ロラン・バルトとか、フーコーとか、デリダとか、構造主義とか。
こういう感性の鈍い、頭の悪い手合いにかぎって、内容空疎なくせに、やたらと難解めかした文章を書きたがる。
それを頭の悪いフランス語教師連がわかったような深刻づらして有難がっているんだから、どうしようもない光景ですね。

国書刊行会の「セリーヌの作品」ですか?
第四回配本以降はとうとう監修者としてのぼくの名前をはずさせました。
ぼくが良心的見地からこれは駄目だと判定した訳文は本にしないという最初の約束だったんです。
第一回配本「なしくずしの死」からクレームをつけつづけてきたんですが、なかなか要求どおり聞き入れない。
「死体派」の訳文にいたっては、とうてい活字にできるようなしろものじゃない。
それを版元は、営業ベースでどうしても刊行するといって聞かない。
もう勝手にしやがれです……男子一生の仕事が泣きますよ。