アルベール・カミュ Albert Camus4
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
教養無さすぎてカミュにとっての神とかキリスト教の立ち位置が分からんちん
キリストそのものは好ましく思ってるんだろうけど 「カミュはあらゆる不正とたたかったが、それなら自分によせられた
栄光ともたたかうべきだったろう」シオラン 文庫の異邦人読んでるけど、独房入ったあたりから特にひどいが
日本語として成立してないくらい文がダメじゃない?
2、3回読み直しても意味がとれないし、こんな文章作文で出したら
国語の先生に怒られて書き直し要求されるぞ 岩頑張って運んでも転がり落ちる何度も何度もそれでも生きていく!みたいなやつやろ?
そういって有名になって贅沢できて説教できるやつはいいけど庶民にはたまったもんじゃないと思ったわ >>935
お前は翻訳で悪文とか言っちゃうタイプ? フランスの哲学書の訳書はけっこう酷いの多い気がする
シーシュポスが可愛い方だよね ブラックに弾丸を打ち込んで死刑になる人生は無意味すぎるが、幸福の死の
介護で介錯するのも、有意味すぎる。ペストあたりからはかられて行って
ああいう作品と人生になっていった節もあるけど、先輩としてはショットギャグ
が面白く、中々噛みがいのある人生の古典に残る名文学者だよな。 神に背いて罰された人間としてはニムロッドと並んで有名なㇱシフスだが、ニムロッドがバベルという高層建築物を作ろうとしたのと、ㇱシフスが岩を永遠に上り坂を運び続けなければならないのと良く似てる。 新潮のペストの訳はかなり苦痛だった
フランス語の訳文は読みにくいことが多いからまぁ覚悟はしていたがそれでも辛かった バルザックは読みやすいイメージあるな
ドゥルーズ、ラカン辺りはあえてやってるんだろうけど >>943
あれは日本語として破綻してるんだよ。
翻訳だからしょうがないと言う人もいるけど、日本語に対してまともな感性を持っていたらとても受け入れられない文章。
古いからというのも間違い。
古くても日本語としてしっかりした文章なら鴎外や露伴のような文章でも違和感なく読める。
翻訳にそこまで期待するなと言われればそこは納得するしかないけどさ。 フランス文学の翻訳は訳の正確さと読みやすさの両立が難しいんじゃないかなーとしばしば思う
野崎歓訳の『赤と黒』が原語版特有の勢い?を再現しようとした結果、誤訳だらけと批判されたように 難しいかもしれないが、野崎がもっと慎重に読んで訳すことと、優秀な翻訳チェッカーの起用である程度誤訳は少なくできたはず。
まあ、コストは嵩むがw
野崎の訳はやけに評判良いが、概して今の読者が滑らかで平易な訳を求め過ぎてるような。
さっくり言えば、読者のレベルが落ちてることに配慮して訳さなければならないのは辛いと思う。 明治に文語体から口語体にじょじょに変わってきたときも↑こういうこと
書いて批判する老害いたんだろうな >>948
俺は文語も口語も読めるが、口語ですら読みにくいと文句付ける読者が増えてるじゃん。
お前みたいにいきなり、老害とか言ってくるレベルの低い人間が増えてるし。
土台、お前なんか文学板に来るような人間じゃないし。 平安時代に平仮名が用いられ始めた頃も批判されんだろうな 口語を文章化しようとすると
時代経過にともなう文章の変化が加速する
たとえば語り口の清新さが評価された庄司薫の薫君シリーズでも
現代の若者が読むとある種の晦渋さを感じるのかもしれない
実際、庄司よりも10歳ほど年少でその影響下で創作活動を始めたであろう
三田誠広、村上春樹、高橋源一郎たちはさらに平易な文章になっているし
それより更に年少の吉田修一、伊藤たかみ、長嶋有たちも平易になっている
批評や翻訳でもこういう流れとは無縁ではいられない
あるいみ言文一致や口語文の宿命だろう
別に口語と文章が一致しなければいけないわけでもないのだが
そちらの方が大衆化しやすいわけで
こういう一般化への強制が文学として質を保証するかは疑わしい
しかし影響力に関しても大衆化した割には読者数は増えていないのが現状で
質・量ともに確保できないのなら何のための口語文なのか?
という疑念も生じる 952の言うような流れの背景は大体、俺には分かってる。
そういう流れに歯止めをかけようというのが俺。 大江健三郎の文章は分かりにくいけど、読み進めるとハマるよね 大江の文章はクセになる
文体を作るのは優れた純文学作家なら必ずやっていること 妙だけど勢いのある文体の小説を読んだあと、脳内ではその文体であれこれ思考してることがよくある 952の言うような流れをスーパーフラット化と呼んでも良いだろう。
それは日本全国の人為的な平面的宅地造成や、エレベーターなど肉体労働の
フラット化とそれに伴う人員の無気力化、バリアフリー化などと並行してる。
対して、概して欧米では自然の地形を大事にする。
まあ、日本は基本的に山国なのでしょうがない面もあったが。 口語の文章化で、平易化が加速したのにはフェミニズムも影響してるんじゃないかな。
女性に好まれる文章というと、町田康なんかが典型?
町田の作品を読んだことないので良く知らないが、中島らもと良く似てるように言われてるのは
知ってる。
らもなら読んだことあるが。 新しい道路は既存の道路より低い所に出来るもんだ
まぁ上にも下にもあるのは空虚な城みてーなもんじゃねーかなぁ シーシュポスの神話の書き出しは有名だけどカミュがいわゆる鬱病を患ってたとかの話はある?
そもそも自殺とか考えるのはそういう精神状態の時だけど、カミュは理性的な自殺について考えてたとは思うけどもちろん健康的ではないよね うつ病かはわかんないけどテンション低そうなイメージはあるな >>22
>でもまあ、たしかにシジフォスの神話が
>カミュの中で一番重要そうな本な気がするな。
>根拠はねーけど
本当に短い短編だけれど、不条理の凄さを象徴している。
ニーチェの永劫回帰説の体感よりも、単刀直入な強烈なメッセージだ。 カミュの中ではペストが一番好き
リウーがカミュの理想形態だったとさえ思えます 文章のいい悪いを問題にしている間は小説議論の相手にもなるまい いいわるい じゃなくて、何がどうなっているか を語るべき なんで異邦人の中で母親のことをママンって言ってるの? ママンあれはぼくの鳥だねママンママンぼくの落とした砂じゃないよね
―東直子
俺を短歌の世界に誘ったのはこの歌、スレチだけどさ Albert CamusとMichel Polnareffのおかげで仏語が好きになりました もう読まれないのか文庫が少ないな。
岩波あたりから出てもいいんだが・・ ルネサンスの芸術家ミケランジェロは何十トンもの巨大な大理石の塊を坂の上を
滑らせて下ろす作業の現場にいた。
つまり、ミケランジェロはㇱシフスと極、似たことをやっていた。 武漢のニュース見て真っ先にペストのこと思い浮かんだ 同意。
あの小説では完璧な封鎖だった。
人の出入りはもちろん禁止だが、物資や手紙まで禁止していた。唯一許されていたのは電報だけ(電話はまだ無い時代だった)。
あのオランの街のように、武漢を完璧に封鎖してしまったらどうなるだろうか? カミュが小道具として重視しなかっただけで電話はあった時代じゃなかったのかな
リウーがタルーの死亡を市当局に通報したのは電話になっているし
しかし、医学的な専門教育を受けなかったカミュが
よくあれだけの長編を説得力ある作品に仕上げたもんだな、感心する ねずみとか都心の道路でひかれて死んでたりするし、
コンビニやデパ地下とかにうようよいるだろうし。 図書館で結構予約入ってる。
みんな思い浮かべて読んでるのかな。 「ペスト」くらいなら買えば良いのに…
文庫本なら大して高くないよ
個人的にはカミュよりは
サリンジャーのシーモア・グラスもののほうがいまの気分のような お金は好きな作家の単行本を買うために使いたいから。 仕方ないよ。読みたい本があってもすべて買えるわけじゃないし、
購入するのにも優先順位があるから。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 3456日 15時間 49分 50秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。