超個人的な話をすると、自分はハプワースを読んで「この作品の意味ってなんだろう」「つまり作者は何が言いたいんだ?」って考えたことがない
なぜならこれを読んでいる間、とても幸せで、楽しい気分になれるから
これが書かれた理由なんて、(これ一つでないかもしれないが最大の原動力は)作者自身も楽しくてワクワクしたからだろなとしか思えない
楽しい理由はただ一点、グラース家が好きだから
『あのシーモアが、レスとベシーに向けて書いた手紙!しかも小さい頃のなんて!お宝じゃん!ああ、小さい頃のシーモアてこんなだったんだ、いいなあ!』こんなもん
「ワイズ・チャイルド」のファンみたいなもんなんだね、まさしく

グラース家が出てくる他の作品には一応ストーリーや仕掛けがあって、それだけで面白い(式に来なかった新郎側唯一の親族として新婦の親族に対応する、妹が落ち込んでる理由を解いていく、最終盤にいきなり拳銃が出てくるサスペンス)けど、ハプワースにはまるでそれがない
だから、他は楽しめたのにこれは無理って人がいたらその理由もたぶん分かる
これはグラース家の出てくる話ではなく、グラース家を(批評、文学的にではなく人間的に)好きでないと楽しめない作品になってる

Wikipediaには「サリンジャーは自分が関心のあることだけにとらわれて、それが外の世界に伝わる形にならなくなってしまっている」て評が紹介されてるけどまさにそう、ストーリーてフックを使わないと外の世界は作品に歩み寄ってきてくれない
ただ、たまたま何かうまくいって伝わった場合はすごい喜びを与えてくれる
それを外の世界に伝わるように言えばたぶん「家族団欒の喜び」が一番近いと思う

この作品が持つ意味に何かそれっぽい名前をつけるとしたらそれは「逃避」だろうし、全くそれで結構だと思う
こんな喜び、他ではなかなか得られないのだから