三島由紀夫の文って読みづらくないか?
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>>538
「雛の宿」が少し似たような少女が出てくるかな。 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
>島本町って町は暴力とイジメと口裏合わせと口封じと泣き寝入りの町なんだなあ
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない深い傷になる
暴力とイジメの町に巣食うヤクザ・チンピラ・ゴロツキ・不良・ いじめっ子・殺人鬼・ダニ・
ノミ・シラミなどを監視して非難するのは暮らしやすい町を作るのに必要だ 誰が読んでも読み辛い。
よっぽど屈折して生きていたんだろう。
自殺して大正解だろう。 鏡子の家で初めてコケるまで三島はベストセラー連発だったんだけどな
三島の親父の本によると三島の葬儀は下町の普通の主婦みたいな人がたくさん駆けつけて
涙を流して別れを惜しんでくれたのが印象的だったらしい
つまり特に学があるわけではない一般大衆のファンも多かったわけで
自分も含めての話だけど、単に日本人全体の日本語の能力や知的レベルが落ちただけじゃないかな? >>545
有名人がセンセーショナルな死に方をしたら
とりあえず騒ぐ人たちってのは昔も今も変わらず存在するわけよ
「葬式に駆けつけて泣く」の現代バージョンが
ツイッターで「RIP」「RIP」とつぶやくやつだろ
そういう「学があるわけではない一般大衆のファン」は多かったかもしれないが、
日本人全体の知的水準の指標になるエピソードじゃないと思うな むしろ読みやすい。
読みにくいのは大江健三郎とか石原慎太郎の悪文 >>546
そういう輩ももちろんいただろうが、小説が手軽な娯楽や情報源として大衆の生活の中で占めていた割合が
当時は現代とくらべものにならないくらい大きかったのが想像に難くないと思うが ボディービル同様、文章も彫刻のような硬さがある。三島が批判した太宰の文章のほうが、よほど生き生きとして、読みやすい。http://ameblo.jp/tn2009/中村剣のお笑い祭り よく三島由紀夫はわざと難しい言葉使ってる衒学主義だって言うやついるけど
幼い頃から国語辞典読んでたら一般人が言う難しい言葉と難しくない言葉の違いなんて判断つかないやろ >>549
太宰にも硬質な文章の作品はあるし、三島も「夏子の冒険」や「命売ります」みたいに
エンタメ色の強い読みやすい作品をたくさん書いてる
自分で考えたのか中村剣って人の引用なのかわからないが、頭の悪そうな文だな 宗教から歴史、文学、政治経済まであらゆる情報の宝庫!
宗教を正しく学ぶ事が幸福への第一歩です。
念仏、真言宗、禅宗の害毒について学びましょう!
「中杉弘のブログ」
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ 不道徳教育講座は普通に読みやすい。
石原慎太郎のエッセイは文章がへたくそなのがよくわかるよ。 夏子の冒険は途中で三島作品だという事を忘れるくらい軽快だね 不道徳教育講座は読みやすかった。
その後に仮面の告白を読んだけど、一文一文、抽象的な表現の意味するところを考えて整理しながら読んだので、なかなか時間もかかったし、少しは読みにくいと感じたかな ■■■
通名の方々:
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■■■ 洋食作法を知つてゐたつて、別段品性や思想が向上するわけはないのですが、
こんなものに影響をうけた女性は、スープを音を立てて吸ふ男を、頭から野蛮人と決めてしまひます。
エチケットなどといふものは、俗の俗なるもので、その人の偉さとは何の関係もないのである。
三島由紀夫「不道徳教育講座 スープは音を立てて吸ふべし」より 「音楽煮込み ばっかじゃないの」
■ 12/26放送分 市川次郎版 第8回
☆漢字廃止論を語るの巻
http://www.hitomi-m.com/ongakunikomi/ongakkunikomi.html
#漢字 #漢字廃止 #日本のローマ字社 #田中克彦 #角川SSC新書 #野村雅昭 #三元社 #三島由紀夫 #吉行淳之介 #安部公房 『假面の告白』は読みやすかったぞ。
『禁色』二作も面白かった。
戯曲はいづれも三島由紀夫の詩心横溢で宜しい! 39 : 陽気な名無しさん
今年の大河ドマラに、真田昌幸が若い頃、武田信玄に寵愛されていた小姓時代も登場するのかナッ?
若かりし頃の草刈正雄だったら、演技力がゼロだから、
ちょうど地のママ、自然体で演ずれば、上手く描けただろうゼッ!!!!!
男色シーンの無い戦国時代なんざ嘘偽り、虚妄の作り物でしかネエから、
ここは必ず回想場面としてでも挿入すべきエピソードなのサッ!!!!!!!!
分かったナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!
〆 読みやすい三島なんて三島じゃねーよ。
武者小路になっちまうぜ。 初めて三島作品読んでるけど本当に読みづらいな
これを200ページ位読むのか・・・難業だ。。。 音楽には音階があって、単調と長調の違いは聴けばすぐに分かるけど、言葉はなかなか難しくて音階ほど明確な差が出にくい。
音階を決めて、または決められた音階をつかって作曲するのと、言葉を使って小説を書くのでは、自由に演繹できる幅が小説のほうは広すぎる。
三島由紀夫は文章を小説ごとに変えている。小説を組み立てる語彙を意識して使い分けてるのがよく分かる。ただ、明確な差は音階と違ってやっぱり出にくい。
そこで読みづらいってことだけど、文章自体は複雑な組み立て方はしてないよ。むしろ明快で読み手への親切心を感じる(お母さんに読んで聞かせていたそうですし)。
だけど語彙が多いうえに、ときおり難解な言葉を使うので、敬して遠ざけたくなるのもわかる。
しかし実はじっくり耳を傾けると、下手をすればいうことをきかなくなり、演奏会をしっちゃかめっちゃかにしてしまう手ごわいオーケストラを華麗にあやつり、美しい旋律を奏でているのが聞こえるのであ〜る〜。
と美しい星と葉隠入信と仮面の告白を読んで思った。 >>11
どうしても話をそっち方向に持って行きたいんだなw日本語圏外の人にコンプでもあるのか? >>35
こういうダラダラした七面倒な文章ほんとイライラする。ところどころに知識のひけらかしも入っていて書き手の劣等感すら感じる。三島の文章もこんなだった。 個人的な体験以後の大江や
輝ける闇以後の開口や
岬以後の中上も同じように読みづらかったら
単に読書経験とか能力が欠如している
三島だけだったら合ってない
生理的に嫌いなんじゃないかな 三島由紀夫の死後、大岡昇平は三島の文体に時折露骨なかたちで現れる奇妙なメカニズムを指摘している。三島の文体全般
に言えることだが、時折唖然とするほどに空疎な措辞を用いた文章が現れるという点である。例えば、と大岡は『天人五衰
』の一文を挙げる。…「宇治市へ入ると、山々の青さがはじめて目に滴った」。…「目の前の現実に対して言葉は既成の言
葉の中からほとんど自動的に選ばれる。つまりは美文が生まれる訳である」と大岡は言っている。要するに銭湯の壁画みた
いだ、ということである。
同じことが、或いはこの文例よりもさらに空虚な措辞からなる次のような文にも認められる。『暁の寺』最後のクライマッ
クス部分である。「こんな場合にも、ほとんど無意識の習慣で、本多は赤富士を見つめた目を、すぐかたわらの朝空へ移し
た。すると截然と的れきたる冬の富士が泛んで来た」。…「セツゼントテキレキタルフユノフジ」! …
「既成の言葉の中から自動的に選ばれる」という大岡の評言は、要するに三島は目の前の「現実」に対して、可能な限りそ
れに“相応しい”言葉の探究をすることなく、例えば旅行用パンフレットに書かれるような「既成のレトリック」の中から
…切り取って来るかのようだといった意味だろう。しかしここで重要なのは、三島が、或いは三島が選んだ「文体」が半ば
意図的に「現実」との接触を避ける身振りを持っているという点である。正確に言えば、「現実」を前にし、一応そこに向
けての接近の身振りをするのだが…そしてそこにおける三島の詳細で微分的な精密さについて否定する者はいないと思われ
るが、しかし、三島の文体には或る“感覚的に自動的な”飽和点とでも呼ぶべきものがあって、文章が現実の不定型に巻き
込まれる程に近づこうとする瞬間に身を引いて自らの中に凝固しようとするかのようなのである。(丹生谷貴志) >>573
>「目の前の現実に対して言葉は既成の言葉の中からほとんど自動的に選ばれる。
>つまりは美文が生まれる訳である」と大岡は言っている。
>要するに銭湯の壁画みたいだ、ということである。
既成の表現群から抽出した言葉を一定のフォーマットに即して
配列・再構成することによって文章を記述する事は文章家としては当然のことであり
これが美文なのだという大岡の定義はまあ良いとして
この大岡の指摘から直ちに「銭湯の壁画」といった結論を導き出す
丹生谷の論は粗忽きわまりない
また記述言語と音声言語は本来異質なものであり
記述言語を日常的に使用される音声言語に返還した上で
シンタグムとパラディグムという言語学の観点から
選択と配列のミスマッチをあげつらい
それを記述者の現実回避の傾向によるものだ
といった精神分析学的評価を下すのは的外れ
単に三島は文章を現実とは切り離された独自のモノと捉えて
物語を構成しただけなので
書き手が現実世界と対峙した時に生じるであろう感情や癖が
作品世界にはほとんど反映されることがない
それは三島との対談で既に小林秀雄が指摘していることであり
上で名前の挙がった開高の表現を借りるのなら
「きれいに匂いを消している」わけだ 凝固とか飽和点といった
科学実験ぽい比喩には注意が必要
なんとなく雰囲気で使ってしまうから
いい加減なもんだ 三島って頭はいいけど基本ナルシストなんだよね。
だから文章もナルシスト感たっぷりで読みにくい。
「わが思春期」なんかは最高に分かりやすいいい文章だけど。 皆さん、芸術家なら自分の作品をエラボレートするのは当り前だろう、といわれるかもしれません。しかし、この国ではそうじゃないんです。エラ
ボレートする作家は──文学でいうならば──じつにまれで、たとえば安部公房のように特別な人なんです。かれの小説の初出と、全集におさめて
あるものを比較すればあきらかですが、安部さんはいったん発表したものも、なおみがきあげずにはいられない作家でした。
三島由紀夫の文体は見事だ、というのが定説ですが、あれはエラボレートという泥くさい人間的な努力の過程をつうじて、なしとげられた「美しい
文章」ではないのです。三島さんは、いわばマニエリスム的な操作で作ったものをそこに書くだけです。書いたものが起き上がって自分に対立して
くるのを、あらためて作りなおして、その過程で自分も変えられつつ、思ってもみなかった達成に行く、というのではありません。三島さんのレト
リック、美文は、いわば死体に化粧をする、アメリカの葬儀屋のやっているような作業の成果なんです。若い作家でそれを真似ている人たちがいま
すから、ここでそう批判しておきたいと思います。(大江健三郎) 的外れw
用語も比喩も間違いだらけ
雪国もそういう印象の文体だが
実際は複雑な成立過程
俺はこの大江の屁理屈を広く
投入堂理論と読んでいる ところが不思議な転倒現象があるんです。戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫であり、明晰であるべき批評家たちが不透明に情念を語ること
に終始したんですね。三島は、最初から作品の終わりが見え、そこから計算しつくされたやり方で作品を組み立てて、きらびやかであるだけいっそ
う空虚な言葉の結晶を残した。他方、小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかりだった。二重の貧困です。(浅田彰) 金閣寺も酷いよな
最後が生きようと思っただもんな
金閣炎上場面もう少し書けないと詐欺師みたいなもんだろ。
小林秀雄ならずとも『何で生きようと思ったの。』と183の一つも言いたくなる。
叙事詩としてなら書くような素材じゃないし。
三島は小説のつもりで書き始めたけど小説にならず小説家としての自分に絶望した記念碑的作品かな。
松本清張に嫉妬するのも無理ない。
>>579
ずいぶんパクリもやってる大江が偉そうに、あかん。 小林の亜流てだれだろ
そういう言い方あるけど
じゃあ誰だよ
そもそも小林は作品単位じゃなくて
作家と合体して同一化するだろ この対談に載った三島由紀夫特集(『新潮』一九八八年一月号)の時点で依然として、三島は本気で死んだのだ、「神」なき日本近代において逆説的に
「神」を希求すべく最後の侵犯行為を行ったのだ、といった論調が見られた(たとえば富岡幸一郎「仮面の『神学』」)のには、率直にいって唖然とし
た。三島のなかにそういう意図がまったくなかったわけではないとしても、そんな単純な図式で割り切れる人間でないことは明白ではないか。三島
をバタイユらと論ずるのも適当ではない。三島がバタイユよりはるかに小心であり、同時に、はるかに頭がいいことは、これまた明白ではないか。(浅田彰) >>577
三島は開高健との対談で開高が「小説は生き物で最後はどうなるか作者もわからない」
と言えば三島は「僕は最後の一行が決まらないと書き出せないと言ってるね」
対して開高は「三島さんそれは小説じゃなく評論じゃないんですか」と言い
それに対して三島は「そう僕は一に評論家二に評論家三に小説家だよ」って言ってる 佐藤愛子は三島さんが小説家だったか文筆家だったか、まあその手の全才能と180cmの身長と交換できるとしたら
タメライなく交換したと思うと喝破したが、評論、戯曲はともかく、小説はすべてその証明のようなもんだな
中村光夫が三島に嗅いだ私小説臭
三島解読のキーワードは同性愛などではなく身長なのだな、
三島とチビについて考えた事のない考えられない人間がいくら三島語っても全く無意味。 >>586
これは三島の小説が「本当の小説ではない」理由としてよく言われるのだが、
実はそうではないのではないかといつも疑問に思う。
単に手順の違いに過ぎないんじゃないかと。
大江とか春樹は0から書き始め、まさに先が見えない状態で初稿を書き、
それを5回ぐらい書き直すという。
一方三島は非常に綿密なノートを作り、それを完成させてから
実際に原稿を書き始めて、あとはほとんど推敲などもしない。
これは登場人物がどう動くかわからないという段階を
ノート作成の中ですでにやっているからだけのことで
本質的な小説の性質の違いとは関係ないのではないか
ちなみに中上もノート派だったらしい
なぜか遺族がそれを公開しないということがあるらしいけど 話としてまとめると、誰でも飲み込めそうな話なんだよね。
あの世で起きた神の相談。
エバは、イナンナだった女性でモーゼに旧約聖書の作者になってもらうことをお願いして
自分はイシュタルとして身を潜める。
イシュタルは、マリアとイエスが親子だという話を広める為に
イエスにメシアの役を務めるようお願いする。
イシュタルは、マリアや中国の妲己や天照大御神とグループを形成し、
お稲荷さんを始める。※お稲荷さんには重要な仕事があり、悟りを開く前の人間に対し、
誘惑を仕掛ける。また、人間の秘儀参入時の霊界の審査もお稲荷さん中心で開催される。
それが、稲穂を実らせる前の荷物という意味。
此処重要。重要なのに日本人は誰も字の意味を解いてない。
お稲荷さんとは悟りそうな人をそのまま進ませるかどうかを
判定してくれる存在。
現在の課題。
イエスが中心の世界だけれども、イエスはお稲荷さんに呼ばれてメシアになった人で
メシアはお稲荷さんが引き連れている地縛霊に憑依を依頼し、輪廻を終えるカルマが
無くならないように働きかけ、霊界からの支配が継続するように見張っている。← この点を言及してほしい。
王路(引き寄せの法則) おまえらの力が必要だ!
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/atopi/1512118999/ 「金閣寺」は、文字に依ってビジュアル化を試みた実験的な作品だと思った。主人公の網膜に写し込んだ金閣寺の細部の体現を、できるだけありのままに読者が知覚し、主人公の心情に近づけるか?と。
言葉足らずはもちろんのこと、読者の経験値に任せるとか、読者の感性に委ねるなどの、甘えや余地を許さず、厳格に作者の意図を伝えるために、多弁に緻密に説明を羅列した結果、読みづらくなってしまったのかなと。
また、それが三島作品の個性と面白さかな。 野坂昭如が金閣寺以降の三島はダメだとどこかに書いてるか、発言しているが、全く同感。金閣以降は才能はあるが、初期と比べて天才性が希薄。それでも、あれだけの文才は同時代には稀であることには違いないけど。(金閣はよい) 書体だけで論旨を抜き取れるのが多いな。難易度はBランクぐらいと思う。
開口の方がいいんじゃないの?生徒会長でさ。 >>596
「永すぎた春」いいですね
わたしは「夏子の冒険」が好きです(´・ω・`) >>1
何を言ってる 三島ほど明晰な文体はないのに特に評論なんて
明晰の手本だよ
だから論理的な海外で評価されてるんだよ 三島さんって文体自在で本によって違う
「お嬢さん」っての読んだけど
どうでもいい物語に難解でないけどゴテゴテした文体かつ
くどい表現でとても読みにくい
ようは主人公の人間性やら女ってのを文体で皮肉ってんだけど、こんなの
初めに読んだら三島由紀夫は読みにくい、となりますよね 三島の小説からレトリックを割り引いたら無味乾燥な論証だけになるよ >>609
「潮騒」わたしも好きです
三島さんの作品は、「仮面の告白」のような正統的(?)なものは、修飾語句や表現がゴテゴテしていて、
読みづらく感じます。反面、「夏子の冒険」「幸福号出帆」のような娯楽系は読みやすくておもしろい(´・ω・`) 三島由紀夫の埋もれた超短編作品「恋文」 文芸誌掲載へ
https://www.asahi.com/articles/ASP4575XHP44UCVL001.html
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20210405002847_commL.jpg
作家の三島由紀夫(1925〜70)が、新進作家として歩み出していた20代半ばに「恋文」と題した掌編小説を残していたことがわかった。全集や単行本には未収録で、専門家にも存在を知られていなかった。7日発売の文芸誌「新潮」に掲載される。
「恋文」は、宴会に出ていた男がハンカチを取りだそうとして、知らないうちに入っていた手紙を見つける場面で始まる。「明日五時PX前でお待ちします。X子」。匿名の恋文に隠された秘密が米占領下の日本の状況を暗示するような短い物語だ。 恋文/三島由紀夫(ちくわ金玉文庫41)
恋さんは菊座みたいな人だ……。
そう云ってコインロッカアを開いた先に広がる膣内世界
ああああああ本物の写生だ、おおお
ほんとにほんとにほんとにほんとにちんぽ汁だ
出しすぎちゃってどぉしよお、、 三島さんの小説の多くが判決文みたいだ
三段論法を駆使してます ○o。―y(´▽`*)スパスパ(*´▽`)y-。o○ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています