【ライ麦】サリンジャー総合【グラース】
コールフィールド家…
フィービーはユーモアのある強い女性になってほしい サリンジャーの遺稿発表はまだなのか?
死から10年以上経ってる訳だが ゾーイーのエゴを分割にして趣味にしてしまった云々が理解できない どういうこと? どこかに到達したい、何か立派なことをしたい、興味深い人間になりたい―そんな考えにどうしようもなく嫌悪感を覚えるフラニー
彼女はこれらをエゴと呼び、お金や名声でないにしろ叡智や平穏を求める自分もやはりエゴを持つ利己的な人間なんだとやさぐれていた
兄・ズーイは何がエゴで何がそうでないかは誰にも分からない(最終的に決めるのは神様)と指摘する
重ねてエゴを十把一絡げにするな、世のいやらしさの半分程度は「本物のエゴ」を用いられず生じるものだとも話す
エミリー・ディキンソンの詩作の衝動にもエゴを認め、物的な貪欲さと知的な貪欲さに違いはない、それらを持つ人間は僕ら俗人と同じと言う彼は、そもそもエゴを(少なくとも「本物のエゴ」を)それほど嫌なものだとは思っていないようだ
そして彼は彼の友人のエゴはもうバラバラになり、趣味に変わってしまったと話す
このエゴはズーイの言う「本物のエゴ」で、いやらしいが巨大な欲の結果(例えば会社を興し億万長者になる)にもなれば、詩にもなる、そういう衝動を指していると自分は考える
そして、そんな衝動は友人の中ではもうバラバラになり、ちんまりとした電動工作などで満たされるようなものに成り果ててしまった
というのが自分の解釈です(村上春樹訳参考なので引用語句が一致しないと思われます。ご容赦ください) >>574
文章上手いな!
エゴと言うと表面的に表れる、その場のみせかけのようなものと捉えてたけど
もっと広い意味で欲望とか欲求と理解した方が近いんだな サリンジャー自身が本物のエゴを貫けていたなら、別に作品を発表し続けていても良かったのではないかと思うけどね
エゴとは関係なく周囲の雑音が煩かったというだけかもしれないが >>575
ありがとう
グラース家いいよね もっと読みたかった 映画は中盤ぐらいまでかったるくて見るのを辞めようとかと思ったが、後半は良くなっていった ケネス・スラウェンスキーの伝記よりも良い本ってある?あったら読みたいんだが 「エスキモーとの戦争前夜」好きだなあ
ジニーはフランクリンが少し気に入ったみたいだけど何がよかったんだろ
確かにちょっとかわいいけども サリンジャーの遺稿発表はいつになるんだよ
マット・サリンジャー氏は大分のんびり屋さんと見える 謎解きサリンジャー
超つまんなかった・・・
末期サリンジャーの思想が全く面白くないのを再確認した >>581
コロナもあるし仕方ないよ
めっちゃたくさんあるらしいから校訂にも当然時間がかかるのもある 言うて息子さんもいい歳だからな
あんまりのんびりしてるとお蔵入りもあり得なくはないかもしれない シーモア序章とハプワース16はまじで読書体力いるな
メモしながらじゃないと最後まで読み切れなかった ハプワースってサリンジャー生前最後の発表作というだけで注目しなきゃいけない感じがあるけど、これまで散々聖人化されたシーモアのまだ幼少の未熟な頃を見せることに、どんな意図があったんだろうな
My Salinger Yearによればサリンジャーは晩年にハプワースの単行本化を進めようとしたみたいだし、本人としてはお気に入りなのかもしれないけど 未熟かなあ…
ウルトラ天才児として書かれてるような… 天才だからと言って"大人"になったり社会に容易に適応できたりする訳ではないという >>589
知能的には確かに天才なんだけど、普通に他人の悪口とか言いまくるあたりは成人後の聖人君子的な扱いを受けてるシーモアと比較すると、かなり幼稚に見えるんだよね
子供だからと言えばそれまでなんだけど、敢えてそれを読者に披露する意味がよく分からない 超個人的な話をすると、自分はハプワースを読んで「この作品の意味ってなんだろう」「つまり作者は何が言いたいんだ?」って考えたことがない
なぜならこれを読んでいる間、とても幸せで、楽しい気分になれるから
これが書かれた理由なんて、(これ一つでないかもしれないが最大の原動力は)作者自身も楽しくてワクワクしたからだろなとしか思えない
楽しい理由はただ一点、グラース家が好きだから
『あのシーモアが、レスとベシーに向けて書いた手紙!しかも小さい頃のなんて!お宝じゃん!ああ、小さい頃のシーモアてこんなだったんだ、いいなあ!』こんなもん
「ワイズ・チャイルド」のファンみたいなもんなんだね、まさしく
グラース家が出てくる他の作品には一応ストーリーや仕掛けがあって、それだけで面白い(式に来なかった新郎側唯一の親族として新婦の親族に対応する、妹が落ち込んでる理由を解いていく、最終盤にいきなり拳銃が出てくるサスペンス)けど、ハプワースにはまるでそれがない
だから、他は楽しめたのにこれは無理って人がいたらその理由もたぶん分かる
これはグラース家の出てくる話ではなく、グラース家を(批評、文学的にではなく人間的に)好きでないと楽しめない作品になってる
Wikipediaには「サリンジャーは自分が関心のあることだけにとらわれて、それが外の世界に伝わる形にならなくなってしまっている」て評が紹介されてるけどまさにそう、ストーリーてフックを使わないと外の世界は作品に歩み寄ってきてくれない
ただ、たまたま何かうまくいって伝わった場合はすごい喜びを与えてくれる
それを外の世界に伝わるように言えばたぶん「家族団欒の喜び」が一番近いと思う
この作品が持つ意味に何かそれっぽい名前をつけるとしたらそれは「逃避」だろうし、全くそれで結構だと思う
こんな喜び、他ではなかなか得られないのだから >>592
あなたのように心のこもった感想を書く人がまだいるのを見ると、
文学板もまだ捨てたもんじゃないなと思う。 ひたすら気持ち悪い
無理やり好きな物作ろうと思って理由付けしただけだろ 冒頭でシーモアが家族愛を炸裂してる感じはいいよね
グラスファミリーが好きな読者相手のキャラクター小説と思えば悪くはない
それにシーモアの読みたい本リストはおそらくサリンジャー自身の評価・興味関心に直結してるんだろうから、サリンジャーという人物に興味ある読者にとっても発見は多いと思う
もし万一グラスファミリー自体知らないみたいな人が手に取ってしまったら、ブチ切れてもおかしくはない ナインストーリーズ「小舟のほとりで」のユダ公とユダコのくだり本当に鳥肌立つな。
kikeとkiteを日本語にそう訳すの野崎さん本当に異次元の訳者だよな。 そのラストで名作確定するけど、読み返すとブーブーが使用人の腐りかけた気をほぐしてくとこなんかも見事だよな
サブカル気取りのアホは非人間的に描かれたシーモアの方を好きになるらしいがw 小舟のほとりでよかったな。子どもの時母と二人でだるまさんがころんだしてたら急に悲しい気持ちになって泣き出したこと思い出した。 文学のリテラシーが全くない状態で初めて読んだのがナインストーリーズだったけど、バナナフィッシュは衝撃だったな
エレベーターでキレてる理由や自殺した理由の考察を見るうちにどんどん引き込まれていったのを覚えてる グラース家の子たちって繊細過ぎて傍からだと言動に脈絡がないように見えるね
ホテル・ニューハンプシャーって映画を思い出した マット・サリンジャー氏はいつになったら遺稿を世に出してくれるんだ?
世界中のファンが待ってるんだが 巨乳漫画の公告は性犯罪助長とか言い出したらライ麦畑でつかまえてもやべーな >>602
グラース家とアーヴィングの描く家族は全然違うだろ。グラース家は言っちゃえば非定型発達者の一家で、アーヴィングの描く家族は露骨に精神分析学的なモデルじゃないか。 またいつのまにか新刊が!
新潮モダン・クラシックス
彼女の思い出/逆さまの森
今なお話題のサリンジャーの煌めく才能。これが最後の「9つの物語(ナイン・ストーリーズ)」!
若い頃の留学先のウィーンを終戦後に再訪した男が行方を探す美少女、謎の女とともに行方不明になった天才詩人、
少年が見てしまった悲劇の黒人ジャズ歌手。グラース家の物語の無垢、そして『ライ麦畑でつかまえて』の異議申し立て……
サリンジャーが後年描いたエッセンスを湛えながら本国では出版されることのない幻の短篇集!
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784105910082 「ちくしょう」彼は言った、「まったく、このよにはいいものがたくさんある」 ライ麦やナイン、フラズイを読んでハマったアメリカの人はそのあとどうしてんのかな
昔の雑誌とかたぶん高いだろうに…「彼女の思い出」とかは図書館で読んでるのかね サリンジャーは永遠の青春小説ポジだったのに誰かさんに翻訳されてから冷えた感があるわ
なんかもう読んでる奴いなくね 村上訳いいと思うけどな
俺は35年前に読んでるのでジジイだけどw 村上春樹ってサリンジャーとかカポーティやチャンドラーという定番ばっかり訳すのがちょっとな
屋上屋を架すイメージが強い
どうせならデリーロやマッカーシーの未訳本を訳せばいいのに こいつをバロウズ検索で引き合いに出してところがamazonでありました。何が良いのかわからん。 >>616
雑感なんだが、村上が若い頃にカポーティやフィッツジェラルドを称賛して、サリンジャーはつまらないって言ってたのって、村上のテーマである社会対個人ってのが、高度消費社会が壁側の社会であって、そこに迎合出来ない個人が卵なので、サリンジャーって設定や舞台装置からしてそこは全然そぐわなかったからだったのでは。 >>621
身も蓋もない話、江藤淳の影響下にある村上がグレートギャツビーやらティファニーで朝食をやらさらば愛しき女よを称賛するのは、それらが失恋小説に託つけた高度消費社会批判モノだからで、要約すると、個人のピュアな恋愛感情みたいなものが消費社会の新しい価値観に敗北者しちゃう、みたいな話である。
なるほど、当時の村上の趣味を鑑みるとこの時点では確かにサリンジャーはつまらないものに見える。
ギャツビーがあの手この手で元カノを取り戻そうとしてる一方、ホールデンって1人でウロウロしながら頭の中でどうでもいいようなこと考えながら、発作的に誰かに電話するだけだから。 >>622
ただ思い返してみるだに、じゃあゼロ年代初頭になんで村上が突然、サリンジャーを翻訳し始めたのかって、これは加藤典洋が指摘した、村上の「隠喩から換喩へ」のタイミングと同期していて、具体的にいうと、村上は二人称に制約される語らいから一人称に脱皮したかのような文体にスライドしたのである。
ちょっと面倒な話なんだが死ぬほど大事な話なので頑張って説明しようと思う。当然、結論にはなぜ村上がサリンジャーをある時期から再評価したのかを説明したい。 >>623
先ず有名な話だが、村上は江藤淳からの強い影響下にある作家である。
江藤の成熟と喪失の内容には触れないが、少なくとも初期の村上のモチーフには敗戦国としての日本に固有の家庭のモデルが採用されていたことは証左に事欠かないだろう。
短編の「飛行機」に源典を持つ、「色彩を持たない〜 」は最も解りやすい例で、これらは優れた「日本の」フェミニズム文学なのだけど、そのような評価が以外と少なくて驚く。
言うまでもないけど、資本主義と社会主義ってどっちも一長一短で、資本主義とは個人の能力や実績を最大限に評価し、その個人に収益を還元するみたいな例のアレで、一方社会主義とは富をとにかく再配分して国家を運営したいってやつで、ネガティブな側面としては公的な給与は地下勢力によって中抜きされがちだからダメなんだよね(あれ?…まぁいいや)。
村上春樹は団塊世代に早稲田の学生だったのでなので、当然学生運動の影響はある。デカンショの圧力もあっただろうけど、でもこの環境で一旦村上青年は同級生が見向きもしないフィッツジェラルドやカポーティに流れていく。
なぜか。
どうも、当時の村上青年は恋をしていたらしい。
恋してるときはしょうがないよね。 >>624
恋をしている文才のある青年は「パン屋襲撃」みたいな、ただ面白いだけの本を書いていたら、95年、オウムを経験する。 >>625
村上がこのときを契機に人称を変えたのは、「物語」の管理を改めたからである。
なんでそんなことする必要があったのか? >>626
「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」のあと、村上はなぜかサリンジャーを翻訳しはじめる。
「物語が人を狂わせる」ってテーゼがお昼のワイドショーを賑わせていた時代になぜ村上はサリンジャーを召喚したのか。 >>625
敢えて省略しているけど、社会運動の最中で、虚偽は定かではないが村上春樹は恋愛のほうが大事だった、と言っているのである。 >>628
社会の激動よりも個人の恋愛感情の方が重い。って価値観は、普通にそのまんまグレードギャッビーやティファニーで朝食をと共通する。
ついでに言うと、包容家族が説明する日本の敗戦史のフェミニズムの一側面から連なる消費者の精神史観ですらある。
繰り返す。
なぜ村上春樹はサリンジャーを翻訳したのか? >>629
禅の思想とポストモダニズムが直結するタイミングを村上春樹は多分冷静に見ている。
サリンジャーの作品の特性って、雰囲気で読者を飲み込んじゃうみたいなニューウェーブ的なロマンチシズムもあるんだけど、それとは別に純粋なドラッグ的な効用もあるんだよね。 >>630
なんにせよ村上春樹はサリンジャーを再解釈するに前後して、ポスト構造主義的なポスト構造主義者に転向したんだけど、下世話な話、この村上の転向っての恋愛至上主義で感情で拗らせてた人がアトミズムに転向するくらいの急カーブである。 よく分からんけど遺稿の発表はよ
早くしないとファン達もくたばっちまうぞ ジャズ・アンビエントから、少しずつ宇宙的な顏を隠しきれなくなっていきます。
なかなかオモシロくないですか?
//youtu.be/f0og1UrDFy0 どうも大嫌いだなあサリンジャーは。親父がサンドイッチなんたらを頼んで無いのに買ってきて読んだが。 NHK総合
NHK 総合 03/21 23:00 完全なる問題作 キャッチャー・イン・ザ・ライ
2024年3月21日
丹沢こりす
ダグラス・ブラッドリー(ベトナム戦争帰還兵):
《帰還してサリンジャーを読み直したとき
そこに書かれたトラウマに気づいた
それは思春期の悩み以上のものだ
主人公のホールデンが妹を
守ろうとする気持ちにそれを感じる
彼は妹の純粋さを守ろうとするんだ
マシュー・サリンジャー(サリンジャーの息子):
《ホールデンとフィービーの関係は
言葉にするのが難しい
でも最終的には妹への愛が彼を
癒やしているんじゃないかな
彼はきっと大丈夫だと思わせてくれる
ケネス・スラウェンスキー(サリンジャー研究者):
《居場所を探してもがくホールデンの物語は
普遍的で時代を超えると思う
でも「キャッチャー」には物語の筋以上に
特別な何かがある
それは指し示すことが不可能なものだ
2024年3月24日 『エズメに 愛と穢れをこめて』がすごい
ノルマンディー上陸作戦に参戦し、ドイツの強制収容所に、
地獄を見て病んだサリンジャー自身の体験をもとに、
創作した美少女との交流で癒やされていく主人公を描く作者の魂よ