【老人と海】ヘミングウェイ【武器よさらば】
>>621
おれ馬鹿だから、子猫が妊娠の願望の象徴だって長い間気づけなかったよ。気づいてから一番好きな短編になった。 ヘミングウェイは不器用な作家だと思われがちだけど、メタファーとかいろんな手法を用いてるんだよな
その中でも「雨の中の猫」はすべてが隠喩的と言っていい >>622
俺、今の今まで気づいてなかったよ。教えてくれて、ありがとう。 中上健次は絶対にヘミングウェイの影響を受けていると思う。
枯木灘の「穴を掘るのが好きだった」のくだりとか。
なんで言及されないのか謎。 個人的にはフォークナーと同じぐらい今のポストモダン文学に影響を与えていると思うけどなヘミングウェイ
ガルシアマルケスのそっけない「語り」もかなりヘミングウェイ入ってるし >>618
スミルナの埠頭って何かと思ったら「我らの時代に」の冒頭のやつか 『日はまた昇る』の冒頭で、ロバート・コーンについてけっこうな文量で語ってるんだけど、あの描写が意味するものをつかんでるヒトいるかな??
ギャツビーとかオブロンスキーについての語りなら、鏡としてなんとなく類推できるんだけど ロバートコーンが「日はまた昇る」という作品のテーマにもっとも合致した人物だからじゃない
特にやりたいことはなく、コンプレックスを解消するために金と時間を浪費する人生
それを自覚しながらも南米に行こうとしたり、自分を変えようと試みるも出鼻をくじかれ、女を追いかけ回して最後は完全に尊厳を破壊される
それでも変わらず太陽は昇り、世界は回り続ける
作品の真の主人公はブレッドでもジェイクでもなくコーンだと思うよ 老人と海】
シイラは英名でDolphin Fishと言います。
この為、ヘミングウェイの有名な小説、老人と海ににおいてシイラが
登場するのでありますが、初期の日本語訳では、何とイルカと訳して
しまったそうで、どうも話がしっくりしなかったとか・・・。
これを末広恭雄博士が指摘し、後に、イルカからシイラに訂正翻訳
されて出版したという有名な逸話があります 食わず嫌いだったんだけど『日はまた昇る』読んだら非常に面白かった。
ヘミングウェイってマッチョなイメージだったけどこれマッチョなのか? マッチョとは真逆のコンプレックスまみれの哀れな男だよ
ヘミングウェイは
日がまた昇るの主人公が不能という設定なのは、ヘミングウェイが短小で、それに対して劣等感を抱いていたから 「日はまた昇る」と「武器よさらば」は大久保康雄訳で読んだけど新潮文庫の新訳はいいの? 高村勝治訳が一番
戦後すぐの翻訳だけどamazonで100円で買える
大久保訳ははっきり言ってゴミ スポーツ好きの作家なんて珍しいからマッチョなイメージになっちゃったのかな?
小説の主人公たちはマッチョというより普通よりちょっと享楽的な人たちって印象なんだが 「日はまた昇る」の頃の若者は第一次世界大戦と世界恐慌の影響で荒れに荒れてたからな
日本の氷河期世代なんて鼻で笑えるレベル
アル中にならなきゃあんな時代やってけなかったろうさ ヘミングウェイの青春は、第一次世界大戦の戦場でトラックの運転手をやっていたこと以外ただの平凡なものに過ぎなかった
壮絶なイメージはほとんどスペイン内戦参戦と自殺のせいだと思う
二つとも自業自得
飛行機事故で負傷したのは少し可哀想だったけどね >>639
その通り。『嵐が丘』の鴻巣といい、新潮社はきちんとした訳者に依頼を出すべき。 世間では文豪ヘミングウェイてイメージあるが日本の文壇では大江、中上のフォークナー、春樹のフィッツジェラルドと比べて軽く見られてないか? >>644
ヘミングウェイ『日はまた昇る』と村上龍『限りなく透明に近いブルー』を
比較して読むと面白い >>644
ヘミングウェイの丸パクリと言える作家は小川国夫ぐらいかな
村上春樹はチャンドラーのファンだから間接的にヘミングウェイの影響を受けてることになる ヘミングウェイの真髄は短編だから、影響を受けた作家が日本における「文豪」になるのは無理だろうな
ヘミングウェイ自身の長編も面白いけれども、本質的にはただのオナヌーだし 英米文学におけるヘミングウェイって日本文学における志賀直哉?
簡潔な文体を確立して多大な影響を与えるという 日本のヘミングウェイは中上健次かな
なんだかんだ言って中上がいちばんスタンダードな文体だと思う >>650
枯木灘の頃はヘミングウェイっぽい感じだったよな
簡潔で明瞭で修飾する言葉が少ない
でも後期は完全に逆方向に行ってしまった
文体までフォークナーにならなくても良いのに 近代アメリカ人男性の文体を造り上げたのはヘミングウェイ
近代日本人男性の文体を造り上げたのは夏目漱石 志賀直哉の文章を模範にした人のが多いんじゃないか? >>653
流石にそれはない
日本だとヘミングウェイは地味な存在だけれども
アメリカ本国やラテンアメリカやイタリアだと神のような存在だから
文豪の中でも少なくともガルシア=マルケス、カルヴィーノとかが影響を受けてる 川端、谷崎、太宰の文体の方が現代に影響力強そうだが
彼らが漱石の影響受けてるなら、漱石から始まったと見てもいいが 鷗外や露伴の文体だと漢籍の影響が強すぎて普及しづらいんだよな中島敦なんかはその直系になるんだろうけど
漱石の場合は寄席の話しことばの雰囲気が作品に残るんだよね
ハードボイルド系の文体は、チャンドラーは言うまでもなくポールオースターにも感じるからもう共有財産にまでなってるThe Sun Also Risesあたりが源流だと思うが というかハードボイルド文体はヘミングウェイが体系化しただけで、似たような文体の作家はヘミングウェイ以前にもいた
漱石の夢十夜とかカフカの短編とか、なんなら聖書の文章だってヘミングウェイっぽいと感じることがある 関係ないけど村上春樹ってどの辺がフィッツジェラルドなんだ
長ったらしい比喩表現とか? 漱石が文壇で持ち上げられたのは戦後じゃないかな。江藤淳ー柄谷行人ラインで。戦前も人気作家とは言え。
やはり志賀直哉が日本文学の正統と思われててそれで無頼派の三人があれだけムキになって叩いた。 平野 大体現代文学の常識からいうと、志賀直哉の文学というものが現代日本文学のいっとうまっとうな、正統的な文学だとされている。そういう常識からいえばここに集まった三人の作家はそういうオーソドックスなりリアリズムからはなにかデフォルメした作家たちばかりだと見られているが…。
太宰 冗談言っちゃいけないよ。
平野 いや、冗談じゃない、ほんとの話だよ。太宰さんはすでに少々酔っぱらってるから……。
坂口 平野が言う意味は向うが正統的の文学だとすれば、俺たちがデフォルメだというのだよ。
平野 それはそうだろうと思う。いくらあなたがそうじゃないと頑張ったっても…。
太宰 俺にはちっとも分っていやしない。デフォルメなんて……。
平野 それじゃ一つ、そのデフォルマシオンに非ざる弁を一席やって下さいよ、太宰さん。
太宰 やるも何も………僕はいつもリアリストだと思っているのですよ。現実をどういう具合に、どの斜面から切ったらいいか、どうすれば現実感が出るか、それに骨身を砕いているわけじゃないか、なにも志賀直哉の、あんなものが正統であってオーソドックスだという……そんなことを僕は感じたくない。寧むしろあの人は邪道だと思っている。文学から……。
平野 しかし、世間の常識からいえば志賀直哉がオーソドックスであなた方はデフォルメ……まあそういう風に見られていると思う。だからそういう作家が偶然寄って……偶然か企画か知らんが……一堂に会して現代文学を語るということになれば、そこにありふれた座談会なんかと面目を異にした面白い座談会ができるだろうと僕は期待するわけなんだ。 織田 太宰さん最近戯曲を書いていらっしゃるけれども、僕は若いときに戯曲を書いておった。日本の小説を読んだことがない。初めて読んだ小説は梶井基次郎……あれは高等学校も同じだし、病気も同じそういう興味で初めて読んだ。これは非常に面白いと思って……ところが、スタンダールを読んで、芝居より小説の方が面白いと思って小説を書き出した。
ところが翻訳の文章じゃ小説は書けない。だからいろいろどんなやつがいるんだと思って……小林秀雄が志賀直哉や瀧井孝作などの美術工芸小説を褒めているでしょう。何だ、これが小説かと思って、やり出してへんなことになった。
『赤と黒』というようなことから小説の面白さを発見しながら、面白くもない志賀直哉、瀧井孝作の小説を一生懸命読んで、その文体を真似なくちゃ小説を書けないということを、まだ若い身空で教え込まれた。いまの若い人たち、いろいろな小説、外国の小説を読むでしょう。だけど翻訳の文章は悪いでしょう。
やはり名文は横光さん、川端さん、志賀さんとか言われて、結局その方から文章をとらんとするでしょう。やはり真似をしなくちゃなかなか書けないもんね。だから、やはり横光さん、川端さん、志賀さんなんかから勉強して、文学というものを学んでやったって、ちっとも新しい文学は出て来ない。
滅茶々々でもいいよ。サルトルを読んでから初めて小説が分って……なにも読まなくてもいいんだ。そこから入って行ったらいいじゃないか。やはり志賀さん、横光さん、川端さんから文学というものを教わってやっているから、へんに北條誠みたいなようになるんだ。 若手の作家て志賀直哉に興味あるやつはそんなにいないよな
どいつもこいつも太宰と三島なイメージ 戦後生まれのわれわれはもう志賀直哉が日本文学の正統なんてイメージはない。やはり漱石だよね。
太宰や安吾が滅茶苦茶叩いてたのもあってむしろ非常に悪いイメージ持ってて食わず嫌いだったんだけど読んでみたら面白かった。
短編は実はあんまりピンとこなかったけど暗夜行路はやっぱり凄いと思ったな。
志賀直哉の文章はやはりどこか美文調を引きずってた同時代の作家と比べて恐ろしく簡潔で散文的であれが日本の近代小説の基準、正統みたいになったのも当時はしょうがないかなと思ったな。 ちなみにアメリカ文学というとまずフォークナーってイメージだった最早われわれの時代には
ヘミングウェイはなんか随分下みたいないイメージ
フォークナーを貶めるつもりは全くないけどそれも不当だと思ってますw フォークナーはピンチョンとガルシアマルケスを生み出したからなあ
ヘミングウェイは後継者に恵まれないイメージ
彼の文章を参考にしている作家は多いけど、生涯ナンバーワンに挙げるほど心酔してる作やつは少ない でもビートジェネレーションのケルアックの「路上」にしろバロウズの「ジャンキー」にしろあえて言えばヘミングウェイの系譜の移動小説。金がなかったからかアメリカ国内旅行だけどwそれがヒッピーに繋がって行く。
志賀直哉の「暗夜行路」も移動小説ですw
フォークナーの方法論はむしろ中南米のマルケスや日本の大江とか第三世界の作家に受け継がれていく。 そうかケルアックがいたな
あとブコウスキーとパヴェーゼだな
ヘミングウェイのフォロワーと言えるのは 暗夜行路は面白いのかなあ
昔読んで雪国もそうだったがなんでこんな
下手くそなのが名作なのかと不思議に思った
読んでみようかな
ヘミングウェイは誰もそんなこと言ってないけど
俺は昔から石原慎太郎と重なってた
男を主張する感じと海かなあ >>670
『暗夜行路』も『雪国』も名作
お前がおかしいと気づけよ >>663
織田作之助が現代のワナビとやってること全く同じで微笑ましい >>670
どの作品読んで、そう思ったんだ? むしろ女々しいだろう。 >>671
>>673
このスレ変なやつ多いのねw まさか『老人と海』しか読んでいないってことは、ないよな。 シャーウッド・アンダーソン(1876年 - 1941年)
エズラ・パウンド(1885年 - 1972年)
T・S・エリオット(1888年 - 1965年)
レイモンド・チャンドラー (1888年 - 1959年)
H・P・ラヴクラフト (1890年 - 1937年)
ヘンリー・ミラー(1891年 - 1980年)
ダシール・ハメット (1894年 - 1961年)
スコット・フィッツジェラルド(1896年 - 1940年)
ジョン・ドス・パソス(1896年 - 1970年)
ウィリアム・フォークナー(1897年 - 1962年)
アーネスト・ヘミングウェイ(1899年 - 1961年)
ウラジーミル・ナボコフ(1899年 - 1977年)
ジョン・スタインベック(1902年 - 1968年)
ロバート・A・ハインライン (1907年 - 1988年)
ポール・ボウルズ (1910年 - 1999年) ウィリアム・S・バロウズ (1914年 - 1997年)
ソール・ベロー(1915年 - 2005年)
J・D・サリンジャー(1919年 - 2010年)
アイザック・アシモフ (1920年 - 1992年)
レイ・ブラッドベリ (1920年 - 2012年)
ジャック・ケルアック(1922年 - 1969年)
カート・ヴォネガット(1922年 - 2007年)
ウィリアム・ギャディス(1922年 - 1998年)
ノーマン・メイラー(1923年 - 2007年)
トルーマン・カポーティ (1924年 - 1984年)
ジェイムズ・ボールドウィン (1924年 - 1987年)
アレン・ギンズバーグ(1926年 - 1997年)
フィリップ・K・ディック (1928年 - 1982年)
ジョン・バース (1930年 - )
ドナルド・バーセルミ (1931年 - 1989年)
トニ・モリソン(1937年 - 2019)
ジョン・アップダイク(1932年 - )
フィリップ・ロス(1933年 - 2018年)
リチャード・ブローティガン (1935年 - 1984年)
ドン・デリーロ(1936年 - )
トマス・ピンチョン(1937年 - ) 人生とは一人称視点で見れば悲劇だが、三人称視点で見れば喜劇だ
ヘミングウェイの長編と短編を見比べればよくわかる 武器よさらばはイタリアがドイツにボロ負けするまでは日本人の感覚からしたら呑気な戦場生活だよね
戦場から逃亡して女と暮らすってのはアメリカンマッチョイズムからしたらどうなん? ドストエフスキー、フォークナーはほぼ全ての長編作品が面白い
ヘミングウェイは長編は「日はまた昇る」と「武器よさらば」以外ははっきり言って失敗作
両者には残念ながら才能の差があるよな
短編はヘミングウェイが一番だと思うけど >>681
「武器よさらば」の時は反戦がブームだったんだよ
だからヘミングウェイはそのブームに乗じて巧みに戦場という地獄から抜け出すヒーローを描いた
だから反戦ムードのアメリカで「武器よさらば」は大ブームに
スペイン内戦に参加するのがブームになると掌返しをしてファシズムに対抗するヒーローを描いた
あいつの主張に一貫性なんかないから注意しろよ 歳をとるとスペイン内戦は、カタロニア讃歌の方が面白いかな
小説後半で友軍のはずのコミュニストから狙撃されるようになる戦局に恐々とする
バルセロナ脱出も命懸けだし アメリカの若者にとっては享楽的に旅を続けるヘミングウェイの小説のほうがフォークナーより魅力的だっただろうね
ケルアック、バロウズは更に過激な享楽に向かうと >>682
君は鑑賞眼がしっかりしているね
ヘミングウェイの最も優れた長編は『日はまた昇る』
これはヘミングウェイの世界の研究者でほぼ一致した通説
『持つと持たぬと』『誰がために鐘は鳴る』『河を渡って木立の中へ』など
ダメな長編のオンパレードだ 柄谷行人の「反ロマネスク・ヘミングウェイ」って論文読んだ人います?
柄谷って修論はダレルで中上にフォークナー教えたり英文学やってた人でもあるんですよね。
ヘミングウェイについて批判的なのか称賛してるのかどんなこと書いてるのか気になりますね (あらすじ)
ある時、老人が海辺を闊歩していると、
一匹の亀が民衆から石を投げつけられていた。
なぜこんなことをしているのかと問うと、 「この亀は竜宮の人攫いだからだ」と答えた。
それを聞いた老人は民衆にこう言った。
「ならばしかたがない。続けなさい」
そしてこう続けた。
「ただし、実際に竜宮城に行ったことのある者だけこの亀に石をぶつけなさい」
民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ、 石をぶつけているのは老人ただ一人だけとなった。 >>663
ヘミングウェイとは関係ないけど漱石、荷風、谷崎じゃないのが興味深い
そういう時代だったのかね 福田はヘミングウェイの「老人と海」の解説で
現代ヨーロッパ文学は旧弊な慣習と相互監視によって各個人が心理的に逼迫した結果、
内面的・実験的作風に行き着いたが、自由で社会制約の少ない現代アメリカ文学はそうではない、
といったことを述べていたわけだけど、
この考え方では
江戸以来の隣組制度が形を変えて残存する日本の伝統社会でヨーロッパ風の内面観照的な作品が出てこなかったのは何故なのか?
という問いに対する答えは出てこない。
いわゆる文学的内面性というのはもっと別のところから生まれると思う。
例えば福田よりも上の世代に属す坂口安吾あたりは
内面性を支える自我というものを問題にしているわけであって。
これは社会慣習や相互監視という環境的負荷から自然発生的に生じるものじゃないでしょう。 >>691
私はヨーロッパ文学には無知なので、見当違いな質問かもしれないのだが、福田の言う「内面的、実験的な作品」とはゾラ、フローベールの作品群のようないわゆる「自然主義文学」のことを指しているのかな? それともドストエフスキーのような観念小説のことを指しているのか? Marcel Proust
James Joyce
Virginia Woolf
意識の流れとか。そーいうのじゃないのか?? 意識の流れはフォークナーがいるからなあ
まあ一から生み出したわけではないから福田の主張は的をいているのか 最近はやはり第一次世界大戦についてもっと勉強しないとなと痛感してる >>691
ヨーロッパ的な心理小説は日本でも書かれた
たとえば、伊藤整『氾濫』がそうで、1950年代に出版された当時
ベストセラーになり、文芸評論家からも絶賛された
しかし、今や読む人はおらず、絶版のまま忘れられている アメリカ出身のヘンリー・ジェイムズはアメリカだと小説を書きにくいと
イギリスに移住して厖大な心理小説を書き、晩年は帰化してしまった 451: 吾輩は名無しである [] 2021/12/11(土) 11:04:18 ID:OJhKBUJj
第一次世界大戦でそれまでのヨーロッパ的価値観が崩壊して不安の中に放り出された塹壕世代を象徴する小説家がセリーヌとヘミングウェイ
塹壕世代からシュルレアリズムとムッソリーニのファシズムとヒトラー&ナチスも生じた
彼らはみな同世代
455: 田中淳 ◆/UoR7yuSDM [sage] 2021/12/11(土) 22:18:58 ID:AmbVafFe
>>451
てゆうかヘミングウェイなんて三流のエンタメ冒険小説作家とセリーヌを並べるなよw
アメリカの作家ならそこはフォークナーだろ
戦地には赴いてないけどな
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1284103780/455 ウクライナ戦争でなんでヘミングウェイが第一次世界大戦やスペイン内戦でわざわざ外国の戦争にのこのこ出かけたか感覚的に分かった
これは死の恐怖を飛び越えて好奇心が勝るし血湧き肉踊る感じになりますわ
行ったら結局惨憺たる経験になるだろうと分かっていてもねw 「日はまた昇る」はそれほどの傑作ではないと思う。
ヒロイン以外の登場人物に魅力がないし、スペインに行ってからのストーリーが退屈。 エンタメじゃあるまいに、ストーリーが退屈って、バカかよ >>702
まさにその通りなんだけど、ヘミングウェイの長編では一番ましじゃない。 >>704
長編は、日はまた昇る、武器よさらば、老人と海しか読んでいない。
どれも同じくらいそれほどでもないと思う。 長編では、持つと持たぬと、誰がために鐘は鳴る、河を渡って木立の中へ、
エデンの園、海流の中の島々も読まないといけない ヘミングウェイの長編はマジで武器よさらばと日はまた昇るだけでいい
他はこの2編の劣化版かもしくは単純な虚無だから 文庫 名編集者パーキンズ 上 (草思社文庫) 文庫 2015/6/2
A.スコット バーグ (著
ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、トマス・ウルフ――
アメリカの文学史に名を残すことになる若き作家たちを発掘し、
その才能を引き出した伝説の編集者パーキンズの評伝。
作家に寄り添う編集者として、時にはカウンセラーとなり、恋愛相談役となり、
マネージャー、金貸しの役割まで果たした。
その熱意溢れる仕事ぶりを支えたのは「この世に書物ほど大切なものはない」
という信念だった。全米図書賞受賞作。 カズオと間違った。日はまた昇るって読む価値あんの? 中学生のころに一度「武器よさらば」を読んだが、
久方ぶりに再読してみた。
主人公は酒を飲んでばかりだったんだなw
俺はミラノ、マッジョーレ湖、マン湖、ローザンヌへ行ったことがあるので、
場面のイメージがしやすくて、後半は楽しめたぜ。
キャサリン・バークリー嬢も可愛らしかったしな。
なんか好きな小説だった。 >>710
『日はまた昇る』は数年前ハヤカワ文庫の土屋訳で読んだが、他の人には勧めない
『武器よさらば』は昔読んだが、イタリアの自然描写がよかったと思う
『老人と海』は短いのであっという間に読めるが、映画を小説にしたような印象を持った >>710
俺は新潮文庫の高見訳で読んだ。訳の好き嫌いは置いといて内容的にはそこそこ。次に読んだ『武器よさらば』が全く面白くなかったので、『誰がために鐘が鳴る』には手が出なかった。『老人と海』はずっと前に読んでピンとこなかった。『海流の中の島々』は未読。とりあえずの結論。ヘミングウェイは短編の作家。 文庫になっていない長編を全集で読むべし
持つと持たぬと、河を渡って木立の中へ 『武器よさらば』の主人公は何故あんなに金回りが良かったのですか?
彼の財布から金が勝手にどんどん沸いてきたのですか? >>715
ありがと。でも多分読まない(読めない)な。俺の読み込み方が足りないのだからだと思うが、ヘミングウェイには、例えばディケンズの様な物語性も、ドフトエフスキーのような人間観察もないような気がする。自分も年なので優先順位をつけて本を読んでいくしかないのだが、ヘミングウェイの他に読みたいものが多い。あえて次に読むなら『移動祝祭日』かな。 >>717
それでいいんじゃない。
優先順位は必要。
ヘミングウェイつうかアメリカ文学の優先順位は普通は低いと思う
アメリカよりも、フランスやドイツやロシアの方が文学的に上だろう。
「誰がために鐘は鳴る」とか「怒りの葡萄」は映画見とけば十分だと思う フィッツジェラルド、カポーティはまだまだ読んでみたいな。あと一冊も読んだことないので、フォークナーも。もう少し読むのが早ければいいのに、と思う。 >>718
バカなヤツだ
映画を見るのと小説を読むのは異なる体験なのに
ストーリーさえ分かればいいと勘違いしている
こんなヤツでも文学に開眼することはあるのだろうか