★☆色川武大☆★
そーゆー点では色川さんも持病のナルコレブシーのせいかw
幻覚みたいなイメージは出てくるね。
なんだっけなー、尻の穴から槍を突き刺されるとかw「怪しい来客簿」だったっけ?
吉行さんの場合はかなり身体的/生理的な感覚から出てくるイメージって気はするけどもね。 吉行を女性嫌悪思想の持ち主とする人が奥本大三郎とか
上野千鶴子とか、いるが、間違ってるのではないか?
吉行があまりに女にもて過ぎて、彼女らを鬱陶しく思う
からでは?
思想という程の根深さはないと思うが。 どうなんだろかね。
吉行さんは「女を描こうと思っていない、というか結局分からないし男の自分に書けるわけが無い」
とエッセイでは断言してるみたいだけど。
よく吉行さんは「女」ではなくて「人間関係」を描いてるって言われるみたいだけど、
本人は「人間関係ではなくて、関係人間」って冗談で言ってたw
吉行さん風に言うと感じのある言い方だw結局、女との関係を道具立てに自分の内面深くに
ダイブしていく感じかねえ?吉行さんの文章読んでるとやたらロジカルで自分の心理を解析してるんだよなw
だからどんなに性描写が続いても不潔な感じがしないw関係における人間(他人のまして女の内面なぞ分からない)
の諸相...だから「関係人間」と言い換えたのかなと。
徹底したニヒリズムが最深部の底にありそうな気はするのよ。これは、色川さんもだけど。
永井荷風はなに書いても「風景」になっちゃうね。それも大好きw
荷風も女性嫌い・女性蔑視と言われるけど、じゃ女性作家が男性蔑視してねーのかよとw
蔑視しあって欲望まみれで分かり合えない醜いエゴの塊同士でくっついたり離れたりしてんだからさw
作家について女性嫌悪とか言ってる時点で上野千鶴子とか底が浅いよなと思う、
人間や文学の見方がw立場的に言わなきゃいられないんだろうがね。 吉行が自分の事を「関係人間」と、言ってたそうだが、
花田清輝の「群論ーガロア」を吉行は読んでたかも。
それの結語は「緑色の毒蛇の皮のついている小さな
ナイフを魔女から貰わなくてもすでに魂は関係それ
自身になり、肉体は物それ自身になり、心臓は犬に
くれてやった私ではないか。(否、もはや「私」と
いう「人間」はいないのである。)」。
吉行は、花田が『砂の上の植物群』に言及したことを
とても喜んでいたらしい。 「砂の上の植物群」はいいねえ。
昭和38〜39年の連載だったかな。俺の生まれる前にあれ書いてるんだよなあ。
吉行さんの年齢は昭和プラス1才だから39〜40才の作か。(三島は昭和の年号そのままだねw)
脂がのりきってるんじゃない?当時はショッキングだったろうねえ、あの内容は。表面的には性倒錯の話が目立つし。
吉行さんには珍しくわりと正面きって父親のこと書いてるんだけど、いろいろ深掘りしたくなるテキストではある。
作品の構想メモは作らないって公言してる人だけど(後期は簡単なメモを手帳に書いてたらしいが)
あの構成は練ってる感じするけどな。作者が何度も顔出してきて説明したりするあたりも技巧的。 こんなのそんなの、みんなご破算でぶちゃっちまっていいもんだわさ、くだらねえw 低脳作家が自分のくだらねえ小説を大変な名作だと臆面も無く言うために読んでる三文作家連中さ。アホくさw このバカスレも柄谷製。ホント癌だよな。早く死ね。グズグズしてんな。 ↑なんか欲求不満なのか?気の毒に...とりあえずバイトには行けよw あと言っとくと、方言で怒ると田舎者臭くて馬鹿にされるから気をつけてねw 島田は、吉行がどうしても首を縦に振らず、芥川賞を取れなかったからな。
しかし、吉行はどうして島田を認めなかったのかな?
おれは、島田の初期作品は「優しいサヨク〜」しか読んでないが、全然面白くなかった記憶がある。 吉本の政治的意図によって誉められた『さようなら、ギャング達』と、
『優しいサヨク』は、語感的に被るものがある。
内容のセンチメントも似ているのでは?
多分、高橋源一郎や吉本への嫌悪が吉行には、あったのではないかな?
無論、島田は吉行の視界に入らないくらいの小物にしか見えなかった。
俺は両方とも読んでないがね。
高橋のは粗筋を見たが、見るからに面白くなさそうで、これは高橋が
失語症からのリハビリのために書いた小説だったらしいではないか。 『さよなら、ギャング達』は、図書館から借りてきて読もうとしたが、
「中島みゆきソングブックがどーたあーたら」なんてフレーズが出てきた時点でギブアップ。
おれは、ヨシユキストだが、吉行が『さよなら〜』を嫌っていたのは知らなかった。
『優しいサヨク』含め、父親がダダイストであったことと関係してるのかな。 さよなら〜は誰がどー言おうと
あの時代を代表する大傑作だよ 「時代」に括られては駄目でしょ。
色川や吉行の作品は、いつの時代でも通用する。 ★2ch勢いランキングサイトリスト★
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※ 要サイト名検索 狂人日記の「死ぬより他に道は無しだ」って一文がすごい衝撃だった
20年前に読んだきりだが、いまだに頭にこびりついてる。 全集買って呼んでる。心が救われる文章があって、楽しみながら読んでる。 全集揃えようと思ったが、高くてなあ
4,5冊だけ持ってる 何十年も前、自分がまだ若く、遊び回っていた頃、知り合った女の家にあった本が「花のさかりは地下道で」だった。
本なんか全く縁がない暮らしだったけど、タイトルが気になって借りて読んだ思い出がある。
自分にとっては内容共々、ほろ苦い思い出の本。 最近、吉行スレが上の方にきてるから、
こっちも支援age。
読者が被ってると思うのはおれだけだろうか? うん、こんなつまらない素材でつまらないレスしてるのは名無し紙本ひとりだけw ワンアンドオンリー、とは、色川武大のための言葉だな
比類なき、とか、唯一の、とかさ
『雀』とか、背筋が凍るぜ 芸人譚もかなり書いているけど
若い頃浅草さまよってリアルタイムで見たとか言ってる芸人話の8割方は嘘だろうな マージャン放浪記はいいけど。
ばくちは運の文学理論とか司書ならくわしいべ。 久しぶりに麻雀放浪記読んだらハマッてしまった 恐るべし 「どん底というのは、台風の眼に入ったように静かな状態だ」みたいな言葉が好きだったんだが、がどこにあったかわからなくなってしまった。うらおもて人生録? ◆友は野末に―九つの短篇―
色川武大/著
2015年03月31日発売/2,160円
奇病、幻視、劣等感、孤絶、放蕩、芸能好き、人恋しさ、人嫌い――無頼と称さ
れ、無比に優しい人とも呼ばれた作家が遺した、魂をさらけ出す私小説名品集。
強靭で、懐の深い文章が紡ぎ出す、あざやかな人物造形と生々しい心象の数々。
立川談志、嵐山光三郎との対談と、夫人へのインタビューを附す。全篇単行本初
収録。 『怪しい来客簿』に
「山が怖い」って書いてあるけど、
どういう感覚なんだろうな。 山なんてのは周囲の運をひとりで吸い取ってふくれ上がっているバケモノ、ああキモイわ
―――ということなんでは? 去年狂人日記を読んで衝撃を受けどっぷりハマりました
以来それまで大好きだった作家にすら少し物足りなさを感じるようになったのが悩み
チラ裏失礼しました 久しく読まなかったが―――
ひとたび読み始めると、怪しい来客簿、花のさかりは地下道で、喰いたい放題、無芸大食大睡眠(阿佐田哲也名義だが)
と、立て続けに。
この人の文章はしびれるように中毒する。 >>348
だねえ。
俺は何度も文庫を手放しちゃ買い直してる。
どうせ読みたくなるんだから今は常備してるよw 麻雀放浪記の坊や哲って色川本人がモデルじゃなくて自分がモデルだって言ってる小島武夫翁w 何故、この人を語るやつが、少ないのか。
阿佐田名義とは、違う深み、切なさ、
を俺は感じるのだが。 色川さんは阿佐田哲也・名義のエンターテイメントで
評価されたし、結局、色川武大・名義でも
大衆文学に与えられる直木賞を貰ったけど、
本来は新潮社の新人賞を獲った純文学の人。
晩年は純文学一本で勝負する意思表示として
色川武大・名義で書いてた。
「狂人日記」は強烈な作品だよな。
最後の作品に相応しい凄味のある純文学の傑作だよ。 新潮社、ちゃうで、
中央公論新人賞やで。
『黒い布』やで〜。。。 純文学作家として歴史に残るべきだと思う。
過小評価されてると思う。 阿佐田哲也と麻雀放浪記の
イメージが強過ぎるんだよ。
直木賞とっちゃったしな。
本来、色川さんはとてもシリアスな
作家だと思う。 野坂昭如 タヒんだか
戦後無頼派がまたひとり・・・ もう闇市の時代を知る作家は
居なくなったんじゃないか?
いま、映画監督の今村昌平の本を読んでるんだが、
彼の価値観を育てたのは新宿・池袋の闇市
での体験だったことが分かる。
全ての価値観が崩壊してなんでもあり、な
人間のナマな欲望が解放されたムチャクチャな
カオス……
そういう時代を潜り抜けて来た奴らには
敵わないよ。いつ死ぬか分からない戦中と
焼け野原のアナーキーな戦後闇市時代。
色川さんも野坂も今村昌平も
みんな体験してしたたかに生き抜いて来たんだもんな。
いまはそんな作家居ないしな。
残された作品を読むしかない。 空襲体験てのは強烈だろうな。
黒焦げの焼死体群の中を、自分も一瞬後にはこうなるかもしれないと
恐怖しながら焼夷弾や火炎風から無我夢中で逃げ回るんだからな。
焼夷弾や火災それ自体も怖いけど、なにより手の届かない上空から
殺る気マンマンの連中が爆弾落としているという事実が一番怖い。
人が自分を本気で殺しにかかってきたという体験は、例え運よく生き延びても、
これはキツイ。
浅草のひとたちがヒステリーおこしたりして、みな戦争のプレッシャーにたいして
自己流のやりかたで対応しようとしているって描写もリアルだったなあ。 同じ、空襲体験でも、4〜5歳年上の、吉行淳之介、になると、おもむきが違ってくる。
吉行は、『焔の中』で、家から逃げる時、ドビュッシーのレコードを、持って出るか否かで、
一瞬迷った、という。
結局は、レコードは、置いたまま逃げて、家屋は丸焼け。
空襲が終わったあとの、ある種の開放感が、印象的。 吉行や三島は世代がちょい上だからね。
高校生→大学生の辺りで徴兵されて
即日帰郷になったりして偶然生き延びた。
あれ、強烈な体験だと思うよ。
空襲を逃げ惑うだけでなくて、
国家に「死ね」と強要されて共同体も
相互監視状態だから逃げられない。
仲間は死んでいく。自分は運良く生き延びた。
極限の緊張状態から敗戦の弛緩・空白状態→
価値観崩壊の空虚な空騒ぎとしての民主主義の
自由が来る。
虚脱感と手の平を返すように浮かれる
日本人を虚無的に眺めるしかなかったんじゃないかね。
右翼にせよ、左翼にせよ、思想やイデオロギーに
しがみ付いてる奴らは馬鹿に見えただろう。
ま、俺はだから第一次戦後派は嫌いなんだがw
右から左へ鞍替えしただけだからなw
梅崎春生を除く、がね。
吉行と三島は表面上、およそ対極にある作家だが
この戦争体験の傷から逃れられない「ニヒリズム」
とともに戦後を歩き出した点で同根だと見ている。 野坂は作家になりたくて
かなり意識的に有名作家の周りをウロついて
コネ作りをしてる。
「新宿海溝」とか「文壇」とかに書いてるね。
テレビの構成作家やコピーライター、作詞家みたいな
キャリアから、作家へ転身する戦略だった。
そこで、吉行や三島に可愛がられるんだな。
焼跡闇市派だからなw
同じような体験をした開高健もだが。
色川さんは吉行派だね。
「虚無」なんつーと、厨二病かよ、って話しだが、
それが戦争体験を経た作家の共通点かと思う。
日本のロストジェネレーションの一角に
色川さんもいるように思われる。 >>360
おいおい
第一次戦後派と呼ばれている武田泰淳が色川を見いだしたんだぞ
その括り方はあんまりじゃないか? 武田泰淳の『富士』を、二回読んだが。
読書人と一般人の間にいるおれは、
『富士』を理解できなかった。
色川作品に、そういうもはない。
文学的深みがありながら、一般読者にも理解される、
色川は、そういう作家。 凄い人だが、
ナルコレプシーによる、
幻覚描写が、特に凄いが。
あれは、飛び道具、な気がする。
中上健二の、路地、にも似た。
この人は、文庫『引っ越し貧乏』で、
中上のことを
「あの男は、他人とは思えない」
と言った。
わが師、吉行淳之介は、色川/阿佐田全集のあとがきで、
「最も好きなのは『怪しい来客簿』と書いている。
色川の、幻覚描写は、確かにすごいが、
大袈裟なものを嫌う吉行が避けたのも頷ける。
凄い作家だが、飛び道具使いであることは、
間違いない。 この人の全集、色川名義作品と阿佐田名義作品が別れていますか? いや、色川/阿佐田、両方の全集で、
分厚いものだった。
吉行淳之介が解説を書いていた。 >>369
色川名義のものと、阿佐田名義のものと、巻が違うのか? という質問でした。
それとも両方ごっちゃになって並べられているか、という質問。 30年まえの、古い記憶だから、よく覚えていない。
おれは、千葉市の、稲毛図書館で、「全集」を見つけた。
ともあれ、もしも、おれが編集したら、ごちゃまぜにはしないだろう。
ペンネームが複数なら、普通は、セパレートされてるんとちゃう。 この人のプロフィール見ると、「父は退役軍人」と書いてあるけれど、退役軍人って職業ではありませんよね。
お父さんはどんな職業の人だったの? 親父は、海軍士官だから、当時は、凄いエリートだよね。
で、あの、旧制中学をしくじった息子w。
普通に育てば、世の中のメインストリートを行く者に育ったろうに。
親父さんは、さぞや残念だったろうね。 『雀』という短編があったな。
鉄っちゃんの弟がでてくる。
忘れたが。
おれの勘違いか? >>374みたいな場合、弟に過度の期待がかかる。
自分の親戚にもそういうパターンがあって、大人になっても兄弟仲が悪い。 あの二人、仲は良いよ。
長じた弟は、兄の面倒を見ようとしていたし、
転勤で、岐阜(だったと思う)に行った弟が、交通事故にあった時は、
兄がアパートに同居し、メシをつくってやっていた。
そういう短編があった。
題名は失念。 >>378
仲が良いのは否定しないけど、そのエピソードが事実だという裏付けはあるの? ねーよ、アホンダラ。
だけど、色川読者なら、分かるんだよ。
他にも、兄弟が、仲が良いことをうかがわせる作品がいくつかあった。
詳細は忘れたが。
それと、弟が、不埒な生き方をして、
年老いた父親の面倒を見ない兄に、電話での会話で怒っている。
そういう作品もあった。
仲が悪ければ、電話で怒ったりしないだろ。 何年か前に出た、角川文庫の麻雀放浪記の新装版。(福本伸行の絵のやつね)
全作買うだけ買って読んでなかったんだが、先日「麻雀放浪記 四 番外編」を読んだら、中身の差別表現の書き換えがされてたわ。
自分が気付いただけで以下の4ヶ所
1.李億春の、対局前に裏芸やるよというタンカを受けた十三デブの台詞
・旧版…「勝手にやったらええ、でもわしらも盲目やないからな」の「盲目」に[めくら]のルビあり
・新版…「盲目」にルビ無し
2.李とドサ健の初対局時、李の黒手袋を脱ぐように言うドサ健の台詞
・旧版…「おっさん、つんぼ?」
・新版…「おっさん、聞こえないの?」
3.陳たちに対する表現が
・旧版…三国人
・新版…東洋人
4.最終盤、李に侮辱されたアガリをされて哲が心の中で悪態をつく場面
・旧版…指無しの乞食野郎め
・新版…乞食野郎め
一〜三巻もおそらくこんな感じで書き換えされてるんだろうな。
嫌だねえ。 ドサ健、女衒の辰、出目徳。
抜群のネーミングセンスだよな。 >>382
書き換えるって珍しいな
そういうのって巻末に「当時の社会情勢および作品の芸術的価値を鑑み」とかなんとかそんな雰囲気の断りを入れて
書き換え無しに載せるもんだとばっかり思ってた カテゴリが現代だからじゃないのか?
近代、例えば内田百閧フ文庫などは
>>387風なことが書いてあったぞな。 >>387
巻末にその記載もあった。
なのに書き換えてたということは、
角川文庫としては、書き換えた部分については故人の意志や作品の芸術性なんかを無視した、ってことになるんだよな。
出版社の恣意的な改変が許されていいんかねえ。 >>388 >>389
差別表現とは違うけれど、それこそ内田百閧ヘ生前は旧かなにすごくこだわっていたのに
今やほとんどの出版社が現代かなづかいに改めちゃってるもんね
著者の思いとか意図とかって出版社にとってはそんな程度の扱いなんかね カフカは死ぬ寸前に、「オレの作品は全て焼いてくれ」と言ったそうだし でも、それは、カフカの本意ではなかった、と訳者が書いているね。
友人のナンチャラが、自分の死後、発表することは、想定内であった、
という見解。 麻雀放浪記、今出てる文春文庫版だと巻頭に断り文を載せた上で、差別用語も原文のまま載せてるんだな。さすが文春。
ところで角川文庫のリニューアルで阿佐田哲也の文庫はラインナップから消えたのかな。 お邪魔しますよ
投票実施中 9/11(日)23:59までに投票して下さい
文学板ID制を導入に関する投票スレ [無断転載禁止]©2ch.net
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/vote/1473074707/ >>395
そういうのって、予算の関係で決まることが多い。