>>12

日本人はアンネフランクをキャラクター的に消費しているかな?
そんなことしている人を見たことがない。むしろあまり詳しく知られていない。
人気もない。ましてやロマンティックにとらえたりもしてない。
日本人はアンネフランクを戦争の犠牲者ととらえている。

日本人がアンネフランクを犠牲者として扱うやりかたがずれているかな?
私は全然ずれているとはおもわない。赤染さんまでアンネフランクを
自分の創作のなかで勝手に解釈した人も見たことがない。みんな彼女を
リスペクトしてそっと扱っている。その扱い方が戦争の犠牲者をあつかう
やりかたとしてズレているとは思わない。

そこにあえて民族問題をもちだして(何民族かは知らないが)
日本人のアンネフランクにたいするやりかたを批判するというのはどういう
意味なのかな?赤染さんの示唆しているのは、「日本人は加害者なのに
反省せずにあたかも加害者ではない人間のようにアンネフランクに接している」
ということだと思うな。そして赤染さんの意識は日本人ではない。
主人公みか子は最後に他者としての自分をとりもどし、乙女(日本人たち)とは他者なのに
乙女として「わたしは密告しました」と宣言する。それを聞いて外国人教師は
満足し、密告の罪は乙女全体がかぶることになる。しかし主人公が密告しても
はればれと満足げなのは主人公は乙女(日本人たち)とは他者だから密告の罪の意識を
かんじない。重構造になっているどこをとっても気持ち悪い話だ。

アンネフランクは戦争の犠牲者だがこの小説ではユダヤ民族主義の犠牲者であるかの
ようにもとれるように描かれている。それも誇らしく。アンネが「オランダ人になりたい」
と言ったことであたかもその罰であるかのように密告されたりあるいはアンネ自身が
密告したともとれるような小説が賞をとるとはいったいどういうことかと思う。