坂口安吾 part6
俺の母親は「暗号」を崇めてるよ
実際これほどの短編は探してもそう見つかるものではない アンゴウは映画も秀逸だった。現代に本案されていたが。 ごく普通に考えるに語りを編集者が聞き取りリライトしたんじゃないの? >>71
青空文庫すごいよね。
安吾がやたら充実している。 戦争よりヒロポンの方が影響大だろ、アンコの場合。
大日本住友製薬万歳!
堕落論で描かれた戦時下の東京をエンジョイする安吾な気分の不謹慎な俺w ageてみる。
安吾好きな人って他に何読んでるの? 安吾さんが戦争、非常事態を楽しむ心情。
岩手沿岸在住、町は破壊され自家も流され、職を無くし今後が全く見通せないが
この状況下で安吾さんに共感できることが意外で怖い。
こういう恐怖や状況をワクワクできる心情は人間に普遍的に備わっている優れた能力だな。 最近ハマって読み漁ってるけど
この人すっげえ性格悪く感じる。本質突かれてムカつくだけかも知れんが
あと文章読み易いね喋り言葉っぽくて だいたい無頼派の作家はダメ人間だから
腹が立ったり気持ち悪く感じるのが普通だよ 堕落論面白いな
道化に就いての最初のページでもうニヤニヤが止まらない 安吾入学時の東洋大学は専門学校だったけど
(卒業前の1928年に大学令による許可が下りる)
安吾は大卒扱いになるの? そうそう安吾はエリートじゃなくて独学の人なんだよねw
有名な作家は基本東大とか高学歴なのにw 初めて堕落論読もうと思うけど、どこの出版社のやつが良いんだ? 俺も安吾を愛してる!
>>95
青空文庫で読めばいいのでは? >>95
ディレクターズカット最終版のエンディングが一番かっこいいよ。
一冊だけ選ぶとしたら絶対これ! 坂口安吾はヴァレリーを翻訳してるみたい
そういう外国語に達者なイメージなかったんだけど 翻訳はある程度外国語がわかれば、ある程度は訳せる。結局日本語力の問題だからな。 >>104
安吾はアテネ・フランセに通ってたんだよ >>105
マグナって時々すごく馬鹿っぽいこと言うよ 堕落論、集英社から出てるのが安かったから買ったんだけど、表紙が下品で嫌だった…
俺は買ったら即表紙は雑紙で覆っちゃうから表紙は見たことないなあ。 捕物帖読んだよ
一見陳腐に見えるんだけど花田清輝は絶賛してるらしいね
俺にはよく分からん アンゴが出た東洋大学って昔は哲学館大学だったらしいね。 こっちを堕落論・続堕落論を語るためのサブで使うか。 青春論とかに顕著だけどこのひとのエッセー、
論旨・話題があっちこっちとびまくり
結局なにが言いたいのかよくわかんないんだよね
てゆうかほんとにいいたいことってすごく単純でしょ?
文化仕官にしても堕落論にしても >>117
鈴木は来るなよ!
自分自身の凡庸な意味での"堕落"の正当化が伏せられている目的じゃないかよ!
>>118
それは同意。芯(幹)は太くシンプルだけど表現(枝葉)は乱れてる。
だから読者が剪定してあげなきゃいけない面倒な書き手だw
>>121
俺が肯定的というのは限りなくニーチェ的な意味だな。
あれだけ宗教や道徳を徹底的に批判したニーチェが、
「生成の無垢」や「力への意志」、あるいは「ディオニュソス的なもの」、
まあ簡単に言えば「生」に肯定的であったのに似てさ。 そうだね。安吾がニーチェに言及した事ってあったっけ?読んでたのかなあ? 安吾がニーチェを読んでたかどうかは俺は知らないなあ。
ニーチェを読まずともニーチェ的になってることはあるだろうな。 安吾に対してニーチェの「運命愛」を持ち出す際には、
エヌが語ってたように小林秀雄の「運命」との絡みがあるから、
そこはちょっと注意が必要かな。
あと、ムー大陸の「堕落論」評に鈴木は異見はないのかい?
俺は2箇所ちょっとひっかかりをもってるよ。
「救いなき救い」と「個人的マニフェスト」って部分に。 あー、そこらへん語った方がいい?前スレが読めない状況だからわかんないけど、
「救いなき救い」という部分に関しては、俺は安吾の提示した「救い」が「死よりも厳しい生」であるという点を指摘する人が現れたと思い、肯定した。
「個人的マニフェスト」に関しては、もちろん堕落論という文章は「坂口安吾自身がこうやって生きていく」という表明でもあるという点を(以下同文) ただの「個人的マニフェスト」だけのもんじゃないだろう、あれは。
「日本」「日本人」を意識してなきゃ、天皇制も武士道も持ち出す必要はないよ。
それから安吾はやっぱ救おうとしてんじゃないの?
「救いなき救い」ってのはむしろ武田泰淳的な世界観じゃねーかな。 いや、俺の文章を読んでればわかると思うけど、堕落論が「救い」をテーマにして書かれてるって認識は基本にあるよ。
それも日本人の救済ね。しかし、同時にあれはマニフェストでもあるんだよ。そういう側面も俺は感じたから肯定した。 泰淳が青空文庫で読めないのは悲しいね。あ、読める作品があるんだっけ?
なんだっけ坊主が主人公のチンポで障子を破る小説…あれを次々回作品にしたいな。名前が出てこねえ。マグナが知ってるよ。
谷崎も青空文庫に入ってりゃ読めるのにね。まあ、谷崎の読書会やるなら俺は買うけど短編集でもなんでも。文庫なら。 主人公が障子を破るんじゃないよ。チンポで障子を破るのは穴山っていう破戒僧チックな坊主見習い。 >「救い」をテーマにして書かれてるって認識
それがあるんだったらムー大陸にもっと突っ込んでもいいんじゃないのか?
俺ならそうするねw
だってムー大陸は「救い」を安吾のリップサービスだと言ってたんだぜ? 「堕落」って言葉の厳しい側面に焦点を当てるなら、そういう読解もあり得るだろうという意味で肯定しました。 うーん、俺こういうこと、あんまり「議論」したくないなあ。
わかれよお前!
以上。 しょーがねーw 議論したくないんならやめとくかw
俺はさ、小林と安吾がやったような対話をしてみたいだけなんだよw あれはねえ、奇跡だよあなた?他に「伝統と反逆」ほど素晴らしい対談があるなら読むよ俺は。 「伝統と反逆」で小林の骨董なんかを批判してるだろ?
あそこはエヌが「日本文化私観」から引いていた、
「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。
必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。」
につながるんだよな。織田信長的というかね。 では骨董とはこの場合なんという言葉に置き換えるのが正しいと思われます? 「伝統と反逆」の中では骨董だけじゃなく音楽も含めて小林を批判してたし、
本筋の文学をやってくれ、ってメッセージだったんだろうけど、
たとえば、骨董を天皇制や武士道に置き換えたっていいわけだよ。
いやむしろ安吾にとっての天皇制や武士道は、ニーチェでいえば宗教と道徳か。 >>140
そう。「伝統と反逆」における安吾の音楽観に対する批判はクリティカルですよ。数十年後、小林の死後に同じ事が言われてる。
で、安吾が宗教とか道徳に拘泥してると?あなたが安吾で俺が秀雄でしょう?そうかね?俺はそうは思わないんだけどなあ。 >>141 マックス・ウェーバーときたか。
>>142
安吾は拘泥してるんじゃなく、批判してるわけだよ。
どうも酔ってきてるだろ?w
で、どっちが安吾でどっちが小林でもいいんだw 酔ってねえよ!!(酔)安吾が宗教と道徳を批判してると。確かにそうですな。あー前文に戻らないと意味がわからない。
読んだけどあんたが何を言いたいか俺にはわからない。俺が安吾であんたが小林なら安吾は無理に「わかる」と言うよ。
でもわかんねえもん。ちゃんと言ってくれ。寝ちゃうぞ!? ニーチェの主張するニヒリズムの超克は
ニヒリストに対するニヒリズムの自己適用を以て東洋哲学で言う空の思想に目覚めよ、です。
これはウェーバーの主張する価値自由とほぼ同じ意味です。
坂口安吾は専攻する東洋哲学から空思想を食い散らかしたスノッブ、
正しく頽落の為せる業であると断じる他ありません。
忌野清志郎氏も『 集団ストーカー 』を受けていた様子。
歌で残っているところが凄い。
少なくとも、妄想でも幻想でもなく、集団ストーキング行為は実在をしている。
被害を訴えても精神疾患とされてしまうところが怖いところ。
>>143
え? アセンションさんって、M.ウェーバー名前くらいしか知らないの?
彼の思想全般は歴史学的には評価に値しますが。
主著の近辺でよいけど本当に読んでいないのかな? 堕落論はホントすごいね。
これこそ日本論の頂点に位置しているよ。 >144 鈴木に安吾役を期待したのが無謀だったw
>145 それは「堕落論」についての意見かい?
>146 何でも俺にふるなw
>149 ウェーバーはたぶん1冊しか読んだことないなあ。
つーかウェーバーを解読格子にして安吾を解読する価値は?
>150 すごい評価だ! >>149
そういうのは止せ
品がないし発展も無い >あったねえ、それで安吾の道行きは、「シェストフ的不安」とは
>異質であるっていうの。 ただ話のダシにもちだされただけ
>のような気もするな。 この「シェフトフ的不安」の扱い方はw
こっちのほうがいいかなw
Nへ、柄谷の安吾論「堕落について」だけど、
柄谷の意図はわかるんだ。安吾を実存主義者にしたくないっていう意図は。
だから「他者」という言葉も持ち出した、と。 >>156
安吾は実存「主義者」っていうほど、精密な思想のシステムには
縁はなかったとおもうなあ。
柄谷というレンズを通して安吾をみると、見慣れた安吾像が
見慣れぬものに見えてくるという効果はあるとおもう。
しかし、いつまでも柄谷というレンズを通してばかりいると
それが当然におもえてくるね。 たまには別のレンズを
使ってみたり、裸眼で観ようとしてみればいいと思う。
まあ、裸眼の視力が低すぎる場合、レンズがないと何も
見えないんだけどさ。 俺は別に柄谷というレンズを通して安吾を読んだわけじゃないよ。 あと、安吾はぶれてないと思うよ。その意味では精密でしょ。 >>157
実存主義者っていうとサルトルとかになっちゃうんだろうけど、
シェフトフが言及しているキルケゴールやドストエフスキーなんかの、
かつて実存主義の文脈で読まれてきた感じでは安吾を読んではいけない、
という柄谷の意図のことね。
そう考えると「堕落について」でハイデガーを持ち出すよりニーチェじゃないの、
って書いたんだけど、ニーチェを持ち出すと実存主義の文脈にはまる、
もしかしたらそんなふうに柄谷は考えたのかもしれないな。 「今こそサルトルを語ろう」ってスレがあって期待してたんだけど、鯖崩壊で消えちゃったね。 だからまあ柄谷の安吾論は戦略に満ちているw
安吾を思想家に仕立て上げるのもやはり問題はあるね。 >>158
いや、別におめーのこといったわけじゃないよw
>>160
実存主義の文脈っつーか、柄谷的な解釈によれば
「シェフトフ的不安」は、マルクス主義からの転向者が
直面した「無意味」(ニヒリズム)の表現っていうことらしいね。
坂口の「ノンセンス」は、そのような転向者のニヒリズムと
同一視してはいけないと、そういう文脈だった。
結局、安吾の解釈で、実存主義の文脈にはまることを避けたと
結論は同じになるのかもしらんが。 >>159
安吾に「精密」って形容はどうかな?
俺ならその言葉は使わないな。
上のほうでも書いたけど、ぶれがないのは幹(精神あるいは姿勢)で、
枝葉(表現)はそれほど整理されてるもんじゃないと思うよ。 >>163
かつての日本ではおそらく、マルクス主義からの転向者は、
個という実存主義的なヴェクトルを持った(持たざるを得なかった)と考えてるよ。
サルトルなんかの場合だと政治へのアンガージュマンと
脱自としての個の実存とが共存するんだろうけどね。
シェストフは『悲劇の哲学』だけ読んだことがある。 >>164
だから「軸がぶれてないという意味で」精密だと言ったじゃないですか。それに精密という言葉は相応しくないのかも知れないけど。 >>166
わかってたけど、あえて突っ込んでみたw >>165
まあ、集団的運動から脱落すれば、個の実存に居場所をもとめる
その流れはわかりやすいというか、ある意味当然だな。
しかしまあ、人間生きてる限り、社会的存在たらざるえないんで
それは脱落後でも、変わらない条件だろうと思う。
それこそ、「堕落論」のテーマと重なるね。 もう読書会スレのテーマは、トカトントンにうつってるので、「堕落論」についての
続きはこっちでやるな。
【ケンカ乱闘】読書会スレ7【なんでもあり】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1312460718/
>>180
>安吾自身はぶれてないけど、ノリで結構いい加減なことを書くんだよこの人は。
俺もそんな印象もったな。鈴木は反対みたいだが。こうなると印象論同士の
水掛け論になっちゃって、話が終わらないな。>>182のアセンションの論も
ムーや俺の印象と同じようなレベルの印象論ってかんじだ。
つまり、この問題について論じても、水掛け論にしかなりえないというw >>183
>安吾は最初から文学者として政治に反逆していたんだと思います。
安吾が「堕落論」「続堕落論」以前に、政治と文学の関係についてなにがしか
語っているかどうかはよくしらないが、俺からすると、安吾が政治と文学の
関係について語ったこの部分は、小林秀雄からの影響受けてるようにおもえ
ちゃうんだよね。小林の「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」の影響受けてる
論のように俺には読めてしまうな。
あと、論の構成上の問題についても指摘しておくと、文学と政治の反逆的協力に
ついて語った一節は、「続堕落論」においては、論の一番最後のほうにでてくるんで
論の構成上、結論部分で語られるべき必然性があるというべきだろう。
>論全体を通してですが、前を向いて貪欲に生きる姿勢を感じています。
どこまでもまっすぐに前へ前へと生きていこうという姿勢はあるな。
ただし、そういう生き方すれば、どうしたって社会と衝突せずには
いられないからねw社会と衝突して、徐々に隘路へ追い詰められて
いくという、そういう運命が垣間見えるそんな生き方。 >>185
>こちらの制度の方がよい、とは言わないわけでしょう。
そうだね。結局、すべての制度を否定する道に追い詰められると思うな。
この論理をつきつめていくと。
>マッキーのような人間になる事だと思う。
マッキーって誰じゃ?
>その表現が矛盾しているとは俺は思わないんだなあ。
んじゃ、>>172の表現は矛盾してると思う?