【老人と海】ヘミングウェイ【武器よさらば】
世間では文豪ヘミングウェイてイメージあるが日本の文壇では大江、中上のフォークナー、春樹のフィッツジェラルドと比べて軽く見られてないか? >>644 ヘミングウェイ『日はまた昇る』と村上龍『限りなく透明に近いブルー』を 比較して読むと面白い >>644 ヘミングウェイの丸パクリと言える作家は小川国夫ぐらいかな 村上春樹はチャンドラーのファンだから間接的にヘミングウェイの影響を受けてることになる ヘミングウェイの真髄は短編だから、影響を受けた作家が日本における「文豪」になるのは無理だろうな ヘミングウェイ自身の長編も面白いけれども、本質的にはただのオナヌーだし 英米文学におけるヘミングウェイって日本文学における志賀直哉? 簡潔な文体を確立して多大な影響を与えるという 日本のヘミングウェイは中上健次かな なんだかんだ言って中上がいちばんスタンダードな文体だと思う >>650 枯木灘の頃はヘミングウェイっぽい感じだったよな 簡潔で明瞭で修飾する言葉が少ない でも後期は完全に逆方向に行ってしまった 文体までフォークナーにならなくても良いのに 近代アメリカ人男性の文体を造り上げたのはヘミングウェイ 近代日本人男性の文体を造り上げたのは夏目漱石 志賀直哉の文章を模範にした人のが多いんじゃないか? >>653 流石にそれはない 日本だとヘミングウェイは地味な存在だけれども アメリカ本国やラテンアメリカやイタリアだと神のような存在だから 文豪の中でも少なくともガルシア=マルケス、カルヴィーノとかが影響を受けてる 川端、谷崎、太宰の文体の方が現代に影響力強そうだが 彼らが漱石の影響受けてるなら、漱石から始まったと見てもいいが 鷗外や露伴の文体だと漢籍の影響が強すぎて普及しづらいんだよな中島敦なんかはその直系になるんだろうけど 漱石の場合は寄席の話しことばの雰囲気が作品に残るんだよね ハードボイルド系の文体は、チャンドラーは言うまでもなくポールオースターにも感じるからもう共有財産にまでなってるThe Sun Also Risesあたりが源流だと思うが というかハードボイルド文体はヘミングウェイが体系化しただけで、似たような文体の作家はヘミングウェイ以前にもいた 漱石の夢十夜とかカフカの短編とか、なんなら聖書の文章だってヘミングウェイっぽいと感じることがある 関係ないけど村上春樹ってどの辺がフィッツジェラルドなんだ 長ったらしい比喩表現とか? 漱石が文壇で持ち上げられたのは戦後じゃないかな。江藤淳ー柄谷行人ラインで。戦前も人気作家とは言え。 やはり志賀直哉が日本文学の正統と思われててそれで無頼派の三人があれだけムキになって叩いた。 平野 大体現代文学の常識からいうと、志賀直哉の文学というものが現代日本文学のいっとうまっとうな、正統的な文学だとされている。そういう常識からいえばここに集まった三人の作家はそういうオーソドックスなりリアリズムからはなにかデフォルメした作家たちばかりだと見られているが…。 太宰 冗談言っちゃいけないよ。 平野 いや、冗談じゃない、ほんとの話だよ。太宰さんはすでに少々酔っぱらってるから……。 坂口 平野が言う意味は向うが正統的の文学だとすれば、俺たちがデフォルメだというのだよ。 平野 それはそうだろうと思う。いくらあなたがそうじゃないと頑張ったっても…。 太宰 俺にはちっとも分っていやしない。デフォルメなんて……。 平野 それじゃ一つ、そのデフォルマシオンに非ざる弁を一席やって下さいよ、太宰さん。 太宰 やるも何も………僕はいつもリアリストだと思っているのですよ。現実をどういう具合に、どの斜面から切ったらいいか、どうすれば現実感が出るか、それに骨身を砕いているわけじゃないか、なにも志賀直哉の、あんなものが正統であってオーソドックスだという……そんなことを僕は感じたくない。寧むしろあの人は邪道だと思っている。文学から……。 平野 しかし、世間の常識からいえば志賀直哉がオーソドックスであなた方はデフォルメ……まあそういう風に見られていると思う。だからそういう作家が偶然寄って……偶然か企画か知らんが……一堂に会して現代文学を語るということになれば、そこにありふれた座談会なんかと面目を異にした面白い座談会ができるだろうと僕は期待するわけなんだ。 織田 太宰さん最近戯曲を書いていらっしゃるけれども、僕は若いときに戯曲を書いておった。日本の小説を読んだことがない。初めて読んだ小説は梶井基次郎……あれは高等学校も同じだし、病気も同じそういう興味で初めて読んだ。これは非常に面白いと思って……ところが、スタンダールを読んで、芝居より小説の方が面白いと思って小説を書き出した。 ところが翻訳の文章じゃ小説は書けない。だからいろいろどんなやつがいるんだと思って……小林秀雄が志賀直哉や瀧井孝作などの美術工芸小説を褒めているでしょう。何だ、これが小説かと思って、やり出してへんなことになった。 『赤と黒』というようなことから小説の面白さを発見しながら、面白くもない志賀直哉、瀧井孝作の小説を一生懸命読んで、その文体を真似なくちゃ小説を書けないということを、まだ若い身空で教え込まれた。いまの若い人たち、いろいろな小説、外国の小説を読むでしょう。だけど翻訳の文章は悪いでしょう。 やはり名文は横光さん、川端さん、志賀さんとか言われて、結局その方から文章をとらんとするでしょう。やはり真似をしなくちゃなかなか書けないもんね。だから、やはり横光さん、川端さん、志賀さんなんかから勉強して、文学というものを学んでやったって、ちっとも新しい文学は出て来ない。 滅茶々々でもいいよ。サルトルを読んでから初めて小説が分って……なにも読まなくてもいいんだ。そこから入って行ったらいいじゃないか。やはり志賀さん、横光さん、川端さんから文学というものを教わってやっているから、へんに北條誠みたいなようになるんだ。 若手の作家て志賀直哉に興味あるやつはそんなにいないよな どいつもこいつも太宰と三島なイメージ 戦後生まれのわれわれはもう志賀直哉が日本文学の正統なんてイメージはない。やはり漱石だよね。 太宰や安吾が滅茶苦茶叩いてたのもあってむしろ非常に悪いイメージ持ってて食わず嫌いだったんだけど読んでみたら面白かった。 短編は実はあんまりピンとこなかったけど暗夜行路はやっぱり凄いと思ったな。 志賀直哉の文章はやはりどこか美文調を引きずってた同時代の作家と比べて恐ろしく簡潔で散文的であれが日本の近代小説の基準、正統みたいになったのも当時はしょうがないかなと思ったな。 ちなみにアメリカ文学というとまずフォークナーってイメージだった最早われわれの時代には ヘミングウェイはなんか随分下みたいないイメージ フォークナーを貶めるつもりは全くないけどそれも不当だと思ってますw フォークナーはピンチョンとガルシアマルケスを生み出したからなあ ヘミングウェイは後継者に恵まれないイメージ 彼の文章を参考にしている作家は多いけど、生涯ナンバーワンに挙げるほど心酔してる作やつは少ない でもビートジェネレーションのケルアックの「路上」にしろバロウズの「ジャンキー」にしろあえて言えばヘミングウェイの系譜の移動小説。金がなかったからかアメリカ国内旅行だけどwそれがヒッピーに繋がって行く。 志賀直哉の「暗夜行路」も移動小説ですw フォークナーの方法論はむしろ中南米のマルケスや日本の大江とか第三世界の作家に受け継がれていく。 そうかケルアックがいたな あとブコウスキーとパヴェーゼだな ヘミングウェイのフォロワーと言えるのは 暗夜行路は面白いのかなあ 昔読んで雪国もそうだったがなんでこんな 下手くそなのが名作なのかと不思議に思った 読んでみようかな ヘミングウェイは誰もそんなこと言ってないけど 俺は昔から石原慎太郎と重なってた 男を主張する感じと海かなあ >>670 『暗夜行路』も『雪国』も名作 お前がおかしいと気づけよ >>663 織田作之助が現代のワナビとやってること全く同じで微笑ましい >>670 どの作品読んで、そう思ったんだ? むしろ女々しいだろう。 >>671 >>673 このスレ変なやつ多いのねw まさか『老人と海』しか読んでいないってことは、ないよな。 シャーウッド・アンダーソン(1876年 - 1941年) エズラ・パウンド(1885年 - 1972年) T・S・エリオット(1888年 - 1965年) レイモンド・チャンドラー (1888年 - 1959年) H・P・ラヴクラフト (1890年 - 1937年) ヘンリー・ミラー(1891年 - 1980年) ダシール・ハメット (1894年 - 1961年) スコット・フィッツジェラルド(1896年 - 1940年) ジョン・ドス・パソス(1896年 - 1970年) ウィリアム・フォークナー(1897年 - 1962年) アーネスト・ヘミングウェイ(1899年 - 1961年) ウラジーミル・ナボコフ(1899年 - 1977年) ジョン・スタインベック(1902年 - 1968年) ロバート・A・ハインライン (1907年 - 1988年) ポール・ボウルズ (1910年 - 1999年) ウィリアム・S・バロウズ (1914年 - 1997年) ソール・ベロー(1915年 - 2005年) J・D・サリンジャー(1919年 - 2010年) アイザック・アシモフ (1920年 - 1992年) レイ・ブラッドベリ (1920年 - 2012年) ジャック・ケルアック(1922年 - 1969年) カート・ヴォネガット(1922年 - 2007年) ウィリアム・ギャディス(1922年 - 1998年) ノーマン・メイラー(1923年 - 2007年) トルーマン・カポーティ (1924年 - 1984年) ジェイムズ・ボールドウィン (1924年 - 1987年) アレン・ギンズバーグ(1926年 - 1997年) フィリップ・K・ディック (1928年 - 1982年) ジョン・バース (1930年 - ) ドナルド・バーセルミ (1931年 - 1989年) トニ・モリソン(1937年 - 2019) ジョン・アップダイク(1932年 - ) フィリップ・ロス(1933年 - 2018年) リチャード・ブローティガン (1935年 - 1984年) ドン・デリーロ(1936年 - ) トマス・ピンチョン(1937年 - ) 人生とは一人称視点で見れば悲劇だが、三人称視点で見れば喜劇だ ヘミングウェイの長編と短編を見比べればよくわかる 武器よさらばはイタリアがドイツにボロ負けするまでは日本人の感覚からしたら呑気な戦場生活だよね 戦場から逃亡して女と暮らすってのはアメリカンマッチョイズムからしたらどうなん? ドストエフスキー、フォークナーはほぼ全ての長編作品が面白い ヘミングウェイは長編は「日はまた昇る」と「武器よさらば」以外ははっきり言って失敗作 両者には残念ながら才能の差があるよな 短編はヘミングウェイが一番だと思うけど >>681 「武器よさらば」の時は反戦がブームだったんだよ だからヘミングウェイはそのブームに乗じて巧みに戦場という地獄から抜け出すヒーローを描いた だから反戦ムードのアメリカで「武器よさらば」は大ブームに スペイン内戦に参加するのがブームになると掌返しをしてファシズムに対抗するヒーローを描いた あいつの主張に一貫性なんかないから注意しろよ 歳をとるとスペイン内戦は、カタロニア讃歌の方が面白いかな 小説後半で友軍のはずのコミュニストから狙撃されるようになる戦局に恐々とする バルセロナ脱出も命懸けだし アメリカの若者にとっては享楽的に旅を続けるヘミングウェイの小説のほうがフォークナーより魅力的だっただろうね ケルアック、バロウズは更に過激な享楽に向かうと >>682 君は鑑賞眼がしっかりしているね ヘミングウェイの最も優れた長編は『日はまた昇る』 これはヘミングウェイの世界の研究者でほぼ一致した通説 『持つと持たぬと』『誰がために鐘は鳴る』『河を渡って木立の中へ』など ダメな長編のオンパレードだ 柄谷行人の「反ロマネスク・ヘミングウェイ」って論文読んだ人います? 柄谷って修論はダレルで中上にフォークナー教えたり英文学やってた人でもあるんですよね。 ヘミングウェイについて批判的なのか称賛してるのかどんなこと書いてるのか気になりますね (あらすじ) ある時、老人が海辺を闊歩していると、 一匹の亀が民衆から石を投げつけられていた。 なぜこんなことをしているのかと問うと、 「この亀は竜宮の人攫いだからだ」と答えた。 それを聞いた老人は民衆にこう言った。 「ならばしかたがない。続けなさい」 そしてこう続けた。 「ただし、実際に竜宮城に行ったことのある者だけこの亀に石をぶつけなさい」 民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ、 石をぶつけているのは老人ただ一人だけとなった。 >>663 ヘミングウェイとは関係ないけど漱石、荷風、谷崎じゃないのが興味深い そういう時代だったのかね 福田はヘミングウェイの「老人と海」の解説で 現代ヨーロッパ文学は旧弊な慣習と相互監視によって各個人が心理的に逼迫した結果、 内面的・実験的作風に行き着いたが、自由で社会制約の少ない現代アメリカ文学はそうではない、 といったことを述べていたわけだけど、 この考え方では 江戸以来の隣組制度が形を変えて残存する日本の伝統社会でヨーロッパ風の内面観照的な作品が出てこなかったのは何故なのか? という問いに対する答えは出てこない。 いわゆる文学的内面性というのはもっと別のところから生まれると思う。 例えば福田よりも上の世代に属す坂口安吾あたりは 内面性を支える自我というものを問題にしているわけであって。 これは社会慣習や相互監視という環境的負荷から自然発生的に生じるものじゃないでしょう。 >>691 私はヨーロッパ文学には無知なので、見当違いな質問かもしれないのだが、福田の言う「内面的、実験的な作品」とはゾラ、フローベールの作品群のようないわゆる「自然主義文学」のことを指しているのかな? それともドストエフスキーのような観念小説のことを指しているのか? Marcel Proust James Joyce Virginia Woolf 意識の流れとか。そーいうのじゃないのか?? 意識の流れはフォークナーがいるからなあ まあ一から生み出したわけではないから福田の主張は的をいているのか 最近はやはり第一次世界大戦についてもっと勉強しないとなと痛感してる >>691 ヨーロッパ的な心理小説は日本でも書かれた たとえば、伊藤整『氾濫』がそうで、1950年代に出版された当時 ベストセラーになり、文芸評論家からも絶賛された しかし、今や読む人はおらず、絶版のまま忘れられている アメリカ出身のヘンリー・ジェイムズはアメリカだと小説を書きにくいと イギリスに移住して厖大な心理小説を書き、晩年は帰化してしまった 451: 吾輩は名無しである [] 2021/12/11(土) 11:04:18 ID:OJhKBUJj 第一次世界大戦でそれまでのヨーロッパ的価値観が崩壊して不安の中に放り出された塹壕世代を象徴する小説家がセリーヌとヘミングウェイ 塹壕世代からシュルレアリズムとムッソリーニのファシズムとヒトラー&ナチスも生じた 彼らはみな同世代 455: 田中淳 ◆/UoR7yuSDM [sage] 2021/12/11(土) 22:18:58 ID:AmbVafFe >>451 てゆうかヘミングウェイなんて三流のエンタメ冒険小説作家とセリーヌを並べるなよw アメリカの作家ならそこはフォークナーだろ 戦地には赴いてないけどな http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1284103780/455 ウクライナ戦争でなんでヘミングウェイが第一次世界大戦やスペイン内戦でわざわざ外国の戦争にのこのこ出かけたか感覚的に分かった これは死の恐怖を飛び越えて好奇心が勝るし血湧き肉踊る感じになりますわ 行ったら結局惨憺たる経験になるだろうと分かっていてもねw 「日はまた昇る」はそれほどの傑作ではないと思う。 ヒロイン以外の登場人物に魅力がないし、スペインに行ってからのストーリーが退屈。 エンタメじゃあるまいに、ストーリーが退屈って、バカかよ >>702 まさにその通りなんだけど、ヘミングウェイの長編では一番ましじゃない。 >>704 長編は、日はまた昇る、武器よさらば、老人と海しか読んでいない。 どれも同じくらいそれほどでもないと思う。 長編では、持つと持たぬと、誰がために鐘は鳴る、河を渡って木立の中へ、 エデンの園、海流の中の島々も読まないといけない ヘミングウェイの長編はマジで武器よさらばと日はまた昇るだけでいい 他はこの2編の劣化版かもしくは単純な虚無だから 文庫 名編集者パーキンズ 上 (草思社文庫) 文庫 2015/6/2 A.スコット バーグ (著 ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、トマス・ウルフ―― アメリカの文学史に名を残すことになる若き作家たちを発掘し、 その才能を引き出した伝説の編集者パーキンズの評伝。 作家に寄り添う編集者として、時にはカウンセラーとなり、恋愛相談役となり、 マネージャー、金貸しの役割まで果たした。 その熱意溢れる仕事ぶりを支えたのは「この世に書物ほど大切なものはない」 という信念だった。全米図書賞受賞作。 カズオと間違った。日はまた昇るって読む価値あんの? 中学生のころに一度「武器よさらば」を読んだが、 久方ぶりに再読してみた。 主人公は酒を飲んでばかりだったんだなw 俺はミラノ、マッジョーレ湖、マン湖、ローザンヌへ行ったことがあるので、 場面のイメージがしやすくて、後半は楽しめたぜ。 キャサリン・バークリー嬢も可愛らしかったしな。 なんか好きな小説だった。 >>710 『日はまた昇る』は数年前ハヤカワ文庫の土屋訳で読んだが、他の人には勧めない 『武器よさらば』は昔読んだが、イタリアの自然描写がよかったと思う 『老人と海』は短いのであっという間に読めるが、映画を小説にしたような印象を持った >>710 俺は新潮文庫の高見訳で読んだ。訳の好き嫌いは置いといて内容的にはそこそこ。次に読んだ『武器よさらば』が全く面白くなかったので、『誰がために鐘が鳴る』には手が出なかった。『老人と海』はずっと前に読んでピンとこなかった。『海流の中の島々』は未読。とりあえずの結論。ヘミングウェイは短編の作家。 文庫になっていない長編を全集で読むべし 持つと持たぬと、河を渡って木立の中へ 『武器よさらば』の主人公は何故あんなに金回りが良かったのですか? 彼の財布から金が勝手にどんどん沸いてきたのですか? >>715 ありがと。でも多分読まない(読めない)な。俺の読み込み方が足りないのだからだと思うが、ヘミングウェイには、例えばディケンズの様な物語性も、ドフトエフスキーのような人間観察もないような気がする。自分も年なので優先順位をつけて本を読んでいくしかないのだが、ヘミングウェイの他に読みたいものが多い。あえて次に読むなら『移動祝祭日』かな。 >>717 それでいいんじゃない。 優先順位は必要。 ヘミングウェイつうかアメリカ文学の優先順位は普通は低いと思う アメリカよりも、フランスやドイツやロシアの方が文学的に上だろう。 「誰がために鐘は鳴る」とか「怒りの葡萄」は映画見とけば十分だと思う フィッツジェラルド、カポーティはまだまだ読んでみたいな。あと一冊も読んだことないので、フォークナーも。もう少し読むのが早ければいいのに、と思う。 >>718 バカなヤツだ 映画を見るのと小説を読むのは異なる体験なのに ストーリーさえ分かればいいと勘違いしている こんなヤツでも文学に開眼することはあるのだろうか 事実を事実の儘完全に再現する事は如何に面白可笑しい架空の物語を生みだすよりも遥かに困難である ●『グレート・ギャツビー』 In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since. ●野崎孝訳 ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。 ●小川高義訳 まだ大人になりきれていなかった私が父に言われて、ずっと心の中で思い返していることがある。 ●『老人と海』 He was an old man who fished alone in a skiff in the Gulf Stream and he had gone eighty-four days now without taking a fish. ●福田恆存訳 かれは年をとっていた。メキシコ湾流に小舟を浮かべ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが、一匹も釣れない日が八十四日もつづいた。 ●小川高義訳 老人は一人で小舟に乗ってメキシコ湾流へ漁に出る。このところ八十四日間、一匹も釣れていなかった。 新潮の100冊に入っている老人と海から読み始めてるけど ヘミングウェイって、なんだか面白そうだな 先ずは老人と海、あと50ページだ 「売ります。赤ん坊の靴。未使用」(うります あかんぼうのくつ みしよう、For sale: baby shoes, never worn)は、英語で6単語からなる短編小説の全文である。このシックスワード・ノベルは、 フラッシュフィクション、サドゥンフィクションの極端な例でもある。アーネスト・ヘミングウェイの 作品とされることが多いが、ヘミングウェイへの帰属は確かなものではなく、同じような趣向の小話は 古くから存在する。 >>725 両方とも小川って人の方が日本語として読みやすい しかし原文の文体は無視されている どれ訳してもたぶん小川って人の文体になるから翻訳調の方かな じゃ村上春樹にお願いすればいい。多分引き受けないだろうが >>730 スタンダードなのは新潮の高見浩訳だろうね 俺自身は大久保康雄の新潮旧訳の方が好きなんだが >>733 俺も高見訳がダメな口なんで。大久保訳はちと古くさく感じる >>738 俺も好きだな 『日はまた昇る』のブレットのセリフを男口調で訳したのが最高 惹かれ合いながらも、性的不能のジェイクとは結ばれない二人の 同性同士のような友人関係を浮かび上がらせる ヘミングウェイは晩年になるほど円熟というよりも粗くなっていく。それは特に短編に顕著 俺は「日はまた昇る」は酒を飲んで駄弁っているだけで、面白くなかった 特にスペインに行ってからが退屈 ヒロイン以外、魅力的な登場人物も出てこなかった >>741 でも長編の中ではマシな方。『武器よさらば』は退屈極まりない 最近武器よさらば読んだけど、酒を飲んで駄弁ってるだけだった 『武器よさらば』はまだマシ 『誰がために鐘は鳴る』の退屈さといったら read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる