坂口安吾 part6
食糞系ホームレス代表コテ(タレント)v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXoさんが本日改名!
根っからのうんこ好きと肛門をほじる癖からとって、新しい名前は「肛門ほじ男◆JSPf4VvHXo」に決まりました!
わかりやすい名前ですね!おめでとう肛門ほじ男=ピースさん! >>423
呉清源の事だろう。呉清源は大いに日本の囲碁界に影響もたらした偉人だぞ。
馬鹿は人間を差別したりデマこいたり強制したりして楽しそうだなw >>425
ぐぐってみたけど、やっぱり呉清源だろうね
昔よく全集並べて勉強したよ 安吾が好きだった矢田津世子を美人と思う人いる?
どんな美人かと思ったら、写真を見てがっかりだった記憶がある
蓼食う虫もなんとらか すがひでみの坂口安吾論てあるの?
読んだことある人は感想教えて JUMKの逆襲にある
「小説家の誕生とその代償、坂口安吾小論」
初出は全集一巻の月報 ↑
ありがとう
まとまった論はそれぐらいか
もっと読んでみたいな 不連続殺人事件を、とうとう尼で注文した。
いつか読む。 昔、島田雅彦が安吾に影響を、強く受けているのを知って
なんか島田に対する見方がいい方向に変わったことがある
もっと軽い感じだと思ってたから、島田という作家は 西村賢太って読んだこと無いけど
安吾臭がする感じがする 安吾と西村ぁ?おもいっきり違う。西村なんてただのラノベ書き。 中上健次みたいな心理描写が出来る人っていないよね。枯木灘とか本当に全ての登場人物が息をしているから。 続安吾捕物帳が角川からでましたね
ちょっと太くて持ちにくいけど余計に本を買わなくてすみました >>433
参考文献「○○○に○○」アガサ・クリスティ >>427
ぷらと肉ラブ、つうか、要は観念論恋愛?なんじゃないすか?
勝手にあたまのなかで理想化して http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1183
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1184
坂口安吾は対談の最後に、「福田恆存に会った。小林秀雄の跡取りは福田恆存という奴だ、これは偉いよ」、
「あいつは立派だな、小林秀雄から脱出するのを、もっぱら心掛けたようだ」と述べ、それに対し、
小林は「福田という人は痩せた、鳥みたいな人でね、いい人相をしている。良心を持った鳥のような感じだ」と応答し、
安吾は「あの野郎一人だ、批評が生き方だという人は」と述べている。 >>448
西谷修の「ふるさと、またはソラリスの海」(現代思想 平成2, 8月「坂口安吾特集」掲載後に『戦争論』所収)
にそれに近いような事が述べられていたと記憶しております。
新潮文庫の「堕落論」に載ってた柄谷行人の解説を読んだ。これ面白いねえ。 「安吾忌2012」
http://d.hatena.ne.jp/uyushorin/20120218/p1
「白痴も堕落論も桜の森もいりません」
「いま新刊で普通に読むことが出来る安吾はカッコ良すぎる。
もっと身近に感じられる、ドンクサクて可愛い安吾作品を」
でセレクトされたのが烏有書林の『アンゴウ』。
とはいえ「花火」のラストなんかは可愛いというより壮絶すぎる。
でも美しい。 白痴を数十年ぶりに読み返してみた
当時15才、走馬灯のように甦る記憶
おっ地震じゃ この人の両親はどっちも地主階級で、いってみれば大富豪。
でないと戦後3、4年で不連続殺人事件は書けないよなあ。 群馬県太田市に住んでいるのだが、安吾の終の住処だったところが桐生にあるというので見てきた。
今は花屋になっているが、造りが古く趣がある。
向かいにある薬屋は江戸時代からそのままの姿で続いていとのこと。
花屋の主人に話を聞くと、ときどき文学部の学生がレポートを書くためにおとずれるそうだ。 坂口安吾を生んだ時代背景というのはどういうものなんだろう。
戦後というキーワードが大きいのかな。
「堕落論」に関しては。
ただその一言で片付けてはいけない気がするし、
それでまとめられるほど簡単ではない感じもする。 簡単言うと大正から昭和初期にかけて起った社会変動と精神の危機。
戦争が無いだけで大正時代は結構大荒れなんですよ。
ちょうど平成の世がそうであるように。 >>460
正確には
花屋と寿司屋の中間くらいらしいよ、
安吾が住んでた昔の書上文左衛門屋敷の跡は。 >>461
戦争体験と敗戦が重要なファクターになってるのは間違いないでしょ。
恐らくそれがなければ俺らの知ってる坂口安吾は存在しなかったはず。 戦後の一過性のものではなく、坂口安吾の姿勢が
戦後という時代の中で脚光を浴びたっていう考えは邪道? 戦中の名分論的理想主義に対して人間とはそのような理念に基づいて行動するものではない、といった実存的人間観を提示したが、
世間からは単なる露悪的な本音主義を礼賛するものとしか受け取られなかった。
ゆえに戦後混乱期の非道徳的行動を弁護するためのものとして利用されたが、
混乱の収束によって世間は天皇的な建前に回収されていった。
そういう意味ではトリックスターとしての役割を期せずして果たすことになったわけであるが、
これは彼が戦前に主張していたファルスとは全然違うものである。 社会面からひろったような時事ネタのエッセイは経違がわからないのでつまんない 安吾捕物帖を読んで>>307とまったく同じ状態に陥ったのですがどなたかわかる方おられますか? >>464
坂口安吾の思想は戦前から一貫してるだろ
しかし伝統なんて糞くらえという坂口の思想は今の日本を見たら間違っていることがわかる 作風は無頼派としても思想は典型的な戦後左翼という感じだな
今生きてたら9条の会などに入信してるんじゃないかw 坂口安吾氏ってかなりの薬中で暴れたりしてたらしいがよくついてくる仲間がいたよな 安吾の奥さんも文才あったよね
なんだっけ、クラクラ日記? >>478
そうですそうです
文章が生き生きしてた つい最近アマゾンでKindle化リクエストをクリックした。 坂口安吾
風と光と戦争と
河出書房新社 編
ムック A5 ● 256ページ
ISBN:978-4-309-97811-6 ● Cコード:9495
発売日:2013.09.28
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309978116/ 1900 尾形亀之助 北川冬彦 時枝誠記 三好達治
1901 小熊秀雄 梶井基次郎 高橋新吉 富永太郎 宮崎市定
1902 北園克衛 中野重治
1903 小野十三郎 草野心平 小林多喜二 小林英夫 瀧口修造 西沢隆二 山之口貘
1904 城昌幸 吉川幸次郎
1905 石川達三 円地文子 原民喜
1906 伊東静雄 伊藤信吉 坂口安吾
1907 井上靖 高見順 中原中也
1908 植草甚一 南條範夫 服部四郎 宮本顕治
1909 大岡昇平 太宰治 菱山修三 桜の木の満開の下と夜長姫と耳男の、女性像って、なにかひっかかるよね 安吾はなんで鎌倉や杉並区を避けて南東京とかヘンなとこばかりに住んだのか? らんる曳く
佐々木 中 著
災厄の日から二年。最愛の女(ひと)を失った男は、堕落の道を歩みはじめた――坂口安吾の思想的後継者と目される著者が、壮麗な文体を駆使して到達した、「ポスト震災」恋愛小説の決定版! ようやっと「不良少年とキリスト」読み通したけど、よくもまあ、
こうダラダラ書けるもんだね。それなりに面白かったけど。
時代ってのを感じさせるから。 安吾の傑作小説ってなんでしょうね?。。。
評論はみな瞠目する筆力だとおもいますけど
私はだいたい、戦法としても特攻隊というものが好きであった。
人は特攻隊を残酷だというが、残酷なのは戦争自体で、戦争となった以上はあらゆる智能方策を傾けて戦う以外に仕方がない。
特攻隊よりも遥かにみじめに、あの平野、あの海辺、あのジャングルに、まるで泥人形のようにバタバタ死んだ何百万の兵隊があるのだ。
戦争は呪うべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、しかし、特攻隊はともかく可憐な花であったと私は思う。
彼らは自ら爆弾となって敵艦にぶつかった。
否、その大部分が途中に射ち落されてしまったであろうけれども、敵艦に突入したその何機かを彼等全部の栄誉ある姿と見てやりたい。
母も思ったであろう。
恋人のまぼろしも見たであろう。
自ら飛び散る火の粉となり、火の粉の中に彼等の二十何歳かの悲しい歴史が花咲き消えた。
彼等は基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであったかも知れぬ。
やむを得ぬ。
死へ向って歩むのだもの、聖人ならぬ二十前後の若者が、酒をのまずにいられようか。
せめても女と時のまの火を遊ばずにいられようか。
ゴロツキで、バクチ打ちで、死を怖れ、生に恋々とし、世の誰よりも恋々とし、けれども彼等は愛国の詩人であった。
いのちを人にささげる者を詩人という。
唄う必要はないのである。
詩人純粋なりといえ、迷わずにいのちをささげ得る筈はない。
そんな化物はあり得ない。
その迷う姿をあばいて何になるのさ何かの役に立つのかね?
我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。
軍部の偽懣とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。
私は戦争を最も呪う。
だが、特攻隊を永遠に讃美する。
その人間の懊悩苦悶とかくて国のため人のためにささげられたいのちに対して。
坂口安吾 『特攻隊に捧ぐ』 (1947(昭和22)年2月1日発行に掲載予定だったが、GHQの検閲により削除された。)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45201_22667.html >>499
現代の自爆テロもまた美しいと言い切るのかな?
たぶん西洋的価値観とはまったく相容れないんだろうね。
西欧的価値観は、まず個人と生活がある。
西欧的価値観でも、他人のために自分を犠牲にすることは美徳とされるだろう。
しかし、日本人の多くは具体的な人ではなく、国という抽象的なものに対しての自己犠牲の存在を信じてしまう。
これは、すでに漱石が疑問を呈していたところでもある。
そのあたりの無限定さが、安吾の大衆作家にとどまってしまった理由かも知れない。 安吾と戦争のかかわりというと、大井廣介がキーマンになるね
大井廣介は麻生元総理と親戚なんだが、大井廣介と麻生はちょっとキャラクターに共通点があると思う
安吾のいうデタラメなところが似てるな
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45874_32933.html 青空文庫に吹雪物語来てたわ!
あとは不連続殺人事件だけどこれ角川文庫とのからみで出せずにいるのかな? >>500
戦争とテロを混同してる時点でもうね・・・・ 戦争というのは軍隊と軍隊のあいだの戦闘行為が基本。
テロの対象は軍隊じゃないよ。 >>507
>戦争というのは軍隊と軍隊のあいだの戦闘行為が基本
そんな戦争があったためしはないよw
住民のいない離島かなんかならそうなるかもしれないが。 >>508
民間人が戦争に巻き込まれることとテロで主目的として民間人を狙うことを混同してる時点でもうね・・・・・ >>510
だからね、敵国民を殲滅するのが戦争の本当の目的なんだよ。
敵国民は殺すか奴隷にする。
テロも戦争も、どこも違わないよ。 >>512
そりゃ、個別にはいろいろあるだろ?
戦争の数だけ、テロの数だけ、大義と方法と結果があるさ。 単純に戦線の後方にちゃんと兵站部隊がいるのが戦争。いないのはテロ。
つまり戦略が点か線かの違いによる定義はどうか。
するとタリバーンの戦いは戦争だし、
特攻隊はテロだという帰結が導き出されるがw http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2014031000313
http://archive.is/zNmPD
関井光男氏死去(文芸評論家、弘前学院大客員教授)
関井 光男氏(せきい・みつお、本名山田光男=やまだ・みつお=文芸評論家、弘前学院大客員教授)
3日午後8時30分、虚血性心疾患のため東京都練馬区の自宅で死去、74歳。
東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻倫子(みちこ)さん。
著書に「資本文化としてのモダニズム」「坂口安吾と日本文化」など。
(2014/03/10-12:25) まあつまり、
「ちゃんと勝つこと」を目的としている戦闘行為が戦争であり、
「負けてもいいからとりあえず自己主張すること」を目的とする戦闘行為が
テロであろう。 「ちゃんと勝つこと」ってよりは「とにかく負けないこと」か。
まあベトコンは頑張ったわけやね 62 名前:吾輩は名無しである :2014/03/11(火) 09:33:29.82
<訃報>関井光男さん74歳=文芸評論家
http://linkis.com/yahoo.co.jp/Ok05E
63 名前:吾輩は名無しである :2014/03/11(火) 10:27:57.65
Moto Mochizuki @tinamoto17 13時間
僕の持ってるちくま文庫の安吾全集では、関井光男さんが全巻の解題を
執筆していた。評論家にありがちな無駄な薀蓄や自分勝手な思い入れを
完全排除し、ポイントを絞ってとことん述べ尽くす見事な仕事で、安吾
作品の理解に大きな一助となりました。御冥福をお祈りします。>RT >>511
国際法も知らない時点でもうね・・・・・ >>500
>日本人の多くは具体的な人ではなく、国という抽象的なものに対しての自己犠牲の存在を信じてしまう。
当時も誰も日本のためとか天皇のためとか思ってないぞ
みんな家族とか恋人とか身近な人間のことを思ってこその自己犠牲で
アホで無能な軍部の洗脳なんて誰も受けていなかった
だからクソの昭和天皇が処刑されようが知ったこっちゃなかった >>521
素朴な疑問なんだが、なんでそんな事知ってるの?
一人一人に聞いて回ったとか?
だとしたらあんたスゲー