森鴎外
>>460
安寿と厨子王というお話があるよ。聞いたことない?
中世に成立した説経節『さんせう太夫』が元になった本らしい。 >>461
山椒大夫を子供向けにしたのがソレだと思ってたw >>462
あらら、ウィキ(安寿と厨子王)を参考にしたのだけどどうなんだろう。
>中世に成立した説経節『さんせう太夫』を原作として浄瑠璃などの演目で
演じられてきたものを子供向けに改変したもの。ゆかりのある各地で民話化している。
近世になり絵本などの媒体にて児童文学ともなっている。 >>122-123にも書きましたが、中世の説話が元のおはなしです。 若い頃、妄想を読んて、自分のために書かれた作品だと思った。それで森鴎外が好きになった。
伊沢蘭軒を、毎夜読むのが楽しみになった。定年になって、楽しみが増えた。 >>361
森鴎外は、今は無くなってしまったものを書こうという意思があったんだと思う。
だから、仇討ち、殉死、江戸の医者、漢詩人などを書いておきたかったんだと思う。
百物語も、江戸の風俗を懐かしんで、お大尽の酔狂で開いてみたが、時代に合わずうまく行かなかったということ。
つまり無くなったものを、取り戻そうとしても、ひょっとすると無駄に終わるかもしれないという森鴎外の自虐がみてとれる。 >>469
同志よ
私はここの部分
安寿は畳なり合った岩の、風化した間に根を卸して、小さい菫の咲いているのを見つけた。
そしてそれを指さして厨子王に見せて云った。
「ごらん、もう春になるのね」 山椒太夫ほど、阿呆らしい話はない。
安寿のような美少女に浜で塩汲みをやらせたり、美少年の厨子王に
薪苅りをさせることにリアリティが全くない。
それぞれ、遊女の見習いや稚児にする以外有り得ん。
労働を尊ぶのは良いが、偽善的であって良い訳がない。
子供だまし以下である。 原案である中世民話に関しては岩崎武夫著「さんせう太夫考(平凡社ライブラリー刊)が面白いですね。
他には山椒=散所の長者である山椒太夫を蔑視した差別民話だ、といった指摘もあります。
どの団体が糾弾しているのかは、まあ伏せておきましょう。
でもまあ、その当時塩田経営がなされた場所とはそういう所だったという事は知っておいてよいでしょう。
中世遊行僧によって寺社における祭時の演芸として語られていたお話が
明治期の文豪の手にかかるとどのように変貌したのか?
といった点が見どころといえば見どころでしょうかね。 475みたいに納得してしまうと何の生産性もない方向に行ってしまうねw
散所の労働をリアルに動的に捉える努力の方が、森鴎外が何して
何とやらよりも、はるかに文学的な意義があるねw
475みたいなカスは掃いて捨てるほどそこらに転がってるよw
そういうのは必要ないのw >散所の労働をリアルに動的に捉える努力の方が
それはプロ芸ですね。
散所の奴隷労働を近代労働と同一視するのは…。 >>477>>478>>479
>>散所の奴隷労働を近代労働と同一視するのは…。
奴隷労働がお前にはまったく分かってない。
リアルに動的に捉えることと、近代労働とは何の関係もない。
説明してみろ。 >>475>>476
散所(=山椒?)とか奴隷労働の実態を捉えることはとても大切なことだと思う。
でもそれは文学として大切なんじゃなくて、実社会の歴史の方向を考えるときの糧として大切なんだ。
文学というのは、ある状況の中での個人の心を見つけ出そうとするもの。
社会的な問題はその背景として、個人の心の動き方の根拠として設定される。
その意味で、元の物語とは、あくまでも個人の心を見るための背景であるということ。
実社会を背景にする代わりに、物語を状況設定のための背景にした。
実社会を背景にした時に、自分の実社会へ大きな影響を受けざるを得なかった鴎外は、物語を背景にせざるを得なかったということだろう。
その点が、たとえば漱石との大きな違いだし、鴎外の提示する人間の真実の幅が狭められてしまったということにつながったともいえる。 >>481
>実社会を背景にした時に、自分の実社会へ大きな影響を受けざるを得なかった鴎外は、物語を背景にせざるを得なかったということだろう。
おい、日本語になってねえぞ >>482
指摘、ありがとう。
実社会を背景にした(舞姫のような小説を書いた)時に、自分の(現)実社会へ大きな影響を受けざるを得なかった鴎外は、(その後、作品を書く時に)物語を背景にせざるを得なかったということだろう。
と訂正させてください。 >>481
悪いが俺はそういうかったるいことにかかずらってる段階じゃないんだよ。
軽く言って超パイオニア的なことをやってる最中なんだな。
じゃな。 >>480
まあ、マルクスを読まないと…。
プロ芸をやっている人は『ドイツイデオロギー』ですら読んでいない。 >>485
マルクスを読んでも読まなくても文学には関係ないよ。
読めば思考の幅が広がることは確かだけど、それはほかの優れた人の著作を読むのと同じ。
>プロ芸をやっている人は『ドイツイデオロギー』ですら読んでいない
いくらなんでも、専門家が自分と同じだなんて思っちゃだめだよ。 >>369
会場が新国立劇場と規模が同じ位だったらしいから新国でこのスタッフ・キャスト拾って再演してくれないかな。
>>473
山椒大夫と同じ説教節・小栗判官の照手姫みたいに
美人だから遊女になれ。楽だぞ。→嫌です→そんなら下働きでこき使ってやる、てのもあるからねえ。 <腐女子生成公式>
怠け者+自尊心が強い+性欲過多+精神が未熟+小心者+(漫画オタク)+女=腐女子 舞姫のあらすじは大体知ってたが、改めて読んでみた
思ったよりも最低な話だった・・・ >>473
小栗判官の話のそのくだりは、中国の『白兎記』の引き写しだし、
日本の『百合若大臣』もこれらに含めれば、元はオデュッセイアだから。
鴎外は説経節『さんせう太夫』を無駄に近代的解釈しているんだな。
それは徒労に終わるんだよ。元々、『さんせう太夫』は矛盾だらけの
作品だから。口承文芸だからね。口承文芸の在り処と言うか、起原を
作中で告白してるところが、『さんせう太夫』のキモなんだな。つまり、
「私達説経の語り手の出自は安寿や厨子王と同じなんです。」ということ
なんだ。 それはつまり、多くは盲目の、誘拐された、あるいは人身売買された少年少女
や彼等の成れの果てが口承文芸の伝承者だったということを説経節の
「さんせう太夫」は明らかにしてるんだよ。
俺以外にまともなことを書いてる奴は1人もいないんだから
俺をもっと優遇しろよ。 鴎外の歴史物というのは、物語を現実の状況と仮想する。
その状況そのものの描写はそれほど具体的にはなされない。
一般的なイメージが表現されていればそれでいい。
その中で、それぞれの登場人物の心の動きを、直接あるいは行動によって浮かび上がらせようとする。 >>497
俺は無名だが、可能、田中、安藤、小谷野、栗原、石原らよりは、
はるかに頭良い奴だ。
早稲田出の阿呆な編集者ぐらいは何時でも馬鹿に出来る。 「青年」って全体を通してユイスマンスの「彼方」が透けるように見えるから面白い。 出版社は編集者レベルで朝鮮系 だから日本人は作家にすらなれない
反論、異論は認めない、というのも現在の文壇のほとんどが
朝鮮左翼系だから
自虐史観を新聞、テレビと共に
誰が植えつけてきたか考えよう
気づけよ 日本人!!
もはやすべての文学賞受賞者は 朝鮮人認定式 と成り果てましたな
戦後、出版社が朝鮮人にのっとられてどこの賞も日本人が受賞できなくなった
だから文壇は左翼と反日の巣窟
おまいら、本なんて絶対買うなよ、朝鮮人に貢ぐだけだ
おまいら黙過の代償以下 自虐史観にのっとられた受賞作みてもなにも思わないか?
朝鮮人は一度利権を確保するとレイシストだから日本人には絶対手渡さないぜ 出版社は編集者レベルで朝鮮系 だから日本人は作家にすらなれない
反論、異論は認めない、というのも現在の文壇のほとんどが
朝鮮左翼系だから
自虐史観を新聞、テレビと共に
誰が植えつけてきたか考えよう
気づけよ 日本人!!
もはやすべての文学賞受賞者は 朝鮮人認定式 と成り果てましたな
戦後、出版社が朝鮮人にのっとられてどこの賞も日本人が受賞できなくなった
だから文壇は左翼と反日の巣窟
おまいら、本なんて絶対買うなよ、朝鮮人に貢ぐだけだ
おまいら黙過の代償以下 自虐史観にのっとられた受賞作みてもなにも思わないか?
朝鮮人は一度利権を確保するとレイシストだから日本人には絶対手渡さないぜ >>501-502
そうだな。
君が社会に認められないのはきっとそのせいだろう。
あきらめろよ。
日本人は、朝鮮人より能力が劣ってるんだよ、きっと。 >>501-502
必死に、あちこちに貼りまくっているが、よほど辛いことがあったんだろうな。 18年ぶりくらいで舞姫を読んだけど、
エリスはちょっと甘すぎるとはいえ
主人公は無自覚な鬼畜だな ワシントン アーヴィングのリップ ヴァン ウィンクル の
鴎外訳は名訳です。原作のうえに格調を高く付け加えました。 舞姫読み始めたけど現代語訳がないとほとんど理解できないや 現代語訳で読んでは台無しじゃ。どうするか。まず、江戸の
軟文学からはじめよ。ワ印なぞは本気になって読んじゃうぞ。
さうすれば、文語文なぞ平気になると信ずへし >>511
重ね重ねの過分なお褒め恐縮に存じ奉ます。 面倒だから今後のあほよばわりレスにまとめて
重ね重ねの過分なお褒め恐縮に存じ奉ます。 >>509>>511友達いないんじゃない?最近かみさんなくしたんじゃない?
ねんきーん足りていないじゃない?暇ありすぎなんじゃない?
あとは死ぬだけなんじゃない?誰かにかまって欲しいんじゃない? 阿部一族の
紬雲院のくだりの方目狩(ばんがり)ってなんですか。 鴎外ってなんであんなに
小説をいっぱい翻訳したの?
翻訳好きなの? >>518
日本の文化は未熟だから、国民を早く西洋文化に親しませたかったんだろう。 森という男は心は冷たい男だ。
何でもわかっているのに決して顔にださない。 >>518 :名無し募集中。。。:2014/06/18(水) 08:17:43.80 鴎外ってなんであんなに
小説をいっぱい翻訳したの?
翻訳好きなの?
>>506 :吾輩は名無しである:2014/01/12(日) 16:45:52.60 ワシントン アーヴィングのリップ ヴァン ウィンクル の
鴎外訳は名訳です。原作のうえに格調を高く付け加えました。
文学とはそういうこと。 雁の感想
・昔の東大生は金瓶梅を漢文で読めたのかよ!
・本郷周辺を自転車で走ってると大体の地理が分かる
・ラストの妾の人の描写が狂女みたいで怖い 昔の東大生は、英語はできるが漢文は不得意な人も多かった。
とはいえ、日常的に漢文に触れているから、現代の東大生の漢文の力と比較するわけにはいかない。 >>528
わからなかった?
東大というのは医学部は別として基本的に英語の専門学校だから、みんな英語ができた。
漢文を使う授業自体がないときもあった。
とはいえ、当時の学生の生家などはまだ漢文での教育が中心だったから、いまの国文等以外の東大生よりは漢文を苦も無く読めただろう、ということ。 >>530
こういう生半可な知識でものを言ってはいけないな、ってこと
鴎外のころは日常的に漢文に触れているってレベルじゃないんだよ >>531
鴎外より数年下級の子規は英語もちょっと不得意だったが、漢文もそれほどできたわけではない。
子規と漱石のやり取りなんかを見るとわかるよ。 漱石なんか、いくら頑張っても英語より漢文のほうがスラスラ読めたと言っている。
一方、漱石と同い年の子規は>>532が言っているとおり、あまり漢文が得意でなかった。高島俊男氏の指摘によると、子規は「而(しこうして)」以外の接続詞を知らなかった可能性が高い、とのこと。
ようするに、子供の頃からの素養の差ですね、 >>530おっしゃるとおり。明治十三年生まれのおらがじっちゃは東京帝国大学工科大学
採鉱冶金学科出身。 蔵のなかには在学中のノート参考書などが残っていたよ。
English, Deutsch が主。引退後、子供のころの記憶では漢書の白文を
楽しそうに読んでいたよ。教養としての漢文は身についていたのだ。立派な
Englishがしゃべれたよ。Americanじゃないよ。まったく、いまは明治を舐める奴おおすぎだね。 「鴎外」って雑誌に掲載されている
この間、千駄木の記念館でおっさんが予告してた。 >>538
そこまでマイナーなソースだと、広まるのに時間がかかるだろうね。 >>507
声に出して読むと、原文でも意外と分かる 森麻莉は鷗外の作品にあまり関心ないんだな。
傾向が違うし仕方ないか。
でも、饅頭をオカズみたいにして
飯食ってたとか、エピは楽しいな。 ベルリン森鴎外記念館、開館30周年、おめでとう!! >>549
インチキだと、ばれているのに、まだ続いているのか。
鴎外となんの関係もない部屋を、鴎外の下宿と偽って公開したり、詐欺だよ。
フンボルト大学からも、引導を渡されたんだろ。
いい加減、恥ずかしいことはやめろ。 >>551
鴎外やベルリンの記念館を弁護したり解説したりする義理はないけれど、一応、事実だけを記しておきます。
今あるベルリンの記念館は、住所は違うが同じ建物の同じ階(マリエン通りとルイセン通りの交わるところにある建物)。
鴎外の第一の下宿のあった建物(戦災を免れて残っていた)の、鴎外の部屋があった同じ階(二階)に記念室がある。
ただ、そこが鴎外の住んでいた部屋でないのは事実。鴎外の住んでいた部屋には人が住んでいるから、仕方なくその隣の隣の部屋(角部屋)を記念室にしてある。
鴎外の部屋がどこであったかは1969年に篠原正瑛という研究者が調べて論文で発表している(『鴎外』第7号)。
また、部屋が違うことは開館当初から公表されている。だから、その事情は昔から理解されている。
開館30周年のセレモニーはフンボルト大学が主催し、総長出席のもと、大学の大講堂を使って開かれ、ヨーロッパや日本から200人以上の出席者が集まった。
脚気問題における鴎外の位置づけは、海軍軍医であった高木兼寛の伝記的内容の小説、吉村昭の『白い航跡』などを読むと分かる。
あるいは故・山下政三氏の研究に詳しい。 >>553
火消しが出てきたか。
六草いちかの二冊目の本に、別の建物だと書いてあった記憶がある。
本が見つからないので、持っている人、フォローを頼む。
> また、部屋が違うことは開館当初から公表されている。だから、その事情は昔から理解されている。
目立たないところに、そういう中期があるのかもしれないが、
記念館を訪れた人たちは、ほとんどが、ここが鴎外の住んでいた部屋だと誤解しているだろ。
ほとんどの人が知らない注記の存在を知っているというのは、関係者かな? >>555
関係者でなく、鴎外を含む近代文学の研究者です(という意味では関係者と言っていいかもしれない)。
たまたま、このスレを訪れました。
六草さんの本も「違う建物」と書いてあるわけではありません。
行ってみると分かる。行かなくても地図(例えばgoogleマップ)で調べてみると分かります。
フリードリッヒシュトラーセという駅の近くです。
マリエン通りを辿って行くと32番地と書かれた入り口があります。
鴎外はこの入り口から建物に入って二階の部屋に上っていたのだそうです。
ところがマリエン通りはすぐに終わり、この建物に沿って右に曲がると、住所表記が変わりルイセン通り××番地となる。
この記念館の入り口は同じ建物のルイセン通り側にある(ルイセン通り39番地)。
この入り口を入って二階にあがると、左側が記念館の入り口になっています。
記念館に入って、窓から見おろすと、歩いてきたばかりの「マリエン通り」が真下に見えます。
鴎外自身のドイツ日記を見ると、明治20年4月18日には「この日僑居を卜す。マリエン通り32番地・・・」とある。
ところが、「自記材料」の明治20年4月の項には、「18日住居を定む。ルイセン通り32番地」と書いてある。
鴎外自身でさえ記憶違いをしているのです。
上記の篠原正瑛氏は不思議に思って調べてみたというわけです。「鴎外」第4号、5号、7号に詳しく発表している。
この雑誌は、研究者しか読まないようなマイナーな雑誌だから、確かに「ほとんどの人」はその存在すら知らないかもしれない。
私もこの記念館を訪れたことがあります。
なぜこの記念館がベルリンに存在するか、どう運営されているかを知ってみると、フンボルト大学側の努力に頭の下がる思いがします。
日本側から援助はほとんどありません(寄付程度)。
六草さんがなぜあのようなことを書いたか、その事情は知りません。
間違ったことを書いているわけではありませんが、ただ、誤解を生む記述ですね。 訂正
上記>>553>>556
「鴎外第7号」は「鴎外第9号」の誤りです。
ごめんなさい。 >>556
辺境の一文学者のためによく記念館なんかを維持しててくれるね。
西欧の学問、芸術に対する姿勢は、到底日本ではかなわない。
科学技術では追いついたところもありそうだけど、文系の学問は、マルクス研究以外まだまだはるか遠くにいるんだろうな。 まったくその通りです。
せっかくですから、もう少し書かせてもらいます。
私がベルリンの森鴎外記念館を訪ねた時、たまたま当時の館長であるフンボルト大学の日本学の先生(クラウス・クラハト教授)がいらっしゃった。
その方が話してくださったところでは、現在、日本学や日本文学、日本語などに興味関心をもつ学生がほとんどいなくなっているのだそうです。
代わって、中国語や中国に関する学問に学生の興味が移っていっている。また、中国からの留学生の数も激増しており、逆に、日本からの留学生が激減している。
当然のこととして、大学も中国関係の研究や施設の充実、図書の購入などにお金を使うようになった。
これはフンボルトだけでなく、フランスやイギリス、アメリカの大学などもほぼ同じ状況なのだというのです。
かつてフンボルト大学における日本学の研究施設であったこの記念室も、その存続が危ぶまれている状況なのだそうです。
日本人としては、時代の趨勢だから仕方がないと、ただ指をくわえて眺めているだけでいいのか・・・悩ましいところです。