コンビニのレジ傍に置いてある募金箱を見てさも誇らしげに、照れながら、100円を落としこむ人間がいる。
僕はそれを公開オナニーだと思うし、善行をカネで買う忌むべき行為だと思う。
現在60億の人口がある地球にあって、その1億2000万の日本に住んでいる我々は世界中にそれよりも恵まれない生活をしているひとを知識として知っているし、
申し訳ない気持ちもあるし、そのことによって罪の意識を持つし、その人たちのために何か助けられることはないのかと悩み、
また、それが大凡解決不可能なものであることを実感として持ち、かつその事実に絶望する。
誰しもが共通に持つその罪の意識を贖うための”行為”としての募金は大変精神衛生上よろしい。
行為がすなわち善行の結果として結実した気になるからだ。
その募金という事実を以て、その恵まれない人達に対する贖罪が為ったものだと錯覚する。
まるで1000円払って感動映画を見るようなものだ。
しかし募金という行為はあくまで対症療法の域を出ず、恵まれない人々を産み出す土壌や環境を改善することにはならない。
その根本的な解決への道筋について悩む事を諦めるために、その諦めた事実を正当化するための代金であって、そこにそれ以上の意味は無い。
だから僕はそれを善行をカネで買う行為だと思うし精神の潔白を貶める行為だと思い悩む。