万人が評価する作家など存在しないからそういう意見があってもいいが、「単に本から取ってきた知識を気まぐれに流用」というのは不勉強もいいところ。
宮沢賢治はどちらかといえば理系の仕事についていた人だからああいう語彙に慣れていた。
その語彙を新鮮だと思ったのが没後にはじめて評価しはじめた詩人たちだ。
そして、上記の論争が不毛なのは宮沢賢治自身が春と修羅を詩とは考えていなかった点について無視していることだ。
だから〈心象スケッチ〉という言葉を用いているのに。