>>230
木村ほどの傑出度の人物は天野宗歩まで遡らないといないかと思います
しかし実際には明治大正期の棋士の強さというのはよく分からないというのが真実です
なぜかというとこの時代はトップ棋士同士の対戦が非常に少ないんですね
江戸時代にはよく知られているように御城将棋というものがあり現在では名人戦があるのですがその移行期の明治大正期はトップ棋士同士の対戦は数年に一度しか行われていないのです
多分に主観が入っていますが最強者の変遷を辿ってみます

まず明治の三強と言われているのが宗印、大矢東吉、小野五平の三人です
この他に大阪には天野宗歩四天王の一人の小林東伯斎が健在だったのですが当時は関西の棋士と関東の棋士は基本的に対戦しないのでどの程度の棋力だったかは不明です
しかし小林は天野宗歩四天王の中では市川太郎松に次ぐナンバーツーとされていた人物で長寿だったがために市川よりも出世しましたが最強者ではなかったのではないかと考えています
宗印大矢小野の三人の中で誰が強かったのかというと通算の対戦成績から言えば宗印>大矢>小野となります
小野名人は大矢東吉よりも弱かったとの評は現在も伝わっており当時の人々の認識も同様だったのではないかと思います
しかし宗印がそこまで圧倒的な存在だったのかは疑問です
名人就位には大矢や小野から待ったがかかっており三者の実力は僅差であったものと思われます
大矢東吉は脳の病で宗印よりも早く亡くなってしまい名人は継げなかったのですが宗印と同世代の小野が名人位を継ぐに際しては関根が異論を唱えたりといったことはありますが宗印ほどのトラブルもなく当時の棋界で三強に続く者がいなかったということかと思います