柄谷行人の晩年をひっそりと見守るスレ
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文学板で頭のあるのは俺以外いないはずだがw
お前など全く関係ないよなw
俺は柄谷の思想には興味がない。
柄谷がいかに読解力のない低脳かということを言いたいだけなんだがw 最低人類0号の柄谷の社会的名誉を致命的に毀損して息の根を止めるなんて簡単だ。
単にしかし、別に個人的な恨みがオレには無いから、70のジイサンにそうまですることもないよな、だけだ。 なんにせよ、柄谷ってのは、それだけでしかないカス人間だ。 nibuya ?@cbfn
柄谷さんが未だ「固有名問題」に集中していた頃、何の会かで講演で一緒になり、
その日はどうも柄谷さんは本調子ではなく、蓮實さんの基調講演の後に立った柄谷さんの
講演は無惨に混乱していて聴衆はそれを柄谷さんのキャラとして笑いながら聞き、
さすが柄谷さんもそう見せかける事に成功はしたが・・・
混乱は柄谷さん独自の固有名論をクリプキのそれで説明しようとする時に起こった。
原因は明らかで要は柄谷さんのクリプキ援用はほぼ誤用であってうまく論が組み立てられる筈
もなかったからだ。しかしその誤用はさしあたり問題ではなく、
混乱の中で必死でその中をまさぐる柄谷さんの悲痛さが当時は残った >>170
引用しただけの人に聞いても、しょうがないかも知れないが。
>クリプキ援用はほぼ誤用
具体的にはどういうこと? 今日はわしが大尊敬する先生方を紹介する
ジル・ド・レ
柄谷行人
エドワード・セオドア・ゲイン
イディ・アミン
則天武后
浅田彰
ヴラド・ツェペシュ
ニコライ・デュマガリエフ
蓮實重彦
ジェフリー・ダーマー
安重根 「世界同時革命」のギャグを飛ばす偽装左翼の現在の日本の保守本流が
柄谷だろ。 柄谷って簡単に言えることを難しく気取って言うタダの馬鹿 今日はわしが大尊敬する先生方を紹介する
中条省平
管啓次郎
柴田元幸
池内紀
和田忠彦
若島正
野崎歓
簡単に言えることは断じて簡単に言う、のびやかな先生方です >>簡単に言えることは断じて簡単に言う、
それが思想詐欺を追放する運動になる。 とりあえず、低脳って書いてる奴、バカを露呈してるだけだから、注意するように。
まぁ、ルサンチマンの塊乙wwww >>179
だってだって、考えてみなよ?
低脳だよ?
低「脳」だよ?!?! 低能:何かしらの才能が人並に届かない
低脳:なんでもかんでもとにかくバカなだけ
解ったかい?低脳>>183クンw >>184
自分の無知による間違いを相手に押し付けるところは、まさにネトウヨ的知的下層だなw
普通は厚顔無恥とか言われるな。 恐縮だが、「低脳」それは君たち低学歴負け組の世界だけで使われている言葉じゃないのか。
低能は辞書にあっても低脳はないぞ。
しかも低能の類語に脳味噌が足りないとあるし、暗愚に準ずる意もあるようだから、
低能それ自体に184の人が言いたいこと、含意されてるぞ。 あ、それとも学歴と同じように辞書とか言った所謂権威的なものには従いたくないのかな?
それこそルサンチマンと言われかねないな。。。 >サンチマンと言われかねないな。。。
言いなよ。それしかオマエにゃ無いからな。学歴と辞書が権威?w 低脳www で?アンタ?何を書いたの?これ?へえ、バカみたいだね。
それだけっきりなんだよ、低脳クンw あ〜あ、オレも低脳になりたいな〜
つまり脳がありすぎるんだよね〜
高脳だと、つまり、コンドル下ちゃんに理解されえない領域にどうしてもいてしまうことになったりするわけよ
高脳ってあんがいと辛い
(談・野崎歓) ごちゃごちゃいってないで、みんな学歴ないんだからしこしこ働こうヽ(^o^)丿 2008年1月より書かれていた対話形式の柄谷行人批判「アンチ柄谷
行」。NAMをどうみるか、20071年までの柄谷行人をどうみるかを検証する。
URLは以下の通りである。
http://www.logsoku.com/r/philo/1198773669/ ハスミやアサダなんかと並んでもてはやされていたけど、この辺の思想家って
日本が欧米から十年二十年遅れているのをいいことに、原文読んで
奴らの受け売りで最先端ぶってただけじゃねーの。
日本の独自性が明らかになると、途端に化けの皮が剥がれた。 こいつらをバカにしてたヨシモトでさえ、フーコーに直接手紙をかいて
バカにされたことが一大業績扱いだろ。
どこまでバカなんだよ。 >>200
吉本をバカにしたのは、フーコーへの手紙の翻訳を依頼された蓮実とその奥さん。
直接フーコーへ送ったわけじゃない。
蓮実も3バカの中のひとりだが、奥さんはもっとおバカなフランス人w
吉本の道元論など理解できるわけがない。
たぶん、わけのわからない翻訳してフーコーが理解しようもなかったというのが真相。
もしかしたら、翻訳するが面倒で、「つまらない内容だからこちらで対応する」とか言ってしらばっくれたのかも知れない。
その蓮実は、吉本が亡くなったときには、平然と追悼文かなんか書いてたみたいだけど。
自分が悪口書いた蓮実なんかを信じて手紙の翻訳を託した吉本がお人よし、ということだろうな。 >その蓮実は、吉本が亡くなったときには、平然と追悼文かなんか書いてたみたいだけど。
>自分が悪口書いた蓮実なんかを信じて手紙の翻訳を託した吉本がお人よし、ということだろうな。
司馬遼太郎いわく「秋山兄弟とか、次々出てくるし」。そりゃそうだ。波がちゃんと見えていればね。 >>199
そもそも柄谷とデリダやポール・ド・マンが
イェール大で同僚だったことも知らんのかこいつはw
独自性とかいまどき言っていること自体アホだとしか言えんなw 柄谷の「意味という病」に反して、世界は絶えまなく意味を求めてる。
「独自性」についても同様だろうね。
デリダ、ポール・ド・マン、柄谷、蓮實、浅田を本棚から月いちの
資源ゴミ回収に出して本棚に空きスペースを作らないと話にならん。 >>204
ロクにその連中を読んでないとしか言えんな 読んでも何も益するものなんか無い。
バカになるだけだから読まないのがなにより。
ジイサンはもう手遅れだが、読まないに越したことはないよ、お若いの。(笑) 頭がまだ少しはしっかりしてる時だったころでも嗜糞癖・変態がひどい男だったんだから
これがボケたら、もう臭くて臭くて穢くて穢くて気味悪くて気味悪くて・・・
げに恐ろしや恐ろしや、ああ恐ろしやw >>204
そうすると、あなたは何を読んでいるのですか?お勧めは? >>209
最近になってようやっと、花田清輝を卒業したばかりの俺だが、
花田、中井正一、武智鉄二が俺の先生だな。
東京大学表象文化の連中に対しては鎧袖一触の自信があるねw >鎧袖一触の自信がある
じゃあ遠慮することは無い。やれよさっさと。
鎧袖一触なんだろ?
表象文化の連中とかってのは明日はもう名前さえ残ってないよな?w 結局のところ何とかの遠吠えでしかないな
柄谷・浅田・蓮實などの連中に対して 2chって大学の文学部の教員も結構いるんだろ?
浅田や蓮實は最近の東大の表象論学者の進んでる方向に対して、責任が
あるんじゃねーの?
2chで意見が出ないのは寂しいねw >>214
横山太郎、松岡心平とかが代表する、とんちんかん。
能の身体論を机上であーだこーだ考えてもしょうがない。
彼等には余りにも実体験がなさ過ぎる。
そういう人間が机上で優秀でもない頭で推理しても、金と時間の空費
以外の何ものでもない。
メルローポンティ、フッサール、ハイデガー、何の役にも立たないw
哲学の身体論とか、いい加減で止めにしろってことだよ。 猫飛ニャン助 @suga94491396 3時間
沼野充義、向井豊昭の遺作評して「十分な声望得られないまま亡くなった」と
(東京新聞)。白々しい。向井が「声望」望んでいたか疑問だし、そもそも
沼野のごとき御用評論家や文壇編集者が、向井のヤバさを忌避していただけだ
ろう。最近若い書き手の向井論複数読む。沼野より遥にマシ。 読解力という点では沼野、蓮實、松浦、四方田、柴田、松岡らの東大教授は
一般人と全く変わらないからな。才能なくして東大教授になっちゃいかん
のだが、なるからね。
沼野は自分の読解を披露することが出来ない。大体の東大教授はそのタイプ
なんだよな。
松浦寿輝なんて全然、とんちんかんなことを群像新人文学賞の講評で言ってた
からね。何にも分かってないくせに、分かってるふりをするんだな。 >>220
>>才能がないから、教師になるんだろ?
柄谷や浅田に聞かせたいね。 柄谷さんの講演、岩波の主催で明大でやるやつね。
図書の最新号が届いた日に知って申し込もうとしたらすでに満席。
定員1000人があっと言う間に満席になっちゃったなんて・・・ 怖いもの見たさってのはあるが、穢いもの見たさってのもあるんだなw >>227
柄谷さんとステマってもっとも無縁でしょう、だれかじゃあるまいし。 岩波は柄谷の知的余命を、後何年くらいと見てるのかね?
コネ採用社員ばかりだから、見通しが利かないのではw 柄谷が「意味の病」と呼んだものが、今どんどん元気一杯になってる
からね。
こういう言い方じゃ、頭の悪い岩波社員には分らんかw >>231
「意味という病」な。マクベス論。神学批判だ。
>今どんどん元気一杯になってる
は、精々宗教的原理主義が跋扈している、程度のことを指しているんだろ。
だから何だよ、誰でも分かるわ。 >>232
君は全然、分かってないし、分る見込みもないね。
話は別だが、昔の『批評空間』10号を読むと、柄谷や浅田、岡崎、磯崎らが
何故、当時、世界でカントが注目されていたのか、全然分かっていなかったと
いうことが分かった。
大体がグリーンバーグやキーファーについて、こいつらの意見を聞きたいとは
思わない。
一般的なメリットは日本語でしゃべってます、という以外に何もない。
日本の美術がどうだとか、日本の美術批評がどうだとか些末なことに過ぎん。
そんなもの無くても一向に構わん。世界の美術、美術批評があればよろしい。 昔はネットがなかったから、興味あるワードで検索して外国の書籍の
中身をちら見したりすることは出来なかった。そういうのは公費で高い
洋書を買える大学の関係者に殆ど限られていた。だから、海外の情報は
彼等に独占されていた。そういう優位が消えた今、彼等の価値も
自然消滅したのでは?彼等の議論ほどややこしいことを言ってる批評家
も思想史研究家も海外にはいないだろう。こんなややこしい言い回しを
何のためにやってるのかね。無論、自分達を崇拝させるため以外ないだ
ろうね。使わなくても良いアレゴリーをわざわざ使う。 >>233
なんか匂わすお前の物言いも無効になってる >>236
ある面、言えてるな。
だが、無効まではならない。
『世界共和国へ―資本=
ネーション=国家を超えて』
ここで、柄谷が拡散と集中のエネルギーが均衡していた冷戦直後の
東欧に触れたのは、極特殊な状況だったんだな。
だが、柄谷がそういうことに注目したのは、柄谷達のような西欧文化の
「密輸者」が活躍出来る余地は、世界性を指向しながら、同時に言語や
文化の障壁を巧みに利用して行くことから生じるという一見矛盾した事実から
来てるんだな。このことは明らかに、『世界共和国へ―資本=
ネーション=国家を超えて』の表題のアレゴリーに他ならない。
そして、ずっと昔にはsyncretismを廻るカントとヘルダーの論争で
問題化している。 だからなんだよとしか言いようがないな
自分でもそう思わないのかね このぐらいヒントをやれば十分だろう。
『批評空間』で柄谷や浅田、岡崎らが批判して来た者達、つまり日本の
美術家、美術評論家への批判は、そっくり柄谷、浅田、岡崎らにこそ、
当てはまるということなんだ。
津原ー川上の問題と同じで、批判を始めたものが、批判された者と同質の
過誤を犯していた場合は罪は倍になる、ということだ。 栗原裕一郎 ?@y_kurihara 12月3日
柄谷行人「中上が死んでも文学が続いているということが不思議なんです。もちろん今後も続くだろ
うけれども、そんなものは続いてるとは言えないんじゃないのという気持がある」(村上龍との対談。
『國文學』93年3月号)――何だったんだろうね、批評空間系のこういう常軌を逸した中上神格化って。 栗原裕一郎って自筆履歴書によると大検で東大入って除籍だそうだけど
除籍だとその学校に入学した証明書は出ないから公的最終学歴は中卒なんだよねw 野村沙知代もコロンビア大除籍って言えば良かったんだな
そうなら自筆履歴書で在籍していたと言い張れたんだからな
こいつは入学なんかしていないの証明は悪魔の証明になるw
しかし哀しいハッタリだな… 哀し過ぎるな…… 栗原って、すが秀実その他セクト系には喧嘩売らないチキン >>243-245
栗原を叩いたってしょうがない。
こっちは柄谷の「文痴」を叩くことが可能ですからw しょうがないけど、栗原が業界通気取ることでかなりうっとおしいのも事実 >>247
普通に文芸誌読んでるだけではそんなにうっとうしくないはずだけど
そんなに気になるなら病気なんじゃない? 頭悪いで通そうとするなら病気
栗原を気にする要素なんかいまの文芸誌のどこを見てもないからね
しかも柄谷スレでムキになっちゃって(笑) http://ask.fm/ytb_at_twt/answer/105284813642
私も自己言及的な現象(主に実践哲学領域での)に関心があるのですが、研究を進める上でやはり論理学や集合論を学ぶ必要があるでしょうか?
答えは「はい(ただし教養程度知っていれば十分)」ですが、理由は二つあります。
まず、自己言及的な現象を扱うに当たって、やはり事象ごとに微妙な差異というのがあります。
一つ一つしかモデルを知らないと、全部一つのモデルに無理やり押し込めることになりますが、幾つか知っていれば、うまく差異を表現できるかもしれません。
ただ、それほど深い事を知っている必要はなくて、各モデルの特徴を知っていればこの目的には十分です。
もう一つの理由は、ダマされないことです。自己言及性に関して、くだらない事を言うアホな哲学者や社会学者がたくさんいます。
X谷X人とかに引っかからないためにも、アXのいいそうなことを事前に知って間違いをチェックしておくのは有益でしょう。 柄谷にとってのマルクスと
澁澤龍彦にとっての悪魔学は同じで、メタファ−のゲームに過ぎない。
最近は特に酷くなってるようだが。 http://ask.fm/tkira26/answer/106771066855
この点、何か意味のありそうな言葉を特に定義もせずに(というか定義しないがゆえに)さも重要そうなキーワード
に見せかける、戦後日本の文芸批評の手法はかなりの悪影響を若者たちに与えました。
具体的には小林秀雄や柄谷行人などですが(「意匠」とか「交通」とか、さっぱりわからん)、
彼らの文章が現代文の教科書や入試問題に長年使われてきたことの弊害は大きいし、
その影響は今でも残っています。 もう手元にないしあまり覚えてないんだけれど
初期の短編集で「鏡」や「座敷わらし」の話よんで「ほおう」と納得した記憶がある
「目から鱗が落ちましたー!!」みたいな >目から鱗が落ちました
そりゃオマエ、ヘビの脱皮だったんだよw >>253
柄谷にとってのマルクスと
澁澤龍彦にとっての悪魔学は同じで、メタファ−のゲームに過ぎない。
最近は特に酷くなってるようだが。
柄谷については、禿げしく同意 「民俗学でいうならば、柳田はヘーゲルで、折口はニーチェ」だとか、
全然、見当はずれにも見えるような喩えを軽薄に公言するから、
信用されなくなるわなw
柳田は農商務省の参事官に30そこそこで就任するぐらいのエリートで
しかも、現職の台湾総督がいるような名門の養子婿になったおかげで、
民俗学界で大きな権力をふるえたことが大きい。同僚や後輩らへの
行き過ぎた威圧も多かったのではないかな。 そういえば大江健三郎の「懐かしい年への手紙」は
ヘーゲルにとっての「精神現象学」のようなものだと
本人を目の前にして語っていたような記憶が。 大江と柄谷って直接対面して対談したことってあるの?ないでしょ? いや、「国文学」の大江健三郎特集でやっていますよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています