柄谷行人の晩年をひっそりと見守るスレ
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>>287-288
どっちでもいいけど、なんでそんなことが気になるんだ? 村上春樹が全世界的な栄光と名声に包まれていくのと対照的に、
しつこく彼をネガっていた柄谷はとっくに忘れられている。
まあ小説家にもなれなかったやつが、勝手に因縁つけて悪口言って回ってたんだから。
当然だな。批評家なんてのは結局は悪口が自分にブーメランして
早々に葬り去られるだけ。 柄谷は十分有名なんだけど
アメリカでも知られている
長谷川某のような自称日本を代表する哲学者ではない
ジジェクも本で柄谷の「トランスクリティーク」にふれている
それくらい調べてから書け
世界的な通俗作家の栄光なんてたかが知れている >>291
シジェクはマルクス主義者だから言及しているだけ。
柄谷なんてまるで無名だよ。
村上春樹とは比べ物にならない。村上春樹は世界文学の作家。
しかも通俗作家ではない。柄谷などその通俗作家より下だがな。 村上春樹が世界文学だなんてないないw
蓮實が指摘したように村上春樹は図式がなければ全くかけない >>290
うん、俺もそう思う。小説家の栄光と批評家の没落が
あまりに鮮やかすぎるね。まあそもそも柄谷なんて、
小説家になり損ねて批評家になったんだから、この程度でも
上出来だよなw まあ、柄谷に限らず、小説家にもなれなかったやつらが
偉そうな口聞くなと、批評家や文学の研究者は内心では
軽蔑されている。無理もないけどね。 柄谷行人の周辺で思い起こされるのは、
中上健次と村上龍の過大評価
春樹がクソと今でも言ってる連中は、
むしろこの二人をどうにかしろよw >>297
柄谷が村上龍を評価した文章ってある?詳細乞う >>297
柄谷が村上春樹を貶めるために、持ち上げたのは中上と龍だよ。
二人にとってはいい迷惑。
柄谷には村上春樹に対する嫉妬以外に何物もない。
評論家なんてそんなもの。 嫉妬しているといっている意味が分からない
春樹なんか今でもバカにしかしていないだろう 柄谷行人という人のことは全然知らないんだが、村上春樹をバカにしている理由はなに?
いや、村上春樹のことも全然知らないんだけどさ。 >>300
柄谷はもともと小説家志望。成り損ねて評論家。
小説家として大成功した村上春樹を嫉妬するのは当たり前だな。 >>302
知らない人にでも説明できるのが、本当の理由だと思うけどな。
そうじゃないとただの好き嫌いの表明にしかならないんじゃないか? 柄谷は村上春樹のことをただの通俗作家だとしか思ってないよ >>305
文学者でも哲学者でもない柄谷から
どう思われようと、何の影響もない。
文芸評論家なんてそんな運命。小林や吉本でも
誰にも読まれていない。 >>308
村上春樹。本屋に行けばわかる。世界回ってみればわかる。 >>310
「通俗作家」の定義をしてみろよw
村上春樹は当てはまらんから。
柄谷は村上春樹に嫉妬して狂ったw >>312
お前が村上春樹は通俗作家と
決めつけたんだから、お前が証明する必要がある。
早く言ってみろw 村上春樹のことを、
渡部直己とすが秀実も批判してますから
柄谷行人だけじゃありませんから >>314-315
全員負け惜しみのポストモダン批評家ばかりだろw
小説家になり損ねて批評家に成り下がった屑どもw >>314-315
いまなおその全員を信用しているの?
それぞれ別の道へと別れていったように見えるけど。 >>309
読まれていることが影響力なら、世界で一番影響力がある文学者はアガサ・クリスティかな?
現代だけでいえば、J・K・ローリングか。 >>318
バカ、じゃあ読まれていないほうが上なのか?
そんなことはない。
だいたい村上春樹もクリスティーもれっきとした小説家。
柄谷はそれに寄生する評論家。文学者ではない。
全然違うわw >>319
そうすると、ヘーゲルとかハイデガーとかドゥルーズとかも、クリスティーやローリングより下で、作家に寄生する評論家ということだな。
小説や詩を対象にした論考はあるからな。
ま、3人とも文学者ではないことは確かなようだが。 本当に春樹が通俗作家だとして、通俗作家を批評するようなことは
ヘーゲル、ハイデガー、ドゥルーズは批判という形ですらしとらんね
柄谷はなぜかしているけどね >>320
どこまで理系は馬鹿なんだwwww
ヘーゲルやハイデッガーやドゥルーズはれっきとした哲学者だぞ。
評論家風情と一緒にするなw
哲学は2500年の歴史のある学問だ。文学者とは全く別だ。
文学者と哲学者は違う分野で対等。
評論家はただの文学者の寄生虫だ。
芸術に対する論考は批評じゃなくて「美学」なんだよw
そういう分野があるのよ、理系君w
今頃そんなことを知るとはなwやっぱり理系なんて全く教養ないんだねw
理系君には難しいかなw >>321
評価してなくても通俗作家を飯の種や批評のネタにしているんだとしたら十分に俗物だね >>322
君に哲学の知識や思考がないことはわかる。
3人とも読んだことがないこともわかる。
もちろん、君に哲学とはなにか、文学とはなにかと問うのは無意味なことはもわかる。
それでも、せめて非難するなら非難する相手の著作ぐらいは読むことだ。
ヘーゲルやハイデッガーやドゥルーズを読まなくてもまったく問題ないが、柄谷の著作を読まずに柄谷を非難するのは愚かなことだ。
せめて、柄谷のなにが気に入らないのかぐらいは自覚しておかないといけない。 >>325
なんでヘーゲルとハイデガーとドゥルーズなの?
適当に名前を並べていい気になってんの?頭悪そー >>325
お前と違って俺は文系なんでねw
ちゃんと学んでいるの。
お前も「美学」という学問が存在することを
今日知って勉強になったじゃないかw
俺は全部読んでるよw ヘーゲルを「文芸批評家」と呼ぶ
お前が何も読んでないんだろw >>327
>俺は全部読んでるよw
いや、笑わせてもらった。
ちなみに、ヘーゲルは「美学」の講義録を出しているけど、ほかの二人には「美学」というようなまとまった研究があるわけじゃない。
その意味では、柄谷と特に変わるところはないよ。 ハイデガー、ドゥルーズと柄谷を同じカテゴリで考えるのか
斬新ですね
柄谷のダメなところは理念が勝ちすぎてるんだよ
暇つぶしとして読む分にはいいが、役に立たねえ ハイデガーの哲学自体がすでに美学化されていると指摘されている
ヘーゲルもそうだが
ドゥルーズの「シネマ」も美学的著作だともいえる
ハイデガーはヘルダーリンを論じているからね ドゥルーズのシネマにはまったく美学的な要素はないぞ
感覚の論理や襞、千のプラトーのような他の著作ならまだしも
適当なことは言わない方がいい シネマについてはよく知らなかったので
その辺は失礼 美学的要素って何言ってるの
シネマは映画の美学といえるでしょう よく知らないで
> ドゥルーズの「シネマ」も美学的著作だともいえる
なんて書けるのだとしたら、何でも知らずにゴタクを並べてそうだなw >>328-334
馬鹿か、おまえはw
「美学」という言葉を使っていようといまいと、
哲学者が芸術を論じたら「美学」の立場で論じていることになるんだよw
哲学者がいちいち自分の著作すべてに「●●哲学」なんてつけるかバカw
お前、 ドゥルーズの「シネマ」なんて読んでねえだろw
俺はフランス語の原書で読んでいるんだよ。彼はきちんと
これは映画評論などではなく、映画を題材にした「哲学」であると
表明している。それも知らずにおめでたいやつだなw >>335
ちょっといっちゃってる人なのかな。
こんなところで見栄を張り続けて、カエルさんになって、なにかおもしろいことでもあるのかな? どっちにしても柄谷なんてつまんねえやつだわ。
漱石によりかかるやつって古来ろくなのがおらん。 一度中央線某駅の柄谷さんの家に泊まったことがある
僕は当時彼の次男と友達で特に何をするわけでもなくとりとめもない話をした
マンションの入り口廊下には大きめ本棚4つぐらいに
いわゆる岩波系の文庫がぎっしりならべられていた
次男いわく、こんなのはごく一部で山梨の別荘にもっとたくさん本があるといってた
さすが知識人、自分とはレベルが違うなと思ったが
その後自分は次男の言動から距離を置くようになった
明らかにそれは親である柄谷の影響のように思えた
博識で有名な思想家なんだろうけど柄谷さんは何かが欠落してるように感じたなあ
うまくいえないんだけどね 本を取りに行くのにいちいち山梨まで中央線で出向くのか?
不要な本の倉庫にしているのだとしたら柄谷でも本棚4棹で普段は十分ってことか そもそも、>>339が事実なのか創作なのかもわからないのに、質問や感想は無意味じゃないかい? なんで無意味なの?
事実ならそれでいいし、創作なら病的で興味深い そういえば、吉本隆明の家に行ったことがある人は多いと思うけど、柄谷の家に行ったことがある人は少ないの? 渡邊芳之 @ynabe39 · 22 時間
この論文だな。http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0160289613000470?_rdoc=1&_fmt=high&_origin=ihub&_docanchor=&md5=9ffa87934275edd7180b52f5e973f002 …
渡邊芳之 @ynabe39 · 22 時間
これが本当ならやはり知能の高さはとくに適応的ではないんだな。
デイリーTOCANA @tocanailand · 22 時間
人類はどんどん頭が悪くなっていることが判明! 各国で止まらない知能指数低下の謎 http://tocana.jp/2014/09/post_4871.html … ひょっとしてこのスレに最近栗本が書き込みしてる?
まだ生きてるんだろ
あの目立ちたがり屋 現代思想 2015年1月増刊号
総特集* 柄谷行人の思想
(2014年12月19日 発売予定) 俺はカール・ポランニーを援用し始めた最近の柄谷のほうが好きだな〜
栗本よりまともに経済人類学してるよ そっかあー この最低人類0号のブタ共はユリイカつながりだったのかあー それでかあー
だいぶ蓄積データがおもしろくなってきたわw 批評家の分際が「哲学者」とか名乗っているのが
痛すぎ。 >>356
哲学の解釈学者の分際で哲学者を名乗るよりは、ずっとマシ、だろ? 欧米だって大半は哲学研究者だよ。
少なくとも哲学を専攻していない限り「哲学者」となのるのは詐欺だね。
日本の評論家はなぜか「哲学者」を名乗りたがるようだが、
本物の哲学者は一人もいない。東浩紀なんて「表象文化論」専攻のくせに
「哲学者」となのってるしw >>358
>少なくとも哲学を専攻していない限り「哲学者」となのるのは詐欺
おいおいw
大学で哲学を専攻したことだけが自分の存在価値なんて人もいるから、無理もないかな。
まあ、肩の力を抜けよ。 東大京大は旧教養部系の学科が外からみてわけわからないから、
専攻は肩書だけでは判断できないんじゃないの >>361
肩書といっても、東大にも京大にも哲学博士の肩書がない。 >>362
東大本郷の駒場への敵意って有名じゃないですか
358もそのひとりではなかろうか 東大出てないからよく知らないけど、
ようは学部時代に平均点低い奴が本郷に行くという伝統があって、
文IIIの優秀なやつらが駒場に行きがちなんだろ?
けど、アカデミズムでは本郷出身の方が職に就きやすいみたいな話を聞いた
分析哲学は長らく駒場でしかできない時期があったとか
(大森荘蔵の頃だろうか)
ヘーゲルは倫理学でしか学べないとか、
東大の哲学関係は色々歪んでるんじゃないの >>364
文三てのは、官僚コースの行きそびれが多くて、大学にしがみつくことだけが生きる道って噂があるから、どっち行っても大差ないんじゃないかい? >>365
大差ないからこそ無駄な争いが絶えないんじゃね
学者の派閥争いってバカみたいなのばっかだし 社会運動 No.416 2015年1月発売号
希望の仕組みを提示し、協同と平和を目指して運動する、新隔月刊誌(奇数月中旬発売)
【連載】
NAMを語る[第三回]NAMの中で出会った問題 柄谷行人 駒場のダメなところは、大学院まで出ても
専門意識を持てないこと。東もいまだに
自分が何者かすらわかってないんじゃない。
就職も相当悪い。東みたいに40過ぎても、就職できないやつが多い。
でも柄谷は別に駒場じゃないんだよな。
哲学者ではないだけ。 368はまさに駒場ヘイトの本郷出身ですなwわかりやすすぎる Kentaro_SUZUKI
《学者であった漱石は38歳で『猫』を書いてから、一気呵成に多彩な作品を書き、10年後には死んでしまった。
こんな作家が二度と出てくるはずがない。》『定本 柄谷行人文学論集』の「序文」
《…そのような近代文学の起源に、私はルネサンス的な文学の終焉を見出したのだ。
むろん、私は、後者が何らかの形で再帰するだろう可能性を断念しなかった。私が「文学批評」を続けたのは、その意味でのみである。
今もなお、その可能性を信じている。》(『定本 柄谷行人文学論集』「序文」)
YouTubeでDavid Bowieの遺作を聴きながら、柄谷行人の「意味という病」(『定本 柄谷行人文学論集』再録)を再読した。
癌と似た何物かについてShakespeareが(柄谷が)語っていると言えるが、モチーフそのものは、デビュー作の「意識と自然」からまるで変わっていない。
井野朋也
ベルクで柄谷行人さんと飲んだ時、
迫川の『新宿ダンボール村』の話からニューヨークで柄谷さんが一人のホームレスを支援した話や『箱男』の話になったのですが、
確かに柄谷さんが安部公房の小説について夢中に語るのがちょっと意外な感じがしました。
2016年1月17日
クロカワ ヒロユキ
昔、柄谷さんが
国内で小林秀雄がどうだとか、保田与重郎がどうだとか言ってたって誰も聞いてないよ。
そういうのを世界中の知識人が開かれた読める文脈に引きずり出すのが日本の批評家の仕事なんじゃないのか、
みたいな事を言っていて、
いま私はそう言いたくなった柄谷さんの場所にちょうどいる。
2016年1月18日 井野朋也 : 思想家柄谷行人はニューヨークにお住まいの頃、一人のホームレスを支援し続けた(全員は無理だから)とか、ご本人は否定されるが奥様によれば毎日東北のことを思って(自分の無力さに)涙を流しているとか、
バラすのが勿体ない程貴重なお話を伺ったが、私だけの柄谷さんではないので喋りまくっている。勿論、オフレコと言われた話もあって、それはどんなに口の軽い私でも黙っています。 去年は久しぶりに本を読んだけど、柄谷行人の新しい本は読まなかったな。 柄谷行人「憲法9条の今日的意義」という1月の公演文字起こしがアシュラという陰謀論系左翼サイトに載ってるよ。面白い。 増補 感性の変革 (未発選書 22)
亀井 秀雄 (著)
出版社: ひつじ書房; 増補版 (2015/6/10)
1983年に刊行され絶版となっていた本書に、2002年の英訳版のために書いた自著解説、
これまで単行本に収められなかった関連論文を大幅に盛り込み、4部構成とした増補版。
「第1部 感性の変革」、「第2部 文学と歴史」、「第3部 小説の発明」、「第4部 文学生産の様式」。
表現論の観点から、柄谷行人や前田愛との方法論的な対峙と共に、
インターテクスチュアルな語り手の分析へと近代文学研究を一変させた金字塔の待望の復刊。解説:西田谷洋(富山大学教授)
1937年、群馬県に生まれる。1959年、北海道大学文学部卒業。
1968年、北海道大学文学部助教授、1984年に同教授。2000年、同大学を定年退職、名誉教授。同年、市立小樽文学館館長。
2014年、同館退任。同年、合同会社オピニオン・ランチャー設立。
主な著書に『小林秀雄論』(塙書房、1972年)、『現代の表現思想』(講談社、1974年)、『「小説」論』(岩波書店、1999年)、
『明治文学史』(岩波書店、2000年)、『主体と文体の歴史』(ひつじ書房、2013年)、『日本人の「翻訳」』(岩波書店、2014年)などがある。 >>1
たしか此の人はゲーデルの不完全定理に関心があったんだよね。
それのみで俺は此の人の名前を覚えたのだった。 マイケル・K・ボーダッシュ(Michael K Bourdaghs、1961年 - )は、アメリカ合衆国の日本文学者、翻訳家、シカゴ大学准教授、音楽評論家。
夏目漱石『文学論』の研究(UCLA時代に柄谷行人をワークショップに呼んだ)
“The Dawn That Never Comes:Shimazaki Touson and Japanese Nationalism
(決して訪れない夜明け:島崎藤村と日本のナショナリズム)”は2003年にコロンビア大学出版局
『さよならアメリカ、さよならニッポン ―戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか』(奥田祐士・翻訳、白夜書房・刊行)
はっぴいえんど、YMO、松任谷由実などを俎上にのせ、戦後日本のポピュラー音楽を評論
柄谷行人『世界史の構造』の英訳
亀井秀雄『感性の変革』の英訳 「シニア左翼とは何か」小林哲夫氏
2016年5月12日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/181101
シニアたちに話を聞くと、一貫組、復活組、「ご意見番」組、初参加組に分けることができた。
復活組は、柄谷行人、内田樹、上野千鶴子など学者が多い。
ご意見番は大江健三郎、瀬戸内寂聴、澤地久枝、森村誠一など、反体制・反権力的な意見表明をしてきた知識人だ。 【特報】中上健次生誕70年企画 2016夏期特別セミナー開催決定
【期間】 2016年8月5日(金)〜7日(日)
【場所】 和歌山県新宮市
【参加費(予価)】 33,000円
柄谷行人(思想家)
このひとがいなければ始まらない。
1968年に「群像新人文学賞」の最終候補落選者同士として出会い、中上健次にフォークナーを教え、
以後生涯の盟友となった20世紀日本を代表する思想家・5年ぶりの熊野降臨。
http://kumanodaigaku.com/#2016 マツ(許してください)
柄谷文体の魅力は逆接→逆接→逆接で結ばれていくために決して結論に安住できないスリリングさの常態化にあるのだと思う
2016年5月19日 ここでは柳田の膨大な業績について論じている余裕はない。しかし、注目しておきたいのは、
柄谷がその柳田論『遊動論』の中で、「日本資本主義論争」に言及し、
そして次のような柳田の言葉を引用しながら当時の講座派=共産党の急進的な姿勢に対する批判的な姿勢を露わにしていることである。
現在の共産思想の討究不足、無茶で人ばかり苦しめてしかも実現の不可能であることを、主張するだけならばどれほど勇敢であってもよいが、
そのためにこの国民が久遠の歳月にわたって、村で互いに助けてかろうじて活きて来た事実までを、
ウソだと言わんと欲する態度を示すことは、良心も同情もない話である。
柳田国男『都市と農村』。引用は『遊動論』18ページより
この言葉には、柳田の社会主義や左翼思想に対する批判というよりも、
日本の農村に伝統的に受け継がれてきた「アジア的な」文化を「封建的遺制」として暴力的に切って捨ててきた、
「講座派的」−あえてそう呼んでおこう―な姿勢に対する批判が込められているといってよい。
そして明らかに柄谷も、柳田の当時はむしろ「反共」的あるいは「保守反動」的なものとして片づけられたであろう言説に、深い共感を示しているのである。
それは、恐らくは、先ほど見たような大江健三郎論に仮託する形で現れた、柄谷自身の隠れた「アジア的なもの」へのこだわりと無関係ではあるまい。
ただし、そこにみられる「アジア的なもの」は、大江健三郎論に託して述べられたような暗くて暴力的な存在ではなく、
いわば、より優しく人々を包み込むような懐かしさを感じさせるものである。
http://www.ohtabooks.com/homo-viator/china/11749/ 田中希生
柄谷は、藤村がなぜ「夜明け前」の事例として、自由民権運動や西南戦争をあげていたのかを、もう一度考える必要がある。
この苦闘の歴史は、以後、言葉を武器として真に戦う、文学者が引き継いでいくのである。
2016年5月22日 スウェーデンの批評家13人にアンケート
(1)誰が獲るか
(2)誰に獲ってほしいか
(3)誰に獲ってほしくないか
http://www.aftonbladet.se/kultur/article21539676.ab
獲ってほしくない人に春樹は5人の批評家に挙げられているだけしかもきびしい評言
Lennart Bromander・・・こっけいな女性差別主義者だ
Jenny Hogstrom:・・・ユーモア?女性たち?はっきりしろ!
Inga-Lina Lindqvist・・・過大評価のロマンチスト
Pia Bergstrom・・・・・不可解な過大評価
Elise Karlsson・・・漫画のほうが面白い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています