>>185 森見の「新訳 走れメロス」で書いてみた。

 面白かった。友だちとの約束を絶対に守ら ない主人公は、自分の身代りに差し出した友
人にまったく信用されていない。友人は、主 人公が姉の結婚式のために出席できないこと
を聞いて、ひとこと言い放つ。「おれの親友 が約束なんて絶対に守るわけがない」と。そ
のあまりにも、「旧訳走れメロス」との内容 に正反対な展開に、思わず笑ってしまった。
 友人は、主人公には姉はいないと主張し、 主人公が約束の時間に帰ってくるわけがない

ことをぼやく。そこに友情などというものは 存在しない。実際のわたしの友人関係でも、
わたしのために犠牲になってくれるような気 のいい友人は存在しない。友人であっても、
わたしはいい大人なのだから、自分のことは 自分で後始末をつけるのが常識だ。わたしは
かといって、友人を生贄に、約束をかわすこ とには抵抗があるのだが、それはわたしが歳
をとったせいかもしれない。若かりし頃の殺 伐とした友人関係では、わたしは友を売った

かもしれない。それが、現実的な友情のあり 方であり、太宰治の「走れメロス」とちがい、
森見登美彦の「新訳 走れメロス」は、世間 の等身大の友情のあり方を表しているといえ
る。もちろん、「新訳 走れメロス」の主人 公には姉はいない。わたしは主人公が本気で
友人を犠牲に身の保険を計っていることを知 った時、とてもすがすがしい気持ちになった
のである。それは、大人ののたまうきれいご とに洗脳されない生き様に共感を覚えるから