんて事にならんでよかった
まあ実際戦死した棋士もいるのでよかったってのは変だが >>538
番勝負指してない、悪いけど
筋がいい感じでなく、頑張る将棋だった
ほぼ同い年のひふみんは、入門時にすでに棋士だった 陣屋事件の真相を
9割以上表に出ているとは思うが残りを >>541
丸田先生は、誰が何を言ったかすべて覚えているが、墓場まで持っていく
と言っていた。
もう真相はわからないと思う。
>>538
タイトルとれそうだったのはお父さんの四郎先生
第1期九段戦で大山と番勝負している
1局目は優勢だったが、主催者の読売新聞関係者が
フロックで板谷が取ると困るみたいな雰囲気だったので
やる気をなくして負けたらしい 升田・大山がともに戦死した場合。
戦後の将棋界のトップになったのは誰だろ? >>546
タイトル戦登場回数から考えて二上だと思う。 >>546
1950年代 塚田
1960年代 二上
1970年代 中原
かな タイトル経験者が量産される
まず板谷四郎先生
続いて花村先生
二上 加藤は永世持ち
山田名人も灘名人もあったかも
そして全てを回収して行く中原 升田大山のいない世の中原はタイトルどのくらいとったんだろう 棋士が色紙に書く文字だが
大山康晴 「心水如」
中原誠 「無心」
は知っているが、他の棋士が書いた文字を覚えている人いますか? 米長・二上・塚田・升田あたりの文字を知りたいですな。 米長「惜福」
二上「不動心」
升田「新手一生」
は見たことがあるけど、塚田のは知らない。 >>557
> 米長「惜福」
> 二上「不動心」
> 升田「新手一生」
_φ(・_・メモメモ どうもです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています