グレートギャツビーとティファニーって、すごくかいつまんで言うとある男女が一瞬は純粋に愛し合っていたんだけど、社会が変わり、経済格差が発生して女性の側が主人公との愛より経済的豊かさの方に流れて行き二人は別れてしまう。みたいな話である。

春樹は一見、これを現代風に変奏している。ねじ巻き鳥の原型といえば火曜日の女たちが思い浮かぶが、あれは短編の時点でメイがすでに存在しているので後の展開に繋がる打破点がある。
ねじ巻き鳥の妻が突然失踪する、って描写のもう一つの原型になっている短編はテレビピープルでこっちのほうが短編としてはソリッドな完成感がある。

愛し合って結婚したはずの妻がある日突然消える、その理由に当時世俗性の媒介の象徴みたいなモノだったテレビが現される。