森鴎外
>>276
良く読めよw
無価値とは言ってない。
鴎外がいかにもありそうな寒山拾得のエピソードに借りて、自分自身の
心情を吐露したと言ってる。
聖賢だかどうだか分かる前に寒山拾得は逃げ失せてしまうのが特徴だと
も、俺は275で言ってる。
>>唐の時代において、また禅宗の文脈において寒山が「文殊」、拾得が「普賢」の
化身だと考えられる向きがあったのはどういうわけなのか。
あっさりと書いてるから、鴎外にとってはたいしたことじゃ
ないんだろうね。
テキストの構造からそう読むしかないw
神秘めかすような作家じゃないし。作品の中の地文で盲目の尊敬を
批判してもいる。
読者をケムにまくよりも、自分自身の迷いを素直に出したんだろう。
そう読まなきゃしょうがない。
どうしても鴎外がすごいことを書いてると思いたい人は
お好きにどうぞw
実証的に話せるだけの信憑性のある資料も伝記もないのにどうして実証的に話すことができようか
物語が物語を生んでいく中で、ごく気まぐれに捻出された僅かな形跡のようなものがあるだけで、それぞれの人物の存在を証明するものなどは何ひとつとして残っていない
鴎外の寒山拾得も、一二の僅かな資料を照らし合わせてその中から僅かに一致するものを継ぎ合わせ、八九の想像を以ってなんとか形だけ繕ったようなものでしかない
寒山と拾得の容姿などもずっと後に描かれた絵図を参考にしてるだけ その絵図を仕切ったガラスの前で、勿体らしく人差し指で顎を押さえ
ニヤリと笑って跳ねるように出口へ急いでいった芥川くんの「寒山拾得」もくれぐれも宜しく というか、鴎外の「寒山拾得」は「寒山子詩集」の編纂者だと思われる、
閭丘胤(実在の人物かどうかも不明)が著した巻頭の「序」から丸パクしたものなんじゃないの?
鴎外による創作なんてほとんどないと思うけどな。 いや、閭がどこからどこへ行ってどこで誰と会ったとかそういう大まかな筋だけをなぞったもので
閭の言動や寒山の「豊干がしゃべったな」などという言動や厨房の様子などもまるっきり鴎外の想像でしかない 寒山子詩も文殊の化身が書いたような代物とは到底見受けられない
鴎外はそれを「難しい」とかなんとかいって濁しているが、正直な所を言ってしまえば
おまえ偽物だろ!雇われ詩人だろ!作為丸出し!っていうような、微笑ましい出来だよ 福音書のようにもう少し内容やもっともらしい根拠などがあって物語を育てる人材が昔の中国にいたとしたら寒山拾得ももう少し有名になったんだろうけどな 森鴎外のwikiで年譜を見ると、『寒山拾得』の発表の前後に、
陸軍省医務局長の辞意表明と、実際の退職という出来事が
あるから、「医療官僚としての迷い、懐疑を素直に綴ったもの
だろう。」の解釈で良いのではないか?
青空で『寒山拾得縁起』/森鴎外を読めば、君達の興も完全に
冷めるはず。
鴎外は完全に読者を子供扱いにして馬鹿にしていたんだな。
まったく図々しいw
この人は朱子学的ストイズムが全面にみなぎってるんだが、
そういう人が禅的なものにコツンとあたったところが面白いんだよ ああじゃこうじゃと尾ひれをつけないで、真直ぐに読めるのは
文学板で俺一人w ところで、森鴎外賞や夏目漱石賞が無いのはなぜ?
ほかの雑魚小説家の名を冠した文学賞なら唸るほどあるのに 単に医療官僚としての迷いを綴ったというか、もっと詰めていうと、帝国内で盲目的、狂信的に高まりつつあった天皇陛下万歳に対する
「戦争当時の鴎外」の懐疑心を、居たのか居なかったのかも定かでない「豊干」という
ごくごく不確かでシャカシャカした人物に投影させて無理矢理に肉付けしてみただけの作品
なんだか安っぽいコスプレみたようで正直気持ち悪いな そういった心情を吐露するのは別にいいと思うけど、それを投影させる対象とその土台に少し問題があったな
なるべく自分を高くみせたいという下心が見え透いてしまっているし、
個人的な鴎外の心情と寒山拾得の話を無理矢理に帳尻合わせしてるから最後のほうなどはてんでバラバラになってしまっている まあ、芥川の「寒山拾得」くらいの緩さで扱うのが妥当だったな kakikueba kaneganarunari houryuuji >>252
まだ息してるかな?
もしまだそれをしてたら教えてほしいんだけど
君は一体、この「寒山拾得」のどこで震撼したの? あ、まだ息してたのかw
ついでにもう一つ教えてほしいんだけど
0.1秒というのはタイムウォッチかなんかで測った正確な数値なの? おいおい、二週間以上まえのレスと対話はじめんなよ、ばかだねえ。
ほんとに息すんのやめろよ、はた迷惑だからね。 >0.1秒というのはタイムウォッチかなんかで測った正確な数値なの?
↑
いや、こういう質問をマジでする人間は貴重だと思うぞ
マジに捉えちゃう人間のほうが貴重だから安心しとけw だからだれに聞いてんだよってのw
しつこいなあ、コケの一念ってやつですかあ? >>252以外にいないだろ
だいじょぶか?おまえw 横から失礼します。
私も252の人の魂がどこで震撼したのか知りたいです。 >>304
ジエンの連続カキコはやめましょうね〜
茶色いシッポが見えてるよ♪w はい?ジエンって、なんですか?
私、よくわかりません。 オレも知りたいわ。
魂の震撼にはふつうに興味あるわ。 ほら>>252の震撼くん
みんな知りたがってるみたいだぞw
一体どこで
震撼したの しぶいねい、おっさんw
おいら、金がなるなる法隆寺と覚えてるよ。
なるなるのほうが調子よくていいだろ、ざまみろ、おっさんw 鉦?
手に持って叩くあれ?
なんか撞木で大きな鐘をご〜ん、だと思ってたんだけど、違った? あの時代はカンカン鳴らす鉦の頃だよ
ゴーーーーーンは最近流行りだしたの 秋にはカンカンが似合うね
ゴーーーンはちょっとお門違い 除夜の鐘のイメージで最近の子たちはゴーーンだと思うかもしれないけど
この句の鉦の音はカンカンが正解だよ
芭蕉の詠んだ蝉の声は議論する余地があるけど、これはカンカンでいいんだよ 漱石の「二百十日」で圭さんが布団の中で海老のようになって聞いていた「カンカン」と同じ性質の音と思ってくれていい カンカンカンカンバンサンカン焼き肉焼いても家焼くな
のカンカンですw う〜ん、さすが鷗外スレは格調が圧倒的にすぐれている。
夏休みの連絡網で、生徒たちに毎日ここを覗くよう指示しておいてよかった。 「実はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みに来ないのだよ」
「とうちゃん、それ、ほんとうなの?だったら私、学校のお友達を呼んでくることよ」 まあ、人それぞれだからな。
きみが震撼したところに俺は不感症、
俺が打ちのめされたパッサージュをきみは素通り、
ということは別にあたりまえに起きるわけだ。
>>322くんには>>322くんの鷗外さ。よきかなよきかな。 ほんとは震撼なんてしなかったのに表面上の議論に負けたくないという一心からついつい嘘ついちゃったのかな
そうとしか考えられないよね 0.1秒という安っぽい喩えにその軽薄さがよく表れてるよね ピカソの画もなにひとつわかってないんだろうなw
こういう軽薄者がほんと増殖しすぎだな 得意の連続カキコ。
今回は4連続でした(笑 パチパチパチ まったく(笑
おまえ酔っ払いかノイローゼ患者だろう。
誰彼なしに絡んでくるのは全部同一人物だと思っちゃうのねえ。
粘着ぶりも病的だしなんか怖くなってくるわ。
かってに妄想しながらひとりで書きまくっていなさい、adieu! 近所の根津神社に、本名森林太郎名で奉納された
ロシア戦争の戦利品砲弾を飾る台座がある。
何がどうなってこうなったのか、いまは水道が取り付けられて水飲み場になってる いま東京国立博物館で帝室博物館総長としての文書が展示されてるね。 珍しくν速で話題になっていると思ったら、脚気とエリスについて
間違った知識を垂れ流している奴ばっかりだった。
2ちゃんねるは、本を読んだことのない、無知な奴ばっかりだな。
【文化】 森鴎外「妻と性格が合わなくて文筆活動の妨げになる」
ttp://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1347523910/
『舞姫』のエリスの由来は、virgil の『aeneido』や、purcellの
オペラ『ido and aeneas』の登場人物である、idoの別名のalyssaが
訛ったものではないか?
idoあるいはalyssaはaeneasに置いてきぼりを食らい悲嘆に暮れて
自殺するんだが。
エリスが実際に日本を訪れたという話は嘘ではないのかな?
リーダー、あるいはエリートとしての使命感と恋愛との狭間で悩むaeneasの
姿は『舞姫』の太田豊太郎とも、共通している? >>343
全部間違い。どうしてこう無知なんだ?
どうせ、ゆとバカだろうが、最低限のことを調べてから書け。 >>344
うっかりしてたw
訂正
aeneido→aeneid
岩波から普通の小説に注釈つけてクソ高い値段で新しく出し始めたけど、やっぱりもう新しい鴎外全集というのは出されないんでしょうか。
wintermute1212
猪瀬直樹の『天皇の影法師』に、森鴎外の明治や近代国家への意識について述べら
れていたのを思い出した。「鴎外は官僚エリートとして近代国家創出から完成へと
関わってきたのだ。だから明治国家は権威ではない。楽屋裏を知っているのである
。彼にとって明治は新興勢力の作った危うい国家であった」
2012年10月6日 - 23:29 10月27日、東大で鴎外の生誕150年記念シンポジウムがある
>>22
☆禿禿同。泣く子とお茉莉には勝てぬ。森鴎外の最高傑作はお茉莉姫。
長男の妻の母曰く「爵(本字は上が木)が手におえないと思って
いましたが、それを上回るのが出てきました」ぎゃはははは。
☆寒山拾得2人ムヒヒと笑い合って「豊干がしゃべったな」
掛軸とかの絵を想像すると滑稽やら怖いやら、わけわかめ〜 10/28の「オルフエウス」観にいったひとレポよろしこ。 よろしこなんて言われると書く気も失せたよ。あほらし。 鴎外「舞姫」モデルの晩年明らかに=ベルリン在住のライターが調査
文豪、森鴎外の小説「舞姫」のヒロインのモデルになった元恋人は、地元男性と結婚して第2次世界大戦を生き延び、
86歳でベルリンで亡くなった。同地在住のライター、六草いちかさんの調べで5日明らかになった。
ベルリンに赴いた官吏と踊り子エリスの悲恋を描く「舞姫」は、ドイツ留学した鴎外の体験を反映した作品とされる。
1888年に帰国した彼を追うようにドイツ人の恋人が船で来日。鴎外の親族らに説得され、離日したことが知られている。
六草さんは乗船者名簿の名前と一致する当時21歳の女性エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトの存在を教会簿の
出生記録などから割り出した。彼女は66年9月15日、現在のポーランド生まれ。帽子職人として働いていた1904年までの
足取りが分かり、昨年単行本にまとめた。
その後も調査を続け、役所の記録などからエリーゼが05年7月15日に2歳年上のドイツ人男性と結婚したことが判明。
男性は18年に死去し、彼女は53年8月4日に老人ホームで亡くなっていた。(2012/11/06-05:20)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012110600062 ニュー速ではもっぱらクズ野郎との評価が広まっておる
俺もそう思う
馬鹿な左翼がドイツで謝罪行脚するレベル 全くだ。
外国行って地元の娘に手を出して責任取らずに
逃げ帰り、挙句の果てに一途に追ってきた彼女を
ケンもホロロに追い返した極悪人鴎外。
こんな糞野郎の書いた小説なんて何一つ読む価値は無い。 鴎外の百物語がよくわからないんだけど
どこがおもしろいのか教えて 森鴎外の文章は現代文も言い回しがくどくて読みにくい 村上春樹や大江健三郎よりもはるかに簡潔明晰だと思うが、あれのどこが回りくどいんだ? 三島由紀夫の文章読本で漢文の簡潔明晰さを褒めてたけれど、
簡潔明晰というのは、一見すると単純で、無駄がないから読みやすいように考えてしまうけど、それがかえって難しくすることもある。
それはおいておいて、鴎外の文章は講談師になったような気分で読むとリズムがいい。 >>365
2005年東京芸大による初演(DVDあり)の現代楽器によるものと違い、
チェンバロを含む最小限の古楽的アンサンブルがオーケストラピットで演奏。
合唱も最小限の少人数で古楽風の器楽と柔らかな語感の鴎外の日本語訳詞がよく合った。
主役のオルフェウスはカウンターテノールだが言葉を生かした歌唱と安定した音程ですばらしい。
舞台装置は前述の反響版と舞台中央奥からピット上まで伸びるの一段高い通路とその真ん中の街灯のみ
だが、これが、この世と常世の行き来を表現するのに効果絶大だった。
ホールの反響版には映像を投影したが、「既成の素材を貼り付けた」感は否めず、舞台での演技・歌唱が
見事なだけに残念。
抽象的な舞台に対し、衣装はフロックコート、デコルテ、振袖など和洋混ざった明治〜大正時代のもの
が訳詩の語感と合っていた。愛の神が羽のような巨大な蝶々結帯の振袖姿なのが「和風天使」な感じで良い。
再演を望む。 なんで高瀬舟の弟は自分で刃物を抜かないのだ
抜くくらいできるだろ 鴎外は人間が屑すぎて無理
今も右翼連中に持ち上げられてるだけ
上野の鴎外荘は会食に何度か利用してるけどね
もてなしに便利だから 文学散歩に鴎外記念館 東京の旧居跡地に開業
明治の文豪、森?外の生誕150年を記念して、東京都文京区の旧居跡地に区立森?外記念館がオープンした。区内にはほかにも?外ゆかりの場所が
点在しており、文学散歩で立ち寄るにはぴったりだ。
鴎外が30歳から60歳で亡くなるまでの半生を家族と過ごしたのがここで、2階から海が見えたことから自身で「観潮楼」と名付け、「雁(がん)」「阿部
一族」などを執筆。永井荷風、芥川竜之介、石川啄木らが訪れ、歌会が開かれるなど、文人のサロンとなっていたという。
戦災で焼失し、公園として開放された後、?外記念室を併設した図書館が開館。老朽化で建て替えられ、地下1階、地上2階建ての記念館に生まれ変わった。
所蔵資料は、自筆原稿や遺品など約1万4千点。正門の門柱跡の礎石と敷石、庭の大イチョウと庭石が旧宅時から残っている。地下1階が展示室で、
2階は図書館。1階にはミュージアムショップとカフェがあり、庭を眺めながら、区ゆかりの文人にちなんだ創作菓子やお茶を楽しめる。
特別展「150年目の?外 観潮楼からはじまる」(2013年1月20日まで)が開催中。第1展示室で写真や自筆資料などから?外の生涯をたどり、観潮楼で
の生活ぶりを紹介している。
第2展示室では、次女杏奴(あんぬ)さんの嫁ぎ先である小堀家寄贈の資料を公開。出張先から家族へ送った手紙、自作した教科書などは、子供たち
から「パッパ」と慕われた、子煩悩だった?外の一面をうかがわせる。
鴎外の記念館は、生誕地の島根県津和野町にもあるが、文京区の記念館は文学的資料を多く収蔵しているという。
http://www.47news.jp/localnews/tekuteku/t_wave/236333.php