坂口安吾 part6
『街はふるさと』はイマイチ。
前半は良かったんだけどね、
終わりがダメだった。 >>549
それは国際法とは無関係な、強国による一方的な侵略行為のひとつ。 白痴は何で同じような表現を2度繰り返すわけだ
わざとか 俺も堕落論(も青春論も日本文化私観も教祖の文学も)は大したことないと思う。
白痴、戦争と一人の女、桜の森の満開の下が断然抜きんでている。
坂口を思想家・批評家・エッセイストとして理解する風潮が一部にある(と感じる)けど、
俺が読んだ限り文学のふるさとだけが彼の小説と肩を並べているだけで、
あの人は小説家として考えるべきだと思う。
ほかの文章は単なる売文、生活の糧、という理解で良いと思う。
今の作家みたいにデパートの文化レッスン二時間六回三万円とか、
ましてや大学の講師の口なんてゼロなわけだから。
だから、堕落論は駄目で良いと思う。ただ、敢えて言えば
戦争に負けて日本が「偽物」になったという理解をどう工夫して生きる力を持つかというと、
堕落というキーワードなら押せるし人の活力になるぞと、
浅田彰もベンヤミンの「貧困と経験」に比して小林秀雄の対抗馬に坂口を持ち上げていたけど、
闇屋になっても生きなきゃ行けないわけだから。
闇市に行かないで餓死した裁判官がいたけど、そういうのは文士としてなんとかせにゃいかんわけだから。
そういう意味で影響力があったわけで、
たぶん今の日本を坂口が見たらこんなに堕落したのかよって、良識派になるんじゃない? 生前の坂口は堕落論をはじめとする評論で名を馳せたので、
評論家として記憶されているだけです。
仰るように優劣をつけるのなら小説の方が上です。
大岡昇平などは「白痴」後の仕事には黙殺の態度です。 早速の御応答深謝です。
大岡先生のお名前が聞けるとは思いもよりませんでした。
(ファンなので敬称を略しますが)坂口が評論家として理解されていたというのは、
存じませんでした。事実なら読者のリテラシーも知れますが、本人も情けないですね。
昭和文壇の稚拙さへは情状酌量の余地があり、且つ多くの批判がありますが、
どうもヨーロッパ近代の怪物性に日本の私小説はすくみ上がってしまいますね。
それを読者も見通して小説一般が低く見られてしまうのでしょうか。実に残念なことです。 夜長姫と耳男は物語的に未完というか、逆に短編的美が中途半端というか。
二回目のはやり病の途中でストンと力が抜けた感じじゃない?
桜の森の満開の下や道鏡、つまり戦後1、2年の頃に比べて、
5,6年間で文体が非常にこなれたと思うけど、
それなら夜長姫でもっとヒューマニズム的な美しさが追求されて良いと思うんだよな。
俺は「風と光と二十の私と」が好きだから、そっち系と晩年の文章の巧さこそマッチすると思うんだけど、
とうも坂口は偽物のきらめきに惹かれちゃって微妙なんだよ。
どう思いますか? あれはあれでいいんだろう
なにしろ語り手が半端物の耳男自身なのだから
俺は好きだね 俺も好きだよ。文章上手いって褒めてるじゃん。
一押しにはならないと、ファンのはしくれとして言ってシマウマ。 戦後の小説は文章がタイトに絞り込まれているので
それで成功しているものもあれば失敗しているものもあるようですが
批評性が高いという所が特徴でしょうね。
初期の頃は自意識やその反映たる文の機構にもメスを入れるようなところがあり、
そこが「吹雪物語」の失敗にもつながっているような気がします。
ただ、非常に志が高かったとはいえるでしょう。
あの精度で小説を書いていたら精神的に追い詰められるのは当たり前です。 初めてこのスレ来ました。ここまでのレスざっと読んで、色々言いたい事もあるのですが議論するつもりは無いのでやめときます。
作品に対する評価、考え方は人それぞれとしか言いようがないので…
ただ一つだけどうしても言っておきたいのは、安吾は小説もそれ以外の文章も間違い無く常に全力で書いていたと思います。良くも悪くもそんなに器用な人では無いです。 …間違い無く常に…
文学に興味を持つ人が、単なる憶測にすぎないのが明白なことを、どうしてこのように断定してしまうのか、
気が知れない。
言葉に対する姿勢がいいかげんで、まあ、デリカシーがないと言うことなんだろうか。
問題は、彼一人ではなく、コテハンにもそういう人がいて、しかも一々指摘するのもバカらしいほどいる、と言うことだ。
これはミスなんてレベルの話ではない。
感情移入はかまわないけれど、拙くも論評だろう。
心して書いてほしいものだ。 ちくま文庫の安吾全集なくなったの?
横尾忠則の装丁ですごくよかったのに。
こんな重要な作家が手軽に読めないなんておかしい。
復活してほしい。 坂口安吾の私は海を抱きしめていたいって不感症で無感動な女を抱いて、自分の肉欲というのは孤独だから、もっと無慈悲で無感動な波に飲まれて孤独の肉欲が満たされればいいという解釈であってますか >>571
肉欲はずっと満たされることがないっていう確信 >>572
満たされてくれればいいと言いつつ満たされることはないという確信なんですね
ありがとうございます 安吾の義理の弟、美千代さんの妹の旦那さんはどなたですか? 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。
口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。
そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。
本田宗一郎 安吾論予告。 http://www.atarusasaki.net/blog/?p=1486
佐々木中先生の坂口安吾論!単行本が2016年春頃に発売!
安吾論予告。
2015/12/14
拙者悲願の坂口安吾論、やはり安吾先生の特攻賛美を始めとした文学的政治的なジダラク、ゴマカシ、アトヅケ、不埒千万にして断々乎として許さるべからず、徹底的にヤッツケざるを得ないですよ。
見逃してやれというのは無理だなァ。ギリギリまでネバリ、アガキ、長丁場を観念した由。本当です。
というわけで青鬼も笑う明けて1月発売『文藝』春号(河出書房新社)に載る安吾論は全体の約6割、さらに加筆した新安吾論は来年単行本になります。たぶん春頃。タイトルは『戦争と一人の作家–坂口安吾論』。乞うご期待。 佐々木中
安吾論予告。
2015/12/14
拙者悲願の坂口安吾論、
やはり安吾先生の特攻賛美を始めとした文学的政治的なジダラク、ゴマカシ、アトヅケ、
不埒千万にして断々乎として許さるべからず、
徹底的にヤッツケざるを得ないですよ。
見逃してやれというのは無理だなァ。
ギリギリまでネバリ、アガキ、長丁場を観念した由。
本当です。 あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん? 坂口安吾の未来 危機の時代と文学
出版社: 新曜社 (2015/2/16)
宮澤隆義
1978年生まれ。 >>586
安吾さんはアドルムの印象が強い。
飲むと気分が鎮まるのではなくて暴れ出してしまったとか。。。
檀一雄曰く「時化模様」。色々大変だったようで。 >>596
たぶん暴れても本人は暴れたこと覚えてないですよ。で、寝て起きてもボーッとして仕事にならないからシャブをやるわけですね。 アドルム中毒の時は狂乱状態になって奥さんが石川淳や壇一雄を呼んで精神病院にぶち込んだんだよな。 青空文庫に上がってるエッセイで読んだんだけど、安吾はおんぶして運んでくれる友人(男性。誰か忘れた)の背中でずっと激しくボッキしていたんだって(笑) 夏目漱石、森鴎外、川端康成、三島由紀夫、太宰治、以外の作品を読め! 今日図書館で夫人の回想録というかエッセイ集というかを借りてきた。
「当の本人は半分くらいしか覚えていないのである」だそうな。
滅茶苦茶な暴れっぷりもあれこれ書いてあるが
「私は坂口が暴れても憎いと思ったことは一度もない。
ただ可哀想にと思うばかりであった」とのこと。菩薩のような人ですね。 代りに用いていたものは、喘息の薬のセドリソと云う覚醒剤であった。朝から少量ずつ飲んで昼も少量飲み、それが蓄積されてやっと夕刻頃効いてくると云う薬だった。
疲れて休息したい神経をむりやりたたきおこす薬で、二日でも三日でも徹夜に耐えうる神経にするための薬だ。そう云う薬で無理無態に仕事をしようとしていた。
・・・睡眠薬と覚醒剤を交互に常用しているうちに、その性能が全く本来の姿とは異り、まるでアベコベに作用するようになっていた。
すなわち睡眠剤を飲めば狂気にちかくなり、覚醒剤を飲んでモーローとするようになっていた
もう大分以前から彼は人に逢いたがらなかったのだが、私も彼を人に逢わせたくなかった。あさましい位、彼の外貌は変り果ててゆき、人の言葉をまともに聞くことはなくなった。
すべては陰謀としか思えないらしく、私がそのあやまりを正すと悪鬼の如く、いかりたけると云うふうになり、当時の女中さんのしいちゃんは私の手下で、
私としいちゃんとはしじゅぅ陰謀をはかり奸計をめぐらしていると云うふうにとるようになった。私が彼に出来ることは、彼の云いなりになると云うこと以外には何もない。 読まれない新聞が、彼の枕元にうず高くつまれ、ふと気がついて、彼がその新聞をとりあげ、片目をつぶり、日付を見て、こんなはずはないと云い出す。
誰々が来て、それから三十分ほどねむっただけなのに、あれからもう一週間もたっていると云う法はないと云い出すのだった。
新聞の日付迄、私や女中が按配すると思い込んだりした。
彼はいかり狂ってあばれまわり始めると、必ずマッパダカになった。寒中の寒、二月の寒空にけっして寒いとも思わぬらしかった。
皮膚も知覚を失ってしまうものらしい。それで恥しいとも思わぬらしいのだが、私は恥しかった。女中さんの手前もあるし、私は褌(ふんどし)を持って追いかけていく。
重心のとれないフラフラと揺れる体に褌をつけさせるのは容易ではなかった。
身につける一切のものはまぎらわしく汚らわしくうるさいと思うらしかった。
折角骨をおってつけさせてもすぐにまた取りさって一糸纏わぬ全裸で仁王さまのように突っ立ち、
何かわめきながら階段の上から家財道具をたたきおとす。階段の半分位、家財道具でうずまる。「クラクラ日記」 困った時には友達にたのむに限る。私が二度目の中毒を起したとき、私は発作を起しているから知らなかったが、女房の奴、石川淳と檀一雄に電報を打って、きてもらった。
ずいぶん頼りない人に電報をうったものだが、これが、ちゃんと来てくれて、檀君は十日もかかりきって、せっせと始末をしてくれたのだから、奇々怪々であるが、事実はまげられない。
平常は、この人たちほど、頼りにならない人はない。檀一雄は、私と約束して、約束を果したことは一度もない。
たぶん、完全に一度もないが、本当に相手が困った時だけ寝食忘れてやりとげるから妙だ。
田中英光の場合は、友だちに頼めば、なんでもなかったのである。その友だちが居なかった。
私自身が田中と同じ中毒を起こしたことがあるから、よく分るが、孤独感に、参るのである。
ほかに理由はないが、孤独感から、ツイ生ききれない思いで、一思いに死にたくなる。その誘惑とは私もずいぶん、たゝかった。一度、本当に死ぬつもりになったことがある。
そのときは、女房が郡山千冬に電報をうって来てもらって、どうやら一時をしのいだが、それ以来、発作の時は親しい人をよぶに限ることに女房が気付いて、二度目の時には石川淳と檀一雄に来てもらったのである。
そして、渡辺彰、高橋正二という二人の青年を泊りこませ、その他、八木岡英治や原田裕やに、夜昼見廻りに来てもらうというような、巧妙な策戦を考えてくれた。
そうして私が気がついたとき、私は伊東に来ており、私の身辺に、四五人の親しい人たちが泊りこんでいるのを発見した。「麻薬・自殺・宗教」 >>607
俺が借りてきたのは「追憶 坂口安吾」という本。
暴れるのに往生して便所に逃げ込んだらドアの前にバリケードを作られて
閉じ込められ、そこに灰皿か何かがあったとかで火事になりかけて
あわや焼死するところだったとか洒落にならん。 安吾さんは発作の一言で片付けてるけど内実は壮絶やな >>608
間違いということになるのかね。ソースが違う訳だから。
図書館にクラクラ日記もあったと思ったが今日は借りなかった。 >>612
そのままは載せて欲しくないな。一言一句正確ではないはずなので。 >>613-614
すみません、とりあえず消しておきます。 弱小アカウントなのに、いきなり3RTされてるよ。すごく良い感想だからな。でも消します(笑) "私は思うに、最後の理想としては、子供は国家が育つべきものだ。それが、理想的な秩序の根柢だと思っているのだ。" (坂口安吾「戦争論」より) #保育は最低賃金2000円 江戸時代のイタリア人宣教師か、遺骨見つかる
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2740965.html
東京・文京区のマンション建設予定地で江戸時代のものとみられる人骨が見つかり、鑑定の結果、18世紀のイタリア人宣教師の遺骨とみられることがわかりました。
文京区によりますと、おととし、マンション建設予定地で埋蔵文化財の調査をしたところ、江戸時代のものとみられる人骨が3体見つかりました。
現場は「切支丹屋敷」の跡地で、国立科学博物館などが人骨を鑑定した結果、このうちの1体が江戸時代のイタリア人宣教師ジョヴァンニ・シドッティ神父の遺骨とみられることがわかりました。
シドッティ神父はシチリア島パレルモ出身で、1708年、屋久島に上陸して捕らえられました。
新井白石がシドッティ神父を取り調べた内容を「西洋紀聞」などとしてまとめ、鎖国中の日本でキリスト教や当時の海外事情などを知る貴重な資料となりました。
シドッティ神父は、人骨が見つかった「切支丹屋敷」で当時禁止されていたキリスト教の布教をしたとして幽閉され、1714年に47歳で死亡したとされています。
TBS:2016年4月4日(月) 15時6分 相撲部屋にちゃんこを食べに行った時の三根山とのやり取りが笑えた。
「今度フグを食べに来てください」
「関取、それは勘弁してくれ」
「相撲のフグは丁寧なもんです、死んだのは相撲開闢以来たったの2人」 「太宰治情死考」というエッセイ(?)の一部だったと思う。
太宰に関する文章も多く残しているね。
入水の知らせを受けて「どうかご自愛を」などと書かれた
生きていて欲しいという願いをこめた手紙を太宰に出したが
残念な結果に…。 織田作之助を特集した本に織田作さんが亡くなった時に安吾氏が書いた
「大阪の反逆」という追悼文が載っていた。俺にはちょっとわかりにくい内容だったが
安吾のエッセイのファンだったという織田作さんにはいい供養になったのでは。 ηαυατο υοσηιδα
木田元が坂口安吾(「二十一」「勉強記」などの自伝的小説)の例を引きながら語っていたけど、
春先に精神的に不安定になったら、みっちり語学の勉強をするのが一番いいらしい。
四月から六月まで毎日8時間ずつ文法書を猛勉強して、それから夏休みを使って辞書と翻訳と首っ引きで原書を一冊読み上げる。
木田元は東北大(旧制)の頃この方法で一年目にドイツ語、二年目にギリシア語、三年目にラテン語、
大学院一年目にフランス語をそれぞれ習得したらしい。
もっと深刻な精神状態にあった坂口安吾も、パーリ語、チベット語、サンスクリットと勉強して身につかなかったが、フランス語はものになった。
2016年4月9日 安吾はノイローゼって言ってるが
柄谷行人によると自分も似たような状態があったらしく
鬱的なものだといってるね
俺も自分の経験から柄谷と同じ見方だ 『堕落論』をヤタラ褒める人がいて、それならってわけで読んだが、別に、どうということはなかった。やはり時代が違うのかな。 あれはもしかして間違ってるんじゃないのかな?
戦争中の銃後の妻、国のために命を捨てる特攻隊員がパンパンになり闇屋になる、
堕ちよ、その淪落から新しい生が生まれる。
しかし逆に戦争中の美しさの方が異常だっただけのことであって、
それが終わって元通りの、つまりそれ以前の、また現在に通じる猥雑な日常が戻ってきただけの話じゃないか。 太宰のトカトントンもそうだけど、戦争に負けた荒廃の中から僅かな希望を見出して頑張って行こうみたいな雰囲気に対する違和感じゃないの? 切り替えて前を向いて新しい時代を生きようではなく、後ろに広がるゴミクズみたいな絶望的現実を直視すべきという 荒廃の中で一時的に身をやつしても、それが人間の本質で誰でもそうなのだから気にせずに前を見ろって事だよな 人間の真理を言ってる
人間は本当に堕落出来ないんだぜと言ってる
宮沢賢治じゃないけど本当のでくのぼうが居ないと同 はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる
紺いろした山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ 堕落論は戦中から書いていた考え方の戦後的な表現みたいなことを柄谷が言っていた
とすると戦争自体、本質的には関係ない
淪落(=堕落?)することにより、自分の本質をつかんで、本当の生を得るということらしい
具体的なイメージがわかない 安吾の気負った感じが好きなんだよな
生涯気負い続けたような印象がある
でも実像はピンとこない
いったいどんな人だったんだろう 「堕落論」素晴らしいじゃない。「続堕落論」と併せて読みたいね。 「堕落論」はね、敗戦で打ちのめされた全ての日本人を精神的に救おうとする試みなんだよ。と思ってる。 安吾でゆるくはならんだろ
自分の思いに正面きって肉弾戦はる奴なんぞ
今どきなかなかおらんで
真っ向から向かう奴にこそ安吾はエールになる 小説を書くのはもちろん、酒を飲むのも女を愛するのも
ペットをかわいがることさえもイノチガケのお方ですからね…。
でもゴルフクラブでラモーを殴るのはやめてあげてほしかった。 Eテレの百分で名著「堕落論」、安吾の戦前・戦後を通じた一貫性を無視してないか? 堕落論はもっと評価されてもいい。
現代に生きる俺のこころにもすんなりと入ってくる文体だし、
先の大戦の本質をかなり的確に言い現わしていると思うんだ。
続堕落論で、「嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!」と叫んでいる反骨精神溢れる
安吾さんカッケえっすwwwww 現代的感性ならやっぱり太宰だろ
太宰の方が甘えが入るけど