坂口安吾 part6
>>203
鈴木創士がらもさんの話をよくしてるじゃないですか。 安吾ってやつぁ、必死になって、それこそ血眼になって
生きろ、と言ってるんだなぁ。
よくよく考えてみりゃあ、がむしゃらに生きろ、としか安吾
は語ってないんだね。
だーから、安吾を読むと元気になるんだね。
教祖の文学で、見るのは地獄じゃなく花だ、みたいな
内容があったけど、あれには救われた。 >>208
そうでしたか、、
小林秀雄と坂口安吾とでは根本的に異なるスタイル
みたいなものがあれば教えてください! 根本的に異なるって事はないと思います。基本的に通じ合ってるならこそ反発する事もあったという話だと思います。僕の印象ですが。 とりあえず講談社文芸文庫の「小林秀雄対話集」の冒頭の安吾との対談「伝統と反逆」をお勧めします。二人ともメチャかっこいいですよ。 >>212
対談集!
おもしろそうですね。読んでみます。 その対談だけを読むなら立ち読みでもOKですが、その対談集はとてもいい本なので買って損はないっすよ。 >>214
Amazonで注文しました
町田康作の人間小唄で、坂口安吾が小林秀雄に泣きついた、
というような箇所が出てきて非常に興味を持ったんですよね
いきなりで悪いんだけど「桜の森の満開の下」って買える?
アマゾン見てもなかったんだが。 今日8時から何かやるんでしょ。家帰って風呂入って用事済ませなきゃ。 家に帰って用事も済んだし、「教祖の文学」の再読も終わった。午前中に一回「伝統と反逆」を読み返した。
でも特に俺の認識を変容させるような発見はなかったな。
今からiPhone持って風呂に入りながら「伝統と反逆」を読もうと思う。
果たして彼は来るのかね?俺の認識を変容させてくれるのかね?期待age だからiPhone持って今風呂の中だよ。いつでもかかってきたらんかですじゃーい! 変なやつ。。
まーいいや。
とりあえず争点を確認しよう。
鈴木は、安吾の小林に対する<骨董趣味>批判は、「骨董(モノ)じゃなく人(文学)に向き合え」
という意味だと言った。
それに対し俺は、「文学を骨董化するな」という意味だと言った。また、骨董(モノ)ではなく人(文学)
に向き合っていたとしても、<骨董趣味>は存在すると言った。
ここまでいいか? >>236
骨董化された文学って事で言えばさ、メリメに関する安吾の見解は覚えてる?
小林が文学を骨董化するって意味がわからないけど、どういう事?小林の批評が骨董的価値を持つという事? モノじゃなく人に向き合えってのはさ、死んだ人じゃなく生きた人に向き合えとも解釈出来るよな。どこが違ってる? まず<骨董趣味>という言葉が「伝統と反逆」に出てくるのは、一か所だけだ。
引用してみる。
坂口 僕が小林さんの骨董趣味に対して怒ったのは、それなんだ。
講談社文芸文庫の『小林秀雄 対話集』でいえば該当頁は9ページの一行目。
だから、この<骨董趣味>という言葉が何を指すか?というテーマに限定して議論したいと思う。
ここまでおっけい? >>239
他にも「骨董品」や「骨董的」などいくつも出てきて、そこから「骨董」という言葉の意味を総合的に判断すべきだと思うんだけど、違うかな? まず結論から言う。
今の俺は、<骨董趣味>批判は、鈴木の言う「モノじゃなく人に向き合え」という意味ではない
ということを証明できる。
それと同時に、自説である
「骨董(モノ)ではなく人(文学) に向き合っていたとしても、<骨董趣味>は存在する」ことを証明することができる。
しかし、もう一つの自説である
安吾の<骨董趣味>批判は、「文学を骨董化するなという意味である」ことは証明できない。
これは近からず遠からずだが、証明することはできない。議論するうえで、証明できるかもしれないが。
鈴木の意見が間違っていること、俺の二つの説のうち、一つの説が正しいことだけを証明したいと思う。
これでいい? 「骨董」というのは「鑑賞の世界で、美を創り出す世界じゃない」というのが安吾と小林の共通見解だと思う。
そして、安吾の意見が最も直接的に現れるのがP31の「あんたは批評家として文学を生かした男だからね(中略)何か作りなさいよ」だと思う。 >>240
それは却下したい
なぜなら<骨董趣味>は何か?というテーマで意見が分かれたんだから。
そして「伝統と反逆」では<骨董趣味>という言葉は先の一箇所にしか登場しない。
この文脈で考えるのが妥当
てか、鈴木も<骨董趣味>で言ったら俺の解釈が正しいということが言いたい?
てか、鈴木の読みが具体的に間違っている箇所があるからこれから言うよ。 >>241
どうぞ。いちいち了解とらなくていいから続けなよ。
まず俺は「骨董(モノ)ではなく人(文学) に向き合っていたとしても、<骨董趣味>は存在する」という意見に反対なわけではない。
だから「モノじゃなく人に向き合え」という言葉と上の意見がどう違うかを証明して欲しい。もっと詳しく語ろうか?俺の意見を。 >>243
なんで?君は確か「安吾は何を言いたかったんだと思う?」って訊き方をしたよな。だったら総合的に「骨董」という言葉に安吾がどういう思いを込めているか探るべきだろう。 >>246
そういう訊き方はしていない
534 :吾輩は名無しである:2011/09/27(火) 20:25:03.89
ところで安吾厨の鈴木とムー大陸に聞きたいんだけど
安吾が小林秀雄と対談したとき、安吾が小林に向かって、小林の骨董趣味を批判した
じゃん。これってどういう意味?
俺はこの骨董趣味に対する批判は、織田作が「美術工芸品」とかいって心境小説を
叩いたのと同じ意味合いを有しているような気がする。なんとなくね。
そこでムーや鈴木に聞きたいんだ
質問はこれ まず、小林秀雄の批評が生きている「何をやらかすかわからない」人間ではなく、
死んだ人間(ゴッホやモーツァルト)を取り扱う事に不満があったんだと思う。
安吾はメリメを褒めているけど、小林秀雄に対してはさらに上の次元を要求してたんじゃないかな。
骨董趣味っていうのは、フェティシズムだよ。それが人間性に向かうなら、予め反応を想定しうる人間しか認めないという事になるよね。
その時点で彼は「人に向かっている」とは言えなくなる。「モノに向かってる」んだよ。意味がわからない? >>247
俺は安吾の意図を訊かれたものかと思って答えたんだな。今読んでもそういう風にしか読めないわ。
だったら「小林秀雄対話集」のP9にある「骨董趣味」ってどういう意味?って訊けばよかったじゃん。
あー、袋に入れてるとiPhone打ちづらい。体洗って出るわ。10分待っとき。願わくばそのうちに君の言い分を全部書いちゃってよ。 >>248
自分の<モノ>という言葉に後付けしたね。その後付けした考え方には賛成します。
しかし、ズルいですね。あの時は間違っていたと素直に言えばいいじゃないですか。
鈴木が俺にレスしたのはこの2個だよ
「それは俺が思うにね、安吾が言いたかったのは、小林はモノに向き合うんじゃなくて人に向き合うべきだって事じゃないかなあ。」
「でも要するに安吾は造形美術じゃなくて文学を語れって言いたかったんだと思ってたんだけど、それすら間違ってるかね?」
この二つのレスから、その<モノ>の意味を連想することはできないよ。
字面通り、「骨董なんかやめて文学に戻ってこい」というのが<骨董趣味>批判だ、という風に解して
いるというように受け取るのが当然だ。
>>250
まあ、後出しかなあ。でも結論はそうだよ。「骨董なんてやめて文学にもどって来い」って言葉を深読みすればそうなるじゃん。国語の試験じゃ落第だろうけどさ、ここは文学板だぜ? まあ、という事で、そろそろあなたの意見を書いて下さいよ。 <骨董趣味>という言葉に関わらず、安吾が一番言いたかったことは、
文学はいかに生きるか、っていう問いから発生しているんだ、ということだよね。
鈴木の238の言う通り。
坂口 僕が小林さんに一番食って掛りたいのはね、こういうことなんだよ。中略
ギャアギャアギャアギャアとジャズをやったりダンスをやったりするバカな奴の中に
実際は人生があってね、芸術というものは、いつでもそこから出て来るんじゃないかと僕は思うんですよ。
坂口 僕が小林さんの骨董趣味に対して怒ったのは、それなんだ。
この話は、「教祖の文学」の内容を受けてるよね。
だから、俺の説を展開するには「教祖の文学」の内容に移らなきゃいけないんだけど。
「教祖の文学」には、小林が骨董を漁っていることに関しての批判は一つもない。
ただ、骨董を小林がやるのは当然で、それは文学における彼の態度は鑑定人だからだ、と。
こういう文学における小林の態度が、骨董へと向かわせるのだと。
つまり、骨董漁りをやめたからといって問題が解決するわけではなく、この鑑定人的態度は文学に向き合う態度
には相応しくないから、やめろ、と言ったんだと思う。
なるほどねー。教祖の文学に「骨董」って言葉がないか調べてみるわ。 いくつもあるじゃねえか!たとえば
>花鳥風月を友とし、骨董をなでまはして充ち足りる人には、人間の業と争ふ文学は無縁のものだ。 「つまり教祖は独創家、創作家ではないのである。教祖は本質的に鑑定人だ。
教祖がちかごろ骨董を愛すといふのは無理がないので、」
たぶん「骨董」という言葉はここにしか登場しないと思うよ。
もっと詳しく見てみないとあれだけど いや、四箇所に出てくるね。skybookで検索した。 あとここもか
「人生はつくるものだ。必然の姿などといふものはない。
歴史といふお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、
自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。
仮面をぬぐ、裸の自分を見さだめ、そしてそこから踏み切る、型も先例も約束もありはせぬ、
自分だけの独自の道を歩くのだ。自分の一生をこしらへて行くのだ。
小林にはもう人生をこしらへる情熱などといふものはない。万事たのむべからず、
そこで彼はよく見える目で物を人間をながめ、もつぱら死相を見つめてそこから必然といふものを探す。
彼は骨董の鑑定人だ。」 まぁ、骨董という言葉がいくつあってもいいんだけど。
俺が言いたいのは、これだから。
「つまり、骨董漁りをやめたからといって問題が解決するわけではなく、この鑑定人的態度は文学に向き合う態度
には相応しくないから、やめろ、と言ったんだと思う。」
正確に言うと、安吾の文学観とは合わない、ということだと思うが。 いや、小林秀雄ファンなんだよ坂口安吾は。「私は小林秀雄を尊敬している」って書いてるもん。 >>263
もちろん、畢竟己を語る、などと新しい批評を確立した小林に対する尊敬は
もちろんあっただろうけど。
俺は具体的に安吾が小林のどこを尊敬していたのかは知らない。
知ってるなら語ってくれ そして、「尊敬するとは、争うことだ」と言っている。
「小林秀雄の文学観から脱出しようと心がけた」批評家である福田恆存を絶賛して終わるね。「伝統と反逆」は。
佐藤はもっと安吾を読んだ方がいいと思うね。俺もムー大陸と比べたら全然読んでないけど。 >>264
だから「伝統と反逆」に書いてあるじゃない。「批評という形で文学を生かした男」だから尊敬してたんだよ。 あと、小林秀雄について知りたいならNというコテハンに訊くといいよ。何でも知ってるから。 いいよね。そろそろ離脱します。最後に佐藤さん一言どうぞ。 >佐藤はもっと安吾を読んだ方がいいと思うね
こういう上からの態度はやめてくれ。
それと、お互い尊敬していても文学観は合わない、ということはあるぞ。
つまりは、お前の俺の意見に対するこの反応は、俺の意見への反論になっていないということ。
>いや、小林秀雄ファンなんだよ坂口安吾は。「私は小林秀雄を尊敬している」って書いてるもん。
小林は志賀直哉の弟子で、志賀に関する論文も書いている。
「伝統と反逆」で、小林は「志賀には道徳がある」といい、安吾は「志賀には本当の道徳はない」
と言った。安吾が「志賀に文学の問題はない」みたいなこと言ってたよね。
俺は、当初から安吾と小林の文学観には決定的なズレを内包していたと思うよ。
もう一度確認するけど、安吾と小林には文学観のズレがあるという俺の意見に対し、
>いや、小林秀雄ファンなんだよ坂口安吾は。「私は小林秀雄を尊敬している」って書いてるもん。
と言ったんだからな。
これは、安吾と小林には文学観のズレはないという主張をしたいがために、持ってきた言葉だぞ。
ならば、安吾と小林に文学観にズレはない、もしくは安吾と小林の文学観は重なる部分が多い、という
ことを語らないといけないよ。
小林は志賀の弟子で、初期の頃に志賀論を書いているけど。小林は志賀が道徳的だと
言った 鈴木は本当に卑怯だな
静かなるオーディエンスは気づいてくれていると思うが。
後付けした上に、勝利した体で逃げようとするんだから恐れ入るよ。
黙っていようと思ったが、ムー大陸の言葉に唖然とし、恐ろしくなって本音を言うが >>274
それを言わなかったらお前に与したが、それを言ってしまうのがお前のへたくそだよ そうか失礼した。
実はディテールは読み飛ばしてるのでw 今日はここまでにしよう。
お前が俺に勝利するには、これについて答えることだ。
それ以外はドロー。
「ならば、安吾と小林に文学観にズレはない、もしくは安吾と小林の文学観は重なる部分が多い、という
ことを語らないといけないよ」
時間をかけていいから、しっかり考えて答えてほしい。 >>273
そうか。ごめん。というかむしろ安吾は小林秀雄の態度を評価した上であえて別の道を選んだと考える方がいいだろうな。
そう。でもそのズレをあえて小林秀雄の前で口にする勇気のある文学者がいなかったんだな。文字通り教祖だったから。
文学観のズレがあるってのはその通りだと思うよ。でも相通じるところがなければあんな充実した対談は出来ないんだよ。
そうだね。だからメリメの例を出したんだけど。あとカラマーゾフね。他には菊池寛とかね。色々あるじゃないですか。
>>274
そんな卑怯かね?俺は本当に最初からそのつもりで言ってたんだけど。言葉が足りなくて通じなかったのは謝るよ。
>>278
別に勝負してるってつもりじゃなかったけどな。そんなに勝ちたいか?有意義な対話だったと思うんだけどな。それなりに。 でも佐藤が殊更俺の意見について「明らかに間違ってる」って言ったのは違うと思うよ。俺のスタンスは変わってないし。 鈴木もNやムーを、文章を借用するやり方ではなく引いてきたのは見苦しいと思うがな そうだね。俺がそれなりに安吾や小林を読んでるみたいな言い方だったな。それは嘘。でも彼らを愛してるよ。 Nとやらに聞いた方が早いんじゃないか?
何でも知ってるんだろ?
そいつなら278に答えられるだろ
お前ら二人が議論しても埒があかん 2話まで見たけど
アイドルの名前がヨナガとか他作品のパロが入っててちょっと面白かった 見てないけどそれはちょっと嫌だな、と夜長信者のオレが言ってみる とりあえずここまでのところ酷いな
引用が適当すぎ、脚本家がロクに安吾読んでないのが丸わかり UN-GO、あれは単体のアニメとしては良いが、安吾の名前を借りるのはないな。 アンゴウで子供が帰ってきたら話が成り立たないと思うのだが。女が左に寝るか右に寝るか、というのも原作と比べて皮相だ。 「白痴」(坂口安吾、新潮文庫) 坂口安吾
117位/262作品。日本語小説。
戦後文学の代表作家坂口安吾の代表的短編集。
「いずこへ」不埒。無頼派安吾の作風か。これはあまり好きになれなかった。
「白痴」戦争文学。白痴らしさはあまりない。空襲される中で愛し合う男女。
「母の上京」よくわからなかった。
「外套と青空」おっさんの友情。
「私は海をだきしめていたい」随想かな。
「戦争と一人の女」傑作。大好き。浮気性の女の本命の男への愛を描く。
「青鬼の褌を洗う女」美女が男たちを抱いてやりながら、老父の妾になる。老父は浮気を許す。
総評として、純潔などというものは、まったく軽視されており、
登場人物は基本的に浮気する。それが無頼派安吾なのかとすごく納得した。
純文学にしては不思議と読ませるものがある。
今では堅いとしか思えない文章なのに、なぜかとりつかれて、半日で読んでしまった。
「戦争と一人の女」は本当に傑作だと思い、おすすめ。女性心理の描写がうまい。 イノチガケでは心理描写をそぎ落として迫力ある文章になってるんだが心理小説も書くんだな >>300
さんざんブス、ガバマン、ビッチだの馬鹿にしてた川上未映子が、
崇拝する阿部和重と結婚して発狂する鈴木
これ以降鈴木雄介コテでの書き込みは途絶えている
740 名前:v(・x・)v鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo [sage] 投稿日:2011/11/30(水) 18:38:41.78
うわあああああ〜!!
740 名前:v(・x・)v鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo [sage] 投稿日:2011/11/30(水) 18:38:41.78
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740 名前:v(・x・)v鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo [sage] 投稿日:2011/11/30(水) 18:38:41.78
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740 名前:v(・x・)v鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo [sage] 投稿日:2011/11/30(水) 18:38:41.78
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740 名前:v(・x・)v鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo [sage] 投稿日:2011/11/30(水) 18:38:41.78
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740 名前:v(・x・)v鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo [sage] 投稿日:2011/11/30(水) 18:38:41.78
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