1898年に関根は大橋家に移籍して後見人として大橋家の門下生を募集してるんだよね
将棋史研究家の増川は実質的には関根の弟子の募集ではないかとしている
大橋宗金・大橋五郎は弟子を指導できるような棋力があったはずもなくこれはそうとしか考えられない
土居が関根に入門するのはその九年後の1907年
となると土居の九年前に実質的な関根の弟子が何人かいたはずなんだよね
蓑太七郎や川井房郷あたりの出自不明の親関根派の高段棋士たちはここで入門してきた人たちじゃないかと自分は思ってる
一般的にこの人たちが関根門下として扱われないのは形式的に大橋門下だからかなと
加えて蓑や川井は世代的にはもっと上のほう
おそらく真剣師などの在野の強豪として活動していた人たちが正規の免状を得て専業棋士になるために関根が呼びかけた大橋家門下生募集に応じたものじゃないかなと
当時の免状発行は小野五平名人と大橋家(関根)しかできなかったはずなので