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何かが僕の中で、いま産まれようとしている。
ずっと封印してきた、ずっと奥に隠してきた熱源体のような何かが。
全開で進むことをどこかで恐れ、完全にチューニングされることを避け、魂と肉体の完全なる同期を延期し続ける人生だった。
自分の名前で生きたい、自分の人生を謳歌したいと渇望しつつも、ミュージシャンとして生きてきた父と母を超えることをタブー視し続けてきた。
パートナーシップを継続できなかった両親を越える幸せを僕が掴んではいけない、というブレーキを自分にかけ続け、どこかでフォーカスをずらして無難に生きる選択をしてきた。
今年もまた夏が来る。
ヒリヒリするようなリアリティを全身に浴びながら、僕はいま自覚している。
自分には力があることを。圧倒的なエネルギーが弾けようとしていることを。
いま、たまらなく「コインロッカーベイビーズ」が読みたい。
キクとハシが駆け抜けた夏を、僕ももう一度疾走したい。アクセルをベタ踏みして、皮膚がベロベロにただれて剝けてしまうような熱さを体感したい。
小笠原の南の海深くに沈んでいたダチュラをヘリで東京湾の上から撒き散らすんだ。
膨張する夏に、膨張する自我を解放して、本当の自分を生きるんだ。
自分に力があることを、恐れてはいけない。
愛と力を統合して、闇の世界の支配者になり、光の世界へと進もう。

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親を超えたいと思う人はいても親を超えてはいけないと思うのは変な価値観
そして、その変な価値観で離婚したのも親のせい、親は救われないんじゃ?
「親を超えてはいけないという変な価値観を捨てました」単純に書けばいい
そのビリーフを植え付けたり離婚したのは親のせいと言うのは自己欺瞞だ。