ルイ=フェルディナン・セリーヌ2
日夏耿之介全集は高いと思ったがセリーヌはふつうでしょ 複数人の翻訳があるのは有難い、相乗効果がある
併読も一興だ 河出文庫の高坂和彦の訳は素晴らしいね。他を読んでないから比較は出来ないんだけど… >280
人間性が訳に反映されてると思う。
高坂氏はかなり自由な精神の持ち主だった。 訳の正確性はどうなんですか?もともと日本語に訳すのが非常に難しい小説であろうという事は想像できるのですが。 >>282
誰だったか、セリーヌのフランス語はそもそも多義的なニュアンスを多く含んでいる
翻訳には正解がないかのような使い方だけど、むしろ決めて訳すようなほうがあっている文体だとあった
翻訳の正確性で単語を置き換えることで失われるものが多くあると言うようなニュアンスだったか そうだ、押し入れの段ボールから亡命3部作を取り出して、書斎の本棚に並べよう。 さらっと読む限り亡命三部作の方が文章のノリは心地いいんだよなあ 大江の小説にやたら『リゴドン』が引用される作品があったな。なんだっけ? 「静かな生活」のなかの一篇
リゴドンリゴドン言うてるよ 亡命三部作やっぱ気になるなあ
霧吹きみたいな字面の先に何が待ってるんだろ セリーヌの反ユダヤの文章が読めるのは世界でも日本の全集のみというのは本当かな?
今や世界はユダヤ資本が支配しているから、メディアを統括して反ユダヤを封じ込んでいる。
しかし、ユダヤ人を抹殺せよなんて物騒な文章でなければ、ユダヤ人批判は許されてよいだろう。 セリーヌの反ユダヤ文書は「ユダヤ人を抹殺せよ」という内容です >>301
セリーヌの「反ユダヤ文書」をフェアに表記する場合、どう表記すべきだと思いますか? >>301
Pを構ってはダメだよ。本を読んでないのに文学板に湧くレス乞食だから >>304
お前はそれを書き込んだからには、自分がセリーヌの作品でどれを読んだのか答えるべきだな。 その怒りを激情のあまりユダヤという括りで表現せざるを得ないポエジー
これは可能だし、あるべき言葉の世界だ 俺も近々亡命三部作に挑むぜい
マイルドななしくずしの死をイメージしてる
いい意味で裏切られたい >>309
読みたくて読みたくてウズウズしてるんだけどなかなか読書作る時間が取れてない状況なんです
トホホ なしくずしの死を自炊してtxtファイル化したいんだけど
…の存在が… 僕は「なしくずしの死」しか読んでないです。本当に面白いよね。 『ルイ=フェルディナン・セリーヌ』
"Louis-Ferdinand Céline"
2015年制作フランス映画
監督:エマニュエル・ブールデュー
主演:ドニ・ラヴァン、フィリップ・デムール、ジェラルディーヌ・ペラス
フランス公開:2016年3月9日
http://pepecastor.blogspot.jp/2016/03/blog-post_21.html 前スレ読んでないから既出だった許してもらいたいが
『懺悔』 生田耕作訳 (倒語社刊)のストロンバーグの会見記のページに
何枚かある写真の1枚にセリーヌのちん○写ってるよね
スウェーデン時代のスナップとキャプションがあったけど
見間違いだったのだろうか・・・ 「醜いな!」とロバンソンはぼくに注意を促した。「俺はあの死体という奴は好かんよ…」
「それより気になるじゃないか」とぼくは返した。「つまりね、あの死体は君に似ているじゃないか。
君の鼻と同じ長い鼻をしていて、そして君、君はあの死体と若さで比べて大差ないぜ…」
「お前にそう見えるものは、疲労によるものでな、どうしてもみんな互いに同じようになってくるのさ、
しかし、お前が俺の昔を見ていればなあ…日曜日になるといつも自転車に乗っていたころ!…美青年だったさ!
ふくらはぎがあったんだぜ、おい! スポーツさ、わかるか! 腿肉までデカくしてくれるのさ…」
ぼくたちは出た。死体を眺めるために点けたマッチは消えてしまっていた。
「なあ、遅すぎたのさ、わかるだろ!…」
灰色と緑の一筋がもう遠くのほう、町の端のところで、夜の中に丘の頂の輪郭を強めていた。
陽の光だ! 一日多く! 一日少なく! 他の日を切り抜けてきたように、またあれを切り抜けようと試みなければならなかった、日々、
あの様々な円がますます狭くなってゆき、一斉射撃の炸裂音と弾道ですっかりはち切れそうな日々を。
「このあたりにまた帰ってこないか、また今度、夜にさ?」ぼくが出ていこうとしていると彼が訊ねた。
「今度の夜なんてないよ、おい君!…じゃあ君は自分のことを将軍と思っているんだな!」
「俺はな、俺はもうなにも考えないことにしたのさ」と彼は結局言うのだった…
「なんにもさ、わかるだろ!…死なないようにと考える…それで十分さ…自分に言うんだ、稼いだ一日、でいつもまた次の一日さ!」
「まちがいないね…じゃあまたな、な、ツキを願うよ!…」
「お前にもツキを! たぶんまた会うだろうよ!」
ぼくらはそれぞれ戦争の中へと帰っていった。それから、いろんなことがあり、またそれからいろんなことがあり、
今はそれを語ってみせるのは簡単なことではない、なぜならきょうびのやつらはもうそういったことを理解しないから。
(Louis-Ferdinand Céline, Voyage au bout de la nuit, Gallimard 2000. pp.46-47 私訳)
http://i-or-i.hatenablog.com/entry/2016/03/17/020116 ルイ=フェルディナン・セリーヌが『夜の果ての旅』(1932年)のなかで、
主人公バルダミュに「ポーランドの蚤、ユーゴスラビアの蚤・・・・・・スペインの蚤、. クリミアの毛虱、ペルーの疥癬といったぐあいに」
移民の体から寄生虫を採集、分類して「箱づめ」にする作業をさせているのも、たしかにこの場所である。
http://www.repository.lib.tmu.ac.jp/dspace/bitstream/10748/4557/1/20012-323-003.pdf
菅野賢治(1962年- )
著書
『ポール・レオトーの肖像』水声社 2001
『ドレフュス事件のなかの科学』青土社 2002
翻訳
マルセル・リュビー『ナチ強制・絶滅収容所 18施設内の生と死』筑摩書房 1998
ジョルジュ・ミノワ『未来の歴史 古代の預言から未来研究まで』平野隆文共訳 筑摩書房 2000
ルイ・アルチュセール『フロイトとラカン 精神分析論集』石田靖夫,小倉孝誠共訳 人文書院 2001
ゾラ・セレクション「時代を読む 1870-1900」小倉孝誠共編訳 藤原書店,2002
レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史』1、3巻 筑摩書房 2005
同、4−5巻 合田正人共監訳 小幡谷友二,高橋博美,宮崎海子訳 筑摩書房 2006−07
ヤコヴ・M.ラブキン『トーラーの名において シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』平凡社 2010
ヤコヴ・M.ラブキン『イスラエルとは何か』平凡社新書 2012 2016-05-16
■[フランス映画を再発掘する]クリスチャン=ジャック『聖アジール学園消失事件』――戦争の不安を背景にしたミステリアスな子供映画の傑作
この映画にはさらにロベール・ル・ヴィギャンまでが出演している。
戦前に活躍していたが、対独協力した罪で戦後になって逮捕され、投獄されることになったことでも有名な俳優だ。
彼はセリーヌの小説の中にも登場する。
ドイツ=オーストリア的なイメージを引きずっているシュトロハイムと、後の対独協力者ル・ヴィギャンがこのタイミングで居合わせているというのも、
今にして思えばだが、この作品に予期せぬ意味作用をもたらしている。
http://d.hatena.ne.jp/pop1280/20160516 背景なんて心底どうでもいい
今読んで面白かったらそれが全てだ あらゆる集団は不潔で嘘吐きさ
そしてセリーヌは個人なんだ、それを貫いたのさ 「こういうちっぽけな《もじり屋》を私はなんにんも尻(けつ)に引きずっている・・・どうしようもない。
息がつまりそうな、ひがみっぽい、弱虫の、恩知らずの、蛭みたいな、さなだ虫みたいな連中・・・」
・・・ところが四六二項で、糞ったれ小僧は、私をびっくり仰天させる! ああ! 罰当たりのくされ尻(けつ)め! よくも書けたものだ?
セリーヌがナチスの社会主義的主張を支持したのは買収されたからであるだと。原文通り。いい加減にしろ!
すると私が絞首刑の危険にさらされ監獄にぶち込まれているあいだこの糞蛆小僧はこんなことを書いてやがったのか。
大便をたらふく喰らった穢らわしい小僧っ子め、俺の尻のあわいから出てきた分際で貴様は、一旦外に出ると俺を穢がしにかかろうってのか!
肛門カイン、ぞおーっ。どういう魂胆なんだ? 俺を殺(ばら)させようってのか! そうにきまってる! こっちへ来い! ひねりつぶしてやる!
・・・待った J・B・S、最後のへまをやらかす前に!・・・自分の脈をはかってみることだ!
胸に手を当てて考えてみろ、「夢」がなくちゃ、それに「音楽」がなけりゃ、恐怖なんてもんはつまらん・・・
なるほど、お前さんはさなだ虫にはちがいなかろう、だけどコブラじゃない、ぜんぜんコブラじゃない・・・笛にはからきしだめだ!
音楽がなければ、夢がなければ、マクベスは「恐怖劇」にすぎない、それも出来の悪い・・・
お前さんは悪(ワル)で、不潔で、恩知らずで、間抜けだが、それだけじゃだめだ、J・B・S 君!
それだけじゃ十分でない・・・その上に踊りができなくちゃ!
http://blogs.yahoo.co.jp/fujimaru80/9064909.html なしくずしの死の、クソ女とクソみたいな母親がしてるクソみたいな話しが聞こえる中で
ゲロ吐きながらギロチン窓から見る星空に、死んでいった者達や立派な船の素敵な幻想を見るシーンが好きだ >>325
俺もその場面がなしくずしの死で一番好き 「城から城へ」いいすな、なかなか書けない話題をよくぞここまで
人に勧められるくらい普遍的な内容だと思ったけど文体が特殊すぎる(^_^;)
「北」はさらに上を行くとのことなんでかなりの傑作期待しながら読もうと思います 「夜の果て」の次はどれがおすすめ?
最高傑作を教えてくれー 2.第一期・物質の祝福、地面の肖像(1942−1960) | 世界現代美術作家情報
1948年
この頃、デュビュッフェは、デンマークで入獄していたルイ=フェルディナン・セリーヌに救いの手をさしのべようとする。
その著作を熱心に愛読していたのだ。 ☆ @void3107 10月13日
そういや、国書刊行会が出してたセリーヌ全集、しばき隊に糾弾されないかな…って密かに期待してんだがなw
セリーヌ、ド・マン、ハイデガーとかw
進歩のないやつwwいっつも同じこと言ってるwwwワロタwww 「なしくずしの死」を読んでいるが、すぐにうんこを漏らすところが漫画太郎みたいだと思った 2016年12月25日
三酔人問答 戦後・セリーヌ・ブタ
http://gnkskyokai.seesaa.net/article/445222274.html
付記 本稿に引用したセリーヌの小説『夜の果てへの旅』は、著者没後の2003年改版で書名も『夜の果ての旅』も改められ。
果てに方向が現れた。生田さんは死の直前まで改訳をつづけられていたという。道半ばの1994年、斃れられた。
セリーヌの作品を道案内に生きることは、生田耕作氏の執念を引継ぐことだと自戒しつつ、ご冥福を祈る。
ちなみに戦時下、武林無想庵が訳し、房総・市川の空襲で烏有にきした原稿は『夜の終わりへの旅』だったという。 ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』の語りにおける省略と分裂症的持続
http://i-or-i.hatenablog.com/entry/2016/03/17/020116
以上で見たように、セリーヌ=バルダミュによる語りは、第一次大戦の経験をもとにし、
モダニスト・アンダーステートメントを使用しながらも、
ある安定した語りの立場を持ったり、芸術的、小説的な完成や、
無意識といった新たな人間の領域に達したりといったことをしない。
彼の語りは文章語と俗語をないまぜにし、常に共同体の語りにいくぶん感染してみせ、
世界を全面的に浸すある病気のどこまでも内部にとどまって、
肉体感覚と共に自分を含んだ世界への呪詛を吐きながらも、どこかに批評的な距離を残している。
その矛盾を解決する虚構的な仕掛けとして、ロバンソンが主人公の分身として存在するということは、
語りを、そして旅を、そもそも可能にする条件として組み込まれているのではないか。 ビートたけし「あああん!あべぴょん、らめえええええええ!ひぎぃ!あああ、アナルが裂けちゃううううううっ!」 荻野洋一
市ヶ谷の佐内坂スタジオに初めて行って、解体社の『セリーヌの世紀〜「悪魔の家のアナーキスト」より〜』の上演を見る。
最初に場内を見渡した瞬間、黒塗りの柱に視界を区切られたこの空間がいいと思った。充実した演劇体験でした。
(承前)セリーヌの亡命先デンマークのピーター・ラウゲセンという現代詩人がセリーヌをデンマーク語訳したのを再構成し、
身体言語で重ねたようだった。
ラウゲセンが抜き出したテキストをもう一回フランス語原典に遡行したものだそう。かなり刺激を受けた夜だった。
2017年3月26日 パヨク涙目w
今回も、またまたまたまたまたしても!!
わが軍の大勝利ですわよん★!!!!
森友学園疑惑大解消の巻ですわ!!!!!
パヨクのあらぬ言いがかり!w
パヨク連続大失態w
パヨクは薄汚いユダヤなり!!
われはカンパしたり!!!
パヨクパヨパヨ歯ぎしりですなあwwww
安倍昭恵さんこそ和賀郡の正義なりとぞっ!!!!!!!
パヨクは一人で朝鮮に帰って一人で忖度でもしておるがよかろう!
とにもかうにも!!大プレミアムフライデーでアベノミクスは大大大大大大大大勝利ですわよ!☆
経済今日車のアベノミクス大臣安倍晋三尊師にはパヨクは手も足も出んぞよ!!!!!!!! ギニョルズバンド買えた。
まさか倉敷の古書店にあったとは!
これで全巻がようやく揃った、嬉しい。 澁谷麻美
ルイ=フェルディナン・セリーヌ 『夜の果てへの旅』上下巻
先月の話ですか、グザヴィエ・ドランの新作を観るに当たって、ドラン作品の中でも一番好きな『わたしはロランス』を見返してみた。
劇中でロランスが授業でプルーストやセリーヌなどの名前を挙げるのですが、
なぜロランスは、セリーヌの才能を褒めたのかが気になって、読んでみたのがこの本です。
戦地、植民地、アメリカ、母国フランスと渡ってきたセリーヌの半自伝的小説。 この本には2週間ほど苦しめられた。
至る所から逃避したい欲望を愛して止まないフェルディナンとロバンソン。
自らが自らの思想で正当に朽ち果てるため、彷徨って、すり減って、鈍くなって、夜に溶け込んでいく。
とても矛盾していて、それでいて痛烈に響く本です。 実はこういう苦しめられた本ほど本棚に置いておきたくなるんですよね。
翻訳も良いのか、目にとまる言葉をたくさんメモしました。 #読書 #読書記録 #夜の果てへの旅 #bookstagram #louisferdinandcéline
03/04/2017 セリーヌを手放す事にした
目を瞑った人生の向こう側、そこには別のモノを求めようと思う 『夜の果てへの旅』1932
『なしくずしの死』1936
『ギニョルズ・バンド』1944
『またの日の夢物語』1952
『ノルマンス またの日の夢物語II』1954
『城から城』1957
『北』1960
『リゴドン』1969 むろやねい
セリーヌの反ユダヤ文書の再出版には奥さんのリュセットがずっと反対していた。
ガリマールが再出版を決めたというので、リュセットは亡くなったのかと思っていたのだが、
そうではなくて同意を与えたのだという。現在105歳だって。
2018年1月28日 ノルマンスって音楽なんだよな
メロディの繰り返しが曲全体を構成し、展開していく
物語的カタルシスへの期待に囚われてると本当の味わいがわからない
こういうのは原文だったらもっとダイレクトにわかるんだろうな 漆器屋 小谷ロ剛
帰宅したら手を洗おう、食事の前には手を洗おう、ってのは現在では当然のこと。
さほど昔でもない19世紀後半、ハンガリーの某医師が接触感染が原因だから手を洗おうと訴えたが、
それは裏を返せば「医師の手が病の原因」と公表することなわけで、
彼は医学界から追放され精神病院に入れられ、殺された。
そんな、正しくて不遇な医師、科学で真実を追求し、権威に歯向かい、社会に殺されたゼンメルワイスについて、
私が最も好きな小説家ルイ・フェルディナン・セリーヌが書いている。
もともとセリーヌは医師で、ゼンメルワイスについての文は医学博士論文。
ゼンメルワイスもセリーヌも、何のバックもついていないけど、正義の人だった。
多数派に「あなたたちは間違っている」と言うのは、そういうこと。
そしてそれも抹殺されるしかないのだが、それでもそれを覚悟してでも訴えかける人は、いつの世にも現れる。
セリーヌが書いたものに親しんだ人からするとゼンメルワイスという名の医師は、
医学界や公衆衛生の世界ではセンメルヴェイツというカナ表記です。
2018年3月12日 G.スタイナ−自伝
山崎春美さんコメント 間章の棺のなかには、阿部薫やセリーヌのレコードとともにジョージ・スタイナーの本があった。
晩年の彼の高橋巌や神智学への傾倒ぶりから、
シュタイナーやグルジェフの書物が多数を占めるかと思われたがそれらは一冊もなかった。
代わりにこのスタイナーの本があったことは、葬儀に参加した十数人から後世への語りぐさとなった。
セリ−ヌの作品 11
〈11〉 死体派
山崎春美さんコメント 上記の鈴木創士が、大里の『ガセネタの荒野』について、
「おいおい、セリーヌが抜けてるじゃないか!」と苦言?みたいに言い回したことがあるが、
この罵倒に次ぐ罵倒の連続性をして、間章の最初のレコードとされ、雑誌『モルグ』へと発展していった。
阿基米得人を通じて日本のオカルティズムに繋げようとしていたことは疑いようもない事実だ。 1939 年のレイモン・クノー
―作家はいかにして作家になるのか― ……………… 沼 田 憲 治
http://www.hosho.ac.jp/toukou/society/14/kiyou_14.pdf
こうした「老兵の参戦」は例外としても、1903 年生まれのクノーよりも 2 歳年下のポール・ニザ
ン(この戦争で戦死した)やサルトル(ドイツ軍の捕虜になった)、レイモン・アロン(イギリスに亡命
した)など「1905 年組」はもちろんのこと、年長者であるロベール・デスノス(1900 年生まれ)、アン
ドレ・マルロー(1901 年生まれ)等の世代も、アンドレ・ブルトン(1896 年生まれ)等の「第一次世
界大戦世代」も軒並み動員されているのである。ブルトンよりさらに 2 歳年上のルイ=フェルディナン・
セリーヌなどは、障害のためかろうじて召集を免れている。事実、クノーが配属された部隊にも、まわ
りには 30 代、40 代の兵士が当たり前のように動員されていることが分かる。 猫びより 2018年 05 月号
出版社: 辰巳出版 (2018/4/12)
◎あの人と猫「ルイ=フェルディナン・セリーヌ」 翻訳地帯――新しい人文学の批評パラダイムにむけて
エミリー・アプター (著), Emily Apter (著), 秋草 俊一郎 (翻訳), 今井 亮一 (翻訳), 坪野 圭介 (翻訳), 山辺 弦 (翻訳)
出版社: 慶應義塾大学出版会 (2018/4/14)
https://pbs.twimg.com/media/DeiZwJFUwAAZc-x.jpg 生田耕作訳と高坂和彦訳、夜の果てへの旅はどちらがオススメ? 白江幸司
そういえば平野共余子『マンハッタンのKUROSAWA』で、
駐米フランス大使としてゴダールの姉がいて映画関連の業務で接点があったという話があったが、
皆口を揃えて「弟と違って性格が良い」と言っていたという小ネタがあったな。ゴダールの兄の方はセリーヌ研究者として名高い。
2020年10月19日 城から城読み始めたけどよくあんな愚痴と罵倒で延々ページ埋められるなあ凄いわw
もしかして北とリゴドンもこんな感じなのか? 実際はかなり裕福な生活をしていたとも聞く
パフォーマンスで愚痴と罵倒を拵えるのなら
それもひとつの才能だとは言える
まあ、口の悪いことで定評のあるフランス人だからな ‥‥‥も一度『旅』みたいなのを書いて下さいよ! みんなあんまり簡単に片付けすぎるよ!‥‥
‥私にだってちょっと言わして貰いたい‥‥‥私にだって!‥‥‥この私は『旅』がそんなに面白
いなんて思っちゃいない‥‥‥アルトマンも面白いとは言わなかった‥‥‥ドーデだって‥‥‥当
節読者が求めてるのは徹底した滑稽本なんだ!‥‥‥ルノーの滅多打ちなんかどうだろう? いい
ね!‥‥‥そいつはいける‥‥‥俺のバイクの打壊しは?‥‥‥弱いね!‥‥‥俺の原稿の焼打ち
は? 下らん事件さ?‥‥‥それにしても読者の『旅』に飛びつくことは! 大騒ぎして!‥‥‥
ふむ! 私は読み返してみた‥‥‥初めの百五十頁ばかり‥‥‥てんでなっちゃいない!‥‥‥中
途半端だ‥‥‥検閲を気遣いすぎたのがハンデになってるんだ! 糞真面目すぎる‥‥‥糞真面目
な私なんぞ糞面白くもない! 夜の果てへの旅となしくずしの死は数年前に読んだがその時は読みにくいしそれ以上読まなかった
その後トーマス・ベルンハルトにハマって全ての翻訳を読み、これがよく言われてるように
ベケットなんかでは全然なくて、セリーヌの進化系のような気がしているので
改めて読みたくなったのだけど、この次はどれを読むべき?おすすめの順番あったら教えてちょ。 最初の二つ読んでるなら亡命三部作でいいんじゃない
城から城、北、リゴドン
ベルンハルトとどう違うかまた聞かせてよ >>368
ありがとー、まずその三作を読んでみるよ。 トーマス・ベルンハルトってセリーヌの進化系なの?
どの作品から読めばいい? Michel HOUELLEBECQ évoque Louis-Ferdinand CÉLINE (2019)
https://youtube.com/watch?v=hksSZ-kxsPQ >>370
そうでもないと思いますよ
セリーヌはいうても実況型ですやん
ベルンハルトは思索型 >>370
セリーヌの進化系というのはつまり、えー他にいい言葉がないしなんかダサいから使いたくないけどあえて云えば弁証法?的な意味、なんかそんな感じがするんだよね。だいたい第二次大戦以前の反ユダヤなアナーキストとヒトラーユーゲントにぶち込まれて骨の髄までアンチファシストなベルンハルトっていう世代的な関係もあれだし、でも本質的には同質というか。叙述の形式/スタイルに関しては下の人が言ってる通りじゃないかな。最初に読むならおすすめは短編のふちなし帽か自伝小説5部作(翻訳は3作)がとっつきやすいかもしれない。 スタイル抜きにしてセリーヌの本質は語れないでしょ
ベルンハルトのような自伝/フィクションの区別もない
些細なようで決定的な違い