森鴎外
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>655
> ウィタセクスアリス読んでみたんだけど
> これって森鴎外自身がモデルなの?
他に誰がいると? スレチでスマンが
東大の前進が開成所って言ったんだな
最近はじめて知った
開成高校とかそれにちなんでたのかな? >>669
リアルにケツ穴狙われてたからこその説得力があるよな
美少年より男らしいほうが狙われるんだな ここで聞くのが正しいのかわからないんだが、最後の一句にでてくる「マルチリウム」がいまいちわからん。
ググると殉教者とか殉教者の墓とかでてくるんだが本文中でどういう意味で使われてるのかいまいち理解できない。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 大塩平八郎を読んだ
内容はともかく、なぜ鴎外は彼を題材にした作品を書いたのだろうかと疑問に思った かのようにを読む
私の感想を簡潔にいえば
外界との衝突を避けるため、ひたすら読書に、思索にふけることに逃避する青年の話
なかなか考えさせられる作品だった >>675
「かのように」というのを知らなかったので、はじめて読んだ。
理念小説といってもいいんじゃないだろうか?
鴎外自身の、明治維新の否定と新政府での自身の立場の葛藤を、理念として表現しているようにも思う。
よく発禁にならなかったな、というのがもう一つの感想。 六草の仕事は素晴らしいとは思うが、
鴎外とエリーゼの恋を至純のものとして持ち上げたいという思いが強すぎて、
喜美子や良精にしわ寄せが行ってる可能性もあるのではと思っていたら、
案の定遺族から抗議が来たらしい。 >>672
元文ごろの徳川家の役人は、
もとより「マルチリウム」という洋語も知らず、
また当時の辞書には献身という訳語もなかったので、
人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衛の娘に現われたような作用があることを、
知らなかったのは無理もない。
しかし献身のうちに潜む反抗の鋒は、いちとことばを交えた佐佐のみではなく、書院にいた役人一同の胸をも刺した。
この文章を読めば、martyriumを知らなくても類推できるんじゃないの?
ってか、丁寧なマルチリウムの説明の文章だろう。 六草の仕事って、結局「薄情な人間」が「弱い人間」に代わっただけで
鴎外がダメな人間であることには何の変わりもないんだよなあ。 >>678
本文中で言えば「献身」解釈すれば「自己犠牲」ということについて「マルチリウム」と言っているんだろうことはわかったが、
いざ調べてみると「martyrium」には殉教者などという意味しかないので結局これは森鴎外の生きていた頃は「献身」と訳されていたのだと解釈すればいいの?
どうにも現代の「martyrium」と当時の「martyrium」では大きな違いがある様に思えるんだが。 >>681
http://eow.alc.co.jp/sp/search.html?q=martyrium&pg=1
http://ejje.weblio.jp/content/martyrium
もちろん「殉教」を「他者へ命を捧げること」と訳すことは可能だが、現代の「martyrium」は「建物」としての意味合いが強い様に思える。
「献身」と訳してしまうのはあまりにも意訳すぎると思うんだが。 >>682
基本的に、鴎外はドイツ語に堪能だったと思うんだが(笑 >>684
お前さん、その言語感覚のレベルで鴎外が書いたものの間違いをうたがってんの?(爆 >>685
間違いってのは言い過ぎた。
ただ現代と当時、というか俺の言語感覚のレベルと森鴎外とでは「martyrium」の認識に差異があると思ったって話。
https://www.wadoku.de/search/%E7%8C%AE%E8%BA%AB
http://ejje.weblio.jp/content/%E7%8C%AE%E8%BA%AB
献身と訳すものなら他にもあるのに、わざわざ宗教的な意味合いが強い「martyrium」を意訳して用いたのには意味があるのだと思うが、その意味が最初の書き込みをした時はわからなかった。
今は宗教的な意味を持つことが重要だと解釈すれば良いとなんとなくわかった気になっているが、この認識で合っているのだろうか。 根源に宗教があるかどうかはわからんが、
親孝行な娘の行為としては、日本人なら、心情的には現代でもうなづけるところはあるんじゃないか?
ただし、この場合は、逆縁となっても、信ずる正義を貫こうってところがあるわけだから、
裁きが主張どおりに行われたら、むしろ宗教としては困る状況だろうな。
ただ、その意味では無欲な献身ではないわけで、違和感があるのはわからなくはないが。
いずれにしても、鴎外は喜ぶかも知れないが、考えすぎって気がする。 >>687
度々丁寧な回答サンクス
鴎外の作品で言えば「ニルアドミラリ」などもそうだが、鴎外に限らず文豪の選ぶ外国語にはきっと想像し難い思惑が内包されているのだろうと勘ぐってしまう。
でも案外単純な理由であることが多いのかね。 >>687
>親孝行な娘の行為としては、日本人なら、心情的には現代でもうなづけるところ
さすがに現代でうなずく人はいないだろう。
よほど政治的に偏ってるならともかくだが。
現代というか、昔も今も、親は子供の身代わりになることはあっても、子供を親の身代わりにはしたいと思わない。
昔は、娘を身売りしたりするのは珍しくはなかったようだし、もちろん間引きもあった。
とはいえ、身売りや間引きをしなければ、親子ともに飢え死にするという状況と比べるのは無理がある。
この作品の出来がいいとは思えないけど、鴎外の権力に対する隠れた反感がよくあらわれてるとはいえそうだ。 露伴の文語は格調高く、難解な漢語多出、閉口。
鴎外のそれは格調同じく高く、難解な漢語無し。
時代の差か?
それにしても 五重塔は日本文学の五指に入る傑作。 時代物結構多いよな
仇討ちだったり堺事件とか
読むのしんどいけど結構楽しい
境事件で切腹した箕浦の、自身のハラワタをつかんだ上での口上とかしびれる 堺に切腹した土佐人の墓を訪ねた。すぐ傍に幼稚園。
砂岩の粗末な石塔。字は判読できた。はかないなあ!
生きて人生、死んでも、人生。 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 >>398
幕末の有名な遣米使節の新美某の娘は芸者になった
それが柳原伯爵に身請けされ、生まれたのがあの柳原白蓮 >>398
※後半について
それは当然でしょう
昔は実質一夫多妻制みたいなもの
庶民に倹約質素を奨励した水野忠邦だって、若い妾を5人くらい抱えて、それぞれに屋敷を与えていた
庶民だって金さえあればそうことは可能
また公娼制度もあり、私娼も多数
男は性的にはかなり自由だった >>429
> 東京では彼は妾をおいていたようだが。
それは鴎外の実母が探してあてがったお妾さんだね 最初の妻と離婚したあと、実母が鴎外の生理的な面を心配して、知り合いの未亡人か何かを、妾とした
かなり美人だよ
キリッとして垢抜けた雰囲気
ただ昔の下町の女性だから学があったわけではない 正妻にはなれないタイプ
実際それからしばらくして、別の良い家柄の女性を後妻として迎えている >>696
他の国の一夫多妻は知らないが、日本の武家の多妻は勢力の維持拡大のため。
武家は本家を軸とする親族会議が実権を握っていて、家を構成する子供が多いほど発言力を強めることができた。
男子でも女子でも、家を構えさせたり嫁がせたりすることで勢力の拡大を図れた。
次男は長男の予備軍として部屋住みにさせ、三男以降は他家に養子に出した。
養子に出した男子は無関係だが、女子の場合は、嫁ぎ先とは互いに親族となった。
日本では男女とも性的な制約が少なかったのは確かだが、家の存続や共同体の維持に性が埋没していたことも忘れてはいけない。 鴎外の作品を読んでいて、一昔前の時代はある一面では家族構成が柔軟だなと感じた。
子に恵まれなければ前途有望よさそうな子を養子にしたりね。
まあ親しいところから迎えるケースが多いようだけど。
とにかく”家”の存続というのが重要だったのだね。
ゆえに家名に泥を塗るような真似はすまい、家名に恥じぬ生き方をしようとの矜持が発達したのだろうか?
※もちろんそのような家は一部の特権階級に限られるのかもしれないが
利己主義が跋扈している現代ではそのような精神的支柱は得られまい。
得られたといても、それは肥大化した個我による似て非なるものだろう。
皆が皆それによって行動すれば、きっと人はホッブズのいう自然状態に行き着くだろう。
とはいえ、そうあれる者はある意味では幸せかもしれない・・・。
そう考えると家や国、または宗教などに基づく共同意識を築くというのは重要なのだ、と今更ながらに気づかされた。 >>699
家も国も宗教も排他的だけどね。
排他であることが重要とは、とても思えないな。
個人を殺し、他の集合を支配する。
鴎外自身、家からも国家からも、最後は逃げてしまったわけだから。 集団への帰属を欲するのは安楽を得んがためか?
それじゃあ畜群と罵られそうだね。
そんなら超人を目指そうか?
綱渡りの日々に魂は耐えられるだろうか?
それに耐えうる意思はどのように培えばいいんだろうか? >>701
集団に帰属したがるのは、自分が個人として確立してないからだな。
つまり、未開社会の精神の名残り。
市民社会が発展していくと、普通は利害の相反から、個人としてその社会に参加していくようになる。
日本では現代でも市民社会が成熟せず、専制王制のような集団への帰属意識による集団社会とでもいうべき、いびつな構造になっている。
明治維新そのものが、王政復古としての維新、という歴史としては矛盾した方向を標榜しても、誰も疑問を持たない奇妙な精神構造の産物だ。
鴎外は、その精神をばかげたものとして切り捨て、漱石はその愚かな社会に翻弄されて精神を病んだ。 一葉はんが長生きしあはったら鴎外せんせをしのいだかわからしまへん 「安井夫人」を読んだが、あの作品は安井息軒が主人公で、
夫人はほとんど描かれていないような気がするのだが。
なぜ題名を安井夫人としたのだろうか。 鴎外っていうと「麦飯に反対して大勢の軍人を脚気で死なせた人」のイメージが強くて、
花袋の「一兵卒」で主人公が脚気になってるのを読んだときも、
鴎外のせいじゃん!って思った 脚気の件についてはよく調べたらなるほどなと思った、当時は庶民に全国的に白米食が広まったばかりで当時は何よりのご馳走でこれを容易に切り替えるのは兵士の士気に関わったかもしれない。
効果は認められたとはいえまだ医学的根拠のないやり方に頼るより当時の最高のご馳走を食べさせて兵士を戦場に送り出すことを優先した結果なのかもしれない。 海軍ははなっから英国式を採用したのでパン食だっただけ、
しかし、りっぱな日本食の「カリーライス」がある。
江川担庵はパン食を兵糧に採用したかったようだが。
文学を論じる場で、軍隊の食事を持ち出して、けなすのは
いただけないね。 >日本では現代でも市民社会が成熟せず、専制王制のような集団への帰属意識による集団社会とでもいうべき、いびつな構造になっている
今時こんなカビが生えたサヨクみたいなこというやつがいるとは・・ >>713
カビが生えたサヨクがそう言ってるんなら、カビが生えたサヨクは正しいってことだね。 >>698
随分長い演説お疲れ様。 でもその程度のことは知ってますからご心配なく。 >>715
随分遅いレスだけど、わずか数行の文章が長いって、現代の国語教育はどうなってるんだろう? 史伝を書き始めてから一遍に面白さを失った。
史伝は不眠症の処方のひとつ、読めば眠くなる。
そうそう、漱石の明暗なども。 酷評すれば史伝には芸術性皆無。
ドキュメンタリー映画ベルリンオリンピック、東京オリンピック
は芸術作品です。ありのまま記述すりゃよいってーもんじゃない。 >>718
ドキュメンタリー映画ベルリンオリンピックを礼賛するのは、金正恩ぐらいかもw 「女流作家レニ・リーフェンシュタール この元女優の手になる「オリンピア」は、どうしようもない傑作である」
(『絶対の宣伝 ナチス・プロパガンダ4 文化の利用』草森紳一著、文遊社刊より)
市川崑総監督が語る名作「東京オリンピック」
−戦前のベルリンオリンピック(1936年)でレニ・リーフェンシュタール(ドイツ)がつくった
『民族の祭典』『美の祭典』はご覧になっていらっしゃいますか?
市川: 勿論見ました。ミュンヘンオリンピック(1972年)の時、リーフェンシュタールさんに偶然会って、
いろいろな話しをしました。とにかく『民族の祭典』は名作だと思います。
あらゆる政治的なことは一切抜きに、映画として素晴らしい。
【解説:淀川長治】
『民族の祭典』これは本当に今考えてもぞっとするぐらい立派でしたね。
そのオリンピック、ベルリンオリンピックの実写ですけど実写、それと言えないね。
これが本当のニュースと言えないぐらいに劇的なんですね。凄いんですね。
大和屋が影響を受けた・好きな映画
戦艦ポチョムキン、十月、ストライキ、アンダルシアの犬、不良少年
次郎長三国志シリーズ、野獣の青春、群盗荒野を裂く(何故殺すのか)西部魂、民族の祭典・美の祭典(オリンピア)
大塚英志インタビュー 工学知と人文知
少し年上だけど三島由紀夫がいる。彼はレニー・リーフェンシュタールの『オリンピア』
(『民族の祭典』『美の祭典』の二部作を指す)というナチスドイツの映画を観てこれが機械芸術なんだっていうね、
直接的な言い方ではないけど機械芸術論を知っていないとわからないような作文を学習院時代に書いている。
お勧め(オススメ)映画(映画批評の映画研究塾)
1938「サブマリン爆撃隊」「赤ちゃん教育」「我が家の楽園」「汚れた顔の天使」「黒蘭の女」
「牧童と貴婦人」「獣人」「ラ・マルセイエーズ」「霧の波止場」「北ホテル」
「民族の祭典」「美の祭典」「バルカン超特急」「アレクサンドル・ネフスキー」「鶴八鶴次郎」
「按摩と女」「争闘阿修羅街」
手塚治虫は「アドルフに告ぐ」の冒頭をベルリン五輪で開始し、
西田修平と大江季雄の陸上棒高跳びの場面など、当作を意識した描写になっている。 >>720
全体主義、国家主義が好きな人には高く評価されるよね。 スーザン・ソンタグ
「レニ・リーフェンシュタールの『意思の勝利』と『オリンピアード(原文ママ)』を傑作と評することは、
ナチのプロパガンダを芸術性に免じて見逃すことではない。
ナチのプロパガンダはそこにある。だが、それ以外の何かがあることも確かだ。
それを無視することは、われわれにとって損失である」
溝口健二著作集刊行記念:佐相勉インタヴュー
例えば小津安二郎なんかにしても『民族の祭典』(38)をその年のベストテン一位におしてるんですよ。
だからそれは溝口だけじゃなくて、日本の映画界全体で当時のナチスの映画に対する評価は高かったんじゃないかな。
黒澤は山本嘉次郎監督『馬』(1941)の助監督をつとめているとき、高峰秀子とともに『民族の祭典』を見にいった。
帰り道、黒澤は高峰いわく「私の存在など気にもとめてくれず」足元を見ながら黙々と歩いていたそうです。
映画『ニワトリはハダシだ』 インタビュー2
対談者 ................ 森崎東、 榎戸耕史
もう一つ、入って直ぐの所にカメラの移動車を押しているレニ・リーフェンシュタール、
『民族の祭典』(38)のファーストシーンが再現されているんですよ。この映画の公開当時、
小学校の低学年だった僕は教師、クラスメイト達と一緒に見たんです。
僕の前にはおかっぱの女の子達が並んでいまして、円盤投げの全裸の青年の写ったタイ トルバックで、
移動車が彼の背中の方から回り込んでいくわけですが、そのおかっぱ頭が移動車が回り込んでいくのにつられて、
一斉に回り込むわけです(笑)。その瞬間を非常にビビッドに思い出しました。
古川薫「花も嵐も 女優・田中絹代の生涯」(平成 14 年 2 月 15 日 文芸春秋)では、
昭和 15 年にレニー・リーヘンシュタールの「民族の祭典」を見て、女性監督の仕事に感銘を
受けたことが記されている。
広くて深い、ドキュメンタリー映画の世界/原一男
ニューヨークでは、週一度、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の映画部門に頼み込んで収蔵作品を見せてもらった。
ルイ・リュミエール「工場の出口」、ロバート・フラハーティ「ナヌーク」、ジガ・ヴェルトフ「カメラを持つ男」、
リーフェンシュタール「オリンピア=民族の祭典」、ヨリス・イヴェンス「雨」etc、みんな、ここで見たものだ。 >>722
日本人は全体主義や国家主義が好きだけど、ソンタグという人は美を勘違いしてるんだろうね。
勘違いというのは、整列乗車を美しいと感じるような美的感覚のことだけど。 1998
◆プレミエラ誌選:史上最高の映画ベスト100ランキング
民族の祭典 美の祭典
2005
◆タイムTIME誌選:歴代映画ベスト100リスト
民族の祭典 美の祭典
2013
◆米エンターテインメント・ウイークリー誌選:オールタイム映画ベスト100ランキング
84 美の祭典 民族の祭典Olympia (1938, Ger.)
大アンケートによる洋画ベスト150 (文春文庫―ビジュアル版)
出版社: 文藝春秋 (1988/07)
73 民族の祭典/美の祭典
キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」世界映画編 1995
78 オリンピア(民族の祭典/美の祭典)
またまた鈴木則文監督来場。『トラック野郎 度胸一番星』 『聖獣学園』
本の中でも『ドカベン』を褒めていた中原昌也、今日も『民族の祭典』に並ぶスポーツ映画の傑作だ、と言っておりました。
---- レニ・リーフェンシュタールとナチ美学の危険な関係 ----
渋谷哲也
すなわち、彼女のナチ加担という政治的罪は、彼女の美的な功績とは別の次元で考えられるべき問題だということである。
そしてそれとは別の問題として、彼女の作品に「ファシズム的美学」が見られるとするなら、
まさしくそこでの「ファシズム的」とは何なのかを多面的に問いかけてゆかねばならないだろう。 森鴎外はベルリンで「女の顔がどうだ」ばかり記録してんのなw
勉強したことと言えば、「論語」「春秋」「孟子」などを蘭語で読んだことくらい。
んでユダヤ娘をからかったら、日本までついてきてしまった。 >>725
鴎外は極端な美人好き。
非美人の最初の奥さんからは3日で逃げ出したが、美人の出戻りと再婚したら悪妻?でも添い遂げた。
ほんとうは西欧の美人、ドイツ娘と結婚したかった。
ところで、その娘がユダヤ人であるという根拠はなにかあるの? 郷土史というのがある。むかし太郎作がどうした治郎兵衛が盗みをした、
庄屋の伝衛門が良い奴だった、などを、文献によって「研究」する。
globalに見ればなんの意味もない。たとえばモルダウの歴史を日本人が
読んでもほとんどなんの感興もわかない。宮崎に住む人が、八王子の
郷土史に興味をもつかよ。
まして、一個人の一生をああだこうだと調べて書いても唯それだけよ。
鴎外が史伝にのめり込んだのは日本文学にとって大損害。
ま、鴎外先生も時代の潮流に乗れず、変な方向に「活路」を見出した
訳だ。 史伝は新聞にも載った。これを読み続けた読者はどれだけ
居たのだろうか。 >>727
社会の中での人の心を表現するには、歴史ものが一番簡単だからだろ?
現在を扱うといろいろ不都合があるし。 >>727
郷土史を馬鹿にしてるってことは、歴史に関心ない人かな?
いろんな郷土の集大成が日本の歴史なんだけどね >>731
歴史というのは、書いた人間の共同体での立場の表明だね。 今でもいろんな地方の旧家の蔵から、新たに古文書が発見されたりしてニュースになってるよね >>734
旧家にある古文書には、当主の日記などを除くと偽物が多いんだってね。
系図なんかも山伏などが売り歩いていたそうだ。
古文書の真偽は骨董の真偽と同じようなものなんだって。 悲しいことに記録即真実ではない、脚色されたものが多い。
問題はどの程度にその真実を認めるかだ。
所詮郷土史などどうでもよい「研究」だ。山中伸弥先生の
御研究のほうがはるかに人類のために意味がある。
文系は悲しいものだ、小説家がちょっと齧って邪馬台国
がどうのこうのw 文系という牝系もあるけど、悲劇か喜劇かぐらいに面白いものもあるよ。
眼鏡じゃねー。文は。 白いコメだけで遠征なんて貧乏すぎるぞ。おこげでも食えば色わかるだろ。 エリス?病院に寝かしとくあたり、大した人物やダンセじゃなかったんだろうね。 東京高校 現新宿高校 通称三高のほうが東大より学歴職歴いいのに。 >>736
事実を極めるのが理系。
価値観を育むのが文系。
ノーベル賞技術を金に換えることしか考えない人もいれば、広く人類に寄与したいと考える人もいる。
その分水嶺が文系に潜んでいる。 文系の「学問」は大抵普通の人が教養をつめば解ることばかり。わざわざ
大学なぞで「研究」するようなものではない。その最たるものが法学、
人間が作ったものを人間が研究する。 経済学もそうとう怪しい。
予想屋みたいなもの。文学が学問かどうかも怪しい。
歴史「学」も相当怪しい。 ちょっとした文士ならちょいと文献をひねくって
新しい(!)史観をだせる。
対象がrigidな自然科学こそ学問の王道です。 >>731吾輩は名無しである2018/03/27(火) 14:15:52.46ID:kP/wDjyy>>733
>>727
郷土史を馬鹿にしてるってことは、歴史に関心ない人かな?
いろんな郷土の集大成が日本の歴史なんだけどね
そもそも日本の歴史そのものが人類の歴史のなかでどれだけの
意味があるのか? アゼルバイジャン共和国の人が日本史に
興味をもつかよw
たとえば、理論物理、結果を論文にだせば、直ちに、それなりの
評価が世界から得られる。数学、天文学も同じ。 En formulant la conclusion le probleme est que c'est mondiale ou non. >>727
>まして、一個人の一生をああだこうだと調べて書いても唯それだけよ。
>鴎外が史伝にのめり込んだのは日本文学にとって大損害。
「文学」とした場合、
「小説」よりも「史伝」の方が正道のような気もするが
たしかに史伝三部作面白くない
あれは石川淳が変に持ち上げているだけで
その理由も上述の文学「通」好みの作品というだけで
石川淳が自身はもちろん日本社会にも大してかかわりのない
中世フランスの詩人クリスティーヌ・ド・ピザン
の史伝を書こうとして右往左往している様を叙述した
メタフィクション的作品の方が
よっぽど面白いと思うけどね
もっとも鷗外を持ち上げつつ俗物や世間を叩くことが
目的だったのかも知れないのだけど
普通に読んであれはオモシロクナイ… >>749
文系は、人間にとっての価値を研究する。
理系は、事実を極める。
理系はAIで代替できるが、文系はできない。
それからね、「王道」というのは、楽な道という意味だよ。 >>750
そう思うなら、こんなところに書き込んでないで、算数の勉強でもしてなさい。 文学という学問は点数計算ができないから、百点式じゃないのだよ。
文学は答えの出ぬ問いに急き立てられて、かろうじで答えを出すという、
段階に過ぎないぐらい事しか学生の間は経験できないだろうね。
自然科学の自然ボケや、自然依存も目に余るし、別に文學や文系が一番
出来ているとは言わないが、理系は短絡的に他の学問を否定しがちで、
負けたから、相手を0にしちゃうというよくないことを、繰り返すほど
低レベルな人の負担を背負った学問であるだろうな。 解を出すのは理系だぞ。解るとか、文系の学問と理系の学問を
混同しちゃあならないよ。誰でもわかるものに高い価値を置くだろうか。 いや〜〜〜〜〜こんなに盛り上がるとは>>736のおいらも
予想外。みんなもっとやっとくれw 科学は理系の独占物だよ。
Rechtswissennschaft人間のつくった法律を研究する科学だとよ。
ローマ人は法律は常識の世界で研究するものとは少しも
考えていなかった。
だいたい官僚の古手、企業のOB,新聞社のはみ出しが
いわゆる「大学」の教授にwww 職人さんも理詰めの科学者だよ、不合理、曖昧では
ものを作ったり、直したりできない。鴎外先生も
医学を閲した科学者、それが、度が過ぎて史伝w >>759
つきつめていくと、結局は言葉の定義の問題だね。
科学をどう定義するか、ということになる。 吉本隆明
「文句なしにいい文学だって、言えるのは鴎外と漱石の二人です。
この二人の生み出してきた文学作品というのは文句なしにいいものです。
けちをつける余地がないくらい、つまり、人によっては
好きじゃないって人がいるかもしれないけど、鴎外と漱石だけは、
とにかく好ききらいとかそういうことを抜きにせざるをえないくらいな作家だし、
言うまでもなく世界的です。」
「鴎外と漱石だけは、どんなに「好きでない」とか、
「どうも自分には向かない」とかいうことを誰が言っても、
「それはおまえのほうが間違いだ」ってすぐに言えますね。
「おまえの読み方が足りないんだ」って言えちゃいます。
そういう意味合いでいえば、やっぱり鴎外、漱石が圧倒的にすごい。
「この二人の作品を、一語、一句、はしょったりしないで読んでみれば、
間違いなく骨の髄までちゃんとはいってきます。
鴎外と漱石をちゃんと読んだら、もうこれ以上
自分の生きる力になる日本文学はないと、
断言できる。それが文学の真髄なんです。」 >>756
DJ学術archive gemmar髭白紫の上
こいついつも日本語崩して意味不明の言葉書き散らかしている荒しだが
ふつうの日本語で記してみると、
たんなるバカ、クズ、キチガイなのがよくわかる。
学歴コンプ丸出しの、高卒かFラン大卒の引篭もり経験ありの、
今は無職の精神障碍者!
気持ち悪い…… 精神能力。S A〜F〜CUP兼 大 学院も 卒
無職?カラスに誘われたらな。有職故実知らないの?九官職。
高卒で実務経験なく大学受かるか?
意味不明なのは人生努力不足で自分のせいではないと思うが。 帝大は強制徴用しないはずだが。特にセンター、二次は。どこの詐欺大出?
三次あたりから登場。 特に良質経営の国立大学はね。ヤンキー国立もおすすめ。 Whasington Irving の Lip van Winkle の
鴎外訳何度読んでも名訳だなあ、原作を
凌駕している。 大勢の兵隊を殺した最低の人間だよ
脚気のことだけではない 経歴は天占いで異界オカルト魔獣に仕官してるから、ま日本人間人事はいいだろ。 >>773
害ではないよw
反論できないからといって、相手を老害と貶めるのは、無能な証拠。 >>777
反論も何もそこには論などなく決めつけがあるだけ
だから老害というのであり
それくらい分からずわざわざ長々と書き込んでくるやつこそ無能にふさわしい >>778
文学というのは理論化するのは難しいものだ。
吉本隆明はその困難な理論化に一応の成果をあげている。
そうした下地があっての発言だから、小林秀雄のような繊細かつ強引な決めつけとは少し違う。
あなたは興味がないだろうが、『言語にとって美とはなにか』は文芸批評を考えるときの必読書だ。 >>779
その古臭い
現在誰も相手にしていない書物で
理論的な文学評価の方法を案出し
それにより漱石鴎外が最高点なのである
もしこういうことならそいつもアホだし
それを引用してるやつもどうかしてるとしか ストラスブール大と ソルボンヌ大ぐらいしか縁ないしね。 鴎外がKoch的結論で細菌説を持っていたのは事実だがそれほどの
影響力があったかは疑問だね。 いつもしつこく持ち出される非難だがw
>>771吾輩は名無しである2018/07/31(火) 04:49:55.84ID:5vzFEJM/>>772
大勢の兵隊を殺した最低の人間だよ
脚気のことだけではない
>>772吾輩は名無しである2018/07/31(火) 09:38:35.97ID:8YeErVuK
>>771
たかが軍医になにができると? >>785
"ソルボンヌ大学" なんてものは存在しねえよ,このド素人め。 鴎外の医学的所見と彼の文学作品との関係を
論じて何になる? サンヨーの掃除機の舞姫を5年ぐらいぐらい前まで使っていた。ゴミを紙パックにため込むオーソドックス
な掃除機だが、小型で使い易かった。10年近く使用したが故障は1回も無し。今は東芝のサイクロン式の
を使っている。 鴎外の「元号考」が出版されるお(´・ω・`)
元号通覧 (講談社学術文庫) 文庫 ? 2019/5/11 P face
イラっとしたときに「クソが」とか「クソっ」ってよく言うけどあれって日本人はいつから言ってるんだろう。
英語でいう間投詞の「shit」が60年代の洋画・洋ドラのテレビ放送の吹き替え音声から広まったとかあるのかな
2019年12月5日
taq--x
鴎外の短編に出てくるよRT
2019年12月5日
ええ 糞。坂井の奥さんだの岡村だのと云う奴が厄介だな。
『青年』1910年3月から翌年8月まで「スバル」に連載。
(1913)『青年』刊行
折々「糞」「畜生」などと云う、いかがわしい単語を口の内でつぶやいているのである。
昌平橋に掛かる時、向うから芸者が来た。
『雁』文芸雑誌『スバル』にて、1911年から1913年にかけて連載された。
橋の下
フレデリック・ブウテ Frederic Boutet
森鴎外訳
「糞。冬になりゃあ、こんな天気になるのは知れているのだ。出掛けさえしなけりゃあいいのだ。
おれの靴は水が染みて海綿のようになってけつかる。」
(1915)『諸国物語』 https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202003/CK2020032702100113.html
森鴎外ゆかりの上野の老舗旅館、閉館へ 新型コロナでキャンセル相次ぐ
2020年3月27日 配信
新型コロナウイルスの影響で、東京・上野にある文豪・森鴎外(おうがい)ゆかりの
老舗旅館「水月ホテル鴎外荘」(台東区)が五月末で閉館することが分かった。
宿泊などのキャンセルが相次ぎ、約八十年の歴史に幕を下ろす。
敷地内には鴎外が傑作「舞姫」を執筆した旧邸がある。
おかみの中村みさ子さん(62)は「旧邸を守るため、倒産前に閉館しようと決断しました」と話している。 鴎外ゆかりの宿、閉館へ コロナ影響も「旧居守る」
2020/4/6 9:43
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57693430W0A400C2CE0000/
小説家、森鴎外ゆかりの旅館「水月ホテル鴎外荘」(東京・台東)が5月、約80年の歴史に幕を下ろす。新型コロナウイルスの感染拡大で、宿泊や会食のキャンセルが相次いだことが原因という。敷地内にある鴎外の旧居は保存か移築を検討。
おかみの中村みさ子さん(62)は「さみしい気持ちもあるが、旧居を守るのが私たちの使命。旅館に体力があるうちに、いい決断を下せた」と胸を張る。
https://i.imgur.com/E1YOUmw.jpg
水月ホテル鴎外荘の「舞姫の間」に立つおかみの中村みさ子さん(1日、東京都台東区)=共同
中村さんによると、新型コロナの影響で、今年3月の売り上げは前年の1〜2割程度まで落ち込んだ。感染を心配する中高年層のキャンセルが特に響いたという。
「さらに赤字がかさめば、旧居の維持費も捻出できなくなる」との思いから、中村さんの夫で4代目社長の菊吉さん(71)が5月末での閉館を決断した。
旅館は1943年、旧居の隣に「水月旅館」として創業。46年、売りに出された旧居を創業者の水野清氏(故人)が「知人らから借金を重ねて」(中村さん)購入し、現在の名称に改めた。
鴎外が最初の妻、登志子と共に20代後半を過ごした旧居は、築約130年の木造。初期の代表作「舞姫」を執筆したとされる日本間は「舞姫の間」と名付けられ、宴会場などとして利用されている。
2002年に復元した玄関には、樹齢200年以上のクロガネモチの木。旧居では他に「うたかたの記」「於母影」なども執筆された。
専業主婦だった中村さんは98年、支配人から社長となった菊吉さんを手伝うため経理担当として働き始め、約1年でおかみに。鴎外ファンの質問に即答できず恥をかいたこともあったが、専門家の自宅に通うなどして知識を深めた。
旧居をこのまま保存するか、別の場所に移すかは未定という。お気に入りだという旧居の庭を眺めながら、中村さんが力を込めた。「旧居が生き生きとしたまま残れる方法を、しっかり考えたい」〔共同〕 以前、舞姫執筆の間を訪問したことがある、水月ホテル鴎外荘の閉鎖は残念。
鴎外は文学が本業で食うために片手間に軍医をやっていたことがハッキリしている。
日露戦争で陸軍は戦死者よりも脚気による病死者が10倍も多かったのは鴎外の責任だった
ことや、当時脚気の原因は食事にあることを(すでに結論が出ているのに)認めないで
その後も多くの脚気死を招いた鴎外は、現代で言えば薬害エイズの阿部英に匹敵、
いや(死者の数からいっても)それ以上の犯罪者だと断言できる。 鴎外が北里柴三郎をいじめてたって話を聞いたことがある
困っていた柴三郎は福沢諭吉に助けられて北里大学を設立したと
本当だとしたら鴎外の小説はおもしろいのに残念 >>798
?外が脚気を増やしたというのは有名な話だね。
医官とはいえ、作家だけあって論理的な思考がもう一つ苦手だったんだろう。 脚気病伝染病説が事実上破綻していると分かってるのに自説に固執しつづけた人格破綻者でしょ
栄養説を無視しつづけた東大医学部も同罪
軍医として頂点を極めたが、東大教授もなりたかったのかね?
本家と違うことを言えなかったというファクターもあっただろうな
伝染病で名を上げたコッホや北里なんかは早くから栄養説に行っていたのに
一流と二流の差だね まんじゅう普通に食ったらいいのに
ご飯にのせてお茶かけるとか、もうね 雁と護持院ヶ原の敵討ちが面白い
自分は土地勘もあるし
次はどうなるんだろうとワクワクしながら読んだ
宮部みゆきとかでは絶対ないこと 映像化した「雁」のお玉は若尾文子だったこともあるんだ
岡田が芥川也寸志
末造は水戸黄門の東野なんとかさん
自分の世代では上杉祥三をイメージした 昭和28年『雁』(豊田四郎監督) 高峰秀子、芥川比呂司、東野栄治郎
昭和41年『雁』(池広一夫監督) 若尾文子、山本學、小沢栄太郎 明日は神保町駅と小川町駅の間の事業所で面接
リベンジ的な要素もあるから、護持院原の敵打ちねw 大河ドラマで濱田岳が栗山善助の役やってたんだけど
栗山大膳のパパだったんだね もろゆき沙羅
隠し砦の三悪人といえば、大元はジョン・フォードですが、
この監督の「捜索者」のなんともスッキリしない終わり方は印象的です。
「え?コレで良いの?」という感じ。
この感じは鴎外の「阿部一族」旧約聖書の「ヨブ記」の読後感に近いような、
なんかモヤモヤと考え込んでしまう終わり方です
これもまさしく小林秀雄の言う、多くを感じながら、多くを言わずに我慢した、
鈍刀の切れ味で受け手を斬ってるのかもしれません
阿部一族といえば「皿に盛られた百蟲の、相くらうにもたとえつべく」という一文が印象強いのです。
というのもこの頃、カブトムシの幼虫を育てていて、同じトレイに入れていたら共食いして大変だったのです。
2020年7月25日 森鴎外全集を古書店に持っていったらゼロ円査定だった
もはや全国どこでも買わないとのこと 新潮日本文学『森鷗外集』古本を買った
この本、福永武彦が作品を選んでいるんだな 今年亡くなった山崎正和の『鷗外 闘う家長』は伝記で、作品論ではないよね 森鴎外の様に、人生のあいだに何回も読み返せるものを
発見すると、本当に嬉しい。
最初に、気付いたのは一葉さん読んだ時だったが。 >>813
何回も読み返せるものを、書物という。
こういう見かたもあるね。 >>814
ここに居られる方は、もの言いが深い。
一言に、含みがありますね?
自分など額面通りにしか読み取れず
「そう、電子書籍?あれは、いけません。」
などと言ってしまいそうです。 この度、『あの国』の連中と日本の売国的裏切り者の支援で、
ベルリンのミッテ区に戦時売春婦の像が設置されましたが、
この近くに、鷗外さんの記念館があるそうです。 ベルリンと韓国人売春婦にどんな関係があるのだろう
ゴキブリのごとく世界中に繁殖する連中だな 椋鳥通信は著者が鴎外になってないから対象外かな?
日記・随筆好きとしてはかなりのお気に入りなんですが >>820
「雁」の玉ちゃんの人生、切ないよな(´・ω・`) 日本語に詳しい方に教えていただきたいのですが。
石川淳が鴎外の「追儺」の文章について、「今日なほ新たに砥を出たるがごとくに新鮮」と書いているのですが、どういう意味でしょう?
「砥」は砥石の事だとすれば、意味が通じません。そういう言い回しがあるのでしょうか?気になって仕方ありません。 >>830
日本語に詳しくないので、普通の感想を書く。
「砥を出す」という言葉には二つの方向が読み取れる。
ひとつは、刀などを砥いだ状態ということ。
もう一つは、砥石自体も(砥石で)砥ぐことによって新品と同じ状態になるということ。
文脈からは後者の方がしっくりきそうだ。
間違っていたら誰か訂正してください。 >>831
なるほど!
たった今書いたみたいに真新しい文章のようだということですね。
ありがとうございました。 鷗外没後100年、鷗外全集の新版をどこか出さないかな
医学文献は出版社の売上面で難しいかもしれないが、
翻訳物と書簡・日記は全作入れてもらいたい >>834
出すわけない
今や全集は全く売れない時代だから
本棚に全集をズラッと並べたいという人がいなくなった 漱石全集(岩波)や谷崎全集(中公)は近年でも出てるからなあ 舞姫、自分の最悪なとこを、擬古典で書いて、ごまかしただけー。 『鷗外全集』が1970年代から更新されていないのはそれ相当な理由があるのだろうか?
その間に『漱石全集』が二、三回改版を重ねている事を加味すると余りにも落差があり過ぎる。 >>842
それが作品のレベルということじゃないかな?
文章としては鴎外の作品は優れているが、小説本来の人間把握という面では、漱石に太刀打ちできない。 せっかく100周年160周年なのにもっと盛り上がって欲しいな
とりあえず6月のスタンプラリーに参加してみる
先日雁を読み直したけど、鴎外のじんと染み込むような文章は漱石とはまた別の味わいがあって好きだな >>844
保坂和志は著書の中で、
「作家の評価というものは、その時代時代によって波がある。
最近は鴎外よりも漱石のほうが上という風潮だが、
もっと昔は、鴎外は漱石と同格、またはやや上という位置づけだった。
志賀直哉あたりも、ひじょうに高い評価を得ていたが、
近頃は『城崎にて』などの有名作以外、存在を忘れられつつある」
と書いてる
自分も今、渋江抽斎を読んでますが、なかなか面白いです 鴎外の歴史小説は格調が高い文章ですね
個人的には北条霞亭が好きです
渋江抽斎は浜松のシーンがあるので、賀古のことを思い出したりしたのかなと思う
愛煙家で有名な鷗外だけど
いつ頃から吸い出したのだろう
あの時代は20歳からなんてルールないし、在学中とか?留学中? 鴎外の文章は漢文の読み下し文みたいで、格調が高いといえばいえるのかな?
でも、中身が無いんだよね。
漱石との差は、そこだろうね。 鴎外は引き算の美学の人、究極の文学は事実の素朴な羅列という考え方
だから文章がどんどん漢文みたいになってゆくよね
俺には分かる、読者も分かれ、的な傲りが感じられなくもない
「格調高い」は言いえて妙だね
現実的には、本当に人をほめたいときには使わない言葉だと思う笑 鴎外の文章を中身が無いと切り捨ててしまうのは早計でしょう
半日や鶏のような散文的な作品もありますが
空車や最後の一句、沈黙の塔、杯など非常に含蓄のある話もたくさん書いています
舞姫は批判されがちな代表作ですがあれはかなり異質な作品なので鴎外の小説という単純な枠組みにはめるべきでは無い
賀古鶴所が鴎外の原稿はいつでも書きっぱなしで読み返したり推敲していることが少ないみたいなことを書いているので
漱石のような職業作家でないために大勢の読者の関心を引くような作品を書く必要がなかっただけの話だと思います >>849
鴎外は軍医ではあっても文壇に出入りする職業作家だろう。
漱石も他の職業という意味では、新聞社の文芸担当者をしていた時期もあった。
鴎外にとっては本業が作家で副業が軍医かもしれない。 >>849
鴎外は書く時期によって文体を変える人だから
感情の赴くままに書いた『舞姫』はもちろん
作意丸出しの『杯』や、ここを読んでねと言わんばかりの『最後の一句』などを
並べて語るのは少し無理がある
中身がないと思われやすいのは心情描写や台詞を極力排除し始めた
歴史小説の中期からではないかな
中身がないと切り捨てるのは早計、には大いに同意
>>850
鴎外は軍医の森林太郎と作家の森鴎外は別人格かつ両方とも自分に必要と言う考え方
どちらを本業とも副業とも分けてはいない
ただ文学者としては何にも忖度せず書きたいものを自由に書くという態度を貫いていた
漱石は朝日新聞の文芸欄専属になってからは
新聞の売上げを左右する部署だから読者人気を意識しなければいけなかった
849のいう「漱石のような職業作家」はそういう意味だと思う でも漱石も鷗外も今のWEB小説全盛の風潮にあっては目が滑って読めない悪文なんだよな >>852
若年層はそこまで日本語能力が落ちてるのかねえ・・・ >>851
他は同意だけど
舞姫は鴎外作品の中でもかなり添削や推敲が重ねられた作品で、感情の赴くままに書いてはいないと思うよ
國民之友掲載作と現在青空文庫などで掲載されている作品ではかなり違う
山縣有朋の庇護を示唆する冒頭文が水沫集で消された話もあるし
発表前に森家全員、その前日に賀古を呼んでわざわざ読み聞かせた話もあるし
國民之友という当時の意識高い系の層に向けた雑誌に載せたことにも意図がある 世渡りがうまいのは賀古だろうね
少なくとも陸軍総監森林太郎は賀古がいなかったら誕生しない >>853
昨日あるsnsで「鴎外の舞姫読んだけど難しい、現代語訳読もうかな」
って呟いてるの見つけたよ 「現代語で読むシリーズ」ってのがあって
舞姫、たけくらべ、野菊の墓、坊っちゃん、生まれ出づる悩みの五作品が出ているけど
坊っちゃんの現代語訳?って思ったわ 現代の言葉に直して、ものの名前などにも説明がついてるのかな?
それなら、小中学生にはとてもいいかもしれない。 小学校でごんぎつねが課題図書から外れたそうだ
かわいそう、トラウマになる、それよりサクサク読めるケータイ小説とかラノベみたいなのがいい
ということらしい 現代国語も舞姫や羅生門、こころなんかの常連含めて全体的に見直されるみたいだね
時代に即していないというのが理由らしいが確かに「現代」ではないのかも知れないけど東野圭吾とか村上春樹とか読むのか…? このスレの皆さん いま改めて教科書に載せてほしい鴎外作品って何?
自分は高校の教科書の『寒山拾得』で鴎外にはまったので
できれば残してほしいなあ >>861
百田の小説とか、桜井の雑文とかになるんじゃないのかな?
日本の右傾化は行きつくところまで行くだろう。 >>862
個人的には舞姫が一番好きだけど、上にも出た通りあれは鷗外作品の中でも異質だからあの作品だけで鴎外を判断されるのは嫌だなという葛藤がある
国語の題材として優秀なのはやっぱり高瀬舟かなあ
大発見も案外面白い授業になるかもしれん 上野千鶴子を読ませて雄を徹底的に去勢すれば日本の未来は明るい
国語の教科書から男性作家はすべて排除すべき >>862
寒山拾得とは渋いね〜
教科書掲載の作品は時勢に合わせるというのなら文づかいがいいんじゃないかと思う
女性の自立や血痕など選択の自由を書いたものだし
つかドイツ三部作はどれも好きだな
こゝろとの比較を通して二代文豪の比較や歴史背景を学ぶなら興津弥五右衛門で >>864
鴎外=『舞姫』になってしまうのはいろいろ勿体ないですよね
長さやテーマの普遍性を考えると『高瀬舟』が無難になってしまうでしょうか
『大発見』は確かに軽くて面白いかも
鴎外未読者に文豪の作品と身構えずに読んでもらえそう
>>866
『寒山拾得』渋いですか笑 調べたらいまは教科書に載ってないんですね
時勢に左右されないものとなると説話的な方が良いのかなと
『文づかい』はご指摘通り読ませ方によっては良い教材になりそう
ただ「欠唇」のような差別語があると教科書教材にするにはつらい
前半はあらすじにとどめて後半だけを現代語訳で、などとすると良いかもですね 漱石は現代でもまったく古くならない価値感を持っているが、鴎外の価値感は古すぎるんじゃないかな?
宮仕えを徹底的に忌避した漱石と、宮仕えこそが自身の立身出世、家の再興を保証すると考えた人との違いはありそうだ。 重い期待を背負わされた長男坊の鴎外と
生まれてすぐに里子に出された末っ子の漱石の価値観醸成環境の違いは大いに影響していると思うけどね
鴎外の価値観が古いかどうかは置いておいて
そういう価値観を持たざるを得なかったのも事実
陸軍出仕にしても登志子との結婚にしても本人の意思が希薄だし
そういう生涯にわたる周囲の干渉にNOを突きつけたのが最後の遺言じゃないのか >>870
死んでからNOとか、一番卑怯じゃないかな?
漱石はすべてを自分が引き受けながら死んで行ったと思うが? え、せめて死ぬ時だけは自分らしく死にたいってことでしょ、何が卑怯?というかそんな話してないし
漱石マンセーしたいなら該当スレでやったら >>868
あー文づかいは欠唇があったか
この前読んだ現代語訳でかなりオブラートに包まれた表現になってたのを思い出した
そう言うところまで配慮し出すと確かに前半は向かないか
文づかいの最後の
きょうの晴衣の水いろのみぞ名残りなりける。
を三島由紀夫が絶賛したと言う逸話があるが本当に鮮やかな終わり方だと思う
個人的にすごく好き >>872
なんで話を逸らすの?
僕は鴎外が古臭い価値観の持ち主だと言ってる。
漱石を出したのは同じ時代の作家だから。
君が鴎外の価値観についてどういう感じ方を持っているのかには興味があるけど、死んだ後で、というのは卑怯そのものだと思うよ?
自分は一切責任を取らないんだから。
そんなところにも、明治的(日本的)な責任感の無さが表れているように思うんだ。 鴎外が目覚めて終生悩み続けた「個人vs家・社会」と「自我の確立」
やはりまだ現代にも通じるところがあると思います
古いのは、鴎外や漱石の価値観よりも、育った時代でしょうね
>>873
文学を読む上では、差別語は些末な問題かもしれませんが…
でも『文づかい』に現れる鴎外の表現の美しさは本当に見事ですよね
あれもこれもと描くカラフルな前半から
最後はストーンと衣服の水色だけに焦点が定まってゆくこの感じ
語り手がイーダの内面に深く踏み込みつつ無言で見送るのとリンクしていて
それを考えると前半はあらすじだけなんて本当はいけないですよね >>874
話を逸らしたつもりはないし
鴎外の価値観が古いとも思っていないし
漱石の価値観が新しいとも思っていないし
鴎外の遺言が無責任だとも卑怯だとも思わないし
鴎外に責任を取るべきことがあるとも思っていない
こう言うふうに書くとやれ脚気だ大量殺人犯だ麦飯だとすぐそっちに話が飛ぶやつがいるけど
もしそう言う話をしたいならやはり板名を見直して該当スレに行ってほしい >>875
今は多様性を重視するために差別語は特に厳しいからね
かたわだのめくらだの昔の小説にはよく出てくるけど現代は表現に配慮しなければいけないのは仕方ないね
そうそう、イイダのずっと黒かったシルエットが最後の最後でパッと水色に変わってすぐに遠くに消えていってしまうのがとても鮮やかで映像にしたら美しいだろうなと思う
舞姫の太田の黒とエリスの白や、うたかたの記のすみれの花や折々出てくる美術作品など
ドイツ三部作はとても色彩鮮やかで読んでいて楽しい
鴎外がドイツで見た「何等の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは」がまだ新鮮な記憶のまま文章に落とし込まれている感じがする >>876
だからさ、君がそう思ってるその理由を書いて欲しいんだよ。
女性の自立は新しいと考えるのに、家名の再興も古くはないと考えてるみたいだから。
鴎外の作品を考えるうえで、鴎外の自身の価値感は無視できないと思うんだ。
君が自分が苦手な議論を避けるのはかまわないが、相手(僕)が話を逸らしてるとか決めつけるのは、まさに逃げているんだと思うけど? >>878
あなたと鴎外の価値観について議論したりこちらの考えを提示して意見を共有する事に対して特にメリットをや楽しみを感じないのでその質問対しての解答はしません
俺が勝った、論破してやったと悦に浸りたいなら勝手にどうぞ >>879
了解です。
あなたの、自分は狭い世界に閉じこもって自己満足に浸りたいという気持ちを尊重します。
ただ、それならそれで、こういう不特定な人たちを対象とした掲示板に書き込む必要はないとは思います。 >>877
豊太郎が黒 エリスが白って妊娠小説だっけ >>881
そうそれ
冒頭の石炭は太田の象徴でもありもう後戻りができない状態なのだと最初から結末を示唆しているなど
もともと高評価な本だけど色々新鮮で面白く読めた >>882
あの本は面白かった
もともと舞姫目当てで読んだわけじゃないが
舞姫の解説が1番記憶に残ってる >>862
自分が好きかどうかと、教科書に載せるのが適切かどうかは違うので答えるのが難しいが、
「舞姫」が気に入った学生には「即興詩人」を読んでもらいたい
背伸びをしたい学生であれば「妄想」
文系の大学生でも読んでないのはゴロゴロいるだろうが、
妄想の内容が腑に落ちると、文系学問についての考えが深まること請け合い 寒山拾得の話題があったけど、あれは童話だよね?
子供たちのために書いたんだろうか? >>885
私は丁度其時、何か一つ話を書いて貰ひたいと頼まれてゐたので、
子供にした話を、殆其儘書いた。いつもと違て、一冊の參考書をも
見ずに書いたのである。 >>886
ありがとう。
そこ(寒山拾得縁起?)も読んだはずだけど、すっかり忘れてた。 『寒山拾得』は童話というより説話に近いんじゃないかな
でも子どもにもはっとさせる何かはある気がする
鴎外作品で最も低年齢向けと言えるのは何だろう
やはり『山椒大夫』かな 岩波文庫から最近出た『鴎外随想』の中で、木下杢太郎によれば
鴎外が夏目漱石について「あの男はえらい人だ」と言ったとされている
これはいささか意外
同時代の文学者では相対的に漱石を評価したであろうとはいえ
「わたくしも技癢を感じたし、立派と認める」といった客観的な感想くらいかと思っていたので >>889
『?外追想』のことかな?
面白そうな本の紹介ありがとう 今度読んでみよう
ちなみに自分も鴎外の文学者漱石観については>>889と同じイメージを持っていた
木下の聞いた鴎外の言葉がいつのものか、
漱石の何について「えらい」と言ったか、によるかもね
木下は鴎外ファンだから、美化とは言わないまでも
鴎外がひとを悪くいっていた、みたいなことは書かないような気もする 『或日の森鴎外先生』木下杢太郎
…
この機会で森先生の夏目観の一端を附言しよう。「えらい」という言葉で森先生は夏目先生を評していられた。あの男はえらい人であると。自分も一度会いに行きたいと思うが、まだその機会を得ずに居るというようなことである。青楊会では両先生は既に相会して話されたことがあるだろうと思うが、特に夏目先生をその邸に尋ねたいと言うのであったろう。
…
初出 1930年4月『冬柏』
特に何がえらいとは言ってないな 『雁』を読んだけど、お玉ちゃん夢見すぎや(´・ω・`) 『雁』は岩波文庫の横山大観のカバー画がいいよね
鴎外から一作選べといわれたら、これだな えらいって
すごいとか立派なとか言う意味もあるんだっけ? 森鴎外宛て書簡400通発見 漱石や啄木、歴代首相も
ttps://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/202208/0015530324.shtml
今年で没後100年となる文豪、森鴎外に宛て、夏目漱石や石川啄木ら明治、大正期に活躍した著名人が送った書簡約400通が見つかったことが5日、分かった。島根県津和野町の森鴎外記念館によると、差出人は作家の永井荷風や歌人の与謝野晶子、元首相の山県有朋、西園寺公望ら多岐にわたり、「ここまで多くの数が見つかるのは珍しい。鴎外の交友関係の幅広さが分かる貴重な資料」としている。
約400点は鴎外の娘婿でフランス文学者だった故山田珠樹さんの遺族らの元に保管されていた。2020年に見つけた山田さんの遺族が記念館に連絡して預託。専門家が内容や背景の分析を進めている。 医者として体を清潔にしておこうという
考えとかなかったのかな。
潔癖症の有名人とか多かっただろうけども。
菌の発見とかで。 鴎外自身は潔癖とまではいかないけど綺麗好きだよ
整理整頓しておかないと気が済まない性質なのはヰタや於菟やアンヌの本にも書かれているし
結核患ってたから食器類は家族のものと一緒にしておかないとか徹底してた
細菌学を学んで浴槽の雑菌の多さに戦慄して以降風呂に入らなくなったのは有名だけど
浴槽に入らないだけでタライに貼ったお湯で身体を洗って清めることはしてたからね
石鹸も輸入物しか使わなかったそうだし
変なこだわりがあるんだよね 最初の文語体の4作。
舞姫はあらすじ知ってるから読めるけど、
他はちんぷんかんぷん フランスに留学とかした
有名人や金持ちはみんなフランス製品を使っていた
イメージ。
西園寺とかも。 鷗外は中学時代に愛読した作家
雁、ヰタ・セクスアリス、うたかたの記、etc・・・ 俺は鴎外は高校だったな
高校に通う電車の中で雁や阿部一族を読んでた思い出がある 「雁」読んだことなかったから、グレープの「無縁坂」って、長崎の歌かと思ってた
忍ぶ忍ばず無縁坂っていうのは不忍池にかかってたんだな
他に、「あなたに借りた鴎外も読み終えていないのに」っていう歌詞の歌も書いてるし、さだは漱石より鴎外派か >>916
さだは小学区卒業まで長崎暮らし。
母に手をひかれたのが東大近くの無縁坂なわけはない。
あくまでも、歌だからな。 中3で『雁』を読んだ自分は以来文学沼にのめり込むことになった
鷗外は罪な作家よのう 欠伸なしに「渋江抽斎」を読みこなせる人を私は尊敬する 文学部出では無い20代半ばのワナビなんだけど
昔から憧れていたのとオークションで格安だったので
旧字体だけど筑摩書房の森鴎外全集全巻買った
ワナビ活動は昼の間にして夜からは鴎外読もうと思う
活字はあんまり読んで来てない雑魚だが
ワナビ活動の一助になるし身に付けたい 森鴎外は旧字体と新字体どっちが良いんだ
三島由紀夫が分からない漢字や言葉はいちいち調べるのが小説を読むものの入場券って書いてたからいちいち調べてるんだが
旧字体は読めない字が多すぎて読むのに時間がかかって困ってる >>922
読めない旧字体を丁寧に調べてたら確かにリズムが悪くなるね
やや反則っぽいけれど青空文庫に新字体バージョンがあれば
読みづらいところだけカンニングしてしまうのはどうかな
初期の文語体の作品ではなく中期以降の口語体の作品から読むのも
多少は読み辛さがやわらぐ気がする
字体の新旧で良し悪しは変わらないと個人的には思うけど
旧字で読むのって何か良いよね 文豪の作品を読んでる感じがして
頑張って >>920
面白過ぎるじゃん
あくびなんてあり得ない 旧字体にこだわる理由は無いな。
字だけ古い雰囲気を求めても、街並みも思考もその時代とはまったく違ってきている。
読む側で歴史を遡るなら、旧字にこだわっても意味がない。
もともと、旧字とか新字とかいっても中国の言葉をそのまま伝えているものもあれば、関係のない意味になっているものもある。 久しぶりに『羽鳥千尋』を読んですごく感動した
鴎外は古びない
改めてそう思った >>927
たまたま持っていた文庫に載っていたから読んでみる 魚玄機、好きだなぁ。
鴎外の文章の凛とした男くさい美しさが心地よい。 『魚玄機』の男くささ 確かに感じるよね 漢籍さながらの文体の効果かな
そうすると
あの文体の男くささは自分を女性と思わず詩作に邁進した頃の魚玄機
終盤だけに現れる平易な口語交じりの文体は女に目覚めてしまった魚玄機を表現してるのかも
と思ったけど深読みしすぎかな >>931
源氏の様に連綿と感情の裏表も綴る文章も女性の心をよく表しますが、
侍、軍人の自負に由来するのか鴎外の抑制の効いた文体も多分に女性の赤裸々な姿を炙り出していますね。凛として毅然と男子の様に詩作の世界に住んでいた魚玄機が、恋をして女性特有の情欲に揺さぶられて身を滅ぼして行く過程が淡々と述べられて行く為、余計に切なく痛々しく美しいです。鴎外の口数の少ない簡潔で強い語りは阿部一族然り、人間の内面がかえって曝け出される面があります。
超然としていた魚玄機も1人の女性であった。
女性は生まれながらにして情念の生き物であり、恋愛の達人とは三島由紀夫の言葉。 フランソワ・トリュフォーも「隣の女」で女は恋愛のプロ、
男はアマチュアというセリフを入れていた 美輪明宏さんの慧眼の言葉。
神様は、
女は情念が強い為、力を弱くしたのです。
男は力が強いけど、情念が弱いのです。
昔から掛軸などで幽霊として描かれてサマになるのは情念の強い女性ですね。雨月物語の菊花の契りの様に、幽霊になって約束を果たす男なども出て来ますが、どこか女性的です。 >>911
『灰燼』久しぶりに読んだ いろいろ尖っていて鋭いね
鴎外的ニヒリズムとでもいうのかな
作品としてまとまるはずがない内容なのは仕方ないが見どころは多かった
のちの谷崎の登場を予見するような文壇評も面白かった 鴎外の「寒山拾得」はメディアと大衆の関係性としても普遍的だ。 それはちょっと牽強附会かな
自分の連想を発表する前に深く読まないと 実在したとされる寒山拾得。山奥の寺に住み着いた気狂いの乞食みたいな2人の僧。
俗世間から取り分け超越してる様に思われ畏怖されていたのですかね。
実際の所、どう読めば良いのか?難しいですね。
鴎外の小品、一見とんち話と言うか禅話みたいな。
発表当時も大半の人が理解出来なかったから鴎外が自分で解説してるのが人間味を感じて良いですね。それでも理解されなかったらしいですが。
大筋では「その世界や本質が分かっている訳では無いのに、世間が良い凄いと褒めそやすからと言って理解もしていないのに自分も鵜呑みにして、有り難がったり拝んだりするのは駄目ですよ」って事でしょうか?
解説の最後で、当時すでに文学の世界では尊敬を受けていた鴎外が子供に「それなのに誰もパパの所には拝みに来ないんだよ」と皮肉めいて言う。
色々な解釈が出来て面白いですね。 『寒山拾得』のテーマは作中の「道とか宗教とかいうものに対する態度」これが全てなんだけど
なぜかそこを避けて安易な想像を膨らませたがる人が多い気がする
盲目の尊敬を揶揄する寓話のようだがそんなに単純ではない
鴎外は何が良いとか良くないとか注意深く明言を避けている
寒山や拾得が真に尊敬に足る賢者かどうかも描いていない
ただ伝説では寒山拾得は本当にスゴイ人たちだったから
鴎外は敢えて二人の登場直後で話を切ってそこを曖昧にしている
鴎外が縁起で触れている宮崎虎之助はネット上では情報が少なく分かりにくいが
自分に都合の良い新興宗教をおこして信者に借金しまくり
特に女性信者には手をつけまくっていた希代の食わせ物
「声だけでかい怪しい奴」として有名だった
つまり尊敬を集めようとする者、そこに道を求めようとする者
その両方の危うさが鴎外の着目点だろう
拝むのも、拝まれるのもヤバいんだ、と
「パパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みに来ない」は実は皮肉ではなく
自分はまだ大丈夫、という意味でもあったのではないか
それを自分で言ってしまう野暮をさせられた、というのが縁起のオチだと思う 調べて見ても色んな読み方、解釈が出来て面白いですね。
盲目の尊敬、、日常のいろんな所にあるような気がします。
また鴎外の文章、寒山拾得での「水が来た」の使い方を三島由紀夫が激賞していましたね。 『安井夫人』片目の醜男学者との縁談を十人並みの姉は断り、
美人の妹は自ら手を挙げて嫁にいったのはなぜか
彼女は人生で何を望んだのか >>945
自由に想像できるテーマだね
佐代が仲平を選んだ理由→ インテリへの憧れ+早く家を出たかった
佐代が人生に望んだもの→ 誰に押し付けられたのでもない自分で選んだ人生を全うすること
とか思ったけどどうだろう
佐代の死後、安井は後妻を迎えてるんだよね 『カズイスチカ』開業医だった父と若い自分とを
鷗外が老いてから回想した小説
医は仁術を体現した父への敬慕しきりなるもののある温かい作品
ラストの生理的腫瘍が笑わせてくれる 『じいさんばあさん』
切ないけど良いわ。狷介で気性の荒い世渡り下手な男が、気骨のある真率な女といると仲睦まじく鞘に収まる。
時に慎ましやかであり、いじらしくさえ見える老齢の二人が寄り添う姿が夫婦のあり方を考えさせる小品。 >>948
鴎外はロマンチストだったんだなと思わせられるね
ある意味で映画『幸福の黄色いハンカチ』にも通じる
「遠く離れていても不器用な俺をずっと好きでいてほしい」という男の夢
鴎外はこの作品は読者サービスをある程度意識して書いたんじゃないかと思う
悲恋ばかりが文学じゃないぞと レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。