>>475>>476
散所(=山椒?)とか奴隷労働の実態を捉えることはとても大切なことだと思う。
でもそれは文学として大切なんじゃなくて、実社会の歴史の方向を考えるときの糧として大切なんだ。

文学というのは、ある状況の中での個人の心を見つけ出そうとするもの。
社会的な問題はその背景として、個人の心の動き方の根拠として設定される。

その意味で、元の物語とは、あくまでも個人の心を見るための背景であるということ。
実社会を背景にする代わりに、物語を状況設定のための背景にした。

実社会を背景にした時に、自分の実社会へ大きな影響を受けざるを得なかった鴎外は、物語を背景にせざるを得なかったということだろう。
その点が、たとえば漱石との大きな違いだし、鴎外の提示する人間の真実の幅が狭められてしまったということにつながったともいえる。