村上春樹の短編を語る会
村上春樹は巨乳が好きなの?
ロリコンなの?
肛門性交が好きなの? 村上春樹が好きなのは、同じ描写を何度も繰り返す、しつこい描写 村上春樹には、結婚生活の機微を描いた長編小説を書いて欲しい! 無理な注文だな
書けないし、書かないよ
村上春樹に「生活」は書けない。 性描写はやはりAVを観て勉強するのだろうか?
それとも、積年の実績の賜物? 春樹の恋愛描写ってグレートギャツビーやティファニー朝食に描かれていた愛し合っていたカップルが高度消費社会化によって引き裂かれていく、ってのを現代版にブラッシュアップするのがデフォで、これは春樹のテーマが社会と個人である故にある時期まで繰り返し書かれていた。
でもこれ、大塚英志がとっくの昔に指摘していたことなんだけど主人公が妻を失い、取り戻すための冒険譚みたいな物語構造は社会の変遷ってより神話の物語構造を春樹は意識していて、だから神話構造の普遍性を変奏している作家としてオウムに忸怩たるものを感じてアンダーグラウンドを書いた。ってのは知識として覚えといたほうがいいと思う グレートギャツビーとティファニーって、すごくかいつまんで言うとある男女が一瞬は純粋に愛し合っていたんだけど、社会が変わり、経済格差が発生して女性の側が主人公との愛より経済的豊かさの方に流れて行き二人は別れてしまう。みたいな話である。
春樹は一見、これを現代風に変奏している。ねじ巻き鳥の原型といえば火曜日の女たちが思い浮かぶが、あれは短編の時点でメイがすでに存在しているので後の展開に繋がる打破点がある。
ねじ巻き鳥の妻が突然失踪する、って描写のもう一つの原型になっている短編はテレビピープルでこっちのほうが短編としてはソリッドな完成感がある。
愛し合って結婚したはずの妻がある日突然消える、その理由に当時世俗性の媒介の象徴みたいなモノだったテレビが現される。 >>835
ほんとに懇願なんだけど、ワイこの辺のフェミニズム史としての春樹の総括ができないので誰かに助言してほしい。
春樹がねじ巻き鳥によって完成される「純愛の失敗」みたいなのを上野千鶴子が叩いてて、春樹をフェミニズムとして評価していた大塚英志をなぜか上野が褒めてて(共に江藤の抱擁家族評に好意的である)、あの時代になにかすごく大事なものがあって、それがなにかワイは最近忘れている気がする。 しかし、暇で頂き女子りりちゃんのマニュアルを見ていたんだが、この文章のマックスファクターはこんなに頭の良いりりちゃんが愛していたホストがいるって、その一点だと思う。
人が人を騙しお金を稼いで、騙された人が更にまた誰かを騙し、みたいなエコノミーの中に人間の
愛があるってちょっといい話だと思う。
つかむしろ、今でも人間って純粋に人間を愛することにこんなに頑張るんだな、ってちょっと感動する。 >>837
世界って未だにやっぱ愛で動いてるんだから良いよね笑 >>837
みんなが騙し騙されてるのが悲しい資本主義社会の現状なんだけど、その連鎖の中に誰かが誰かを本気で愛した記録があって、でもそれは始点でも終点でもなくただ流れていく情報の一部でしかない、みたいなロマンがあり、これは現代において既成事実化されているマゾヒズムである。 今こうしている間にも、誰かが誰かを愛し愛され騙されて世界は運営されてるんだから、そんなの別に人類史において珍しいことではないラジ… 春樹って、エッセイかなんかで一生番になってる生き物を良いものとして語ってて、裏切りのない恋愛みたいなのが核にあるんだろうな、とは察する。
でも春樹の孫でもおかしくない世代のワイには春樹作品に通底する一回性の真実みたいなものが、理屈では解るんだけど体感的に理解できない。
ノルウェイの森って、愛のない放蕩的な性をメタレベルで否定する小説だと思うんだけど、残念な話ヒトは愛みたいな複雑で面倒なものより、放蕩的な偶然性に身体を晒すことを実践している。 理想を思い描いてみよう!
よりによって、こんなところに。 交際期間2日で、核開発が続行されていたことを知った。 交際期間2日で、核開発が続行されていたことを知った。 >>814
一生番とは何か?
春樹作品に漂う、裏切りのない恋愛を彷彿とさせる一生番という概念。
確かに、理屈では理解できる。しかし、体感では掴みきれない。
孫世代の僕には、春樹世代とは異なる真実がある。
それは、一回性という名の脆さ。
約束も永遠も、軽々と壊される時代。
だからこそ、一生番への憧憬は、虚構にも似た幻想となる。
春樹が語る真実は、時代とともに色褪せ、形を変えていくのか?
それとも、普遍的な何かを指し示しているのだろうか?
問いは尽きない。答えは、読者の中に。 >>837
暇な午後の溜息
雨上がりの午后、薄曇りの空を眺めながら、ふと「頂き女子りりちゃん」のマニュアルを読み返していた。その中でひときわ印象に残るのが、彼女が愛していたホストの存在だ。
彼は巧みに言葉を操り、りりちゃんから多額の金銭を巻き上げていた。しかし、りりちゃんはそんな彼を心から愛していた。その姿は、まるで滑稽なまでに純粋で、どこか切なくもあった。
人は人を騙し、騙された側はまた誰かを騙していく。そんな経済システムの中で、りりちゃんの愛は異彩を放っていた。まるで宝石のように輝く、純粋無垢な感情だった。
ふと、人間という存在について考えさせられた。私たちは、なぜここまで人を愛そうとするのか?その理由は、未だに誰も解明できていない。
しかし、りりちゃんの姿を見て、私は人間という存在の美しさを感じた。たとえ欺かれ、傷つけられても、それでもなお愛を求め続ける。その強さは、計り知れないものがある。
雨上がりの空のように、少しだけ晴れ間が見えてきたような気がする。人間という存在の、その複雑さと美しさに、私は心を打たれた。