柄谷行人の晩年をひっそりと見守るスレ
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低能:何かしらの才能が人並に届かない
低脳:なんでもかんでもとにかくバカなだけ
解ったかい?低脳>>183クンw >>184
自分の無知による間違いを相手に押し付けるところは、まさにネトウヨ的知的下層だなw
普通は厚顔無恥とか言われるな。 恐縮だが、「低脳」それは君たち低学歴負け組の世界だけで使われている言葉じゃないのか。
低能は辞書にあっても低脳はないぞ。
しかも低能の類語に脳味噌が足りないとあるし、暗愚に準ずる意もあるようだから、
低能それ自体に184の人が言いたいこと、含意されてるぞ。 あ、それとも学歴と同じように辞書とか言った所謂権威的なものには従いたくないのかな?
それこそルサンチマンと言われかねないな。。。 >サンチマンと言われかねないな。。。
言いなよ。それしかオマエにゃ無いからな。学歴と辞書が権威?w 低脳www で?アンタ?何を書いたの?これ?へえ、バカみたいだね。
それだけっきりなんだよ、低脳クンw あ〜あ、オレも低脳になりたいな〜
つまり脳がありすぎるんだよね〜
高脳だと、つまり、コンドル下ちゃんに理解されえない領域にどうしてもいてしまうことになったりするわけよ
高脳ってあんがいと辛い
(談・野崎歓) ごちゃごちゃいってないで、みんな学歴ないんだからしこしこ働こうヽ(^o^)丿 2008年1月より書かれていた対話形式の柄谷行人批判「アンチ柄谷
行」。NAMをどうみるか、20071年までの柄谷行人をどうみるかを検証する。
URLは以下の通りである。
http://www.logsoku.com/r/philo/1198773669/ ハスミやアサダなんかと並んでもてはやされていたけど、この辺の思想家って
日本が欧米から十年二十年遅れているのをいいことに、原文読んで
奴らの受け売りで最先端ぶってただけじゃねーの。
日本の独自性が明らかになると、途端に化けの皮が剥がれた。 こいつらをバカにしてたヨシモトでさえ、フーコーに直接手紙をかいて
バカにされたことが一大業績扱いだろ。
どこまでバカなんだよ。 >>200
吉本をバカにしたのは、フーコーへの手紙の翻訳を依頼された蓮実とその奥さん。
直接フーコーへ送ったわけじゃない。
蓮実も3バカの中のひとりだが、奥さんはもっとおバカなフランス人w
吉本の道元論など理解できるわけがない。
たぶん、わけのわからない翻訳してフーコーが理解しようもなかったというのが真相。
もしかしたら、翻訳するが面倒で、「つまらない内容だからこちらで対応する」とか言ってしらばっくれたのかも知れない。
その蓮実は、吉本が亡くなったときには、平然と追悼文かなんか書いてたみたいだけど。
自分が悪口書いた蓮実なんかを信じて手紙の翻訳を託した吉本がお人よし、ということだろうな。 >その蓮実は、吉本が亡くなったときには、平然と追悼文かなんか書いてたみたいだけど。
>自分が悪口書いた蓮実なんかを信じて手紙の翻訳を託した吉本がお人よし、ということだろうな。
司馬遼太郎いわく「秋山兄弟とか、次々出てくるし」。そりゃそうだ。波がちゃんと見えていればね。 >>199
そもそも柄谷とデリダやポール・ド・マンが
イェール大で同僚だったことも知らんのかこいつはw
独自性とかいまどき言っていること自体アホだとしか言えんなw 柄谷の「意味という病」に反して、世界は絶えまなく意味を求めてる。
「独自性」についても同様だろうね。
デリダ、ポール・ド・マン、柄谷、蓮實、浅田を本棚から月いちの
資源ゴミ回収に出して本棚に空きスペースを作らないと話にならん。 >>204
ロクにその連中を読んでないとしか言えんな 読んでも何も益するものなんか無い。
バカになるだけだから読まないのがなにより。
ジイサンはもう手遅れだが、読まないに越したことはないよ、お若いの。(笑) 頭がまだ少しはしっかりしてる時だったころでも嗜糞癖・変態がひどい男だったんだから
これがボケたら、もう臭くて臭くて穢くて穢くて気味悪くて気味悪くて・・・
げに恐ろしや恐ろしや、ああ恐ろしやw >>204
そうすると、あなたは何を読んでいるのですか?お勧めは? >>209
最近になってようやっと、花田清輝を卒業したばかりの俺だが、
花田、中井正一、武智鉄二が俺の先生だな。
東京大学表象文化の連中に対しては鎧袖一触の自信があるねw >鎧袖一触の自信がある
じゃあ遠慮することは無い。やれよさっさと。
鎧袖一触なんだろ?
表象文化の連中とかってのは明日はもう名前さえ残ってないよな?w 結局のところ何とかの遠吠えでしかないな
柄谷・浅田・蓮實などの連中に対して 2chって大学の文学部の教員も結構いるんだろ?
浅田や蓮實は最近の東大の表象論学者の進んでる方向に対して、責任が
あるんじゃねーの?
2chで意見が出ないのは寂しいねw >>214
横山太郎、松岡心平とかが代表する、とんちんかん。
能の身体論を机上であーだこーだ考えてもしょうがない。
彼等には余りにも実体験がなさ過ぎる。
そういう人間が机上で優秀でもない頭で推理しても、金と時間の空費
以外の何ものでもない。
メルローポンティ、フッサール、ハイデガー、何の役にも立たないw
哲学の身体論とか、いい加減で止めにしろってことだよ。 猫飛ニャン助 @suga94491396 3時間
沼野充義、向井豊昭の遺作評して「十分な声望得られないまま亡くなった」と
(東京新聞)。白々しい。向井が「声望」望んでいたか疑問だし、そもそも
沼野のごとき御用評論家や文壇編集者が、向井のヤバさを忌避していただけだ
ろう。最近若い書き手の向井論複数読む。沼野より遥にマシ。 読解力という点では沼野、蓮實、松浦、四方田、柴田、松岡らの東大教授は
一般人と全く変わらないからな。才能なくして東大教授になっちゃいかん
のだが、なるからね。
沼野は自分の読解を披露することが出来ない。大体の東大教授はそのタイプ
なんだよな。
松浦寿輝なんて全然、とんちんかんなことを群像新人文学賞の講評で言ってた
からね。何にも分かってないくせに、分かってるふりをするんだな。 >>220
>>才能がないから、教師になるんだろ?
柄谷や浅田に聞かせたいね。 柄谷さんの講演、岩波の主催で明大でやるやつね。
図書の最新号が届いた日に知って申し込もうとしたらすでに満席。
定員1000人があっと言う間に満席になっちゃったなんて・・・ 怖いもの見たさってのはあるが、穢いもの見たさってのもあるんだなw >>227
柄谷さんとステマってもっとも無縁でしょう、だれかじゃあるまいし。 岩波は柄谷の知的余命を、後何年くらいと見てるのかね?
コネ採用社員ばかりだから、見通しが利かないのではw 柄谷が「意味の病」と呼んだものが、今どんどん元気一杯になってる
からね。
こういう言い方じゃ、頭の悪い岩波社員には分らんかw >>231
「意味という病」な。マクベス論。神学批判だ。
>今どんどん元気一杯になってる
は、精々宗教的原理主義が跋扈している、程度のことを指しているんだろ。
だから何だよ、誰でも分かるわ。 >>232
君は全然、分かってないし、分る見込みもないね。
話は別だが、昔の『批評空間』10号を読むと、柄谷や浅田、岡崎、磯崎らが
何故、当時、世界でカントが注目されていたのか、全然分かっていなかったと
いうことが分かった。
大体がグリーンバーグやキーファーについて、こいつらの意見を聞きたいとは
思わない。
一般的なメリットは日本語でしゃべってます、という以外に何もない。
日本の美術がどうだとか、日本の美術批評がどうだとか些末なことに過ぎん。
そんなもの無くても一向に構わん。世界の美術、美術批評があればよろしい。 昔はネットがなかったから、興味あるワードで検索して外国の書籍の
中身をちら見したりすることは出来なかった。そういうのは公費で高い
洋書を買える大学の関係者に殆ど限られていた。だから、海外の情報は
彼等に独占されていた。そういう優位が消えた今、彼等の価値も
自然消滅したのでは?彼等の議論ほどややこしいことを言ってる批評家
も思想史研究家も海外にはいないだろう。こんなややこしい言い回しを
何のためにやってるのかね。無論、自分達を崇拝させるため以外ないだ
ろうね。使わなくても良いアレゴリーをわざわざ使う。 >>233
なんか匂わすお前の物言いも無効になってる >>236
ある面、言えてるな。
だが、無効まではならない。
『世界共和国へ―資本=
ネーション=国家を超えて』
ここで、柄谷が拡散と集中のエネルギーが均衡していた冷戦直後の
東欧に触れたのは、極特殊な状況だったんだな。
だが、柄谷がそういうことに注目したのは、柄谷達のような西欧文化の
「密輸者」が活躍出来る余地は、世界性を指向しながら、同時に言語や
文化の障壁を巧みに利用して行くことから生じるという一見矛盾した事実から
来てるんだな。このことは明らかに、『世界共和国へ―資本=
ネーション=国家を超えて』の表題のアレゴリーに他ならない。
そして、ずっと昔にはsyncretismを廻るカントとヘルダーの論争で
問題化している。 だからなんだよとしか言いようがないな
自分でもそう思わないのかね このぐらいヒントをやれば十分だろう。
『批評空間』で柄谷や浅田、岡崎らが批判して来た者達、つまり日本の
美術家、美術評論家への批判は、そっくり柄谷、浅田、岡崎らにこそ、
当てはまるということなんだ。
津原ー川上の問題と同じで、批判を始めたものが、批判された者と同質の
過誤を犯していた場合は罪は倍になる、ということだ。 栗原裕一郎 ?@y_kurihara 12月3日
柄谷行人「中上が死んでも文学が続いているということが不思議なんです。もちろん今後も続くだろ
うけれども、そんなものは続いてるとは言えないんじゃないのという気持がある」(村上龍との対談。
『國文學』93年3月号)――何だったんだろうね、批評空間系のこういう常軌を逸した中上神格化って。 栗原裕一郎って自筆履歴書によると大検で東大入って除籍だそうだけど
除籍だとその学校に入学した証明書は出ないから公的最終学歴は中卒なんだよねw 野村沙知代もコロンビア大除籍って言えば良かったんだな
そうなら自筆履歴書で在籍していたと言い張れたんだからな
こいつは入学なんかしていないの証明は悪魔の証明になるw
しかし哀しいハッタリだな… 哀し過ぎるな…… 栗原って、すが秀実その他セクト系には喧嘩売らないチキン >>243-245
栗原を叩いたってしょうがない。
こっちは柄谷の「文痴」を叩くことが可能ですからw しょうがないけど、栗原が業界通気取ることでかなりうっとおしいのも事実 >>247
普通に文芸誌読んでるだけではそんなにうっとうしくないはずだけど
そんなに気になるなら病気なんじゃない? 頭悪いで通そうとするなら病気
栗原を気にする要素なんかいまの文芸誌のどこを見てもないからね
しかも柄谷スレでムキになっちゃって(笑) http://ask.fm/ytb_at_twt/answer/105284813642
私も自己言及的な現象(主に実践哲学領域での)に関心があるのですが、研究を進める上でやはり論理学や集合論を学ぶ必要があるでしょうか?
答えは「はい(ただし教養程度知っていれば十分)」ですが、理由は二つあります。
まず、自己言及的な現象を扱うに当たって、やはり事象ごとに微妙な差異というのがあります。
一つ一つしかモデルを知らないと、全部一つのモデルに無理やり押し込めることになりますが、幾つか知っていれば、うまく差異を表現できるかもしれません。
ただ、それほど深い事を知っている必要はなくて、各モデルの特徴を知っていればこの目的には十分です。
もう一つの理由は、ダマされないことです。自己言及性に関して、くだらない事を言うアホな哲学者や社会学者がたくさんいます。
X谷X人とかに引っかからないためにも、アXのいいそうなことを事前に知って間違いをチェックしておくのは有益でしょう。 柄谷にとってのマルクスと
澁澤龍彦にとっての悪魔学は同じで、メタファ−のゲームに過ぎない。
最近は特に酷くなってるようだが。 http://ask.fm/tkira26/answer/106771066855
この点、何か意味のありそうな言葉を特に定義もせずに(というか定義しないがゆえに)さも重要そうなキーワード
に見せかける、戦後日本の文芸批評の手法はかなりの悪影響を若者たちに与えました。
具体的には小林秀雄や柄谷行人などですが(「意匠」とか「交通」とか、さっぱりわからん)、
彼らの文章が現代文の教科書や入試問題に長年使われてきたことの弊害は大きいし、
その影響は今でも残っています。 もう手元にないしあまり覚えてないんだけれど
初期の短編集で「鏡」や「座敷わらし」の話よんで「ほおう」と納得した記憶がある
「目から鱗が落ちましたー!!」みたいな >目から鱗が落ちました
そりゃオマエ、ヘビの脱皮だったんだよw >>253
柄谷にとってのマルクスと
澁澤龍彦にとっての悪魔学は同じで、メタファ−のゲームに過ぎない。
最近は特に酷くなってるようだが。
柄谷については、禿げしく同意 「民俗学でいうならば、柳田はヘーゲルで、折口はニーチェ」だとか、
全然、見当はずれにも見えるような喩えを軽薄に公言するから、
信用されなくなるわなw
柳田は農商務省の参事官に30そこそこで就任するぐらいのエリートで
しかも、現職の台湾総督がいるような名門の養子婿になったおかげで、
民俗学界で大きな権力をふるえたことが大きい。同僚や後輩らへの
行き過ぎた威圧も多かったのではないかな。 そういえば大江健三郎の「懐かしい年への手紙」は
ヘーゲルにとっての「精神現象学」のようなものだと
本人を目の前にして語っていたような記憶が。 大江と柄谷って直接対面して対談したことってあるの?ないでしょ? いや、「国文学」の大江健三郎特集でやっていますよ。 >>265
すみません、ご教示ください。
鑑賞の方ですか教材の方ですか?
何号でしょうか? ドラクエ3が、
ファイナルファンタジー5が、
天空の城ラピュタが、
筒井康隆が、
スラムダンクが、
柄谷行人が、
TMネットワークが、
といった話題で、「死ぬまで」(あと40年)、セカイで唯一の発言の場2ちゃんねるで
行ける、と無根拠かつ間抜けに祈る、2ちゃんねる世代(昭和40〜55年生まれ)。 北斗の拳
JOJO
ドスト、ゲーテ、ダンテ
を加えてくれ。笑 そういう括りでは俺なんかずっぽし2ちゃんねる世代だけど、大友克洋や吉田秋生も捨て難いねぇ
漫画だけども 『遊動論 柳田国男と山人』も、やばい。
日本のような内陸部に乏しい国で「山人」や折口の「まれびと」など、
ある訳ない。
こんなのは日本固有の伝統・文化を捏造するための子供騙しに他ならない。
万が一、あるとすれば、山人やまれびと信仰は外国からの輸入だ。
安寿と厨子王では前者は潮汲み、後者は柴刈りに毎日、出かけて行く。
海岸部から山まで距離がないから。
坂本竜馬の少年期の友人などは四国山脈の中心に住みながら、
毎日、歩いて海岸部の高知市内の私塾にやって来て学び、昼過ぎに家を
目指して帰ることの繰り返しだったと言うが、壮健な者はそのぐらい山と
海を頻繁に往復していた。無論、彼は山人ではない。 ♪稲村ヶ崎 名将の 剣投ぜし 古戦場〜
グンミャー辺りだっつーと今でも海を見たことが無いって爺さん婆さんが結構いるよ。
新田義貞が「南無八幡大菩薩」と潮の満ち引きを知らないグンミャーの田舎武士に奇跡を現せて見せたのは有名な話じゃん。 群馬といえば、昔で言う上野の国か。海を見たことない爺さん婆さんが
いるとこか。それほど好奇心に欠けた人間がいるのか。
彼等が正直に海を見たことないと、言ってる可能性はゼロじゃないが、
ビキニの小太り稲村ジェーンの姿だけは眼底に焼き付いていたw
だが、俺の若い頃の知り合いで、夏になると「海に行こーよ」とか、
しつこく言い出すのは信濃や上野の出身の奴らが多かったような。
水泳の得意なのも、それらの地域の奴が多かったような。
新田義貞の話はモーゼの紅海横断の奇跡のパクりかw
義経の家来、伊勢義盛は上野の山賊だが、山賊は恐らくは海賊とも
親和性が高かった。両方兼ねた例が世界の歴史から見ても多かった
のではないかな。義盛は壇の浦の戦いで自分が率いる16騎で、
阿波の水軍3000騎を説得によって降伏させたとか。
「倭冦」wikiによれば、
日本の室町時代から江戸時代にかけての海賊船は通称して
「八幡(やわた)船」と呼ばれた。倭寇が「八幡(はちまん)
大菩薩」の幟を好んで用いたのが語源とされるが、
「ばはん」には海賊行為一般を指すとも考えられている。
諏訪神社にしても、海人の山間部への進出は歴然だ。
岩手の遠野など、すぐ海だ。昔から三陸津波の被害も出てる。
柳田や折口の視野の狭さはどうしようもない。 >>274
> 柄谷は、網野善彦を否定したいという動機が見え見え
ちょっと例をあげてみてください。 山人は天皇制に絡め取られないという柄谷のテーゼは、
そもそも山人が実在しないのだから当然と言える
サンカ論の別版に見える 網野の以前に、おそらく、南方や金関、宮本らも薄々ながら、
山人の有り得なさに気付いていた。彼等はナショナリストじゃない。
宮本の場合は、「八幡(やはた)という地名も焼畑から来た
ものであろうといわれているが、『倭名抄』にはその名を
見出さない。」(『日本文化の形成』)がある。
宇佐八幡のように、古くから八幡は海民の神様だから。 江戸中期以降の各藩による平野開発まではため池による水源利用という稲作の性質上
山間地の方が産業・文化の先進地域であり、交通路も山岳ルートが主たるものだった。
だから旅人相手の峠の茶屋とかが成立したわけで。
そして、当時の山間地というのは幕府・諸藩の統制下にはあったとはいえ、
直接的には寺社勢力という宗教権力の支配下にあった。
これが明治以降に天皇を形式的主権者として奉戴する日本国政府に接収され、
その払下げを受けた政商たちによって例えば炭鉱開発などの対象になった時に
住民へのしわ寄せが生じただけ。
山人論というのは江戸中期や明治以降の臨海地域・平野開発によって生まれた
近代都市(農村)住民による共同体外部への幻想譚に過ぎない。
まあ、自称「外部の思想家」に相応しい妄想であるとはいえますが。
というか、この老人はもう相手にしない方が良い。 それでも柄谷が生きてることは実害あるからね。
群像新人文学賞の選考委員を典型に、文学賞の選考委員は
柄谷と親しい奴が多いだろ。
極端な話、柄谷や浅田、蓮實、大澤、中沢らが死ねば、
おべっかを使う奴もいないだろうがね。 代わりが誰になればいいと思ってるのかが知りたいね
そこはぶっちゃけ大差ないだろ >柄谷や浅田、蓮實、大澤、中沢らが死ねば
もう死んでるのと同然だよ、少なくとも若い子たちには。
Fラン大学教員の採用と文学賞選考委員の選考といった「文学政治」以外での「文学」には、既に何の影響力も無いよ。 いや、柄谷への現中堅作家の冷淡さを見ると、もうそんな「文学政治屋」柄谷も死んじゃっているのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています