>>22
木村名人が過去の定跡をまとめた昭和初期の将棋大観の段階では飛先交換直後に96歩を突いていたんだが、
その手の意味を理解する難易度が4枚落ちレベルには高すぎた。
えせ指導者が増える中でその部分を指導しきれず右側だけ見る定跡に退化していったと自分は考えている。