比喩と表現の上手い人物
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比喩や表現能力の秀逸な作者に関して意見交換したい。
個人的には、
・シェイクスピア
・ゲーテ
・ニーチェ
あたりなんだが。
他にも優秀な作品とか人物とか、いる?
なお、ハイデガーみたいな、いかにも哲学的でござい、って感じのは、興味ない。
まぁ挙げてもいいけど。 ジュリアン・グラックや、ルネ・シャールはどうでしょう カネがかからず読める範囲内で読んでみて、返答しよう。
てか、個人的には、小説は基本的には読んでない。
人がどうしたこうしたということを延々と読みたいのでは無く、
俺が読みたいのは、本当に秀逸な一瞬なんだよね。
小説とか、1冊の中にそんな一瞬なんて、ほとんど無いし。
俺は未知の詩の海の中に飛び込んでいきたいものだ……。 コクトーのポトマックは詩的で好きだな
どうですか? あ〜。図書館で見つけた。
ジュリアン・グラック
「アルゴールの城にて」
「大いなる自由」
ルネ・シャール
「ルネ・シャール全詩集」
なるほど、確かに両名ともに、詩的なクォリティがあった。
昨今の小説と比べたら、俺向きの文章である、と言える。
ただ、読んだと言っても、飛ばし読みだが。
俺はシェイクスピアもとばし読みだ。人がどうしたこうしたとか、どうでもいいし。
ジュリアン・グラックは、ネットでの評価に、
「読んでるうちに何を言いたいのかわかんなくなってくる」
と書いてあったが、その通りだと思った。
けど俺は物語を追う気はなくて、秀逸な一文とかを探すだけだから、
「本編が分からなくなってくる」
ことに関しては、どうでもよかったけど。
個人的な評価としては、リルケやサンテグジュベリと同列ぐらいだった。
普通の連想で出てくる範囲内の言葉や表現が多い、という感じ。まだ足りない。
ゲーテの縦横無尽さや、ニーチェの意味不明レベルの飛躍は感じられない。
ただ、両名ともに死に立てほやほやの現代作家という点はちょっと面白い。 現代って、簡潔な普通の文体の小説以外は駆逐されているようにしか思えない。
真なる文学は駆逐されているようにしか思えないのだが、そういうものを書く作家も、存在していないこともない、ということか。
個人的には、最近の作品で心に引っかかっているものはせいぜい一作品。映画「ハンニバル・ライジング」の原作の冒頭は、なかなか秀逸な表現だった記憶はある。冒頭しか読んでないが。
んで。
次は、コクトーのポトマックね。
それも調べてみませう。
あぁ、そういえば、思い出した。
ランボーの
「怒りの季節」って詩集だったかなんだったかか、すごい表現だった。
昔の話で今ほど表現に凝ってなかったから、もっかい引っ張り出して読んでみよ。
ただ個人的には、ゲーテの「ファウスト」並の作品がほしいところだが。 <これは一体何なのだろう?子供染みた疑念が、意識の腋をくすぐっているような
奇妙な感覚だった。金属線を巻きつけられて目一杯引っ張られた羊の腸が、
指で弾かれたり、馬の尻から伸びた毛で摩擦されたりして、世にも美しく鳴り響いている。
そして、それに合わせて繰り返されるのは、「聖なるかな、聖なるかな、……」という言葉!
少年の若い声帯が、大人の男にはもう決して届かない高みの音を、
失われた無垢そのもののように響かせてみせる。------死を嘆き、悲しむというのは、
人間特有の崇高な感情なのだという。しかし、その感情は、こんな馬鹿な道化じみた遊びで
、慰められるように出来ているのだろうか?こんな、ちんどん屋に毛の生えたようなのに、
涙ながらに聞き入って、心静かに死んだ人間のことを思うのが、美しい人間というわけか!
清らかだ!……ああ、いかにも浄らか!……>(決壊 下巻 p. 377)
>金属線を巻きつけられて目一杯引っ張られた羊の腸が、
指で弾かれたり、馬の尻から伸びた毛で摩擦されたりして、世にも美しく鳴り響いている
これはうまいと思うよ グラックって原書の方が読みやすくて笑える
まあ訳してる連中がアレなのが原因なんだが まあしかしこのスレのコピペなんかと比べると、アレな詩人共の翻訳文がとんでもない名文に思えてくるな。平野ってのは本当にこんな文章で小説を書いているのか?
高校生でもこんな恥ずかしい調子の文章には閉口するでしょ。 比喩・表現のうまさを語るとき、その作者の国の文化的背景の理解が必要では 比喩比喩とウザイことぬかすんだったら
ノストラダムスでも読めばいいよw
知人から聞いた話だと、むかし俳人の夏石番也は学部生向けの原書購読の授業で
ノストラダムスの詩をテキストにしたらしいけどね。
文学的にはそれなりに読めるらしい(よく知んないけどさ)。 聖書の比喩はベタすぎる
やはりロシアの前衛作家、ハルムスかな
ハルムスの比喩はすごい 車内では、間延びした時間に倦んだ乗客たちの間に、彼方の新幹線の接近を探ろうと
するような気配が立ち始めていた。五感には、まだ何も届けられてはいなかった。
次の瞬間、突如として車体が傾くほどの衝撃が訪れると、車窓を一刷毛で猛然と白く塗り
潰し、去り際にはまた律儀に車体の傾きを直して、あとの余韻も残さずに去っていった。
何秒と数えるよりも、あっと言う間という慣用句がぴったりな感じだった。
発車のベルが長閑に鳴り響いて、ドアが閉ざされた。やがて、乗客の視界からホームの
景色が少しずつ遅れ始めると、見る見る加速してそれが目まぐるしくなり、駅の全長は
呆気なく辿り尽くされた
新幹線がすれ違う。新幹線がトンネルを抜けるだけの場面をこれだけ見事に表現するとは
>去り際にはまた律儀に車体の傾きを直して、あとの余韻も残さずに去っていった
>見る見る加速してそれが目まぐるしくなり、駅の全長は呆気なく辿り尽くされた 日本では、星さん。
新一じゃないよ、星ひゆー馬
なんちゃって(笑) 比喩でも直喩・暗喩・換喩・提喩などがある。
ここでみんなが列挙されてる作家連中は直喩や暗喩がうまい奴らでしょ?
でも換喩・提喩の使い方がうまい作家なら
ウスペンスキーに指を屈するしかないよ。 >>1ん、ダンテ、ゲーテ辺りでは?(大天才だから人間の尺度を越えていますが……)
>>25 武陽隠士さん。で、「ウスペンスキーの諸作品」は自分自身で実際に確りと読み込みましたか?
時々、見え透いたはったりを混在させて記してみるのは、イケナイ行いだよ。
どうなんですか?? では!!!
Mr.Tさん、比喩遊びしましょう。はじめに断っておきますが、あなたに
敵意とか恨みとかは、持たないつもりです。名無しの方々は無視しましょう。
仮にそれらしくあなたを真似たところで、無理です。なぜなら、例えば、萬葉集
の偽作まで判りますから。
でね、とくに文学の勝ち負けは人間のするものではありませんよね。好みは人それ
ぞれにあってしかるべきですが、あえてわれわれを判定するのは、時間です。
範囲は歴史記録のあるすべての文物でよろしいでしょうか? 総合芸術まで入れても
構いません。繰り返しますが、あくまで遊びです。また、こういうスレッド
という限定がありますから、短文がよろしいかと存じます。
以上、ご承諾願えるのであれば、Mr.Tさんのほうから、お願いします。
ご回答お待ちしています。 >>26
「ウスペンスキーの諸作品」を読んだなんてことは>>25でも一言もいってないんだけどな。
だいたい読みたくても翻訳がほとんどない。英訳仏訳もなかった…はず(以前、調べた限りでは)。 ウスペンスキーを揚げる必要はどこにありますか? うちの蔵書として露文ならありますよ。
しかし、たいしたことはありません。露文ならほかにも山ほどの天才がいますよね。
揚げてみてください。 センバンテス、レフ・トルストイ、プーシキン、アンナ・アフマートワっても
翻訳だろ。だったら白秋に勝てるかな。塚本邦雄も無理でしょ。露伴無理でしょ。やめときな。 おやはや(笑)武陽なんぞはおそらくトロツキーからの引き写しで語っておるだけなのでしょう(笑)おやはや(笑) 批評の批評を「知見」と称してさも自分の意見のように見せて書き込む事の恥ずかしさ。 今、『笑っていいとも』に 大黒摩季さん(40才)が 出ています!*
大黒摩季さんは 子宮筋腫 、卵巣のう腫など4つの子宮疾患を併発し
治療のため、10月末で活動を休止することにしたと言ってます☆
立野記代さん(45才)は「卵巣のう腫 破裂」という病気になりました*
記代さんは 栗原あゆみたち カワイイ後輩に
迷惑をかけるといけないと思い 引退を決意したのです☆
立野記代さんも 大黒摩季さんも・・
子供を産めないカラダに なってしまったのです*
せっかく新しくできたモコスレに「埋め」と書き込んでるヤツらよ!
お前らも、一生 子供の産めないカラダにしてヤろうか!*
おまえらは、現状、モコの表向きだけを見て 批判してンだろ!?☆
てめぇらに モコのことが言えるのかヨ!?*
おまえらみたいなのをクズって言うんだよ。
働けよ。 ニート野郎どもが!☆
おまえらの考え方は ガキなんだよ。
てめぇらのように 一方的にしか考えることができないガキは使えないヨ。
とりあえず モコの悪口を言える立場なのか! おまえら!*
「埋め」とか「paipai」とか キレイごとばッかり 述べてんじゃねーよカス*
おまえらみたいな負け組ってさ、輝いてるモコを嫉むしか脳がないんだよね☆
ろくに働きもせずにモコに対する責任転換*
必死に生きてるモコに対して軽蔑の眼☆
何か自分に非があればイジメのせい、ウツのせい。 モコのせい☆
もう一度言う。 お ま え ら は 何 さ ま だ よ ク ズ !*
くやしかったら、熟女 モコのケツに本気で欲情してごらんヨ!☆ *「アイパッド小説 〜 アイアン ウンコ フロム モコ」*
☆ウンコ モコは 昔の話をしていた☆
17歳で まだ子どもだった頃のアイアン ウンコ モコは
ステージで腕を骨折したのだ*
腕を骨折して ステージを終えて
子どもの割には だだっ広い部屋に
たった一人で ぽつんと たたずんでいると
大きなバースデイケーキが 届けられてきた*
「こんな大きなバースデイケーキ、一人じゃ食べきれないヤ」
と 思いながら さびしい気持ちで モコはケーキをながめていたんだヨ☆
「芸能界は むなしい…*
モコは 鉄のように硬いから ポキンと折れてしまうんだ☆
モコには 柔軟性が必要なんだ」*
そう思ったモコは 芸能界を引退した☆
恋愛小説家の瀬戸内晴美が 得度して天台宗の尼僧になり
瀬戸内寂聴に改名したように
モコも 尼さんになり
「アイアン ウンコ モコ」から「ソフト ウンコ モコ」に改名して
山にこもった*
あれから 29年…☆
モコは今 46才*
モコも 熟女になった☆
アイアン ウンコ モコは とうとう山を降りる決意をした*
モコは 山を降りて 他人の家の中に勝手に入っていった☆
そして あたたかで ふかふかのベッドで寝た*
その後 お風呂に入った☆
しかし ウンコだったモコは 溶けてしまった*
あたりには 臭い匂いだけが ただよっていた☆ 個人的に漫画は文学が書けない人が描いた絵の小説だと思っている。 しんじゅ☆♪さんすごすぎ!
「ヘミシンクとゆるゆる日記」
フォーマットのしくみ、分かりましたか?
録画したデジタル放送の番組を、DVDディスクやブルーレイディスクに記録
しようとすると、「フォーマット(初期化)を行いますか?」ってレコーダ
ーに聞かれる。これが毎回のことで、正直ちょっとめんどくさい。確認しなくていいから、やっといてくれと。
書き込む準備作業として必要だとは分かってるけど、アナログ時代はそんな
こと聞かれなかった。前は要らなかったフォーマット作業、どうして必要に
なっちゃったんだろうか。
大手家電メーカーに話を伺った(説明が専門的なので、「2か国語放送の主
音声と副音声の要領」で説明します。何がなんやら……って方は、カッコ内の意訳した方をご覧ください)。
「DVDディスクでもブルーレイディスクでも、記録したいデータ(アプリ
ケーション)によって,ファイルシステム等を変える必要があるため,書き
込む前に適当なフォーマットに変更する作業が必要です。ブルーレイディ
スクは、未フォーマットの状態で販売されているので、一度フォーマット
することが必要になっています。またDVD-R は、ビデオ方式(DVD-Video)
で記録できる状態で販売されているので,VR方式やAVCREC方式で記録するには,改めてフォーマットが必要になるんです」
(真っ白な紙に線を引いて、文字を書きやすくするように、買ってきたまっさらなディスクを、録画やダビングができる状態にする必要があります。それが“フォーマット”という作業です。基本的にどのディスクもフォ
ーマットしていない状態で売られていますが、DVD-Rは
、アナログ放送を録画する用に、フォーマットが済んでいる状態で売られて
います。そのため、アナログ放送ではそのまま録画でき、デジタル放送では
改めてフォーマットしなければならないんです)
ブローティガンより比喩のうまい作家に出会ったことがない。トルストイ? 話にならない。 ゲーテやリルケは確かにすごい。
ヘンリ・ミラーやブローティガンなどのアメリカン勢も突飛だがすごい。
日本なら村上春樹、大江さん、漱石に、三島くらい。
バロウズなんかは思わずしらずゲーテなんかのレベルを飛び越えちゃってますが、まあブルトンとかあのレベル。 スレタイは比喩と表現の上手い「人物」だから
「民さんは野菊のような人だ」の政夫とかかと思った。 kagerouとかいう水島ヒロの小説は、ブローティガンとか春樹みたいな比喩を目指したんだろう(編集者かな?)
だが、引き合いに出すのも恥ずかしいくらい、うさんくさく手抜きな比喩なんだよな。
やたら動物を出してくるが、だから何、みたいな比喩。
あとスパイダーマンみたいな、とか
やめろ!
ゆとり
しね! 細い影は人文字
海の背中に伸びている
君は春の客船
冬の港見てるだけ
言いそびれて白抜きの言葉が
風に舞うよ
音のないスクリーンだけを
眺めてるように
吐息ひとつスピーチ・バルーン
声にならない飛行船
君は耳に手を当て
身をよじるけど何も届かない >>51
あんまり言わないでくれ。ブローティガンはあんまり広まってほしくないんだ。 ブローティガンの比喩はワン&オンリーだけど、まあヘンリーミラーちゃんとかバロウズ仙人の影響よりは、オレーシャとかシュルツあたりだと思うんだがね。 まあ、ジョン・ダンの影響もあるとは思うね。
てか、村上春樹の比喩はいまだにブローティガンを引きずってるね。まあブローティガンを超えるのは無理でしょ、比喩の点では。 魚の活魚輸送には酸素ボンベ?空気ボンベ? - Yahoo!知恵
袋酸素ボンベです。ペットショップではよく酸素ガスと書かれた大
きなボンベを使います。 生体を買う時は店員が袋にボンベのガス
をプシューと入れてる所をよく見掛けます。個人 での生体輸送用
には制汗スプレーサイズの酸素ガスが売られています
このスレ読んでブローティガってみようと思った 明日本屋で探すべ 学生時代の先生が言ってたが、ブローティガンの比喩はしばしば濫喩というレベルにまで達していて、それは詩人としてのブローティガンの癖みたいなものだと。
村上春樹の比喩はブローティガンの比喩のスタイルを真似たんだが、やはりそういったイメージの飛躍に関しては、能力が落ちる、とも言っていた。
まあ春樹は詩を書かないからね。 宮部みゆきと村上龍と乙一はへたくそ。てか頻発するばかりで手垢のついた比喩ばかり。笑えるぞ。 シオランとかダメ?
世の中への呪詛の比喩なら誰にも負けないんじゃないか
一生それで飯食ってたんだしw 走る
千賀子は走って社屋に駆け込んだ。オレンジジュースを二本買って、また 駆けて戻った。おつかいを言いつけられた子供のように。「返事はいらない」
それを聞いたとたん、修治は走りだしていた。短い距離だが、 ほとんど一歩で駆けつけたような感じがした。『スナーク狩り』
ハナキン 煩雑な日常は、切符と一緒に駅員に渡してしまった。あとはただ楽しめばいい。
恥
正月早々大の男がディズニーランドに行くなんて、ましてそこで泊まるなんて、 アルマーニのスーツの下にフリルのパンティを穿くのと同じくらい恥ずかしいことだ。「ロンリー・ハート」
鼻歌
もともと、鼻歌というのは、「喜び」「シアワセ」という複雑な人間機械の オプションであって、黙っていてもくっついてくるというものではないのだ。「ミルキーウエイ」
なにこれ。やばいだろ。読者の知的レベル同様の、、 西部劇のなかに登場する、丸腰の人を背後から撃ち殺す殺し屋の笑いだった。「さよなら、キリハラさん」
保守党の選挙用CMに出てくる子役みたいな屈託のない笑い方をする。「ステップファザー・ステップ」
『ブラック・レイン』の松田優作のような笑い方をした。「ミルキーウエイ」
明るい笑い声がした。教室で不覚にも生徒の冗談に笑い出してしまった教師の ような さあ。冗長だし、適当にすばやく書き流してる感がするから、途中で読むのをやめたくなる。
けっこう読者家のわたしでもこれまで二冊しか最後まで読めてない。 >>66
これは酷いwこれなら比喩使わない方がいい 宮部みゆきはやはりストーリーのひとでしょ。上に書いてあるようになんか長いのばっかだから短編好きにはきついが。 比喩は、イージーなものと、その逆にがんばってみました感の強い、いわゆる極端なものが多いね。まあエンタメ小説はレトリックは下手だよ。 まあでも、ラノベとかケータイ小説とか一部の時代小説とかになってくると、宮部みゆきよりひどいレベルはうようよしている 大江は馬鹿みたいにやたらと詩的な比喩を使う
んで それをちょいと流用したりすると 開高健の表現が上手いと思ったことはサスガにないなぁ
いや内容はそこそこっ・・・て再読すらしないけど フォークナーだろう。
読むのがいやになるかもしれないけど。 俄然宮沢賢治だな 流石理系だけあってそっち系の比喩で攻めるのが凄く上手い
文系なら福永武彦の比喩の右に出る者を未だ見たことがない って位に俺は好き 理系の比喩なんて理系の人間からしたら陳腐もいいとこ。
ふつうにヘンリー・ミラーだよ
福永たけひこなど話にならん 書き込んでる人は本当に文学が必要だろうか?ただ趣味
で読んで書き込んでるようにしか見えない。(文学板も?)
趣味で読んでもいいのかもしれない。ただ趣味で文学なん
て読むくらいなら始めから読まなければいい。他にもっと
楽しいことあるんだから。そういう人には文学はあまり意
味がない。 ブローティガン比喩がうまいと言うから読んだら、ぜんぜんそうじゃなかったわ。
独特の世界をもっている作家ではあるが、比喩はまったくうまいと思わなかったな。
言葉遊びに限るならラノベの方が上手いのかもしれないなんて思ったり思わなかったり >>88
あたま大丈夫か?
アナロジカルな思考もできないくせに、ブローティガンとか読むのは無理だから、きみはせいぜいジュネとかスタインベックとかヘンリー・ミラーとか大江健三郎あたりで我慢なさい。
>>83
ではあるべきお手本を披露して下さい。どうぞ! 「君はひどい場所にやってきたとるに足らない人間だよ」
「君は包茎チンポの皮の間に挟まった陰毛だ。」 >>83 確かに。宮沢健二とか下手杉。専門用語だらけ。 ふつうにヘンリー・ミラーだよ
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