カミュは実際、『シーシュポスの神話』の中で、「たえず意識の目覚めた魂の前にある現在時、そして現在時の継起、これこそ不条理な人間の理想である」と説いている。
短く、とぎれとぎれで、相互に因果関係をもたない複合過去形の文体が、ムルソーにおける「現在時の継起」としての「時の経過」をきわめて巧妙に反映している。
文章は「そこで」、「そのとき」、「そのあとで」、「すぐ後で」、「少し経って」、「それから 」によって頻繁につながれる。
この辺はフローベールの「単純過去」でない「半過去」を選択しているのと同様で、テキスト上もぶつ切りを狙っていると思う