宮澤賢治
あらあら どうして この方のスレが ないのだろう 山猫は さっそく スレ立てに従事しました 春と修羅読んでたらなんか引きずり込まれそうになって怖くなったわ すいません、童話は好きですが詩は読んでもまったく意味が分かりません
さっぱり分かりません、百点満点のテストで名前しか書けなかったみたいにお手上げです 春と修羅?
詩は頭で読むんじゃない、心で読むんだよ() 頭で考えて答えのわかってしまう詩なんていうのは何の魅力もないだろう
髪ん毛 風吹けば
鹿踊だぢやい
どうだ、この清々しさ!潔さ!
詩とはそういうものだ 法華経の知識を仕入れないと詩を読み解けないらしいよ 君がそう思わないならそれはそれでいいと思うよ
強制じゃないし、答えなどはないからさ 宮澤賢治を深く読みたいなら法華経を学ぶ価値はあると思う
というか必須 で、言い張るだけで、肝心の論理付けとかはしないんだ?なるほどw 詩に法華経のそれがちょこちょこと織り交ぜてあるから、まあそう思い込んじゃうのもわかるよ まあでも法華経も読んでおくと、宮沢賢治の作品の稚拙な部分が至る所に垣間見れるから、そういった意味では参考になるかもな それより、宮沢は国柱会のことをどう思ってたんだろうな 宮澤賢治は法華経を中心に世界各地の宗教を取り入れて独自の宗教観を作り上げていった人間だから
ある程度の宗教的知識は持っていた方がいい
こんなん宮澤賢治を読む上での基本事項やがな
聖書の内容を知らんのにスタインベックのエデンの東を読むようなもんやで
もちろんそれでも楽しめるけどな そんなに張りきって豪語しないでもわかってるよ 笑
宮沢賢治という人間を知ることでは重要な要素だけど、春と修羅などの作品を読む上においては混みいった知識はさほど重要ではないと言ってるわけ
もちろん知識があったほうが、より伝わることなどは当たり前だが >>195
その前に、詩と法華経の論理付けはよ?w ほんならそもそも修羅ってなんのことかわかる?
調べてみ? 賢治を研究するならそれは当然だが
ただ作品を楽しもうと思って買ったら法華教の基礎知識は必須ですとか非道いなあ
だって春と修羅って生前も刊行したんだろ
だったら法華教基礎知識も一緒につけとけよ
取説ないのに家電売るようなもんだろ 調べてみ、だとさw
修羅、読んで字の如くだろwあほw ほら、修羅が仏教・法華経と関係あることすら答えられんやないか 修羅を知らないやつがそもそもいるのだろうか
そういうとこからもこいつの程度が知れるよなw もうこれで十分やろ
タイトルからして法華経を知らんと意味がわからへんのやからな
でもこれだけは言っとくで
作品や作家に肉薄したいなら面倒な手順を踏まなあかんねん
こんな文学研究の基本も知らず「論理づけは?」とかアホなことをぬかして自意識を守る輩に答える口はもってへんわ >>199
そもそも宗教色を帯びた作家の作品は知識を持っていないと楽しむことすらできない場合があるからね。
もちろんそのまま読んでもいいんだけど意味がわからないでしょ? うん、まったく意味わかんない
俳句はまあなんとなく意味分かったよ
冬のスケッチもまあ、味わえたったら味わえた。だた春と修羅は駄目だわ、逸脱がすぎる
『蠕 蟲 舞 手』 (θ γ η δ α ことにもアラベスクの飾り文字)
とか言われて、あんたら「なるほどそう来たか!」とか思ってるの?
ただ
『報告』 さっき火事だとさわぎましたのは虹でごさいました
もう一時間もつづいてりんと張っております
これは非常によかった。これだけで独自の人だとよく分かる >>204
言い訳がましいやっちゃなw
できないならできないと認める勇気を持てよw アラベスクはたしかに意味わからんな
なんの脈絡もなく唐突にアラベスク出されても読むほうとしては困るわな
他にも宮沢の身内などの周囲のことや育った環境などを知らないと理解できない表現などが多々ある
そういうのは公に出す作品としてはダメだわな
読者に甘えすぎてると思う 構成力の欠如だな
本を読んで得た知識などをごく気まぐれに流用して、そこに自分なりの何かの意味合いを附属させてる感じ
作家としては致命的な過ち
まあ宮沢自身は自分が作家という意識はあまり持っていなかったようだからあえて責めることはしないけど 構成力の欠如ww
こいつは古井由吉や朝吹真理子の作品を読んでも全く同じことをいいそうだな
意識の流れとか知らないのか 意識の流れをただ単に垂れ流すだけじゃ作品としては到底成り立ち得ないんだよ低能ちゃんw
当時の文壇にまったく相手にされなかったのも残念ながら頷けるよ
宮沢は文壇に不満を持ってたみたいだけど、ちょっと無理があるw どれどれ、先ずは序から読んでみよう
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ) 日記としては興味深いけど、作品としては評価するには値しない なるほど。そういう意見があってもいいが、
わしは
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
とかいわれるとぐっとくるがの。
第二連
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです そもそも宮澤賢治は職業作家ではなかったし、
生前に発表した作品がたった二作品しかなかったんだから文壇に評価されないのは当たり前だろ。
当時はまだまだ自然主義一辺倒だしな。
なかには高く評価した人もいたようだがね。
中原中也や富永太郎に影響を与えたのはゆうめいなはなしだ。
そもそも詩の評価っていまだに微妙なところがあるぞ。
マチネ・ポエティクみたいな日本語を殺したような取り組みもあったし。
それで構成力云々とかバカとしかいえないわ。 まあまあ、熱心なのはよくわかったから、あんまりバカだなんだいいなさんな
で、第三連
これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから) >>214
この人の詩には、光が何度も出て来るよね
読みながらメモったのだけで
光芒・寂光・燐光・蛍光・微光・灰光・蛋白光・和煦・薄明・阿片光
とか、とにかく光がいっぱい 万人が評価する作家など存在しないからそういう意見があってもいいが、「単に本から取ってきた知識を気まぐれに流用」というのは不勉強もいいところ。
宮沢賢治はどちらかといえば理系の仕事についていた人だからああいう語彙に慣れていた。
その語彙を新鮮だと思ったのが没後にはじめて評価しはじめた詩人たちだ。
そして、上記の論争が不毛なのは宮沢賢治自身が春と修羅を詩とは考えていなかった点について無視していることだ。
だから〈心象スケッチ〉という言葉を用いているのに。 ああなるほど。光ね。
第四連
けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
(あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません 二作品だけしかなかったから評価されないなんてことは言い訳にもならない
芥川なんか「老年」→「羅生門」→「鼻」の短編三作だけで一気に文壇に上がったよ 純文と童話作家(と考えられていた人)を一緒くたに論じるのかな? >>218
論点ズレてるし支離滅裂すぎて話にならん 「宮沢賢治自身が春と修羅を詩とは考えていなかった点」
これはおもしろいのー。詩とは何か、作者とは、読者とは・・・考えさせてくれるの。
最終五連
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます 「心象スッチケ」の文字を銅で消したんだろ
ビブリオ古書堂で読んだぞ
>>220
運はあるだろ
羅生門を書いた当時もだーれも褒めてくれなくて
たまたま夏目漱石の目に入って、チャンスが巡ってきた
漱石が読まなきゃ、下手したら作家にすらなってなかったかもしれない 心象スケッチはあくまで副題なんだけどな
春と修羅は詩として紹介されてたわけだし ちなみに宮沢は「心象スケッチももはや古くさい手法」と述べている。
短歌や詩が絶滅しかけているいまの状況を考えると非常に興味深い言葉だ。 >>224
アンタ文学の評価のいい加減さを知らなすぎるよ
エミリーブロンテやメルヴィルみたいに、生前はくそみそで
死んでから大文豪になった例なんていくらでもあるだろ
結局文学的評価なんて、数十年単位での多数決でしかつけられない
賢治は生前は駄目でも死後にこれだけ評価されてるんだから偉大だ あんたらはいろいろ詳しいのー
わしは第四連の「論料」
こんな言葉を読むだけで楽しくなってしまうほど単純なんじゃが いま手元にある『新編 宮沢賢治詩集』のあとがきには宮沢の言葉として
「詩といふことはわたくしもしらないわけではありませんでしたが厳密に事実のとほりに記録したものをなんだかいままでのつぎはぎしたものと混ぜられたのは不満でした」(p.438)
とある。 それにあえて詩の枠から外さなくともいいはずだ
詩でもなんでもないならいちいち発売などせずに自己満足に留めて抽斗にでも保管しとけばいいんだよ 人様から金を取るということはそういうことだ
会社に入れば規則に従うのが当たり前だろう? 新しい形式の詩(みたいなもの)を否定しはじめたぞ
>>234にとってはもはや文学に新しい潮流は必要ないのだろう 作品にも何にもなっていないもの、つまり日記なんかを売ったって評価されようはずがない
マラソン大会で「おれはこっちの道がいいから」と言ってコースを外れれば記録は認められない
そういうことだよ 詩人ペソアの「不安の書」とか、まさにその日記だけど
世界傑作文学100に入ってるよ
読んでおもしろけりゃいいんじゃね >>236
(みたいなもの)は卑怯なだけ
ただの逃げ口上 いま評価されているのだからそれでいいじゃないか
それに当時だって「中原中也や富永太郎が『春と修羅』に注目してノートしたり論じ合」ったり、「当時新鋭詩人だった伊藤整が後に自伝的小説で賢治にふれている」らしい。
歴史に残る名だたる大詩人たちが『春と修羅』を評価しているわけだが、
それでも君は「当時の文壇」という屈折した近視眼で宮沢賢治を評価しようとするのか。 というか現在、宮沢賢治が評価されてるのは「銀河鉄道の夜」やいくつかの童話などの影響だろ
春と修羅なんかほとんど知られていないのが現実 それは君だけの現実
春と修羅は教科書に載っております >>241
いちいち言い分けがましいやっちゃなw
そもそもそのおまえが挙げたいくつかの詩人を大詩人などとは思わないんだわ
おまえのは言い訳のための言い訳にしかなってないんだよ
キリがないから以降スルー ポルトガルの大詩人ペソアも生前は不遇だったな
トランクから草稿が大量に発見されたあたりは宮沢賢治と同じだ >>245
結局、「自分(が評価するもの)以外はみんなゴミ」としかいってないじゃんあんた >>245
持ち込みを受けた賢治の原稿を突っ返したのって鈴木三重吉だよな
アンタの中では 三重吉>中原 伊藤 なのか? スレがすげぇのびてると思ったらアンチが屁理屈をつけて暴れていたのか
最後のぐうの音もでない一発でちょっとワロタwww
三重吉>中原、伊藤はないわwwww あ、でも鈴木三重吉を好きな人もいるかもしれんな。失礼した。 で、どこがどう優れてる?
まさか、「誰誰が評価してるから」ってだけ?
優れてると思うなら自分で説得してみたらどうなんだ?
「ぐっとくる」とか「おもしろい」とか、まるで小学生以下の感想しか述べてないようだけどw それとも科学用語や仏教用語なんかをふんだんに取り入れてるからか?w
単純だな、ほんとw 絵に書いたような最後っ屁だなあ
あなたも「当時の文壇」という権威を借りて難癖をつけてきているわけだが、
権威を借りるにしても「当時の文壇(鈴木)」と「中原、富永、伊藤」では説得力に明白な差があるだろうに。 おいおいまたまた言い訳で逃げるのか?w
どこがどう優れてるか、自分で説明できないのか?w 誰がどういう評価をしてるかなんてのはどうでもいいんだよ
おまえは人の評価がないと何も判断できない低能なのか?w
おまえに聞いてるんだよ、おまえにな
春と修羅の、どこが、どのように、優れてるんだ?
できるだけ論理的かつ詳細に頼むな >>251みたいな名も無ければ文学理論の用語ひとつ出てこない人の評価より歴史に残る大詩人の評価を重視するのは当たり前だわ
あんたどんだけ自分の頭を高く見積もっているんだよ
あなたは議論以前にいるんだよ おいおいw
どこまで言い訳を並べたてりゃ気が済むんだよこの低能はww
おまえに、聞いてるんだよ
おまえが、答えればいいだけなんだけど? 低能とか単芝アンチはスルーが鉄則
書き込みを読めば程度がわかるでしょ そりゃ、敗北宣言か?w
何一つ読めてないWikipedia脳が図に乗るからそうなるんだよw
以降、身の程をわきまえろな 寝て起きたが、あんたらには賢治の詩はわからんわ。
人を罵倒するのはあんまりいコトじゃないと、わしはおもう。
そんだけじゃ。 >>251は必死に自意識を守っているだけだからな
ある意味哀れだよ おまえはわかってるつもりなのかww
罵倒しないから、是非とも春と修羅を語ってみてくれないか?w 余計なお世話じゃが、どうしてそう人をやり込めたがるのかの?
なんでもっと仲良くしようと思わんのじゃろ。
賢治の詩を、みんなで一緒に、楽しく読めたらそれでよかないか?
そういうのはわしのようなバカがそう思うだけで、
あんたらみたいな利口な人たちはわしのような者の考え及ばん高尚なことを、
思索しとるんかな。
わしにはわからん・・・ 法華経は読解に必要ないとかただ語彙を借りてきているだけとか日記は出版するなとか文壇(本当は詩なら詩壇という)では評価されていなかったとか不勉強丸出しのレスをつけたあげく
論破されたらじゃあおまえらはどこが優れていると思っているんだ?答えなきゃお前の負けな?と全く議論に関係のない別な基準を持ってきて勝ち負けを決めたいとか小学生かよ。
まずは勝ち負けという不毛な基準を捨てろ。てめえの薄汚れたちっぽけな自尊心や自意識なんてこっちはどうでもいいんだよ。 言い訳から生まれてきたようなやつだなwおいw
単純にさ
春と修羅がどう優れてるかを聞いてるだけなんだけどなぁw
関係ない話を持ち込んで逃げてるのは誰なんだろうなぁw
一目瞭然だよなぁw 俺は言葉自体が揺らめき煌めくような語彙と東北の暗く白い冬の情景が信仰の光と現実との狭間で揺れ動く筆者の心を象徴的に描写していてすごく好きだわ >>262
ああそうか、そうじゃな、序をコピペしたから、そのはなしでいいか?
まず、言葉の多層性じゃな。
日本はどうも理系文系の別がはなはだしいのだが、
賢治の詩は、言葉がそういうことを無化しとる。
自分の言葉に、まず、そういう別はなく、
彼が生きている現実のなかの言葉を、
あれ、ちょっと文学文系人とは違う言葉を生き生きと、自分を表現するタームとして、
使って、心を表出している。
まず、この、表現手段としての、言葉が、わしはあっとおもうた。
氷窒素
賢治以前で、たれかつこうたかね、この言葉。 これ以上追い込んでみても特に何も出なそうだなw
なるほど、ねw これ以上やっても272のセンスのなさと卑しい心が書き込みから明らかになるだけだもんねぇ あんたら、悲しいなあ。
勉強もよう出来るのやろ、あんたら。
なんでそう喧嘩したがるのかの。
文学たらなったら、勉強、競争みたようになるのかの。
かなしいのう。
かなしいのう。 春と修羅で優れている点はやはり語彙だろうね
宮沢賢治はアニメや映像芸術方面にも影響を与えているけど
これほどまでに他者の想像力を刺激する語彙を使う詩人はいないのではないか
あとはやはり賢治自身の信仰による慟哭と揺れ動く文体
読者の心も揺さぶるよね うん、まあそういった科学用語を織り交ぜた表現方法の新鮮さみたいなのは確かにある
全体を見た場合、どうだろう もちろん科学用語のみならず造語やオノマトペも想像力をかきたてるね。 文体というか、こういう
外見での遊び心は
自分は失敗じゃ
ないかと思う
あまりに
幼稚だ ばかになにいっても無駄だのう。
なにが「どうだろう」だ?
ばかは一生なにもわからんのだろうの。
やっぱ2ちゃんはだめだわなw