【老人と海】ヘミングウェイ【武器よさらば】
ヘミングウェイは台詞の書き分けが下手だったのかね? 色々読んでみたんだけど、意味不明な部分が見つかるぞ。 短篇集「キリマンジャロの雪」読了。 これは面白い やはり長編より短編の名手というのがよく分かる 表題作相当面白い 夢は枯野をかけめぐる ヘミングウェイ初体験で「武器よさらば」を読み始めて 200ページ進んだけど正直面白くない。なんか我慢して読んでる 感じ。主役の恋人同士の会話がなんだか痛い。 今折り返し地点だけどこれからよくなっていくんだろうか ヘミングウェイは一般的に 短編の名手という評に比べ、長編の評価はあまり芳しくありません 最初に読まれる長編なら『武器よさらば』ではなく『日はまた昇る』をお薦めしたいところでした そうか… もうひとつ聞きたいが 「やめろやめろそんなもん最後までそんな調子だよ短編読め」か 「短編のほうがいいがそれでも名作だからそこまで読んだんなら 最後まで読めラストはいいぞ」 どっち? そうか… 思い切って中断する 機会あれば短編集買うよ >>442 「武器〜」はヘミングウェイの冷徹なマッチョさに支えられた名作だから読み終えたほうがいいな。 米文学のある一端が見えてくる。 そうか? じゃあ読み終える。 しっかしあのヒロイン好きになれんわ〜 ちょっと頭とんでる イタロ・カルヴィーノ「なぜ古典を読むのか」より 1古典とは、ふつう、人がそれについて、「いま、読み返しているのですが」とはいっても 「いま、読んでいるところです」とはあまりいわない本である 2古典とは、読んでそれが好きになった人にとって、ひとつの豊かさとなる本だ しかし、これを、よりよい条件で初めて味わう幸運にまだめぐりあっていない人間にとっても、おなじぐらい重要な資産だ 3古典とは、忘れられないものとしてはっきり記憶に残るときも、記憶の襞のなかで、集団に属する無意識 あるいは個人の無意識などという擬態をよそおって潜んでいるときも、これを読むものにとくべつな影響をおよぼす書物をいう 4古典とは、最初に読んだときとおなじく、読み返すごとにそれを読むことが発見である書物である 5古典とは、初めて読むときも、ほんとうは読み返しているのだ 6古典とはいつまでも意味の伝達を止めることがない本である 7古典とは、私たちが読むまえにこれを読んだ人たちの足跡をとどめて私たちのもとにとどく本であり 背後にはこれらの本が通り抜けてきたある文化、あるいは複数の文化の (簡単にいえば、言葉づかいとか慣習のなかに)足跡をとどめている書物だ 8古典とは、その作品自体にたいする批評的言説というこまかいほこりをたてつづけるが それをまた、しぜんに、たえず払いのける力をそなえた書物である 9古典とは、人から聞いたりそれについて読んだりして、知りつくしているつもりになっていても、 いざ自分で読んでみると、あたらしい、予期しなかった、それまでだれにも読まれたことのない作品に思える本である 10古典とは古代の護符に似て、全宇宙に匹敵する様相をもつ本である 11「自分だけ」の古典とは、自分が無関心でいられない本であり、その本の論旨に もしかすると賛成できないからこそ、自分自身を定義するために有用な本である 12古典とは、他の古典を読んでから読む本である。他の古典を何冊か読んだうえで その本を読むと、たちまちそれが〔古典の〕系譜のどのあたりに位置するものかが理解できる 13時事問題の騒音をBGMにしてしまうのが古典である。同時に、このBGMの喧噪はあくまでも必要なのだ 14もっとも相容れない種類の時事問題がすべてを覆っているときでさえ、BGMのようにささやきつづけるのが古典だ 彼は過大評価されてる。 彼がノーベル文学賞を受賞したということはその賞がうさんくさいという よく知られた事実を補強するものでしかない。 みなさんは一番好きな短編なんですか? 僕はキリマンジャロの雪です いったんあきらめたけど武器よさらば読了 さすがに最後の100ページははかどったな。 ラストのヘビーで乾ききった感じはインパクトあるけど それでもそんなにいいとは思わなかったな。 でも俺が英語に堪能で英文で読んでたら全然違った感想に なったかも。訳の大久保なんとかってのはありゃひどい 女の口の利き方がムチャクチャだ「〜なさるのね」と慇懃無礼と 言っていい大仰な敬語使ったかと思えば「〜しちまって」と 蓮っ葉な言葉を使う。 >>457 大久保康雄は複数人で翻訳しているから、出来不出来の差が激しい。 ジェーンエアあたりは良い。 >>457 ほうペンネームだったのか。 しかし米文学って俺にとって相性よくないのかな ギャツビーも正直何がいいのかわからんかったし。 トムソーヤは大好きだったけど ハックルベリィフィンの冒険はいいとは思えなかった なにはともあれヘミングウェイのファーストインパクトは あまりよくなかった。本領といわれる短編集を読んでから 評価をくだそう 新訳を読むってのもありだぞ。 変な旧訳も多いから。 しかし昔の翻訳って今と合わないよな ちょっと身分の下のやつだと必ず「〜でさあ旦那」みたいな下種な 口調になる 『老人と海』の単語の総数知りたいんだけど、数える以外に良い方法ない? 原書で短編を読んでみたけど、会話文の流れなどは下手だと思う 悪文だと言える 殺し屋って短編を読んだんだが、意味不明なんだが。 文章が滅茶滅茶じゃないか? 過大評価なのかねえ? 欧米でも評価が上がる風潮はないようだが。 まあ、全ての作品が傑作というタイプじゃねえな。 説明を極限まで排除する手法だから、分かり辛いのはやむなし。 読み手の想像力や人生経験が加味されて良さが解ってくる。 >>470 アホ発見! あれはヘミングウェイの中でもわかりやすい方だろ。 >>470 の頭の中では「あの話には探偵も出ないなぁ?」「警察も出ないなあ?」「あの殺し屋また来るのかなあ?」「あれ、終わった?どういうこっちゃ?」「俺は悪くない!この小説が駄作なんだ!」 って感じなんだろうな。かわいそうに ヘミングウェイの台詞周りの書き分けが悪文なのは事実なんだがな。 全短編の2巻でも、誰の台詞かわからない場面があると指摘している。 みるきーって、そういう意味でその場での情感の引き出し方すごく上手いよね 握手会で釣り師とか言われるのはその一端に過ぎないんであってさ。アドリブ力と言っていいかもだけど 一つ一つの場面でみるきーには情がある 1930年代は1929年の経済大恐慌の後を受けて、不況不安の時代であり、社会的関心が強い。このような時代は 「マルクス的30年代」とか「アメリカの赤の時代」といわれて、アメリカの思想傾向が個人主義から社会主義への方向をとりはじめたころである。 文学の世界でいえば、スタインベック、コールドウェル、ウルフ、ファレル、サロイヤンたちが、アメリカ30年代作家として登場してきた >>480 【Guitar】カスタムオーダーに挑戦 part5【BASS】 ____ 2.1パーセント〜ww /⌒ ⌒\ (ヽ /( ●) (●)\ /) 2.1パーセント〜wwwwww (((i ):::::: ⌒(__人__)⌒::::\ ( i))) /∠ | |r┬-| |_ゝ\ (___ `ー'´ ____ ) | / | / きゃはははははははwwwww | r / ヽ ヽ/ >__ノ;:::...... \___________________________/ ∨ へ ヘ /ハ \_/ 八 /_______} _ .{_____さやか_| /  ̄  ̄ \ |ミ/ ー―◎-◎-) /、 ヽ (6 u (_ _) ) |ヘ |―-、 | , ―-、ノ/| .∴ ノ 3 ノ ハァハァ.. q -´ 二 ヽ | そうかそうか | -⊂)/ _\_____ノ__ ノ_ ー | | | |/ N ≡ :::: (、 ヽ プッ \. ̄` | / ヽ `\( M ≡ :::: |___| O===== | `− ´( B ≡ :::: | | / | ( 命ゆとり (t ) / / | ヘミングウェイの狩りはアフリカの遊戯的なハンティングで、どうもぼくは好きになれないんだな。 でかい動物を殺すことが男らしさの証明になるという考えが気に入らない 1930年代は1929年の経済大恐慌の後を受けて、不況不安の時代であり、社会的関心が強い。このような時代は 「マルクス的30年代」とか「アメリカの赤の時代」といわれて、アメリカの思想傾向が個人主義から社会主義への方向をとりはじめたころである。 文学の世界でいえば、スタインベック、コールドウェル、ウルフ、ファレル、サロイヤンたちが、アメリカ30年代作家として登場してきた 『われらの時代』"In Our Time", 1925年 『男だけの世界』"Men Without Women", 1927年 『日はまた昇る』"The Sun Also Rises", 1926年 『武器よさらば』"A Farewell to Arms", 1929年 誰でも 書ける 文章 無機質 ラノベ 赤川次郎的白痴文章 過大評価 精神病 レトリック皆無 『日はまた昇る』と『武器よさらば』 どっちがおすすめですか 陽はまた昇るの方がいいですね 読み物として面白いです 海老沢さんの文章が好きだ。」「気取らない、大仰に騒ぎたてない、文学臭のある言い廻しを排除する、手垢のついた言葉を使わない剛直な文章で、つ まりはこれがハードボイルドなのだが、私はすぐにヘミングウェイを連想する ヘミングウェイの伝記を読みたいのですが、オススメの本を教えてもらえませんか 衝撃の伝記ミングウェイ (ハヤカワ文庫NF) パパ・ヘ雑誌〈コズモポリタン〉の仕事で、著者ホッチナーが世界的な文豪アーチスト・ヘミングウェイにはじめて会ったのは、 1948年、ハバナのバー〈フロリディタ〉だつた。フローズン・ダイキリをしたたか飲み、2人の14年にわたるつき合いが始まった。メキシコ湾での釣り、 パリはオートゥイユの競馬、そしてスペインの闘牛場めぐり…愉しい時が続いたが、それは1961年、ヘミングウェイの猟銃による自殺で終わりを告げたのだった。 車中で、船上で、酒場で語られたヘミングウェイ自身の言葉をもとに、文豪の素顔と死にいたる日々を描いた まあフレンチ辞めることに決めた最大の要因は、三田祭からの流れで洗い場のフィリピン人に英語で話しかけたら「are you korean?」って聞かれて、 うっせえ発展途上国が!!!!!!つって水ぶっかけあったことだな。うちの近くのフィリピンパブ潰れろ。 やべえ。フレンチ辞めますって言ったのに店長にめっちゃ止められた。しかもすげえ俺のこと見ててくれて厳しくしてた理由とかも全部話してくれて、 シフト少なくてもいいからお前と一緒にもっと働きたいから辞めんなって言われて普通に男泣きした。フレンチ大好き。フレンチ最高。時給1500円万歳。 今日店長より偉い支配人(面接で俺を即採用した人)にも辞めるって報告したけど、なんも止められなかった。 あのクソ野郎!!!!!!!!!!!!!やっぱやめるわ!!!!!!!!!!カムバックポップコーンおじさん!!!!!!!! グラスを20個ほど割り「てめえ最後の最後でやってくれんなコラ」と胸ぐらを掴まれ、オーダーを取り間違えた相手がハイパークレーマーで土下座させられかけ、 学業との両立が厳しいという理由のはずが実は社員がキモいからというホントの理由をバラされ最高の終わりを迎えられましたグッバイ俺フレ!! 最後にシャンパンで乾杯して「おつかれ!ありがとう!頑張れよ!」って 送り出してくれたときはウルッときたけどよくよく考えたら1ヶ月で辞めるようなクソにいちいちこんなことするの怖い。株式会社俺のには絶対就職しない。 あ、そーだ、俺フレまたバイト募集してるらしいから激務にも耐えれるよって人は時給1500円だしやってみてもいいと思うよ。 モームの言葉としてこんな自己主張をしている。 「働いているあいだは自分を忘れることができるので、労働は賛美されるのである。 愚かな人間は何も仕事がないと退屈する。 労働は、大多数にとっては、アンニュイ(倦怠)から逃れる唯一の道だ。 で、だからといってそれを神聖と呼ぶのは笑止千万。 怠惰でいるためには、多くの才能と豊かな教養が必要である。 あるいは特別製の頭がいるのだ がばい婆ちゃんの至言 「人生は死ぬまでの暇つぶし。暇つぶしには仕事が一番よか。」 ウチのバーちゃんの金言 「寝るほど楽は無かりけり。浮世のバカが起きて働く」 ~\ 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで そ〜れで身上つ〜ぶした〜 あ〜もっともだ〜もっともだ〜 If you are lucky enough to have lived in Paris as a young man,then wherever you go for the rest of your life, it stays with you, for Paris is a moveable feast. (Ernest Hemingway to a friend, 1950) もし君が幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、君が残りの人生をどこで過ごそうとも、パリは君についてまわる。 何故ならパリは、移動祝祭日だからだ。 ――――ある友へ、アーネスト・ヘミングウェイ、1950 ヘミングウェイ作品のなかでは「武器よさらば」が一番好きです でも「老人と海」は何故か未読 光文社古典新訳文庫で挑戦してみます テレビ朝日「世界の街道を行く」#1502キューバ#20 ヘミングウェイを紹介していて一見の価値有りかと 『日はまた昇る』と『限りなく透明に近いブルー』は似ている。 ヘミングウェーねぇ興味ないけど、マッチョな男と戦争の記憶だろ ヒトラー著「わが闘争」 ヘミングウェー著「武器よさらば」 レマルク著「西部戦線異状なし」 トランボ著「ジョニーは戦場へ行った」 中沢啓治著「はだしのゲン」 ヘミングウェイはディートリッヒにもバーグマンにもゾッコンでした あとゲーリークーパーにも バイセクシュアルだった そうだなあ。『持つと持たぬと』『河を渡って木立の中へ』が良かった。 読んだ人、滅多にいないよね? 「持つと持たぬと」読んでないな。ボギーとバコールの出会いとなったホークス監督の素晴らしい「脱出」の原作だが、なんか評価が高くないようで これと「アフリカの緑の丘」はそろそろ読むべきかな 短・中編の人なのかな? 日はまた昇るだって老人と海だってほとんど中編だよね 「女のいない男達」とか、おもしろい 長いのはなぜか途中で挫折してしまう ヘミングウェイの風貌も文章も男らしくて好き でも自殺しちゃた なんで 小谷野敦が「移動祝祭日」を褒めていたので読んでみようかな 自殺はゲーリークーパーの死の1ヶ月後らしいけど、関係はあるのか ヘミングウェイだけでなくクーパーにもバイの性質があったらしい >>521 ゲーリークーパーとヘミングウェイがバイってこと? インタビュアー:推敲はどれくらいやりますか? ヘミングウェイ:その時々です。「武器よさらば」のエンディングは満足するまで39回書き直しました。 イ:何か技術的な問題ですか?なぜそんなに苦労したのですか? ヘミングウェイ:言葉を正しく修正したためです。 終戦直後の精神的空白時代にサルトルの『嘔吐』が日本で一大ブームとなった。昭和23年の時点で、福田氏は、まずその怪しげなブームを訝って「インテリゲンチアにとってそれ(嘔吐)はどこかに本質的な魅力を持っているのか」、 「知識階級のうちに実存主義を受け入れようとしている空洞」と比喩し、でまわったサルトル論は「無用の饒舌にすぎない」と一刀両断。 『実存主義』なるものは似非知識人が飛びつきそうな空虚な考え方だが、福田氏は続けてこういう。 「なにが其れ(存在の意味)を正常化しうるか。かつては神がその役割を引き受けていた。が、神が死んでしまった二十世紀においてはたしてなにものがそれにこたえうるか。いや、真相はなにものも、それをなしえない。 神すら甚だしい虚妄にすぎず、たんなる自己欺瞞でしかない。ルネサンス以後のヒューマニズムすらこの汚名を免れるものではない」 つまり「実存主義もまた虚妄にすぎない」と歯切れ良く締めくくる。 戦後すぐの時点でこれほど鋭角的に実存主義なる怪しげな思想をあばいてみせた福田氏だったのに、それから十数年もあとにサルトルにかぶれた大江健三郎が、左翼の風潮を背景に文壇にデビューし、伝統的な日本文学をおおきく毀損するに至るのだが、それは後の祭り。 ついでヘミングウェイに関して、福田氏は本論に入る前にアメリカ文学の歴史を俯瞰し、社会主義的、文明批評的な小説が多く、欧州のような文学伝統の土壌がないところでアメリカ文学が育っていたが、と前置きしている。 だからパリのカフェで「あなたたちはロスト・ジェネレーションね」と有名な女流作家にヘミングウェイは揶揄された。それもまた有名な話であろう。 だが福田氏は『老人と海』を読んで、おなじ虚無主義の多いアメリカ人作家のなかで、ヘミングウェイに一種のストイシズム、イギリス清教徒の子孫としての倫理的なものを直感的に発見され、次のように言う。 「その虚無的な否定と冷酷な突き放しとにもかかわらず、むしろその反対の旺盛な現実肯定ないし現実謳歌を感じとる」 以前のヘミングウェイは「敗北者に同情を抱かない」。「勝ち抜き、生き抜く」男の冷酷と、思想のなさ、倫理のなさを描いてきたが、『老人と海』でトーンが変調していることを直感的に福田氏は感得したのだ。 つまり「否定を肯定に転換する」のが『老人と海』である。 過去のヘミングウェイの作品は「否定のあとに開けられた空洞を、もっぱら肉体的情念で埋めていた」けれども、『老人と海』も確かに「肉体的行動にたよってはおりますが、それが精神的に肯定されることによって、 倫理への通路が開かれている」として、福田氏個人も読後感は「心身の爽快さをおもえる」「剛気の文章」であると昭和28年に自ら翻訳した『老人と海』の解説を書いている。 海流島々ってむっちゃおもろいねこれ 重厚な語り口がたまらない 長編の最高傑作じゃないか 福田恆存の老人と海のあとがきひどいな ヨーロッパ文学>アメリカ文学 だとか老人と海より前のヘミングウェイ作品はダメだ とか えらそうに好きなこと言ってる。 福田恆存ごときが、ヘミングウェイのあとがきで、ヘミングウェイやフォークナーやポーやメルヴィルやトウェインのアメリカ文学の悪口言うというのはダメだな そんなに嫌なら訳さなきゃいいのにな。ダメだな。 福田ごときがヘミングウェイの作品やアメリカ文学をけなすってのは 高校野球予選敗退の高校生が大リーガーのことをエラそうに勝手にけなしてるって感じだな 新世界たる米国では欧州のような陋習による社会的制約がないので 抑圧によって生じた自意識を主題とする文学作品はない という福田の論はおかしい マイノリティはもちろん一般白人男性にとってもそれほど自由な社会ではないだろう それにプロテスタントは常に善悪の価値判断を迫られる内面性の宗教だろう また、都市化が進んで個人の自由度がより増大した米国市民社会で 精神分析がさかんになる事態の説明すら出来ない ヘミングウェイの「老人と海」が欧州の文学の亜流ではなく 独自の神話的世界を構築した、というのはいいとして その経緯説明はかなりおかしい 新世界とは言え制約の多い社会のメルヘンと考えた方がいい 福田ごときかどうかは知らないけど あとがきでそういうことを書くセンスが理解出来ないね 結局の福田の自由観や個人主義観は伊藤整が「出家遁世の志」で腑分けした 日本自然主義文学とその周辺理解の域を脱していない そしてこの図式をヘミングウェイ作品や欧米社会に適用するからおかしなことになる 日本列島を一歩でも出ると通用しなくなる議論 それを海外文学作品の評価に適用する まあ、よくあることだけど コバリド(カポレット)のソチャ川(イゾンツォ川)の渓流の水のなんとまあきれいなこと。 写真からだけどね 編集部 福田恆存さんの『老人と海』(新潮文庫)のあとがきには「今まで誤訳を指摘してくださった方々に深謝します」って書いてありますね。 中山 あれは有名な話だけど、イルカの訳で失敗しているでしょ。あれは、シイラのことなんだけど、ずいぶん叩かれたらしいんですよ。 “dolphin”って確かにイルカなんだけど、2番目の意味にシイラがあるんです。ちょっとした間違いですけどね、叩かれたらしい。 これはさっき言った東大の水産学部の教授だった末広さんが教えたらしいんですけどね。僕も末広さんから聞いたことがあるんです。 それは間違ってもしょうがないかもしれないけど、僕に言わせれば、ここだけの話、あれは編集者が悪いね。 海の中だからイルカがいないことはないけど、この場面では出てこないんじゃないかと思わないとね。 戦後間もない頃でしたから、ばたばたと出しちゃったんでしょうけどね。誰かが直してあげないとまずいと思いますね。 まあ、ヘミングウェイの良さをわかってくれればそれでいいと。本質さえ掴んでいればいいという考え方もあるでしょうけどね。 http://www.hakurosya.com/books/news.php?news_id=50 美良野の三四郎には、サッカーと競馬場がある 100年前は八百長が横行してたのかな? read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる