森鴎外
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>>877
豊太郎が黒 エリスが白って妊娠小説だっけ >>881
そうそれ
冒頭の石炭は太田の象徴でもありもう後戻りができない状態なのだと最初から結末を示唆しているなど
もともと高評価な本だけど色々新鮮で面白く読めた >>882
あの本は面白かった
もともと舞姫目当てで読んだわけじゃないが
舞姫の解説が1番記憶に残ってる >>862
自分が好きかどうかと、教科書に載せるのが適切かどうかは違うので答えるのが難しいが、
「舞姫」が気に入った学生には「即興詩人」を読んでもらいたい
背伸びをしたい学生であれば「妄想」
文系の大学生でも読んでないのはゴロゴロいるだろうが、
妄想の内容が腑に落ちると、文系学問についての考えが深まること請け合い 寒山拾得の話題があったけど、あれは童話だよね?
子供たちのために書いたんだろうか? >>885
私は丁度其時、何か一つ話を書いて貰ひたいと頼まれてゐたので、
子供にした話を、殆其儘書いた。いつもと違て、一冊の參考書をも
見ずに書いたのである。 >>886
ありがとう。
そこ(寒山拾得縁起?)も読んだはずだけど、すっかり忘れてた。 『寒山拾得』は童話というより説話に近いんじゃないかな
でも子どもにもはっとさせる何かはある気がする
鴎外作品で最も低年齢向けと言えるのは何だろう
やはり『山椒大夫』かな 岩波文庫から最近出た『鴎外随想』の中で、木下杢太郎によれば
鴎外が夏目漱石について「あの男はえらい人だ」と言ったとされている
これはいささか意外
同時代の文学者では相対的に漱石を評価したであろうとはいえ
「わたくしも技癢を感じたし、立派と認める」といった客観的な感想くらいかと思っていたので >>889
『?外追想』のことかな?
面白そうな本の紹介ありがとう 今度読んでみよう
ちなみに自分も鴎外の文学者漱石観については>>889と同じイメージを持っていた
木下の聞いた鴎外の言葉がいつのものか、
漱石の何について「えらい」と言ったか、によるかもね
木下は鴎外ファンだから、美化とは言わないまでも
鴎外がひとを悪くいっていた、みたいなことは書かないような気もする 『或日の森鴎外先生』木下杢太郎
…
この機会で森先生の夏目観の一端を附言しよう。「えらい」という言葉で森先生は夏目先生を評していられた。あの男はえらい人であると。自分も一度会いに行きたいと思うが、まだその機会を得ずに居るというようなことである。青楊会では両先生は既に相会して話されたことがあるだろうと思うが、特に夏目先生をその邸に尋ねたいと言うのであったろう。
…
初出 1930年4月『冬柏』
特に何がえらいとは言ってないな 『雁』を読んだけど、お玉ちゃん夢見すぎや(´・ω・`) 『雁』は岩波文庫の横山大観のカバー画がいいよね
鴎外から一作選べといわれたら、これだな えらいって
すごいとか立派なとか言う意味もあるんだっけ? 森鴎外宛て書簡400通発見 漱石や啄木、歴代首相も
ttps://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/202208/0015530324.shtml
今年で没後100年となる文豪、森鴎外に宛て、夏目漱石や石川啄木ら明治、大正期に活躍した著名人が送った書簡約400通が見つかったことが5日、分かった。島根県津和野町の森鴎外記念館によると、差出人は作家の永井荷風や歌人の与謝野晶子、元首相の山県有朋、西園寺公望ら多岐にわたり、「ここまで多くの数が見つかるのは珍しい。鴎外の交友関係の幅広さが分かる貴重な資料」としている。
約400点は鴎外の娘婿でフランス文学者だった故山田珠樹さんの遺族らの元に保管されていた。2020年に見つけた山田さんの遺族が記念館に連絡して預託。専門家が内容や背景の分析を進めている。 医者として体を清潔にしておこうという
考えとかなかったのかな。
潔癖症の有名人とか多かっただろうけども。
菌の発見とかで。 鴎外自身は潔癖とまではいかないけど綺麗好きだよ
整理整頓しておかないと気が済まない性質なのはヰタや於菟やアンヌの本にも書かれているし
結核患ってたから食器類は家族のものと一緒にしておかないとか徹底してた
細菌学を学んで浴槽の雑菌の多さに戦慄して以降風呂に入らなくなったのは有名だけど
浴槽に入らないだけでタライに貼ったお湯で身体を洗って清めることはしてたからね
石鹸も輸入物しか使わなかったそうだし
変なこだわりがあるんだよね 最初の文語体の4作。
舞姫はあらすじ知ってるから読めるけど、
他はちんぷんかんぷん フランスに留学とかした
有名人や金持ちはみんなフランス製品を使っていた
イメージ。
西園寺とかも。 鷗外は中学時代に愛読した作家
雁、ヰタ・セクスアリス、うたかたの記、etc・・・ 俺は鴎外は高校だったな
高校に通う電車の中で雁や阿部一族を読んでた思い出がある 「雁」読んだことなかったから、グレープの「無縁坂」って、長崎の歌かと思ってた
忍ぶ忍ばず無縁坂っていうのは不忍池にかかってたんだな
他に、「あなたに借りた鴎外も読み終えていないのに」っていう歌詞の歌も書いてるし、さだは漱石より鴎外派か >>916
さだは小学区卒業まで長崎暮らし。
母に手をひかれたのが東大近くの無縁坂なわけはない。
あくまでも、歌だからな。 中3で『雁』を読んだ自分は以来文学沼にのめり込むことになった
鷗外は罪な作家よのう 欠伸なしに「渋江抽斎」を読みこなせる人を私は尊敬する 文学部出では無い20代半ばのワナビなんだけど
昔から憧れていたのとオークションで格安だったので
旧字体だけど筑摩書房の森鴎外全集全巻買った
ワナビ活動は昼の間にして夜からは鴎外読もうと思う
活字はあんまり読んで来てない雑魚だが
ワナビ活動の一助になるし身に付けたい 森鴎外は旧字体と新字体どっちが良いんだ
三島由紀夫が分からない漢字や言葉はいちいち調べるのが小説を読むものの入場券って書いてたからいちいち調べてるんだが
旧字体は読めない字が多すぎて読むのに時間がかかって困ってる >>922
読めない旧字体を丁寧に調べてたら確かにリズムが悪くなるね
やや反則っぽいけれど青空文庫に新字体バージョンがあれば
読みづらいところだけカンニングしてしまうのはどうかな
初期の文語体の作品ではなく中期以降の口語体の作品から読むのも
多少は読み辛さがやわらぐ気がする
字体の新旧で良し悪しは変わらないと個人的には思うけど
旧字で読むのって何か良いよね 文豪の作品を読んでる感じがして
頑張って >>920
面白過ぎるじゃん
あくびなんてあり得ない 旧字体にこだわる理由は無いな。
字だけ古い雰囲気を求めても、街並みも思考もその時代とはまったく違ってきている。
読む側で歴史を遡るなら、旧字にこだわっても意味がない。
もともと、旧字とか新字とかいっても中国の言葉をそのまま伝えているものもあれば、関係のない意味になっているものもある。 久しぶりに『羽鳥千尋』を読んですごく感動した
鴎外は古びない
改めてそう思った >>927
たまたま持っていた文庫に載っていたから読んでみる 魚玄機、好きだなぁ。
鴎外の文章の凛とした男くさい美しさが心地よい。 『魚玄機』の男くささ 確かに感じるよね 漢籍さながらの文体の効果かな
そうすると
あの文体の男くささは自分を女性と思わず詩作に邁進した頃の魚玄機
終盤だけに現れる平易な口語交じりの文体は女に目覚めてしまった魚玄機を表現してるのかも
と思ったけど深読みしすぎかな >>931
源氏の様に連綿と感情の裏表も綴る文章も女性の心をよく表しますが、
侍、軍人の自負に由来するのか鴎外の抑制の効いた文体も多分に女性の赤裸々な姿を炙り出していますね。凛として毅然と男子の様に詩作の世界に住んでいた魚玄機が、恋をして女性特有の情欲に揺さぶられて身を滅ぼして行く過程が淡々と述べられて行く為、余計に切なく痛々しく美しいです。鴎外の口数の少ない簡潔で強い語りは阿部一族然り、人間の内面がかえって曝け出される面があります。
超然としていた魚玄機も1人の女性であった。
女性は生まれながらにして情念の生き物であり、恋愛の達人とは三島由紀夫の言葉。 フランソワ・トリュフォーも「隣の女」で女は恋愛のプロ、
男はアマチュアというセリフを入れていた 美輪明宏さんの慧眼の言葉。
神様は、
女は情念が強い為、力を弱くしたのです。
男は力が強いけど、情念が弱いのです。
昔から掛軸などで幽霊として描かれてサマになるのは情念の強い女性ですね。雨月物語の菊花の契りの様に、幽霊になって約束を果たす男なども出て来ますが、どこか女性的です。 >>911
『灰燼』久しぶりに読んだ いろいろ尖っていて鋭いね
鴎外的ニヒリズムとでもいうのかな
作品としてまとまるはずがない内容なのは仕方ないが見どころは多かった
のちの谷崎の登場を予見するような文壇評も面白かった 鴎外の「寒山拾得」はメディアと大衆の関係性としても普遍的だ。 それはちょっと牽強附会かな
自分の連想を発表する前に深く読まないと 実在したとされる寒山拾得。山奥の寺に住み着いた気狂いの乞食みたいな2人の僧。
俗世間から取り分け超越してる様に思われ畏怖されていたのですかね。
実際の所、どう読めば良いのか?難しいですね。
鴎外の小品、一見とんち話と言うか禅話みたいな。
発表当時も大半の人が理解出来なかったから鴎外が自分で解説してるのが人間味を感じて良いですね。それでも理解されなかったらしいですが。
大筋では「その世界や本質が分かっている訳では無いのに、世間が良い凄いと褒めそやすからと言って理解もしていないのに自分も鵜呑みにして、有り難がったり拝んだりするのは駄目ですよ」って事でしょうか?
解説の最後で、当時すでに文学の世界では尊敬を受けていた鴎外が子供に「それなのに誰もパパの所には拝みに来ないんだよ」と皮肉めいて言う。
色々な解釈が出来て面白いですね。 『寒山拾得』のテーマは作中の「道とか宗教とかいうものに対する態度」これが全てなんだけど
なぜかそこを避けて安易な想像を膨らませたがる人が多い気がする
盲目の尊敬を揶揄する寓話のようだがそんなに単純ではない
鴎外は何が良いとか良くないとか注意深く明言を避けている
寒山や拾得が真に尊敬に足る賢者かどうかも描いていない
ただ伝説では寒山拾得は本当にスゴイ人たちだったから
鴎外は敢えて二人の登場直後で話を切ってそこを曖昧にしている
鴎外が縁起で触れている宮崎虎之助はネット上では情報が少なく分かりにくいが
自分に都合の良い新興宗教をおこして信者に借金しまくり
特に女性信者には手をつけまくっていた希代の食わせ物
「声だけでかい怪しい奴」として有名だった
つまり尊敬を集めようとする者、そこに道を求めようとする者
その両方の危うさが鴎外の着目点だろう
拝むのも、拝まれるのもヤバいんだ、と
「パパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みに来ない」は実は皮肉ではなく
自分はまだ大丈夫、という意味でもあったのではないか
それを自分で言ってしまう野暮をさせられた、というのが縁起のオチだと思う 調べて見ても色んな読み方、解釈が出来て面白いですね。
盲目の尊敬、、日常のいろんな所にあるような気がします。
また鴎外の文章、寒山拾得での「水が来た」の使い方を三島由紀夫が激賞していましたね。 『安井夫人』片目の醜男学者との縁談を十人並みの姉は断り、
美人の妹は自ら手を挙げて嫁にいったのはなぜか
彼女は人生で何を望んだのか >>945
自由に想像できるテーマだね
佐代が仲平を選んだ理由→ インテリへの憧れ+早く家を出たかった
佐代が人生に望んだもの→ 誰に押し付けられたのでもない自分で選んだ人生を全うすること
とか思ったけどどうだろう
佐代の死後、安井は後妻を迎えてるんだよね 『カズイスチカ』開業医だった父と若い自分とを
鷗外が老いてから回想した小説
医は仁術を体現した父への敬慕しきりなるもののある温かい作品
ラストの生理的腫瘍が笑わせてくれる 『じいさんばあさん』
切ないけど良いわ。狷介で気性の荒い世渡り下手な男が、気骨のある真率な女といると仲睦まじく鞘に収まる。
時に慎ましやかであり、いじらしくさえ見える老齢の二人が寄り添う姿が夫婦のあり方を考えさせる小品。 >>948
鴎外はロマンチストだったんだなと思わせられるね
ある意味で映画『幸福の黄色いハンカチ』にも通じる
「遠く離れていても不器用な俺をずっと好きでいてほしい」という男の夢
鴎外はこの作品は読者サービスをある程度意識して書いたんじゃないかと思う
悲恋ばかりが文学じゃないぞと 鴎外や三島の様に、知識や教養、日本文化の髄を腹一杯溜め込んで、文学をやる粋な人間が出て来て欲しいもんだ。 >>943
確かに、「寒山拾得」のテーマは「道や宗教に対する態度」に尽きると言えますね。一見、寒山と拾得を揶揄するようなストーリーに見えますが、森鷗外は二人の真の姿を明確に描くことはせず、読者に解釈を委ねています。
私もこの作品を初めて読んだ時は、寒山と拾得の奇行に戸惑いを感じました。しかし、評論を読み解くことで、彼らの行動の裏にある深い洞察に気づくことができました。
特に印象的なのが、宮崎虎之助という人物の存在です。彼は新興宗教の教祖として多くの信者を騙し、金銭を搾取する悪人として描かれています。しかし、その一方で、彼は寒山と拾得を尊敬し、彼らの言葉に耳を傾けています。
この矛盾が、「尊敬される側」と「道を求める側」の両方の危うさを象徴しているように感じます。虎之助は、寒山と拾得を尊敬することで、自分の罪悪感から目を背けようとしています。一方、寒山と拾得は、虎之助の尊敬を受け入れることで、自らの悟りを正当化しようとしています。
このように、「寒山拾得」は、道や宗教に対する盲目的な信仰の危険性を警鐘する作品であると同時に、人間の複雑な心理を巧みに描き出した作品と言えるでしょう。 >>953
コメントには、「寒山拾得」のテーマが「道や宗教に対する態度」であるという鋭い指摘があり、深く共感しました。森鷗外が寒山と拾得の真の姿を明確に描かず、読者に解釈を委ねる手法は、作品に奥深さを与え、読者を考えさせる力を持っています。
特に印象に残ったのは、宮崎虎之助という人物の存在です。彼は悪人でありながら、寒山と拾得を尊敬しているという矛盾は、人間の複雑さを象徴しているように感じました。
この作品は、道や宗教に対する盲目的な信仰の危険性を警鐘するだけでなく、人間の弱さや葛藤も巧みに描き出していると思います。 >>953
人によって書かれたテキストである可能性が高いです >>610qI4HS
まだAIの使い方が下手だな
他のスレでも内容のないレスばかりつけてるがここのが一番ひどい
作品を読んでいないのが丸わかり
これで良いと思って書き込んだのが「人間」なのは間違いない >>958
AIの馬鹿っぷり、ダメっぷりをコツコツと精を出して教えてくれているんだよ。 AIって画像なんかも同じで、一見綺麗で傷がなく理想的な美人像なんだけど
どこか現実味がない個性のない退屈な感じになるんだよなあ >>960
「間違わない」とか「ミスをしない」とか「最適解を常に選ぶ」とか、人間が何かを作る時に出来る瑕疵や気まぐれ、揺らぎの様なモノが無いから、無機質で味気ないモノが出来る。
常に最適解を選び続けるコンピューターと違って、時に間違え、時に精神状態、コンディション、戦況で心が揺らぐ人間が将棋をやるから面白い。
作家の文章一つ見ても各々に癖や流儀があるから面白い。 >>959
AIを使う人間のそれもね
他のスレ(日本文学、探偵小説等)だと引っかかってレスをつけちゃう人がいるから
味をしめたんだろう >>962
AIをいじくり回して悦に入る先にあるのは、虚しい末路だろう。
時に下らない、誰も得しない、利益にもならない意味不明な事を突拍子も無くやる人間が面白いのだ。 >>956
寒山拾得のテーマが「道や宗教に対する態度」であるという指摘に深く共感しました。森鷗外が寒山と拾得の真の姿を明確に描かず、読者に解釈を委ねる手法は、作品に奥深さを与え、読者を考えさせる力を持っていると思います。 寒山と拾得の間に豊干という人物が入って、画家・上野若元の「豊干寒山拾得図」が成立するが、彼らのエピソードは
中国が唐代に入っても、道教と仏教の関係を分別できなかった証拠なんだよ。
実際に中国では今日のアフガニスタンに相当する地域のparthia人によって最初の仏典の中国語訳を果たしてるが、
それは既に2世紀にもなった頃だった。
虎に乗る豊干の姿は玄奘そのものであり、寒山拾得の話はサンスクリット仏典の中国語訳の事情を語ってるに過ぎない。
翻訳文化であるからこそ、鴎外の小説は正面性を失い、座談的にならざるを得なかった。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。