『棋士』(2004年 二上達也)
大山に関連した裏話も書かれている
本の内容そのままでなく三人称形式で再構成してみた

体と時間をしばられて、満足な将棋を指せなくなるので強い棋士が理事になって得なことは一つもない
30代のA級棋士で理事をやった二上は人がよすぎた
加藤治郎は38歳で現役を引退して理事から会長まで務め上げたが、その後の会長を原田が38歳で引き受けた(棋力が落ちたのは言うまでもない)、そんな時代であった

さて、木造二階建で冷暖房の設備もなかった将棋会館の建て替えが議題になったのは二上が理事をやっていたときで、加藤治郎が二度目の会長、丸田、原田が副会長だった
そんな折りに理事が日本船舶振興会から助成金を出してもらう話をまとめてきたがリベートを要求したとかの話が広まり紛糾した
当時の連盟の総収入は約三億円で建設にはその倍近い資金が必要で足りない分は募金に頼るしかない
これからファンに寄付をお願いしなければならないのにけしからんということで棋士の中には会館など建たなくともよいから理事会は総退陣すべきだという意見も出てきた
そこで、芹沢八段が根回しして、升田、大山、塚田、二上の四者会談となった
二上が大山に「会長をお願いしたい」とたのむと、升田も「大山やれ」
当の大山は「ガミさん、やんなさいよ」と逃げる
二時間も押し問答を続けたころ、それまで無言だった塚田が「ぼくはやらないとは言ってないよ」
一転、塚田会長でいく結論になった
こうして、臨時総会では加藤理事会が総辞職し、塚田会長、大山、中原副会長、 米長、有吉、内藤常務理事というオールスター内閣が誕生した
大山は新会館の建設委員長となり二上も1年後に理事に戻ったが、二上によるときわめて多忙な日々だったという