森鴎外
「高瀬舟」を意識して「高瀬川」って
H・エリソンのSF→エヴァ(庵野)→「世界の中心で、愛を叫ぶ」
並みだなおい ドイツで森鴎外生誕150年式典ttp://www.nhk.or.jp/lnews/matsue/4033106081.html
「舞姫」などの作品で知られる明治の文豪、森鴎外の生誕150周年を記念する式典が鴎外が一時期を過ごしたドイツ
のベルリンで17日行われ、鴎外の出身地の津和野町の高校生たちも参加しました。森鴎外は22歳からおよそ4年間、
陸軍軍医としてドイツに留学し、帰国後、ドイツでの生活をもとに「舞姫」や「獨逸日記」などの作品を発表しました。
生誕150周年を祝う式典は、ベルリンのフンボルト大学で行われ、鴎外を研究しているドイツなどの専門家や鴎外の
出身地の津和野町の高校生5人も参加しました。
式典でフンボルト大学のオルベルツ学長は、「日本に帰国してからの鴎外の活躍により、ドイツで日本に対する関心が
高まりました」とあいさつしました。
また津和野高校の村上眉さんが、「津和野を愛した先輩が日本を代表する偉人になったことは私たちに誇りと希望を与
えてくれます」と述べました。
このあと、ドイツ人の俳優がドイツ語に翻訳された「舞姫」の朗読を行ない、会場に集まった人たちは鴎外をしのんでい
ました。
高校生たちは式典に先立ち、ベルリンにある森鴎外記念館を訪れ、鴎外が2か月間下宿した部屋や医学留学生仲間と
の写真などを見学しました。
宮藤千英子さんは、「日本とはまったく違う雰囲気の部屋ですが、鴎外にはドイツの文化が合っていたのかなと感じま
した」と話していました。 舞姫
エリート官僚が金髪美少女に現を抜かし役所をクビになる。 「高瀬舟」を意識して「高瀬川」という小説を執筆
題名はほぼパクリだなw
井上ひさしに茶化されるレベル 更に今一つ、それと大いに関連を有する、彼を襲ったまったく予想外の強い誘惑。即ち
「歴史其儘」という創作態度。事実を、それも過去の或る既成の事実のみを客観的捉え、厳格に
創意を抑制して記述するという作業の抑え難い魅惑。歴史の自然に己の一切を委ねること。それは
一つの、超越なき神秘主義である。そこから与えられる虚無への、逆説的な、しかし、力強い
反論の言葉。……
絵の具を捻り出したかのような色々のネオンの輝きを灯す高瀬川の脇を歩きながら、その時
彼の念頭にあったのは、まさしく鴎外だった。(…)
平野啓一郎『高瀬川』 >「豊干がしゃべったな」
鴎外はこういうとこがぬるいというか不器用というか稚拙なんだよな この稚拙は残念ながら「寒山拾得縁起」では拭いきれていない
道具にされた子供が気の毒でならない 脚気で大勢兵隊を殺したときいて文句を言いに来ました
氏ねボケカス、呑気に小説なんて書いてんじゃねーよ死んで詫びろ エリスがユダヤ人という説があるんだな。
ttp://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2012/07/post_307.html
>>227
この人は徹底的に荻原雄一のユダヤ人説を馬鹿にしてるんじゃないかw 馬鹿にして、からかっているけど、論文集が出ているんだから、
ユダヤ人説は、学会で公認された説ではないの?
専門家の意見が知りたいな。
>>224>>225
幼稚なこと言ってるんじゃないよ(笑 作品がをれだけ幼稚なんだから仕方ない
寒山と拾得が大笑いしながら山中に永遠に姿を消した理由を表現するにはどう読んでもあまりに稚拙が過ぎるだろう 理由を表現するための帳尻が目に見えて作者の器量の乏しさがそのまま露見してしまっている 鴎外は作家というよりは翻訳家とか批評家向きだな
文学が好きで好きでたまらないのはわかるけど残念ながら作家には向いてない
太宰とかの雰囲気小説と同等
漱石、芥川を読んでしまうとどうしても物足りない 翻訳物数作と短編というか有名どころの小品を数作だけだよ
それ以上読む価値を見出せなかったから 史伝三部作を読みもしないで、よくそんな大口がたたけるものだ。
>>235
おまえが文学とは縁がなさそうだということだよ(笑
も少しましな日本語がかけるよう、鷗外漁史を黙って読んでいなさい。
なにこれ、ばかまるだしだよ、まったく。
↓
>理由を表現するための帳尻が目に見えて作者の器量の乏しさがそのまま露見してしまっている
いや、そんなのはこっちの知ったこっちゃないよ
本を読むときに於いてのこっちの基準を鴎外が満たせていないというだけ
実際漱石を読んだときは次から次へと読みたくなってあっという間に全作読了したし
これはつまり鴎外の手腕が劣っているという証拠であってこっちに問題があるわけじゃない >>239
内容のないレスだなぁ
自己紹介のような罵倒ばかりしてないで具体的に内容を指摘してくれよボクちゃんさ それに短編とかだけでもその作家の器量は十分に見抜けるからな
短編が下手な作家にいい作家はいない それに多少偏見はあるけど史伝自体が好きじゃないのよ
下手な作家の作品を読むのですら苦痛なのにさらに好きじゃない史伝とか言われても困っちゃうわ
まあ定年迎えて暇で暇でどうにも仕方なくなったら読んでもいいと思ってる >>235
文学=小説という無意識の図式が出来てしまうと、そうなるんだろうな。
全集から小説をばっさり切り落としても、鴎外の大にかわりはない。 そんなのは無意識でもなんでもないけど文学=小説だなんてことは一言も書いてないよ
雰囲気小説と同等と言っただけでね
脳内変換が無駄に激しいね、キミ 寒山拾得にしても、大の人が書くような代物とは到底思えないんだよな
まあ、いいんじゃないですか、大でw まあ勤勉だったのはさすがに認めるけど
素質がなかったのも認めざるを得ないよ 知能の低さを自慢するバカがのさばるようになったんだから、世も末だよ。
鴎外の世渡りの上手さや慎重さを花田清輝が再三に渡ってからかってるね。
エリスの件には触れずに。
それは花田が「小説平家」で繰り返し説明する「やまとだましい」の類い
なんだろうが。それは後の本居宣長から小林秀雄にまで繋がってる訳で。
それが和魂漢才の和魂として日本で価値を認められてるのも鴎外に対する
高評価の基底になってる。一方で花田がそういうのをあまり評価しないのも
良く分かるが。
エリスの件で鴎外は自分が平凡な官僚の一人に過ぎないことを深く
思い知ったのではないかな?彼が天皇か公家大名の血統ならば、即エリスと
結婚して日本に連れ帰って子供をばしばし生ませてるはずw
それが出来なかったから、世渡りというか姑息さというか、そういうのが
鴎外の内面に染み付いてしまったんだな。 >>250
鴎外じゃなくて、エリスの方の問題ではないの?
エリスが貴族の娘だったら、反対されなかったと思うんだけど。
>>246
寒山拾徳は大の人が書くような代物だよ
ピカソの「アビニヨンの娘たち」をみて、キュビズムがどうとか、
原始美術との関連がどうとか「説明」は出来ても、
0.1秒で魂が震撼しなかったら、一生縁がないようなものだ 自分には震撼できない内容なんだから仕方ない
君は一体あの作品のどこで震撼したの そんな下手な逃げを打つ場面ではないだろう
こっちはどこで震撼したのかを聞いてるだけなんだから
なんだか不自然だよ君の挙動は 文学や芸術の感動って、理屈で説明できないものだよ。
説明できる部分ってほんとうは肝心なところじゃないんだ。
とくに「震撼」したなんてのは、「どこに」とか聞くまぬけはいない。
そういうことが分らない人になにをいってもはじまらないんだよ。 いや、理屈の説明なんかを求めてるのではなくて、君にその「震撼」を起こさせた根源的要素をただ単に聞いてるだけ
それでないと話自体がまるで進まないからな
それを君が「色」がどうの「説明できる部分」がどうのと、園児にも見抜けるような失笑ものの虚言を並べて返答を遠ざけている
いまの局面はわかるかな? もっとおおっぴらにいうと「寒山拾得」に於いて君に震撼を起こさせた文章の引用を求めてるんだよ
あんな短い作品なんだから震撼した場面くらいはいくらなんでも覚えてるだろう
それを聞いてるだけ 色盲が何かわめいておるな。
258は鴎外がわからない。それだけのことだよ。
人間、すべてをわかる必要はない。
鴎外がわからなくても生きていける。
しかし、わからないからと言って、価値がないと決めつけるのは
バカをさらすだけだ、ということを知っておけばいい。
ひどいなこりゃ
もはや自虐的に自己紹介をしてるだけの図だなw >>259
>盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠(せいこく)を得ていても、なんにもならぬのである。
この一節はまさに君の「震撼」の盲目性と同じだよ
尤も、君の対象には何の正鵠(せいこく)もなく、ただのそこらの看板程度のものだが 君、君って言ってるけど、一人対複数なの気がついてないでしょう。
ぼくは>>256だけ書いたんだけど、あなたが一人と思い込んでる相手は
すくなくとも3人以上なのは一目了然ですよ。
言葉は悪いかも知れないけどそういう「鈍さ」はある意味で致命的かもですよ。 >尤も、君の対象には何の正鵠(せいこく)もなく、
↑
こんな日本語みたことない(笑
(せいこく)とか御親切にふりがなをつけた意図もまったく不可解
いや、色盲の目一杯。
おあとがよろしいようで(お辞儀
パチパチパチ 選んで寒山を読むって珍しいような気がする。
寒山読んだ人達は他にはどんなのを読んでる?
何が好き? 「寒山拾得」の話には元ネタがあるわけで、全部が全部、
鴎外のオリジナル創作というわけではないだろう。
現に寒山拾得の故事というか伝説が残っているわけで。
閭丘胤が国清寺に二人を訪ねに行ったら、二人が大笑いして姿を消したことも故事にすでにある。
それを焼き直したのが鴎外の作品。もちろん力点の置き方には作家のオリジナリティがあるが。
寒山と拾得がどちらも風狂な僧だったことは事実として、
ではその二人を紹介した豊干がどれだけ偉い坊さんだったのかが気になるところ。 >>266 和辻のエッセイ風の物なんか好きだな。
「寒山拾得」は個人的には震撼まではいかなかったな。一般人向けの啓蒙書、
教訓話みたいなイメージ。豊干がどれだけ偉いかなんてどこで判断するの?
最初の小話か、虎の背で詩を吟じての部分?言いたいことは >261の盲目の〜
の部分だけなんじゃねーの。 >>268
いやまあ、作中でのことじゃなくて史実として当時、
豊干がどれだけ偉い坊さんと認識されていたのか、ということね。
この話のミソが「盲目の尊敬」の対象と、その実物の価値のギャップにあるとしたならば、
当時の人々の間の豊干の評価がどうだったのかは話の核心を突いている。
(鴎外の筆致では明らかに皮肉を込めて描かれているけれどw)
なぜなら豊干自身の評価によって彼が紹介した寒山・拾得が、尊敬に値するかどうかの説得力が決まってくるからだ。
豊干がただのインチキだとすれば、寒山・拾得両者の禅僧としての有り難さが何もなくなってしまう。
そうするとこの話の、「権威を盲信した結果」の教訓がうまく活かされてこない 元ネタもなにも、寒山詩も読んでるんだが
>>232のレスでそれくらい察してくれ 豊干がインチキだとすればだとか
寒山と拾得の有り難さ?(wだとか
そういう段の話が出てくるのは君が寒山拾得についてウィキペディアで得た知識くらいしか持ってないからだよ
そういう虚勢を張る段でもないよもうすでに君は 実証的な話をしようとしているんだが、話にならないな。 具体的な話ができないんなら、出てきてしゃべらなくてもいいよ
お前のクソつまらない意見などなくてもよかろう 鴎外の医療官僚としての迷い、懐疑を素直に綴ったものだろう。
鴎外を神格化するから、鴎外に化かされるw
虎に乗った豊干とか、中国の古代からの人間と猛獣との関わりは
概念が先行してるんだな。おそらくは近東から由来してるのでは
ないか?医療の起こりは痛みを直すことだが、豊干にはキリスト以前の
therapeutaeの面影がある。
要するに寒山と拾得には中国の文化としての実体が乏しいと俺は
言いたいw >>274
そうやって寒山拾得が“無価値”だと決めつけてしまえばただの教訓話だが、
唐の時代において、また禅宗の文脈において寒山が「文殊」、拾得が「普賢」の
化身だと考えられる向きがあったのはどういうわけなのか。
そこはまじめに考えておく必要がある。
畢竟この話は、奇矯ないでたちで見た目、愚者のルンペンにしか見えない人物が
実は聖賢だった、というよくある聖人伝説をさらにメタレベルで脱構築しようとした
禅宗バージョンとでも考えておけばそれで済むだろうか >>276
良く読めよw
無価値とは言ってない。
鴎外がいかにもありそうな寒山拾得のエピソードに借りて、自分自身の
心情を吐露したと言ってる。
聖賢だかどうだか分かる前に寒山拾得は逃げ失せてしまうのが特徴だと
も、俺は275で言ってる。
>>唐の時代において、また禅宗の文脈において寒山が「文殊」、拾得が「普賢」の
化身だと考えられる向きがあったのはどういうわけなのか。
あっさりと書いてるから、鴎外にとってはたいしたことじゃ
ないんだろうね。
テキストの構造からそう読むしかないw
神秘めかすような作家じゃないし。作品の中の地文で盲目の尊敬を
批判してもいる。
読者をケムにまくよりも、自分自身の迷いを素直に出したんだろう。
そう読まなきゃしょうがない。
どうしても鴎外がすごいことを書いてると思いたい人は
お好きにどうぞw
実証的に話せるだけの信憑性のある資料も伝記もないのにどうして実証的に話すことができようか
物語が物語を生んでいく中で、ごく気まぐれに捻出された僅かな形跡のようなものがあるだけで、それぞれの人物の存在を証明するものなどは何ひとつとして残っていない
鴎外の寒山拾得も、一二の僅かな資料を照らし合わせてその中から僅かに一致するものを継ぎ合わせ、八九の想像を以ってなんとか形だけ繕ったようなものでしかない
寒山と拾得の容姿などもずっと後に描かれた絵図を参考にしてるだけ その絵図を仕切ったガラスの前で、勿体らしく人差し指で顎を押さえ
ニヤリと笑って跳ねるように出口へ急いでいった芥川くんの「寒山拾得」もくれぐれも宜しく というか、鴎外の「寒山拾得」は「寒山子詩集」の編纂者だと思われる、
閭丘胤(実在の人物かどうかも不明)が著した巻頭の「序」から丸パクしたものなんじゃないの?
鴎外による創作なんてほとんどないと思うけどな。 いや、閭がどこからどこへ行ってどこで誰と会ったとかそういう大まかな筋だけをなぞったもので
閭の言動や寒山の「豊干がしゃべったな」などという言動や厨房の様子などもまるっきり鴎外の想像でしかない 寒山子詩も文殊の化身が書いたような代物とは到底見受けられない
鴎外はそれを「難しい」とかなんとかいって濁しているが、正直な所を言ってしまえば
おまえ偽物だろ!雇われ詩人だろ!作為丸出し!っていうような、微笑ましい出来だよ 福音書のようにもう少し内容やもっともらしい根拠などがあって物語を育てる人材が昔の中国にいたとしたら寒山拾得ももう少し有名になったんだろうけどな 森鴎外のwikiで年譜を見ると、『寒山拾得』の発表の前後に、
陸軍省医務局長の辞意表明と、実際の退職という出来事が
あるから、「医療官僚としての迷い、懐疑を素直に綴ったもの
だろう。」の解釈で良いのではないか?
青空で『寒山拾得縁起』/森鴎外を読めば、君達の興も完全に
冷めるはず。
鴎外は完全に読者を子供扱いにして馬鹿にしていたんだな。
まったく図々しいw
この人は朱子学的ストイズムが全面にみなぎってるんだが、
そういう人が禅的なものにコツンとあたったところが面白いんだよ ああじゃこうじゃと尾ひれをつけないで、真直ぐに読めるのは
文学板で俺一人w ところで、森鴎外賞や夏目漱石賞が無いのはなぜ?
ほかの雑魚小説家の名を冠した文学賞なら唸るほどあるのに 単に医療官僚としての迷いを綴ったというか、もっと詰めていうと、帝国内で盲目的、狂信的に高まりつつあった天皇陛下万歳に対する
「戦争当時の鴎外」の懐疑心を、居たのか居なかったのかも定かでない「豊干」という
ごくごく不確かでシャカシャカした人物に投影させて無理矢理に肉付けしてみただけの作品
なんだか安っぽいコスプレみたようで正直気持ち悪いな そういった心情を吐露するのは別にいいと思うけど、それを投影させる対象とその土台に少し問題があったな
なるべく自分を高くみせたいという下心が見え透いてしまっているし、
個人的な鴎外の心情と寒山拾得の話を無理矢理に帳尻合わせしてるから最後のほうなどはてんでバラバラになってしまっている まあ、芥川の「寒山拾得」くらいの緩さで扱うのが妥当だったな kakikueba kaneganarunari houryuuji >>252
まだ息してるかな?
もしまだそれをしてたら教えてほしいんだけど
君は一体、この「寒山拾得」のどこで震撼したの? あ、まだ息してたのかw
ついでにもう一つ教えてほしいんだけど
0.1秒というのはタイムウォッチかなんかで測った正確な数値なの? おいおい、二週間以上まえのレスと対話はじめんなよ、ばかだねえ。
ほんとに息すんのやめろよ、はた迷惑だからね。 >0.1秒というのはタイムウォッチかなんかで測った正確な数値なの?
↑
いや、こういう質問をマジでする人間は貴重だと思うぞ
マジに捉えちゃう人間のほうが貴重だから安心しとけw だからだれに聞いてんだよってのw
しつこいなあ、コケの一念ってやつですかあ? >>252以外にいないだろ
だいじょぶか?おまえw 横から失礼します。
私も252の人の魂がどこで震撼したのか知りたいです。 >>304
ジエンの連続カキコはやめましょうね〜
茶色いシッポが見えてるよ♪w はい?ジエンって、なんですか?
私、よくわかりません。 オレも知りたいわ。
魂の震撼にはふつうに興味あるわ。 ほら>>252の震撼くん
みんな知りたがってるみたいだぞw
一体どこで
震撼したの しぶいねい、おっさんw
おいら、金がなるなる法隆寺と覚えてるよ。
なるなるのほうが調子よくていいだろ、ざまみろ、おっさんw 鉦?
手に持って叩くあれ?
なんか撞木で大きな鐘をご〜ん、だと思ってたんだけど、違った?