>>622
ただ思い返してみるだに、じゃあゼロ年代初頭になんで村上が突然、サリンジャーを翻訳し始めたのかって、これは加藤典洋が指摘した、村上の「隠喩から換喩へ」のタイミングと同期していて、具体的にいうと、村上は二人称に制約される語らいから一人称に脱皮したかのような文体にスライドしたのである。

ちょっと面倒な話なんだが死ぬほど大事な話なので頑張って説明しようと思う。当然、結論にはなぜ村上がサリンジャーをある時期から再評価したのかを説明したい。