続き
升田は61-65の順位戦で合計33-13/.718の成績を残す
これだけではピンと来ないかもしれないので他の主要メンバーの成績を記すと
塚田+8 18-19/.486(61を休場、この辺りから順位戦の成績が悪くなっているように見受けられる)
丸田+4 25-21/.543
二上-9 25-21/.543
加藤-17 17-19/.472(60/3-6で降級、61はB1/8-2で62昇級、65は3-6で降級、66/9-3で昇級、67/3-6で降級、68/10-2で昇級と当時のA級の厳しさが伺える)
名前の後の数字は大山との年齢差、成年ではなく年度単位での数字
参考としてるのは
・棋士別
・順位戦データベース
・成績DB
と皆さんご存知のネット情報で、特に変わったサイトや書籍からの引用はない

先ず升田の順位戦での通算成績から見ておきましょう、比較として米長、谷川、羽生、森内の成績と併記します
升田 128-51/.715(変則的な47第2期は含まず、含むと140-53/.725)
米長 140-86/.619
谷川 146-97/.601
羽生 122-58/.678
森内 81-44/.648
ちょっとここで皆さんにお願いがあります
升田について検討するときに生涯成績538-380/.586の棋士としてではなく、順位戦A級で勝率7割を超える棋士であったことを頭に置いた上で検討してください

ここで升田の61-65での順位戦勝率.718は棋士別の換算表で見るとレート差160にとなる
61-65と66名人戦までで大山‐升田戦は大山の32-18/.640で同様にレート差100となりその計は260、期待勝率82%が導かれる
つまりこの頃の大山は升田以外のA級棋士に対し.820程度の勝率が見込めるという事になる
ところが61-66の大山は180-88/.672の成績しか残しておらず、升田戦の32-18を引いても148-70/.679と誤差の範疇だ
当時の一般棋戦に名人は後手という原則があったにせよ、期待勝率と現実の成績とのギャップは説明できそうもない
とすると一番自然と考えられるのは「手を抜いてたんじゃね?」という事だ

ちょっと遅くなったので今日はここまで、続きは明日以降に投稿します