ルイ=フェルディナン・セリーヌ2
ノルマンスって音楽なんだよな メロディの繰り返しが曲全体を構成し、展開していく 物語的カタルシスへの期待に囚われてると本当の味わいがわからない こういうのは原文だったらもっとダイレクトにわかるんだろうな 漆器屋 小谷ロ剛 帰宅したら手を洗おう、食事の前には手を洗おう、ってのは現在では当然のこと。 さほど昔でもない19世紀後半、ハンガリーの某医師が接触感染が原因だから手を洗おうと訴えたが、 それは裏を返せば「医師の手が病の原因」と公表することなわけで、 彼は医学界から追放され精神病院に入れられ、殺された。 そんな、正しくて不遇な医師、科学で真実を追求し、権威に歯向かい、社会に殺されたゼンメルワイスについて、 私が最も好きな小説家ルイ・フェルディナン・セリーヌが書いている。 もともとセリーヌは医師で、ゼンメルワイスについての文は医学博士論文。 ゼンメルワイスもセリーヌも、何のバックもついていないけど、正義の人だった。 多数派に「あなたたちは間違っている」と言うのは、そういうこと。 そしてそれも抹殺されるしかないのだが、それでもそれを覚悟してでも訴えかける人は、いつの世にも現れる。 セリーヌが書いたものに親しんだ人からするとゼンメルワイスという名の医師は、 医学界や公衆衛生の世界ではセンメルヴェイツというカナ表記です。 2018年3月12日 G.スタイナ−自伝 山崎春美さんコメント 間章の棺のなかには、阿部薫やセリーヌのレコードとともにジョージ・スタイナーの本があった。 晩年の彼の高橋巌や神智学への傾倒ぶりから、 シュタイナーやグルジェフの書物が多数を占めるかと思われたがそれらは一冊もなかった。 代わりにこのスタイナーの本があったことは、葬儀に参加した十数人から後世への語りぐさとなった。 セリ−ヌの作品 11 〈11〉 死体派 山崎春美さんコメント 上記の鈴木創士が、大里の『ガセネタの荒野』について、 「おいおい、セリーヌが抜けてるじゃないか!」と苦言?みたいに言い回したことがあるが、 この罵倒に次ぐ罵倒の連続性をして、間章の最初のレコードとされ、雑誌『モルグ』へと発展していった。 阿基米得人を通じて日本のオカルティズムに繋げようとしていたことは疑いようもない事実だ。 1939 年のレイモン・クノー ―作家はいかにして作家になるのか― ……………… 沼 田 憲 治 http://www.hosho.ac.jp/toukou/society/14/kiyou_14.pdf こうした「老兵の参戦」は例外としても、1903 年生まれのクノーよりも 2 歳年下のポール・ニザ ン(この戦争で戦死した)やサルトル(ドイツ軍の捕虜になった)、レイモン・アロン(イギリスに亡命 した)など「1905 年組」はもちろんのこと、年長者であるロベール・デスノス(1900 年生まれ)、アン ドレ・マルロー(1901 年生まれ)等の世代も、アンドレ・ブルトン(1896 年生まれ)等の「第一次世 界大戦世代」も軒並み動員されているのである。ブルトンよりさらに 2 歳年上のルイ=フェルディナン・ セリーヌなどは、障害のためかろうじて召集を免れている。事実、クノーが配属された部隊にも、まわ りには 30 代、40 代の兵士が当たり前のように動員されていることが分かる。 猫びより 2018年 05 月号 出版社: 辰巳出版 (2018/4/12) ◎あの人と猫「ルイ=フェルディナン・セリーヌ」 翻訳地帯――新しい人文学の批評パラダイムにむけて エミリー・アプター (著), Emily Apter (著), 秋草 俊一郎 (翻訳), 今井 亮一 (翻訳), 坪野 圭介 (翻訳), 山辺 弦 (翻訳) 出版社: 慶應義塾大学出版会 (2018/4/14) https://pbs.twimg.com/media/DeiZwJFUwAAZc-x.jpg 生田耕作訳と高坂和彦訳、夜の果てへの旅はどちらがオススメ? 白江幸司 そういえば平野共余子『マンハッタンのKUROSAWA』で、 駐米フランス大使としてゴダールの姉がいて映画関連の業務で接点があったという話があったが、 皆口を揃えて「弟と違って性格が良い」と言っていたという小ネタがあったな。ゴダールの兄の方はセリーヌ研究者として名高い。 2020年10月19日 城から城読み始めたけどよくあんな愚痴と罵倒で延々ページ埋められるなあ凄いわw もしかして北とリゴドンもこんな感じなのか? 実際はかなり裕福な生活をしていたとも聞く パフォーマンスで愚痴と罵倒を拵えるのなら それもひとつの才能だとは言える まあ、口の悪いことで定評のあるフランス人だからな ‥‥‥も一度『旅』みたいなのを書いて下さいよ! みんなあんまり簡単に片付けすぎるよ!‥‥ ‥私にだってちょっと言わして貰いたい‥‥‥私にだって!‥‥‥この私は『旅』がそんなに面白 いなんて思っちゃいない‥‥‥アルトマンも面白いとは言わなかった‥‥‥ドーデだって‥‥‥当 節読者が求めてるのは徹底した滑稽本なんだ!‥‥‥ルノーの滅多打ちなんかどうだろう? いい ね!‥‥‥そいつはいける‥‥‥俺のバイクの打壊しは?‥‥‥弱いね!‥‥‥俺の原稿の焼打ち は? 下らん事件さ?‥‥‥それにしても読者の『旅』に飛びつくことは! 大騒ぎして!‥‥‥ ふむ! 私は読み返してみた‥‥‥初めの百五十頁ばかり‥‥‥てんでなっちゃいない!‥‥‥中 途半端だ‥‥‥検閲を気遣いすぎたのがハンデになってるんだ! 糞真面目すぎる‥‥‥糞真面目 な私なんぞ糞面白くもない! 夜の果てへの旅となしくずしの死は数年前に読んだがその時は読みにくいしそれ以上読まなかった その後トーマス・ベルンハルトにハマって全ての翻訳を読み、これがよく言われてるように ベケットなんかでは全然なくて、セリーヌの進化系のような気がしているので 改めて読みたくなったのだけど、この次はどれを読むべき?おすすめの順番あったら教えてちょ。 最初の二つ読んでるなら亡命三部作でいいんじゃない 城から城、北、リゴドン ベルンハルトとどう違うかまた聞かせてよ >>368 ありがとー、まずその三作を読んでみるよ。 トーマス・ベルンハルトってセリーヌの進化系なの? どの作品から読めばいい? Michel HOUELLEBECQ évoque Louis-Ferdinand CÉLINE (2019) https://youtube.com/watch?v=hksSZ-kxsPQ >>370 そうでもないと思いますよ セリーヌはいうても実況型ですやん ベルンハルトは思索型 >>370 セリーヌの進化系というのはつまり、えー他にいい言葉がないしなんかダサいから使いたくないけどあえて云えば弁証法?的な意味、なんかそんな感じがするんだよね。だいたい第二次大戦以前の反ユダヤなアナーキストとヒトラーユーゲントにぶち込まれて骨の髄までアンチファシストなベルンハルトっていう世代的な関係もあれだし、でも本質的には同質というか。叙述の形式/スタイルに関しては下の人が言ってる通りじゃないかな。最初に読むならおすすめは短編のふちなし帽か自伝小説5部作(翻訳は3作)がとっつきやすいかもしれない。 スタイル抜きにしてセリーヌの本質は語れないでしょ ベルンハルトのような自伝/フィクションの区別もない 些細なようで決定的な違い ベルンハルトがセリーヌから派生したものを継承しているというならまだ分かるが進化系というのはよく分からん ウエルベックは仏文の純然たる系譜からよりもデリーロやパワーズのようなアメリカ文学との同時代性からのほうが捉えやすい気がする 呪われた作家セリーヌの未完草稿が数千頁大量に見つかった。1944年に喪失されていたものらしい。「100年に一度の文学史的発見」とルモンド紙」。これはさすがに昂奮する。 https://twitter.com/camomille0206/status/1423010383028133891 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>378 先に書かれてた 1936年の作品の再発見っぽいな。 でも結局、夜の果てへの旅と、なしくずしの死しか読まないや 詐欺師生✖︎の訳は読みたくないから国書刊行会の『夜の果てへの旅』復刊希望 昔図書館で借りて読んだけど手元に置きたい >>381 文庫で出ているのがそれだけだから? フランスばかりか海外でも読まれているのは 夜の果てへの旅が断トツ、なしくずしが2番手なのよね そんな当たり前なことが何? 有名な作品順、人気順、普及してる順なんだから 例えばもう少し熱心なファンなら亡命三部作も読むでしょ それとも「ベスト2」に入ってないから読む価値がないとでも? 自分から読まないと申告している人にその理由を質問しただけなんだがね 世間には熱心なファンだからとか価値のあるなしとか関係なく 物故した有名作家の作品を刊行年の新しめのものから読む人だっているでしょうよ 当たり前の話だけど ギニョルズ・バンドって面白い? 亡命三部作とどっちが面白い? そろそろ夜の果てへの旅と、なしくずしの死以外のセリーヌ作品にチャレンジしたい すげえ発見だな。セリーヌ全集は日本語版が世界的に珍重されるけど、また扱いが変わるかもな。 亡命三部作読み終わったぞ、どっと疲れた、しかし初期には到底及ばない気がする。 次は虫けらどもをひねりつぶせ、タイトルがなんか凄い。。反ユダヤ文書? 『夜の果てへの旅』中公文庫の新装版が出るが、I田訳なんぞ要らん! フランス語できないから自分で訳してないし監修もいい加減で世に出てる訳はひどい出来 「墓碑にはただ「Non(否)」とのみ刻まれている」とかホラばっか吹いてる などと言われてるらしい 俺はファンだけど 来月出る『夜の果てへの旅』新装版、2冊で3000円近くもする 自分が30年前新刊で買った文庫は2冊で1000円しなかったが 生田耕作訳以外の翻訳が新刊で出れば買うかもしれない 文庫新装版上巻収録の 中上健次らによる座談会「根源での爆発、そして毒」 は立ち読みだな >>380 数千ページなんて分量はほぼ翻訳不可能だしその中の作品としてまとまってる分を翻訳するにしてもいつまでかかるやら 俺は年齢的に諦めるよ 若い世代が将来読めるよう期待を託す >>392 こういうのは利権を手にして儲けたいとかより──セリーヌの遺作が取り合うほど莫大な利益があるか疑問だ──も、 天才の作品の出版権を所有して自己満足を得たいとかではないのか 世界中の科学関係者がアインシュタインの脳の切れっ端に固執するのと同じかもな 俺は30代前半だから気軽に待つだけだな 全集も買ったけどまだ1/3も読んでないし 中上とセリーヌって俺の中では全く重ならないんだがw >>400 俺が将来、和製セリーヌと呼ばれたら、どうするんだ? 昔、生田訳『夜の果ての旅』中公文庫を買って読んだが、あまり面白くなかった このスレでは案の定翻訳の評判がよくない 読み直すべく高坂訳『夜の果てへの旅』の古本を最近購入した ハゲはハゲらしく弁えて黙ってハゲ散らかしてろハゲ! こらこら、ハゲとアホは喧嘩してはいけないよ セリーヌのように貧乏人同士助け合うべきじゃなかろうか なに? お呼びでないって? こりゃまた失礼しましたw 大きくでたな! アナーキストだよ、おまえさんは。要するに、それだけさ! (生田耕作訳) なんとでもほざきやがれ! おめえみてえのをアナーキストってんだとよ! (高坂和彦訳) 冒頭だね 並べられるて比べると生田訳のリズムの方が好きだな どっちが原文に近いんだろう、かなり違う 高坂訳がかっこいいね 小林秀雄訳ランボーの趣がある >>409 だと「だとよ」の「と(よ)」を余計に感じちゃうな そこまでの啖呵の勢いが良いから語尾での減速が悪目立ちしてる 生田訳の疲れた感じが退廃的で好きだわ >>408 生田訳の「要するに、それだけさ!」の部分に相当する箇所は高坂訳にあるのかな なければ訳者が勝手につけ足したことになる いや、高坂訳が削った可能性もあるか 原書に当たらないとわかりませんな この辺りが共通してて、原文では伝聞のニュアンスなんじゃないかと思う 翻訳も大変だな >要するに、それだけさ! (生田耕作訳) = >ってんだとよ! (高坂和彦訳) ゴダール「気狂いピエロ」にはセリーヌとランボーが引用されていたな ゴダールの兄のアンリ・ゴダールはセリーヌ学者だから 生田/大槻 ことの起こりはこうだ。言い出しっぺは僕じゃない。とんでもない。僕に水を向けたのは、アルチュル・ガナーとだ。 高坂 始まりはこうだった。おれはなんにも言ったわけじゃない。ひとことも。しゃべらされたんだアルチュル・ガナートに。 この小説に「僕」が合うか「おれ」が合うか、答えは人それぞれだね。 翻訳の一人称は基本的には僕か私がいいなあ 俺はどうもちょっと ちなみに高坂和彦訳の亡命三部作では「私」になっている 『なしくずしの死』の高坂訳は持っていないが、 滝田文彦訳(1978年集英社版)では「わたし」になっている >>420 >『なしくずしの死』の高坂訳は持っていないが、 「おれ」になってる 医者だからかな、「おれ」だとどうしても違和感が残る ファシズムへの偏流: ジャック・ドリオとフランス人民党 竹岡敬温著 貧しい製鉄工の家に生まれたジャック・ドリオ(1898~1945)は、類まれなる弁舌とカリスマ性でフランス共産党の若き指導者となり、「赤い都市」サン・ドニの市長としても絶大なる人気を誇る。 しかし、その信念からコミンテルンに反逆。除名されたのち、共産主義に対する根深い憎悪をたぎらせながら、ファシスト政党「フランス人民党」を結成する。(上巻)。 フランスのドイツへの宣戦布告、休戦協定を経て、ドリオは、反ボルシェヴィズム・フランス義勇軍団の創設者のひとりとしてドイツ国防軍の制服を着て東部戦線で戦うなど、熱烈なナチス協力者へと変じる。 その後ドイツの敗色が濃厚になるなか、ドイツ・マイナウ湖に亡命したドリオは、ヒトラーとも会見。自身の政権を画策するが、1945年、移動中に飛行機からの機銃掃射を受け謎の死を遂げる。(下巻) もっとも著名な政治的転向者のひとりジャック・ドリオの謎に包まれた生涯を、政治、経済、社会、思想史などさまざまな背景から丹念にたどり、あらゆる思想がひしめいた激動の20世紀史をも照射する傑作評伝。 【本書「はしがき」より】 左右の政治勢力の激しい対立が国を二分した1930年代のフランスで、左翼から極右に、共産主義や社会主義からファシズムに移行し、ヴィシー政権下では対独協力に積極的に加担した政治家や知識人が少なからずいたが、それらのなかでも、ジャック・ドリオはもっとも有名で、もっとも代表的な人物である。 また、さまざまな困難が多くの人々に特異な生き方を強いたこの時代、とりわけドリオはもっとも驚くべき生涯を生きた人物であった。 セリーヌよくないだろ。 東大の英文やめたけど、ジョージ・ヒューズって教授、 東大にセリーヌの反ユダヤのパンフレットだったかが置いてあるのが変だ、というのにふれて、 セリーヌはヤバイ人だけど、小説は面白い、みたいに言っていた。 行ってたときは、大して知識無かったけど、いま思い出したら、なんかな、と思う。 筑摩文学大系の亡命三部作の一人称はどうなっているんだろう? >>425 まず君の文章力的に君の今までの学業自体に問題があったとしか思えないけど そう言えば高坂さんも亡命三部作は「私」、やっぱり作品で変えてるんだなあ。 セリーヌ面白いけど日本人からしてもドン引きするほどの白人至上主義者だよね。 白人は黄色と黒の血に滅ぼされるとか今に中国人にフランスは乗っ取られるとか どっからこういう考えが来るんだろう、当時は一般的だったの? こんなん今の欧米じゃ絶対出せないでしょ。 フランスが黒人多くなるのとか中国の勢力が伸張してくるのとか予想は当たってるけどな >>429 出せるだろ? 極右のプッツンなんてポピュリストの政治家からその支持者まで欧州にたくさんいるぞ 白人のユダヤ人も嫌いだから白人至上主義なわけではない >>433 白人至上主義者からするとユダヤ人は白人ではない アジア人 >>434 白人至上主義者はそう思ってるかもしれないが セリーヌは白人至上主義者ではないからユダヤ人をアジア人とは思っていない とにかくユダヤ人と黒人土人と支那人(黄色人種)を蛇蝎のごとく嫌ってるけど 何故か直接戦ったドイツ人とかはそれ程でもないし散々攻撃されてんのにイギリスは大好きな人だよね。 でもユダヤ人は嫌ってるから別に白人至上主義者というわけではないと思うよ >>436 差別する人間とその差別感情がどういうものかは、こんなところで訊いて回るよりも黒人を「土人」と呼ぶ自分の胸に訊けば手っ取り早く理解できるだろう こんなところでクダを巻くまでもない そう、君のような人間と性根だよ 白人にとってユダヤ人を含めた有色人種は生理的に不快感がある これはどうしようもないもので、あとは意識して差別しないよう 言動に気をつけるかどうかの問題だ と、白人になったつもりで上から目線でのたまっているが、イエローである君自身は西欧社会において黒人よりも下位の存在であることを忘れるな 差別する側に自己同一化して、差別される側であることに気づかない振りをしてやり過ごそうとしているが、君に必要なのは自己欺瞞で誤魔化して安全地帯に隠れることではなく 差別される者として闘争の場に身を置くことだ お前らが違う人種をどう思ってるかなんてどうでもいいよ、 セリーヌは人種差別主義者としての側面を抜きには語れない そこを掘り下げようじゃないかという意図の投稿なのに >>438 は何をそんなにムキになってるんだ?? こんなナイーブな奴でもセリーヌを好んで読んだりするんだ?全くもって奇妙だ。 100年近く前の言葉なのだから、色違いや出自での差別的表現は当然。 そもそもが人間は近い属性が集い、そこから発展していく訳だから。 明治生まれの人間がどれだけ中国朝鮮人を蔑んでいたことか! てめーらがこれから差別していく対象は隣の貧乏人か?? よーく考えてみろエセ文学好きども その考え方も短絡的 100年前の人間はみんな当然に差別をしていたと思ってる事が 「みんな」なんてどこに書いてんだよ?? てめーのストーリーをでっち上げてんなよ。 ほんとアホばっか 百年前の言葉は差別主義表現が入るのが当然と言っている それはつまり百年前の人達は差別主義を持っていたのが当然だったということ この言い方で当時の全ての人間のことを言っているわけではないと主張したいなら君の日本語が壊滅的だからまずはそこを改めて間違いを認めなければいけない 壊滅なのはお前の読解力。 ヤバスギ この文章で100年前の人間が全員差別的だと読ませてるだと?? すげーなあんた。さすが5ch やはり認めなかったか そのレベルだと今後も苦労するだろうな >>441 「お前らが差別主義をどう思ってるかには興味がない」のであれば、なぜこんなスレにのこのこ来てるのか意味不明だな 自己矛盾を孕んでるとしか言えない 自分の胸の内で「セリーヌは......」と自問自答してればいい 私は>>436 と>>439 の「差別主義」を撃ったわけではなく、セリーヌのそれを撃ったつもりだ ちなみにセリーヌのような天才がなぜ......と、特権的でロマンティックな存在として捉えたいようだが、頭がよくて心優しいのに異人種に対して憎悪を滾らせている、そういうステレオタイプでつまらない人間はどこにでも五万といるし、むしろ最も多いクラスタと言える でなければヴィシー政府なんてものが成立するだけの人員が集まるわけがない セリーヌはたくさんいたうちの一人だ 仏作家セリーヌの激烈な反ユダヤ評論、大手出版社が復刊に意欲 https://www.afpbb.com/articles/-/3166232?cx_amp=all& ;act=all ガリマール社長は日曜紙ジュルナル・デュ・ディマンシュ(Le Journal du Dimanche)に対し、「計画を保留にはしているが、断念したわけではない」と言明。 社長は作品の内容をめぐって白熱している議論に触れ、「保留にした理由は単純だ。火が燃え盛っている時に価値あるものを打ち立てることはできない。沸き立つ劇場で声を届けることはできないからだ」と説明した。 フランス最大のユダヤ人団体は、中にはドイツによる仏占領開始直後に書かれたものもあり、「人種差別的で反ユダヤ的な憎悪のえげつない扇動」に当たる作品群だと主張している。 仏弁護士でナチス・ドイツ(Nazi)を糾弾するセルジュ・クラルスフェルド(Serge Klarsfeld)氏は、フランスのユダヤ人を死に追いやったコラボラトゥール(対独協力者)世代全体に影響を与えたのがセリーヌであり、復刊阻止のため法的措置も辞さない構えを示した。 ガリマール氏は、それでも復刊を希望しているのはセリーヌが残した痛烈な評論の「校訂版」であり、作品群とセリーヌを当時の歴史的文脈の中で捉え、セリーヌ研究の第一人者であるレジス・テタマンジ(Regis Tettamanzi)教授と著名な伝記作家でユダヤ人のピエール・アスリーヌ(Pierre Assouline)氏による序文を付す考えを示している。 ■「卑しき天才」 「夜の果てへの旅(Journey to the End of the Night)」などの作品で知られ、当時はフランスの最も偉大な作家の一人と目されたセリーヌだが、「皆殺しのためのたわ言(Bagatelles for a Massacre)」、「死体の学校(School for Corpses)」、「苦境(The Best Sheets)」というこの3つの評論により、その名声は著しく傷ついた。 セリーヌは1944年、第2次世界大戦(World War II)のノルマンディー(Normandy)上陸作戦決行日「Dデー(D-Day)」後にフランスを離れ、後に欠席裁判により対独協力の罪で有罪判決を受けている。 ガリマール氏は、セリーヌにまつわる真実を直視し、「天才は同時に卑しき人間にもなり得る」ことを示すことが肝要だとしている。 read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる