「…かれは政治の意図が「九十九人の正しきもの」のうへにあることを知つてゐたのに相違ない。かれはそこに政治の力を信ずるとともにその限界をも見てゐた。なぜならかれの眼は執拗に「ひとりの罪人」のうへに注がれてゐたからにほかならぬ。
九十九匹を救へても、残りの一匹においてその無力を暴露するならば、政治とはいつたいなにものであるか──イエスはさう反問してゐる。…ぼくもまた「九十九匹を野におき、失せたるもの」にかゝづらはざるをえない人間のひとりである。
もし文学も──いや、文学にしてなほこの失せたる一匹を無視するとしたならば、その一匹はいつたいなにによつて救はれようか」




福田恆存ほど西洋精神と正しく対話した日本人翻訳家・評論家はおそらくおるまい。
そして彼ほど同胞日本人に誤解曲解され続けた文章家も。
引用の文章、ヘミングウェイならば必ず深く首肯するはず。
ヘミングウェイとあの世で交歓できる日本人が一人いるとするならば福田恆存だろう。