柄谷行人の晩年をひっそりと見守るスレ
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「民俗学でいうならば、柳田はヘーゲルで、折口はニーチェ」だとか、
全然、見当はずれにも見えるような喩えを軽薄に公言するから、
信用されなくなるわなw
柳田は農商務省の参事官に30そこそこで就任するぐらいのエリートで
しかも、現職の台湾総督がいるような名門の養子婿になったおかげで、
民俗学界で大きな権力をふるえたことが大きい。同僚や後輩らへの
行き過ぎた威圧も多かったのではないかな。 そういえば大江健三郎の「懐かしい年への手紙」は
ヘーゲルにとっての「精神現象学」のようなものだと
本人を目の前にして語っていたような記憶が。 大江と柄谷って直接対面して対談したことってあるの?ないでしょ? いや、「国文学」の大江健三郎特集でやっていますよ。 >>265
すみません、ご教示ください。
鑑賞の方ですか教材の方ですか?
何号でしょうか? ドラクエ3が、
ファイナルファンタジー5が、
天空の城ラピュタが、
筒井康隆が、
スラムダンクが、
柄谷行人が、
TMネットワークが、
といった話題で、「死ぬまで」(あと40年)、セカイで唯一の発言の場2ちゃんねるで
行ける、と無根拠かつ間抜けに祈る、2ちゃんねる世代(昭和40〜55年生まれ)。 北斗の拳
JOJO
ドスト、ゲーテ、ダンテ
を加えてくれ。笑 そういう括りでは俺なんかずっぽし2ちゃんねる世代だけど、大友克洋や吉田秋生も捨て難いねぇ
漫画だけども 『遊動論 柳田国男と山人』も、やばい。
日本のような内陸部に乏しい国で「山人」や折口の「まれびと」など、
ある訳ない。
こんなのは日本固有の伝統・文化を捏造するための子供騙しに他ならない。
万が一、あるとすれば、山人やまれびと信仰は外国からの輸入だ。
安寿と厨子王では前者は潮汲み、後者は柴刈りに毎日、出かけて行く。
海岸部から山まで距離がないから。
坂本竜馬の少年期の友人などは四国山脈の中心に住みながら、
毎日、歩いて海岸部の高知市内の私塾にやって来て学び、昼過ぎに家を
目指して帰ることの繰り返しだったと言うが、壮健な者はそのぐらい山と
海を頻繁に往復していた。無論、彼は山人ではない。 ♪稲村ヶ崎 名将の 剣投ぜし 古戦場〜
グンミャー辺りだっつーと今でも海を見たことが無いって爺さん婆さんが結構いるよ。
新田義貞が「南無八幡大菩薩」と潮の満ち引きを知らないグンミャーの田舎武士に奇跡を現せて見せたのは有名な話じゃん。 群馬といえば、昔で言う上野の国か。海を見たことない爺さん婆さんが
いるとこか。それほど好奇心に欠けた人間がいるのか。
彼等が正直に海を見たことないと、言ってる可能性はゼロじゃないが、
ビキニの小太り稲村ジェーンの姿だけは眼底に焼き付いていたw
だが、俺の若い頃の知り合いで、夏になると「海に行こーよ」とか、
しつこく言い出すのは信濃や上野の出身の奴らが多かったような。
水泳の得意なのも、それらの地域の奴が多かったような。
新田義貞の話はモーゼの紅海横断の奇跡のパクりかw
義経の家来、伊勢義盛は上野の山賊だが、山賊は恐らくは海賊とも
親和性が高かった。両方兼ねた例が世界の歴史から見ても多かった
のではないかな。義盛は壇の浦の戦いで自分が率いる16騎で、
阿波の水軍3000騎を説得によって降伏させたとか。
「倭冦」wikiによれば、
日本の室町時代から江戸時代にかけての海賊船は通称して
「八幡(やわた)船」と呼ばれた。倭寇が「八幡(はちまん)
大菩薩」の幟を好んで用いたのが語源とされるが、
「ばはん」には海賊行為一般を指すとも考えられている。
諏訪神社にしても、海人の山間部への進出は歴然だ。
岩手の遠野など、すぐ海だ。昔から三陸津波の被害も出てる。
柳田や折口の視野の狭さはどうしようもない。 >>274
> 柄谷は、網野善彦を否定したいという動機が見え見え
ちょっと例をあげてみてください。 山人は天皇制に絡め取られないという柄谷のテーゼは、
そもそも山人が実在しないのだから当然と言える
サンカ論の別版に見える 網野の以前に、おそらく、南方や金関、宮本らも薄々ながら、
山人の有り得なさに気付いていた。彼等はナショナリストじゃない。
宮本の場合は、「八幡(やはた)という地名も焼畑から来た
ものであろうといわれているが、『倭名抄』にはその名を
見出さない。」(『日本文化の形成』)がある。
宇佐八幡のように、古くから八幡は海民の神様だから。 江戸中期以降の各藩による平野開発まではため池による水源利用という稲作の性質上
山間地の方が産業・文化の先進地域であり、交通路も山岳ルートが主たるものだった。
だから旅人相手の峠の茶屋とかが成立したわけで。
そして、当時の山間地というのは幕府・諸藩の統制下にはあったとはいえ、
直接的には寺社勢力という宗教権力の支配下にあった。
これが明治以降に天皇を形式的主権者として奉戴する日本国政府に接収され、
その払下げを受けた政商たちによって例えば炭鉱開発などの対象になった時に
住民へのしわ寄せが生じただけ。
山人論というのは江戸中期や明治以降の臨海地域・平野開発によって生まれた
近代都市(農村)住民による共同体外部への幻想譚に過ぎない。
まあ、自称「外部の思想家」に相応しい妄想であるとはいえますが。
というか、この老人はもう相手にしない方が良い。 それでも柄谷が生きてることは実害あるからね。
群像新人文学賞の選考委員を典型に、文学賞の選考委員は
柄谷と親しい奴が多いだろ。
極端な話、柄谷や浅田、蓮實、大澤、中沢らが死ねば、
おべっかを使う奴もいないだろうがね。 代わりが誰になればいいと思ってるのかが知りたいね
そこはぶっちゃけ大差ないだろ >柄谷や浅田、蓮實、大澤、中沢らが死ねば
もう死んでるのと同然だよ、少なくとも若い子たちには。
Fラン大学教員の採用と文学賞選考委員の選考といった「文学政治」以外での「文学」には、既に何の影響力も無いよ。 いや、柄谷への現中堅作家の冷淡さを見ると、もうそんな「文学政治屋」柄谷も死んじゃっているのかな? 純文学(古語)の最盛期は中島ヨシミチのようなお方が20歳代から作家専業を始めたのろう(論証なし) アホすぎw
柄谷工務店は戦前からあったと思うのだがw >>287-288
どっちでもいいけど、なんでそんなことが気になるんだ? 村上春樹が全世界的な栄光と名声に包まれていくのと対照的に、
しつこく彼をネガっていた柄谷はとっくに忘れられている。
まあ小説家にもなれなかったやつが、勝手に因縁つけて悪口言って回ってたんだから。
当然だな。批評家なんてのは結局は悪口が自分にブーメランして
早々に葬り去られるだけ。 柄谷は十分有名なんだけど
アメリカでも知られている
長谷川某のような自称日本を代表する哲学者ではない
ジジェクも本で柄谷の「トランスクリティーク」にふれている
それくらい調べてから書け
世界的な通俗作家の栄光なんてたかが知れている >>291
シジェクはマルクス主義者だから言及しているだけ。
柄谷なんてまるで無名だよ。
村上春樹とは比べ物にならない。村上春樹は世界文学の作家。
しかも通俗作家ではない。柄谷などその通俗作家より下だがな。 村上春樹が世界文学だなんてないないw
蓮實が指摘したように村上春樹は図式がなければ全くかけない >>290
うん、俺もそう思う。小説家の栄光と批評家の没落が
あまりに鮮やかすぎるね。まあそもそも柄谷なんて、
小説家になり損ねて批評家になったんだから、この程度でも
上出来だよなw まあ、柄谷に限らず、小説家にもなれなかったやつらが
偉そうな口聞くなと、批評家や文学の研究者は内心では
軽蔑されている。無理もないけどね。 柄谷行人の周辺で思い起こされるのは、
中上健次と村上龍の過大評価
春樹がクソと今でも言ってる連中は、
むしろこの二人をどうにかしろよw >>297
柄谷が村上龍を評価した文章ってある?詳細乞う >>297
柄谷が村上春樹を貶めるために、持ち上げたのは中上と龍だよ。
二人にとってはいい迷惑。
柄谷には村上春樹に対する嫉妬以外に何物もない。
評論家なんてそんなもの。 嫉妬しているといっている意味が分からない
春樹なんか今でもバカにしかしていないだろう 柄谷行人という人のことは全然知らないんだが、村上春樹をバカにしている理由はなに?
いや、村上春樹のことも全然知らないんだけどさ。 >>300
柄谷はもともと小説家志望。成り損ねて評論家。
小説家として大成功した村上春樹を嫉妬するのは当たり前だな。 >>302
知らない人にでも説明できるのが、本当の理由だと思うけどな。
そうじゃないとただの好き嫌いの表明にしかならないんじゃないか? 柄谷は村上春樹のことをただの通俗作家だとしか思ってないよ >>305
文学者でも哲学者でもない柄谷から
どう思われようと、何の影響もない。
文芸評論家なんてそんな運命。小林や吉本でも
誰にも読まれていない。 >>308
村上春樹。本屋に行けばわかる。世界回ってみればわかる。 >>310
「通俗作家」の定義をしてみろよw
村上春樹は当てはまらんから。
柄谷は村上春樹に嫉妬して狂ったw >>312
お前が村上春樹は通俗作家と
決めつけたんだから、お前が証明する必要がある。
早く言ってみろw 村上春樹のことを、
渡部直己とすが秀実も批判してますから
柄谷行人だけじゃありませんから >>314-315
全員負け惜しみのポストモダン批評家ばかりだろw
小説家になり損ねて批評家に成り下がった屑どもw >>314-315
いまなおその全員を信用しているの?
それぞれ別の道へと別れていったように見えるけど。 >>309
読まれていることが影響力なら、世界で一番影響力がある文学者はアガサ・クリスティかな?
現代だけでいえば、J・K・ローリングか。 >>318
バカ、じゃあ読まれていないほうが上なのか?
そんなことはない。
だいたい村上春樹もクリスティーもれっきとした小説家。
柄谷はそれに寄生する評論家。文学者ではない。
全然違うわw >>319
そうすると、ヘーゲルとかハイデガーとかドゥルーズとかも、クリスティーやローリングより下で、作家に寄生する評論家ということだな。
小説や詩を対象にした論考はあるからな。
ま、3人とも文学者ではないことは確かなようだが。 本当に春樹が通俗作家だとして、通俗作家を批評するようなことは
ヘーゲル、ハイデガー、ドゥルーズは批判という形ですらしとらんね
柄谷はなぜかしているけどね >>320
どこまで理系は馬鹿なんだwwww
ヘーゲルやハイデッガーやドゥルーズはれっきとした哲学者だぞ。
評論家風情と一緒にするなw
哲学は2500年の歴史のある学問だ。文学者とは全く別だ。
文学者と哲学者は違う分野で対等。
評論家はただの文学者の寄生虫だ。
芸術に対する論考は批評じゃなくて「美学」なんだよw
そういう分野があるのよ、理系君w
今頃そんなことを知るとはなwやっぱり理系なんて全く教養ないんだねw
理系君には難しいかなw >>321
評価してなくても通俗作家を飯の種や批評のネタにしているんだとしたら十分に俗物だね >>322
君に哲学の知識や思考がないことはわかる。
3人とも読んだことがないこともわかる。
もちろん、君に哲学とはなにか、文学とはなにかと問うのは無意味なことはもわかる。
それでも、せめて非難するなら非難する相手の著作ぐらいは読むことだ。
ヘーゲルやハイデッガーやドゥルーズを読まなくてもまったく問題ないが、柄谷の著作を読まずに柄谷を非難するのは愚かなことだ。
せめて、柄谷のなにが気に入らないのかぐらいは自覚しておかないといけない。 >>325
なんでヘーゲルとハイデガーとドゥルーズなの?
適当に名前を並べていい気になってんの?頭悪そー >>325
お前と違って俺は文系なんでねw
ちゃんと学んでいるの。
お前も「美学」という学問が存在することを
今日知って勉強になったじゃないかw
俺は全部読んでるよw ヘーゲルを「文芸批評家」と呼ぶ
お前が何も読んでないんだろw >>327
>俺は全部読んでるよw
いや、笑わせてもらった。
ちなみに、ヘーゲルは「美学」の講義録を出しているけど、ほかの二人には「美学」というようなまとまった研究があるわけじゃない。
その意味では、柄谷と特に変わるところはないよ。 ハイデガー、ドゥルーズと柄谷を同じカテゴリで考えるのか
斬新ですね
柄谷のダメなところは理念が勝ちすぎてるんだよ
暇つぶしとして読む分にはいいが、役に立たねえ ハイデガーの哲学自体がすでに美学化されていると指摘されている
ヘーゲルもそうだが
ドゥルーズの「シネマ」も美学的著作だともいえる
ハイデガーはヘルダーリンを論じているからね ドゥルーズのシネマにはまったく美学的な要素はないぞ
感覚の論理や襞、千のプラトーのような他の著作ならまだしも
適当なことは言わない方がいい シネマについてはよく知らなかったので
その辺は失礼 美学的要素って何言ってるの
シネマは映画の美学といえるでしょう よく知らないで
> ドゥルーズの「シネマ」も美学的著作だともいえる
なんて書けるのだとしたら、何でも知らずにゴタクを並べてそうだなw >>328-334
馬鹿か、おまえはw
「美学」という言葉を使っていようといまいと、
哲学者が芸術を論じたら「美学」の立場で論じていることになるんだよw
哲学者がいちいち自分の著作すべてに「●●哲学」なんてつけるかバカw
お前、 ドゥルーズの「シネマ」なんて読んでねえだろw
俺はフランス語の原書で読んでいるんだよ。彼はきちんと
これは映画評論などではなく、映画を題材にした「哲学」であると
表明している。それも知らずにおめでたいやつだなw >>335
ちょっといっちゃってる人なのかな。
こんなところで見栄を張り続けて、カエルさんになって、なにかおもしろいことでもあるのかな? どっちにしても柄谷なんてつまんねえやつだわ。
漱石によりかかるやつって古来ろくなのがおらん。 一度中央線某駅の柄谷さんの家に泊まったことがある
僕は当時彼の次男と友達で特に何をするわけでもなくとりとめもない話をした
マンションの入り口廊下には大きめ本棚4つぐらいに
いわゆる岩波系の文庫がぎっしりならべられていた
次男いわく、こんなのはごく一部で山梨の別荘にもっとたくさん本があるといってた
さすが知識人、自分とはレベルが違うなと思ったが
その後自分は次男の言動から距離を置くようになった
明らかにそれは親である柄谷の影響のように思えた
博識で有名な思想家なんだろうけど柄谷さんは何かが欠落してるように感じたなあ
うまくいえないんだけどね 本を取りに行くのにいちいち山梨まで中央線で出向くのか?
不要な本の倉庫にしているのだとしたら柄谷でも本棚4棹で普段は十分ってことか そもそも、>>339が事実なのか創作なのかもわからないのに、質問や感想は無意味じゃないかい? なんで無意味なの?
事実ならそれでいいし、創作なら病的で興味深い そういえば、吉本隆明の家に行ったことがある人は多いと思うけど、柄谷の家に行ったことがある人は少ないの? 渡邊芳之 @ynabe39 · 22 時間
この論文だな。http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0160289613000470?_rdoc=1&_fmt=high&_origin=ihub&_docanchor=&md5=9ffa87934275edd7180b52f5e973f002 …
渡邊芳之 @ynabe39 · 22 時間
これが本当ならやはり知能の高さはとくに適応的ではないんだな。
デイリーTOCANA @tocanailand · 22 時間
人類はどんどん頭が悪くなっていることが判明! 各国で止まらない知能指数低下の謎 http://tocana.jp/2014/09/post_4871.html … ひょっとしてこのスレに最近栗本が書き込みしてる?
まだ生きてるんだろ
あの目立ちたがり屋 現代思想 2015年1月増刊号
総特集* 柄谷行人の思想
(2014年12月19日 発売予定) 俺はカール・ポランニーを援用し始めた最近の柄谷のほうが好きだな〜
栗本よりまともに経済人類学してるよ そっかあー この最低人類0号のブタ共はユリイカつながりだったのかあー それでかあー
だいぶ蓄積データがおもしろくなってきたわw 批評家の分際が「哲学者」とか名乗っているのが
痛すぎ。 >>356
哲学の解釈学者の分際で哲学者を名乗るよりは、ずっとマシ、だろ? 欧米だって大半は哲学研究者だよ。
少なくとも哲学を専攻していない限り「哲学者」となのるのは詐欺だね。
日本の評論家はなぜか「哲学者」を名乗りたがるようだが、
本物の哲学者は一人もいない。東浩紀なんて「表象文化論」専攻のくせに
「哲学者」となのってるしw >>358
>少なくとも哲学を専攻していない限り「哲学者」となのるのは詐欺
おいおいw
大学で哲学を専攻したことだけが自分の存在価値なんて人もいるから、無理もないかな。
まあ、肩の力を抜けよ。 東大京大は旧教養部系の学科が外からみてわけわからないから、
専攻は肩書だけでは判断できないんじゃないの >>361
肩書といっても、東大にも京大にも哲学博士の肩書がない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています