【ライ麦】サリンジャー総合【グラース】
>>521
ホールデンは世の中の欺瞞が嫌で、その欺瞞ってのは「恋愛で幸せ」とかも含まれてるわけだ
世界のことより、ただ自分が愛する人が生きていて欲しい、自分と愛する人がいれば大丈夫
こういう考えを、ホールデンはどう思うだろうね 主人公の行動は完全にホールデンに対するアンチテーゼだからなぁ 村上訳では参ったねがやれやれになってるのかよw
ちょっと子供が使う言葉じゃないな 思春期に読めば味方が変わるとか多くの人が言ってるけど、今16歳で、ホールデンと同じ年齢だけど全く分からなかった
同じように落ちこぼれでテストは赤点ばっかなのになんでだろうな
ただ分からないなりに、なんかムカつく奴だなとか可哀想な奴だとかそんなことは思った
こんな輪郭のない分かりにくい本なのに、普段本を読まないような人からも愛されてるってのがよく分からない
もし10代の頃にこの本を読んだ人がいたら、どんなことを感じたのか教えて欲しい
自分も何かは感じたけど、言葉にできるようなものじゃなかったし、価値観が大きく変わるとかそんなこともない気がする アマゾンのレビューでも若い時に読んでいれば〜とか主張してる人が多いけど
こういう人たちは自分が理解できないから、何とか理由付けして落とし前を付けようと適当に考えただけだと思う
だからあまり気にするな >世界のことより、ただ自分が愛する人が生きていて欲しい、自分と愛する人がいれば大丈夫
だからお前は皮相な見方しか出来ないと言われてるんだよ・・ >>526
大人にムカついたり大人の言う事をきく同級生にムカついたりしないのか? >>526
なんかうまく言えないけど、大人が信用できない
なんかうまく言えないけど、そんな大人になりたくない
なんかうまく言えないけど、世の中はほとんど嘘っぱちだと思う
なんかうまく言えないけど、社会の仕組みが汚く感じる
なんかうまく言えないけど、そんな社会に反抗するのも言いなりになるのも違う気がする
なんかうまく言えないけど、それでも素敵なもの、綺麗なままのものはあると信じたい
こんな感じの感情を思春期には抱きがちで、そんな思春期に抱きがちな感情を持つ主人公に触れることで共感したり、既に思春期を過ぎた人が読むことで、思春期の気持ちを思い出して胸が苦しくなったりするのが、ライ麦畑 サリンジャーは病んでると思う。世界が腐食していく感覚というか。 世界恐慌から大戦突入期に青年時代を過ごした若者たちの話だよ
いまこそ読まれるべきだと思うけど
大戦後の好景気に沸いたサリンジャーの時代ではすでにそういう危機意識は希薄で
作中人物であるシーモア・グラースの自殺の原因でもある
人間は愚かで衝動的で、どんなに悲惨な目に遭っても
目先の快楽に耽ってすぐに忘却する
簡単に言うと朝三暮四の奸計に歓喜する猿とそれほど変わらない
猿に囲まれた人間は苦しむだろうね The Last and Best of the Peter Pansが読みたいのだが、発表はまだ?
2020年までには出るとの情報あったのに。 「おまえ、ほんまにこの話聞きたいんか。けどなあ、どこで生まれたんやとか、子供の頃どんな風やったんやとか、生まれる前に親はどんなことしとったんやとか、そういうしょうもないこと話すのいややで。」
(『ライ麦畑』の関西語訳)
村上朝日堂 もう2020年なんだが、未発表作の発売はまだ時間かかるのか? 去年の記事では出版準備に入ったけど、量がかなり多くて出版までには何年も時間がかかる、確かそんな話だった コロナ禍の今こそサリンジャーの未発表作を出してほしい 隠遁してから書いてた奴も全部バディーが書いた体でできてんのかな
ハプワースから更にあの方向に進んでたとしたら最早誰にも理解できない代物が出来上がってそう
そして理解できなくてもいいからいつか読みたい ライ麦畑でつかまえて読んだ
中学の頃以来だわ小説読んだの
良かった 未だにライ麦畑を超える小説に出会えないんだが
これは思い出補正なのか?
もし超えるとしてもフラニーとズーイくらいしか思いつかない時点で俺は信者なんだろうな 末期の意味ワカラン作品までうんちく垂れるようになったら信者 コロナがなかったら何かしらの続報はあったろうになあ 発表しなくなってからも大工よ〜みたいな生き生きした物語は多分書いてないんだろうな
遺稿が全部シーモア序章とかハプワースの流れを汲む作品だったら読むのきついかも エッセイ的な性格のものも混じってるんじゃないかと期待
これ以外にも未刊行の書簡とかけっこうあると聞くし 後年の作品まで含めて好きだ
面白いかどうかはともかく作者が苦闘してる感じがいいんだ 大工・シーモアを柴田さんあたり新訳してくれないかな
この2編は未だに新潮文庫の古い訳しかないのが残念
あとは荒地出版社から出てた全集も…って流石に無理か
そもそも日本ではなんで全集なんか出せたんだろうか
この前もハプワース出たし、本国以外では意外とその辺緩いのかな >>545
ライ麦だけ読んだけど好きになれなかった
典型的な「『お前たちは心が汚い』と言ってる当人も心が汚い」タイプに見えた >>551
今と違って著作権が緩かった時代というのが
やっぱり大きいかと
欧米ならともかく日本までチェックする人が少なかったのだろう
調べたらハプワース、ニューヨーカーのサイトで
会員登録したら読めるっぽい?
https://www.newyorker.com/magazine/1965/06/19/hapworth-16-1924 荒地出版社は早いうちからサリンジャーと契約結んでたから出し続けられたんじゃなかったかな
今でもマケプレとかで安く買えるからいいじゃないの
表紙のデザインがイマイチだが 笑い男の文章面白すぎるな
しかも文章が面白い理由も書き手が幼いころに団長からユーモアを教わったからという理由があるのが
二重に説得性があって良い 久々ゾーイ―を読み返したらゾーイ―とフラニーの会話のあたり全然面白くねえな >>560
こんなん全文読めってのかよ…
でも確かに上手にまとめてそうだね 読んだら楽しいんだろうがそこまでの熱意はないなあ
そう言えばテディを中心にサリンジャーと東洋思想について書かれた論文がネットに転がってて、それは面白かった ライ麦良かったからナインストーリーズも読んだけどあまり面白くなかった…
次はフラニーとゾーイーか
面白いのかな
ちなみに何年も小説は読んで来なかった フラニーとゾーイーが一番好み
小説家なんてああいう小説一編書けりゃもういいんじゃなかろか ズーイはサリンジャーの趣味嗜好と大衆的な面白さが共存した実質最後の作品だからなあ
単行本の発売年から勘違いしてしまいがちだけど、大工よ〜はズーイの前の作品だし
出版準備中ってかれこれ何年も言われてる遺稿たちは全部ハプワース以降に書かれたものなのかなあ 途中で作家人生を中断して死まで新作を書くことのなかったサリンジャーの未完の人生を象徴していまつ。w サリンジャーってあれだけ詩に傾倒してたんだから、自分で詩を書いたりはしなかったのかな
著作中では、シーモアの書いた詩はミュリエルの意向で紹介できないことになってたが コールフィールド家…
フィービーはユーモアのある強い女性になってほしい サリンジャーの遺稿発表はまだなのか?
死から10年以上経ってる訳だが ゾーイーのエゴを分割にして趣味にしてしまった云々が理解できない どういうこと? どこかに到達したい、何か立派なことをしたい、興味深い人間になりたい―そんな考えにどうしようもなく嫌悪感を覚えるフラニー
彼女はこれらをエゴと呼び、お金や名声でないにしろ叡智や平穏を求める自分もやはりエゴを持つ利己的な人間なんだとやさぐれていた
兄・ズーイは何がエゴで何がそうでないかは誰にも分からない(最終的に決めるのは神様)と指摘する
重ねてエゴを十把一絡げにするな、世のいやらしさの半分程度は「本物のエゴ」を用いられず生じるものだとも話す
エミリー・ディキンソンの詩作の衝動にもエゴを認め、物的な貪欲さと知的な貪欲さに違いはない、それらを持つ人間は僕ら俗人と同じと言う彼は、そもそもエゴを(少なくとも「本物のエゴ」を)それほど嫌なものだとは思っていないようだ
そして彼は彼の友人のエゴはもうバラバラになり、趣味に変わってしまったと話す
このエゴはズーイの言う「本物のエゴ」で、いやらしいが巨大な欲の結果(例えば会社を興し億万長者になる)にもなれば、詩にもなる、そういう衝動を指していると自分は考える
そして、そんな衝動は友人の中ではもうバラバラになり、ちんまりとした電動工作などで満たされるようなものに成り果ててしまった
というのが自分の解釈です(村上春樹訳参考なので引用語句が一致しないと思われます。ご容赦ください) >>574
文章上手いな!
エゴと言うと表面的に表れる、その場のみせかけのようなものと捉えてたけど
もっと広い意味で欲望とか欲求と理解した方が近いんだな サリンジャー自身が本物のエゴを貫けていたなら、別に作品を発表し続けていても良かったのではないかと思うけどね
エゴとは関係なく周囲の雑音が煩かったというだけかもしれないが >>575
ありがとう
グラース家いいよね もっと読みたかった 映画は中盤ぐらいまでかったるくて見るのを辞めようとかと思ったが、後半は良くなっていった ケネス・スラウェンスキーの伝記よりも良い本ってある?あったら読みたいんだが 「エスキモーとの戦争前夜」好きだなあ
ジニーはフランクリンが少し気に入ったみたいだけど何がよかったんだろ
確かにちょっとかわいいけども サリンジャーの遺稿発表はいつになるんだよ
マット・サリンジャー氏は大分のんびり屋さんと見える 謎解きサリンジャー
超つまんなかった・・・
末期サリンジャーの思想が全く面白くないのを再確認した >>581
コロナもあるし仕方ないよ
めっちゃたくさんあるらしいから校訂にも当然時間がかかるのもある 言うて息子さんもいい歳だからな
あんまりのんびりしてるとお蔵入りもあり得なくはないかもしれない シーモア序章とハプワース16はまじで読書体力いるな
メモしながらじゃないと最後まで読み切れなかった ハプワースってサリンジャー生前最後の発表作というだけで注目しなきゃいけない感じがあるけど、これまで散々聖人化されたシーモアのまだ幼少の未熟な頃を見せることに、どんな意図があったんだろうな
My Salinger Yearによればサリンジャーは晩年にハプワースの単行本化を進めようとしたみたいだし、本人としてはお気に入りなのかもしれないけど 未熟かなあ…
ウルトラ天才児として書かれてるような… 天才だからと言って"大人"になったり社会に容易に適応できたりする訳ではないという >>589
知能的には確かに天才なんだけど、普通に他人の悪口とか言いまくるあたりは成人後の聖人君子的な扱いを受けてるシーモアと比較すると、かなり幼稚に見えるんだよね
子供だからと言えばそれまでなんだけど、敢えてそれを読者に披露する意味がよく分からない 超個人的な話をすると、自分はハプワースを読んで「この作品の意味ってなんだろう」「つまり作者は何が言いたいんだ?」って考えたことがない
なぜならこれを読んでいる間、とても幸せで、楽しい気分になれるから
これが書かれた理由なんて、(これ一つでないかもしれないが最大の原動力は)作者自身も楽しくてワクワクしたからだろなとしか思えない
楽しい理由はただ一点、グラース家が好きだから
『あのシーモアが、レスとベシーに向けて書いた手紙!しかも小さい頃のなんて!お宝じゃん!ああ、小さい頃のシーモアてこんなだったんだ、いいなあ!』こんなもん
「ワイズ・チャイルド」のファンみたいなもんなんだね、まさしく
グラース家が出てくる他の作品には一応ストーリーや仕掛けがあって、それだけで面白い(式に来なかった新郎側唯一の親族として新婦の親族に対応する、妹が落ち込んでる理由を解いていく、最終盤にいきなり拳銃が出てくるサスペンス)けど、ハプワースにはまるでそれがない
だから、他は楽しめたのにこれは無理って人がいたらその理由もたぶん分かる
これはグラース家の出てくる話ではなく、グラース家を(批評、文学的にではなく人間的に)好きでないと楽しめない作品になってる
Wikipediaには「サリンジャーは自分が関心のあることだけにとらわれて、それが外の世界に伝わる形にならなくなってしまっている」て評が紹介されてるけどまさにそう、ストーリーてフックを使わないと外の世界は作品に歩み寄ってきてくれない
ただ、たまたま何かうまくいって伝わった場合はすごい喜びを与えてくれる
それを外の世界に伝わるように言えばたぶん「家族団欒の喜び」が一番近いと思う
この作品が持つ意味に何かそれっぽい名前をつけるとしたらそれは「逃避」だろうし、全くそれで結構だと思う
こんな喜び、他ではなかなか得られないのだから >>592
あなたのように心のこもった感想を書く人がまだいるのを見ると、
文学板もまだ捨てたもんじゃないなと思う。 ひたすら気持ち悪い
無理やり好きな物作ろうと思って理由付けしただけだろ 冒頭でシーモアが家族愛を炸裂してる感じはいいよね
グラスファミリーが好きな読者相手のキャラクター小説と思えば悪くはない
それにシーモアの読みたい本リストはおそらくサリンジャー自身の評価・興味関心に直結してるんだろうから、サリンジャーという人物に興味ある読者にとっても発見は多いと思う
もし万一グラスファミリー自体知らないみたいな人が手に取ってしまったら、ブチ切れてもおかしくはない ナインストーリーズ「小舟のほとりで」のユダ公とユダコのくだり本当に鳥肌立つな。
kikeとkiteを日本語にそう訳すの野崎さん本当に異次元の訳者だよな。 そのラストで名作確定するけど、読み返すとブーブーが使用人の腐りかけた気をほぐしてくとこなんかも見事だよな
サブカル気取りのアホは非人間的に描かれたシーモアの方を好きになるらしいがw 小舟のほとりでよかったな。子どもの時母と二人でだるまさんがころんだしてたら急に悲しい気持ちになって泣き出したこと思い出した。 文学のリテラシーが全くない状態で初めて読んだのがナインストーリーズだったけど、バナナフィッシュは衝撃だったな
エレベーターでキレてる理由や自殺した理由の考察を見るうちにどんどん引き込まれていったのを覚えてる グラース家の子たちって繊細過ぎて傍からだと言動に脈絡がないように見えるね
ホテル・ニューハンプシャーって映画を思い出した マット・サリンジャー氏はいつになったら遺稿を世に出してくれるんだ?
世界中のファンが待ってるんだが 巨乳漫画の公告は性犯罪助長とか言い出したらライ麦畑でつかまえてもやべーな >>602
グラース家とアーヴィングの描く家族は全然違うだろ。グラース家は言っちゃえば非定型発達者の一家で、アーヴィングの描く家族は露骨に精神分析学的なモデルじゃないか。 またいつのまにか新刊が!
新潮モダン・クラシックス
彼女の思い出/逆さまの森
今なお話題のサリンジャーの煌めく才能。これが最後の「9つの物語(ナイン・ストーリーズ)」!
若い頃の留学先のウィーンを終戦後に再訪した男が行方を探す美少女、謎の女とともに行方不明になった天才詩人、
少年が見てしまった悲劇の黒人ジャズ歌手。グラース家の物語の無垢、そして『ライ麦畑でつかまえて』の異議申し立て……
サリンジャーが後年描いたエッセンスを湛えながら本国では出版されることのない幻の短篇集!
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784105910082 「ちくしょう」彼は言った、「まったく、このよにはいいものがたくさんある」 ライ麦やナイン、フラズイを読んでハマったアメリカの人はそのあとどうしてんのかな
昔の雑誌とかたぶん高いだろうに…「彼女の思い出」とかは図書館で読んでるのかね サリンジャーは永遠の青春小説ポジだったのに誰かさんに翻訳されてから冷えた感があるわ
なんかもう読んでる奴いなくね 村上訳いいと思うけどな
俺は35年前に読んでるのでジジイだけどw 村上春樹ってサリンジャーとかカポーティやチャンドラーという定番ばっかり訳すのがちょっとな
屋上屋を架すイメージが強い
どうせならデリーロやマッカーシーの未訳本を訳せばいいのに こいつをバロウズ検索で引き合いに出してところがamazonでありました。何が良いのかわからん。 >>616
雑感なんだが、村上が若い頃にカポーティやフィッツジェラルドを称賛して、サリンジャーはつまらないって言ってたのって、村上のテーマである社会対個人ってのが、高度消費社会が壁側の社会であって、そこに迎合出来ない個人が卵なので、サリンジャーって設定や舞台装置からしてそこは全然そぐわなかったからだったのでは。 >>621
身も蓋もない話、江藤淳の影響下にある村上がグレートギャツビーやらティファニーで朝食をやらさらば愛しき女よを称賛するのは、それらが失恋小説に託つけた高度消費社会批判モノだからで、要約すると、個人のピュアな恋愛感情みたいなものが消費社会の新しい価値観に敗北者しちゃう、みたいな話である。
なるほど、当時の村上の趣味を鑑みるとこの時点では確かにサリンジャーはつまらないものに見える。
ギャツビーがあの手この手で元カノを取り戻そうとしてる一方、ホールデンって1人でウロウロしながら頭の中でどうでもいいようなこと考えながら、発作的に誰かに電話するだけだから。